0001132人目の素数さん2015/11/23(月) 02:05:24.86ID:xCIHApRS
微小数を追究して、その逆数から巨大数を得る事はできない?
巨大数に1を足せども引けども焼け石に水だが、微小数に1を加算/減算するととてつもない変化量になる
この差異をどうにかして手数の増加に繋げたい
加算減算じゃ微小数の操作には大きすぎて向かないだろうね
オコジョ数は近似値との差を微小数にしているんじゃなかったかな
微小数の追究も結局巨大数の追究と変わらないのだ。微小数をスタート地点とする
巨大数はまれだなんぎゃば
拡張型Eシステムのあのクリスマス飾りみたいなハイペリオンの帯や、
10をベースとする関数なのに命名基準が100単位なのが気に入らなくて
自分好みにいろいろ叩いていったらなぜかBEAFが出来上がった
な、何を言っているのかわからねーと思うが(ry
BEAFってかなりスマートな構造してたんだね
今までなんとなく分かったつもりだったけれどしっかり理解できた
BIG FOOT が作者が思ってたほど大きくなかったようだが今のところ一番大きい
名前の付いた数であることは確かなようだ。
基礎論の強さっていうのは、
公理がより多いほど証明できる命題がより多くて
より少ない記号で特定の大きさ以上の巨大数の指命ができるけど、
うまくつくらないとやり過ぎるとラッセルのパラドクスみたいに自己矛盾が生じやすい、
っていう理解でおk?
Kurikaeshi no hyokihou wo tsukuttemita yo
a,k|0->f(k) = a
a,k|n+1->f(k) = f(( a,k|n->f(k) ))
Enzanshi Hyoki no rei: a{n+1}b = a,k|b->a{n}k
Phi kansu no rei:
phi(0,b) = omega^b
phi(a+1,0) = phi(
phi(a+1,b+1) = (phi(a+1,b)+1),k|omega->phi(a,k)
epsilon_1 = phi(1,1) = omega^omega^...^(epsilon_0+1)
過去ログを見てみたが為になるな
熱い議論が展開してて面白過ぎる
スレ立て出来ぬ。すまん。誰かお願い
スレ立て別に950じゃないならおk
サーバーの増設率がBB(BB(1000))/sec
FOOT
oodles
* 抽象的な何か
* 広義の集合みたいなの
* oodlesの演算は∈,=, それと論理演算(∃,∧,¬とか)
* 式の真理値をタルスキの定義によって定める:
* * "x∈y": xがyの要素なら真
* * "x=y": xとyが同じoodleなら真
* * "φ∧ψ": "φ"と"ψ"が真なら真
* * "¬φ": "φ"が真でないなら真
* * "∃x:φ(x)": "φ(x)"が真になるようなoodleがあれば真
oodle ranks
* わからん
oodle ranks
フォン・ノイマン宇宙の階層を拡張したやつ。定義はフォン・ノイマン宇宙と「だいたい」同じ
増加率の曲線自体を幾何学の観点からあれこれしてスーパー増加率にする
バシク行列は強配列表記よりも右側でいいかな、解析結果見る限り>例の表
強配列表記は2階算術の強さは超えてないようだ。解析結果が正しければ。
と思ったらバシク行列微妙に定義変更されて弱体化された?
あの表の小一次数列数の位置付けが若干違う。ハーディー階層でω^ωと評価されるのでFGHだとωになる。
バシク行列は、結局まだ計算終了の証明が完成していないので、位置付けはかなり不安定
計算終了の証明以前に定義があやふやなのだわ。
直接順序数に対応させる力技ですくなくともBEAFなみの力を持ってるのは確かなようだ。
BEAFもテトレーション配列より先はあやふやだけど。
定義はプログラムがあるんだからはっきりしてるでしょ
でも、修正したバージョンの定義がどうなっているのかがあやふやか
計算不能関数なのでその関数の全域性をRCA_0では証明できない
>>977
thx 定義自体はできるのもあるってことです?
