>>433
凡ゆる者が想い想いに放つ、玉石混淆で当然なその言葉の数々から、気づきという
玉を拾うてもらい、良かったのぢゃ。そういうことを己で己の中に見つけ出していくこと

それも「観察」の一つぢゃ