>>77
>ガウスが天文で職を得ずにそのまま代数学・整数論・解析学に邁進し続ける
>ことが出来たのならば、どれほど奥深いところまでいけたのだろうかと

その問いは面白いね
多分、もっと論文とか本とか発表しただろう
(何かで読んだが、ガウスは数学では寡作だが、天文系ではかなり発表したらしい)

もっとも、ガウスの時代は天文や物理と数学は未分化だったろう
ニュートンは、物理学者でもあった
オイラーも、数学以外にも手広くいろんな研究をしている
また、戦前日本数学物理学会だった時代があるよ

https://www.jstage.jst.go.jp/static/pages/Journal@rchiveStories/Physics/01-05/-char/ja
朝永振一郎
1906(明治39)-1979(昭和54)
(提供: 独立行政法人
理化学研究所)
Journal @rchive Stories
数物学会誌の紹介
2006/05/24 第5回 数物学会誌と日本の数学・物理学の発展
現在の日本数学会と日本物理学会は,戦前は一緒で,「日本数学物理学会」と なっていました。それが戦後1946年1月にそれぞれ独立して,日本数学会と 日本物理学会となって現在に至っています。その起源をさかのぼると, 1877年(明治10年)9月に,湯島の昌平館に同好の士が集まり,東京数学会社が 設立されたときに至ります。「会社」というのは Society のことです。この 東京数学会社は,現在までつながっていて,雑誌も名称を変えながらも 現在までつながっているものとしては, 日本で最古の学会です。この会社は 和算家が中心だったのと,当時日本ではまだ物理学が未分化でしたので 「数学会社」となっていますが,ケンブリッジ大学で数学と物理学を学んだ 菊池大麓なども参加しており,力学に関する記事も含んでいました。発足当時の 117名の会員については,和算家のほかに軍関係者が意外に多いのですが, 海軍は航海術,陸軍は弾道計算などに関心があったのかもしれません。 その後,1884年5月3日の例会で菊池大麓により,「数学および物理学 (星学を含む)を講究拡張するを以って目的とすべし」との動議が出され, 全会一致で「東京数学物理学会」に改組拡充されました。1918年には 長岡半太郎の提案で「日本数学物理学会」と改称され,1945年12月まで 続きました。