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PART2株式会社インターコンシェルジュ 代表取締役CEOから皆様へ
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第一希望の早慶附属には落ちたけれども、明大明治や立教の附属校、そして城北などに合格して、明大明治に進学。
その頃から、「え!あの高橋君が・・・」と言われるくらい、私に対する周りの見方が変化してきて、それがある意味、自信につながりました。
東京6大学野球や大学ラグビーが盛んで、そういう共通意識、母校愛が持てるような大学に行きたいと思って、早慶明立の附属を受けた次第。
明大明治は、当時100人募集で、合格入学者は、校長との面談があって、なんと6位の成績での合格でした。

勉学には自信に満ち溢れ、学内では常に20番以内、最高は学年3位という成績を取っていました。
明大明治は、明治大学直系の附属(明大中野は学校法人中野学園で直系はありません。)で、高校大学で、とことん明大魂を叩きこみ、青春を謳歌しました。
特に高校では、その上位成績を高校二年まで続け、仮に高校3年の成績がビリになっても、ほぼ希望の学部に行ける成績を取っていたので、高3からは、一気に遊びモードに突入。

明らかに高校生であることがバレバレなのに、渋谷の「ペンギンズバー」という洋風の飲み屋に、一本6000円もするお酒をボトルキープしたり、煙草も吸い放題。
六本木のディスコ「マハラジャ」や「ザ・リージェンシー」、渋谷の「ラスカーラ」「スターウッズ」等々のディスコで遊び三昧の毎日。
親は、せっかくまともになってくれた子供が、あっという間に180%変わっていくことににハラハラドキドキだったでしょう。
朝帰りすれば、父親が鬼瓦のような顔をして待っている。
そんな心配を掛けながらも、警察にご厄介になる犯罪は絶対にしなかった。
というより、たまたまそういう人間が周りにいなかった事が、そういう事件に巻き込まれることもないことにつながっていたのでしょう。

大学では、麻雀、ディスコ、合コンそしてダンパ(もう死語ですね。ダンスパーティーの略)三昧の一方、家庭教師と時給1000円の某一流商社の社員食堂の宴会配膳バイト。
遊びとバイトで大学の授業はほとんどさぼり、英会話のヘンリー先生からは、出席確認で、「Mr.Takahashi!Oh!escape!」と毎回言われていた始末。
小学校ではどうしようもないくらいの問題児が、勉強を通じて、「やればできる」という自信をつけると、あっという間にこんな風に変身できるんです。
もう、この時には、勉強だけでなく、遊びも超一流になっていました。
今でいえば、まさに大学後輩オリラジ慎吾くんのように、超ナンパな男になっていました。

そんなめちゃくちゃな大学生活を送っている最中に、妻と付き合うようになりました。
その妻は、実は小学校の時にフラれつづけたあの子でした。(笑