ラヨ関数が神託機械で計算できるかどうかという話か。それはさておき、

前スレ終わりのほうの議論と関係しているようだな。
存在を証明できなければ定義したとは言えないと考える。
よってn文字で記述可能な公理系から証明可能かどうかを考える。
でもそれならその公理系も定義の中に含めてしまって
n×2文字で記述可能な・・・って関数を定義してしまえばいいんじゃな
かろうか。
そう考えるとその定義(とされたことになっている)数がその公理系の下で
存在することを証明するための公理系を考える・・・となっていき切りが
ないな、証明が証明になっていることの証明をどんどん追っていくようなものだ。
無条件で正しいと信じるための信仰が必要だ。