>>133 追加

下記、極限における無限の問題、無限小、超準解析、アキレスと亀のパラドックス、
実数の連続性(連続だが間に無限小が(^^; )
(付録:層&茎と無限小近傍)

(参考)
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2012/infiniteness/
永井俊哉ドットコム
無限性のコペルニクス的転回
2012年4月8日2021年5月2日
目次
1.極限における無限の問題
2.ε-δ 論法による問題の解決
3.超準解析による問題の解決
4.アキレスと亀のパラドックス
5.無限に対応する対象はあるのか

1. 極限における無限の問題
無限とは何かという問題は、古代ギリシャのゼノンが提起して以来、重要な哲学的問題であったが、アイザック・ニュートンやゴットフリート・ライプニッツが17世紀に微積分学を創設したことで、改めて考えられることになった。もっとも当時は、関数の極限を求める際の無限小(infinitesimal)や無限大(infinity)の扱い方は粗雑であった。

2. ε-δ 論法による問題の解決
ε-δ 論法は、オーギュスタン=ルイ・コーシー[2]、ベルナルト・ボルツァーノ[3]の試みを経て、1861年にカール・ワイエルシュトラス[4]によって完成された。ε-δ 論法では、無限小の概念を用いずに極限を求めることができるというのが一般的な認識である。

ε-δ 論法の開発者自身が自覚していたことではないが、ε-δ 論法の意義は、極限における有限と無限を分割し、後者を認識対象の属性から認識作用の属性へと振り替えたところにある。
ε-δ 論法の開発者あるいは解説者が、ε-δ 論法によって極限から無限概念を排除することに成功したと信じていたのも、真理とは認識主体とは独立に認識対象に帰属するという素朴な客観主義を前提にしていたからだということができる。無限を認識対象から認識作用へと排除することで、無限を目立たなくさせることはできるが、無限はなくなったわけではない。ε-δ 論法は有限と無限を区別した点で正しかったが、無限が排除されたのではない以上、有限と無限の区別を維持しつつ、無限を再び可視化する必要が出てくる。1960年代から登場した超準解析の意義はそこにある。

3. 超準解析による問題の解決
二つの実数間に存在する超実数は有限の超実数(finite hyperreal number)と呼ばれる。
無限小は有限の超実数ではあるが、0 以外は実数ではない。0 ではない有限の超実数 hは、限りなく 0 に近く、h=~ 0 と表記される。

つづく