>>507
>現実逃避とか変身願望(いじめられてる子供が夢の中で仮面ライダーかなんかの
あと自己顕示欲だっけ?
これさぁ、毎回思うんだけど、逆に聞くけどおまえら治療してて「ギックリ腰一発で治ったヒヤッハー (゚∀゚)俺って天才じゃね?」「やっぱ俺スゲエ、そこらの医者より有能!」とか思わないわけ?

ギックリ腰じゃなくても難治性の疾患とか病院いろいろ回ったけど良くならなくて、とか治して。

俺は思うけどね。頭の中は財前教授。

むしろそう思えずに治療してるヤツって、大丈夫なの?って思うけど。
リスクマネージメントとして、結果はシビアに評価するとか、慢心せずに注意して刺鍼する、とかは当たり前だけど
簡単な話、自分が手術する時に執刀医が「私は天才的です。ただ口は悪いけど、自信があります(キリッ」っていうのと「私は懸命に頑張ります。技術に関しては日々向上を目指してますが、まだまだです。でも患者さんに寄り添って…」ってどっちとるよ。

ただ、常識的に自分でリアルに治療中に言ったり、自院のブログに書いたりは、まぁ品が無いなぁとは思うけど、「鍼刺すのが怖いです(これ研修生の時にホントに居た人)」って国試通ってて語学も堪能(台湾出身の人)だけど、臨床家としてヤバくね?と。

別に>>507だけに対してだけだなく、人間性がとか自己顕示欲がとか書いてる人らのレス見るといつも思うんだよね。
それの何が悪いのか?と。

>>543
これはね、やっぱ皆アンタッチャブルで話題にしないけど、どうしてもこの先の鍼灸業界考えた時にはっきりさせないといけないと思うから敢えて書くけど

申し訳ない。
俺は昔から視覚障害者を見てきた体験から言っても、むしろ視覚障害者に対してはシビアなスタンス。

それは「視覚障害者だから」とか、というのではなく、「能力(この場合はあはきの国試レベルね)の無いものは鍼灸治療はすべきでない」という障害の有無関係なく思ってること。

だってさ、あはき法19条の
「当分の間、(中略)視覚障害者であるあん摩マツサージ指圧師の生計の維持が著しく困難とならないようにするため必要があると認めるときは、(中略)承認をしないことができる」
ってのの「当分の間」って昭和23年?からどんな間だよ。

視覚障害に限らず、むしろ「障害者」に対して「あはき」という職業に限らず、他の職業も含めて幅広く働ける環境は作られるべきだし、これは寧ろ「福祉政策」の問題。

もし「鍼灸」を「医療、医学」として位置付けるのであれば、人に医行為を為す者が「私障害者だから国家試験の点数下駄履かせて貰ってま〜す♪試験簡単にして貰ってま〜す♪」ってヤバいだろ。

ある中途失明の人が盲学校入った時の話聞いたけど、もう最初は点字覚えるだけで精一杯だった、点字で書かれてる教科書読む前に授業終わって卒業しちゃった、
今になって勉強したいと思うけど、する場所が無いからムリって言ってたけど、こっちの制度をまず何とかするのが先じゃね?

それならキッチリ時間を掛けて点字から日常生活のフォローをした上で、おはきに限らず、例えばその人の前職なりに関連した事とか、生かせる職場に復帰する方がよっぽど良い。