0001名前は誰も知らない2022/10/22(土) 06:54:00.50ID:TjxbzIoj
田中さん:「アフリカの田舎で、10歳くらいの子どもに『寿司作って』って言われたことがきっかけで」
20代で青年海外協力隊でアフリカを訪れた際に言われた「寿司作って」の一言。
遠く離れた場所でも知れ渡る「日本の寿司って、すごい」と感じ、寿司職人になることを決意したといいます。
帰国後、27歳から銀座の寿司店で修業しますが、当時は年収300万円。
苦労が多かったといいます。修業時代は、客前で寿司を握ることができず、閉店後に一人練習に明け暮れる日々。
田中さん:「日本でこのまま続けても、芽を出すにはちょっと条件が厳しい。
それが海外だったら、もうちょっと芽が出やすいのかなって」
そこで当時、兄弟子が働いていたニューヨークの寿司店で働くことを決意。
アメリカに渡ると、すぐカウンターで寿司を握れるようになり、年収は修業時代の倍の600万円になりました。
田中さん:「海外だったら、フラットな目で見られますし、プラス、スキルを生かしやすい」
5年間働き、ためた資金でおととし、マイアミに念願の寿司店をオープンさせたのです。
田中さんの年収は、わずか7年で300万円から8000万円になりました。
20代で青年海外協力隊でアフリカを訪れた際に言われた「寿司作って」の一言。
遠く離れた場所でも知れ渡る「日本の寿司って、すごい」と感じ、寿司職人になることを決意したといいます。
帰国後、27歳から銀座の寿司店で修業しますが、当時は年収300万円。
苦労が多かったといいます。修業時代は、客前で寿司を握ることができず、閉店後に一人練習に明け暮れる日々。
田中さん:「日本でこのまま続けても、芽を出すにはちょっと条件が厳しい。
それが海外だったら、もうちょっと芽が出やすいのかなって」
そこで当時、兄弟子が働いていたニューヨークの寿司店で働くことを決意。
アメリカに渡ると、すぐカウンターで寿司を握れるようになり、年収は修業時代の倍の600万円になりました。
田中さん:「海外だったら、フラットな目で見られますし、プラス、スキルを生かしやすい」
5年間働き、ためた資金でおととし、マイアミに念願の寿司店をオープンさせたのです。
田中さんの年収は、わずか7年で300万円から8000万円になりました。