最近順序数でかいの多すぎてよくわかんないです
バッハマンハワードまでしか理解できてないです
RathjenのΨ関数とかマーロ基数がわかんないのでわかる方解説お願いできませんか 全域性が証明されていないということは、全域関数が定義されたことにはならない
RCA_0 という理論体系を考えている以上は、証明を離れた定義を与えるのは無理
TaranovskyのCを超えたところから順序数による評価そのものに限界を感じ始める。
正確には評価というより評価の表現
RCA_0やらは証明するための前提条件でなにかを定義するものではないのでは。
そして定義できることと記述できることと証明できることはそれぞれ別だろう。
>>983
全域関数f(n)を定義するためには、f(n)がすべての自然数で定義されている必要がある。
でも、全域性が証明できないということは、定義されているかどうかわからないという
ことだから、定義したことにはならない。 定義するとはどういうことかを定義する必要があるが、循環論法になって議論にならないな。
定義されているかどうか分からないからといって定義できてないというわけではなく、
定義できているかどうかということを確かめようがない、ということだろう。
というか、定義するのは論理式であってRCA_0ではない。
別に985が間違ってるということではなく、「定義」という言葉の定義が互いにずれているようだ。
「「定義」という言葉の定義」という言葉の定義はずれていないことを望む。
どうでもいいけどこの議論は
X=「X」という言葉の定義
で対角化することができる。
「全域関数か部分関数かわからないビジービーバー関数のようなもの」であれば定義できる可能性があるけど、
そもそも証明しないんならRCA_0もZ_2も同じなので、わざわざRCA_0を指定する意味がない。
最大の双子素数の大きい方は、自然数nである
という定義が、そもそも意味を持つかということで、
存在しないかもしれないのに定義できたというかどうかは、
まさに定義の定義だけれと、だとしたら常識的には
定義できてないと考えるのが自然だろう。
存在するかどうかというのは、「存在する」が真であるかどうかという問題であって、
証明可能性とは別の問題だと思います。。
この分野では従来の直感に反することがよく起こってきたから、常識で判断するのはちょっと危険かと。
この場合は常識云々というよりは存在論や認識の話になるのやもしらんが。
RCA_0では証明できなくてZ_2では証明できる論理式があるかもしれないので、
指定する意味はある(かもしれない)。
RCA_0の時点で矛盾していればたしかに意味はない。
そして完全に純粋に言語だけで無矛盾性を証明する(ことを認識する)ことはできない、
つまり理性のみで完全に正しいと言える証明は存在しない。
そういう意味で理性のみを便りにする立場から、証明できなければ定義できたことにはならない
と主張するのであれば、何物も定義することができないということになる。
直感って大事ね。
> RCA_0では証明できなくてZ_2では証明できる論理式があるかもしれないので、
> 指定する意味はある(かもしれない)。
そもそもの質問は「計算不能関数をRCA_0で定義できるかどうか」なので、
もしそれをあらわす論理式ができたとして、その論理式が全域関数であることを
証明する、しないを問題にするのであればRCA_0を指定する意味ある。
定義する段階では証明する、しないは関係ない、という立場であれば、
Z_2で定義できていればRCA_0でも定義できているということになるから、
はじめからZ_2で定義できるかどうかを聞けばいい。
内包公理ってのは「ある式を満たす集合が存在するよ」ってことだから、
その式を満たす集合が存在するかどうかは関係なく定義できる、
という立場だったら、RCA_0もZ_2も同じだよね。
同じというのは「定義できるかどうか」という問いに対してね。
証明できるかどうかとなると、もちろん違う。
先に双子素数のたとえに触れるべきでしたが、
最大の双子素数の大きい方aが存在するということが今は証明できてないから
aを定義できていない。
しかし後で証明できたとしたらaを定義できたことになる。
となったら矛盾になりませんか。
これは言葉のあやの問題だと思うので、これで貴方は間違っていると主張するわけではありません。
私は「定義する」という言葉を普遍的な意味で使っていますが、時間を踏まえて
言葉を使う線形論理学的な(?)考え方では確かに矛盾しません。
お考えを伺いたいです。
RCA_0を指定する是非については993で腑に落ちました。
Z_2で定義できていれば〜のくだりを読み間違えていた。
Z_2のモデルが存在すればそれはRCA_0のモデルでもあるから、最初から
Z_2のモデルの中にそういうのがあるかを問えばいい、ということか。
確かにその通りだけど、私は無矛盾性の強さと証明不能性からそこまで自信を
持てないです・・・
>>995
逆に、後で存在しないことが証明されたら定義できてなかったことになるから矛盾するでしょ。
そんな不安定な状態のものをはっきりと定義できたとするのは常識的には不自然だけど、
常識とは無関係にそういうものだと定義という言葉を定義するのであれば、その定義であるという
断りを入れて使うことまでは否定しない。 最大の素数をaとする、という定義は定義になってないよね。
それは、最大の素数が存在しないことが証明されているから。
一方、最大の双子素数の大きい方をaとすえう、という定義が今は許されるとして、
それが存在しないことが将来的に示されたらその定義は無効になるので、
存在するかどうか分からないものを定義できるという考え方が、
時間によって定義の意味が変わるという意味では普遍的でない。
少なくとも、定義できると言い切ってしまうと、存在するという意味だと誤解されるので、
存在するとすればそのように定義する、
定義する。ただし、存在しないかもしれない。
定義できるかどうかは分からない
などの、誤解のない表現を使うことが重要。
まとめると、証明できないということが重要なのであって、
定義できたかどうかはどうでもいい。
10011001Over 1000Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
life time: 427日 0時間 17分 8秒
10021002Over 1000Thread
2ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 2ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 2ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
http://premium.2ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.2ch.net/login.php