共産主義は全ての人が公務員のように国に仕えています。
そして全ての国民が平等であるので、実は成功もなければ失敗もありません。
それはつまり「大出世もなければ失業もない世の中」ということです。
そしてそうした世の中である為に、共産主義の世の中では人間にとって
とても大切なものが薄れていきました。それは「努力」です。
なぜなら共産主義の世の中では、人間が自分のアイデアによって自由に起業して、
そして企業努力を行っていくことができないからです。
組織の中で働かされている公務員が大出世することがないように、
共産主義の世の中は努力ばかりか才能さえ奪いかねないわけです。
つまり共産主義の世の中からは、松下幸之助やビルゲイツのような人は
出てきたくても、出て行くことができないわけです。
それに走っても、歩いても、頑張っても、怠けても、必死に努力しても、
適当に堕落しても、全て同じ結果しか与えられないのならば、
歩く人と怠ける人が増えて、走る人と頑張る人が減ってしまうのは、
ある意味において当然なのかもしれません。
平等を求めるならば結果やゴールを平等にするのではなく、
機会やチャンスが平等な豊かな世の中をマルクスは目指すべきだったのです。
なぜなら機会やチャンスの平等な世の中であってこそ、
人間の努力を引き出すことができるからです。
しかし残念ながらマルクスは平等の求め方を間違えてしまいました。
そのために国民の努力は乏しくなってしまったのです。
そして世の中から努力が薄れた為に、「発展」や「繁栄」というものも
次第に失われてしまいました。
ですから共産主義の世の中は、結果的に「貧乏」の平等分配を
行うことになってしまったのです。
しかも一部の特権階級が生まれて、決して「平等」にもなりませんでした。