セルティ レンタカー回送業 詐欺師 鹿住良人PART-11
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ドライバーにマトモな報酬出して働いて貰ってれば、今頃はたくさんのドライバー確保出来て会社も大きくなって、カスミ帝国も潤ってたかもしれないのに。
時給換算200円で騙して働かせて利益をあげようなんて企むから、こういうことになる。
ホント、バカな経営者の典型例。 http://5rent.jp/lineup.html
ファイブレンタカーは継続営業することにしたみたいだが、保有してる車の写真の撮り方が変になってるな。
ナンバーを隠すような感じになってるから、何かナンバーが分かるとマズイ登録方法でもやってるんだろうか。 東京カービジネスソリューションってとこの回送ドライバー経験ある人いる?
時給制みたいだけど >>954
まだ、頑張って営業続けてるな。
車種が激減してて、一度は店仕舞いを考えたようだから、経営はジリ貧だと思うが。 没有理想的人不伤心
この曲の地下鉄での大合唱はとても感動した メビウス21のスレ覗いてみろ
面白いことになっとるで 羊祜は、名門ではない。
いちおう「代々二千石」というだけあり、祖父は南陽太守、父は上党太守になった。しかし、際立った治績があるわけじゃない。しかも父は、羊祜が12歳のときに死んだ。孤児と言っていい。
羊祜は生家から、名士社会への最低限の参加資格だけを受け継いだが、それ以降は腕一本で名声を勝ち取った人物だ。
出身は、泰山郡の南城。南城とは、あまり聞きなれない地名だと思ったら、晋が羊祜を封じるために、羊祜の故郷の周りから、5つの県を寄せ集めて作った新しい郡だった。だから三国ファンには馴染まないのです。 父の喪にちゃんと服したから、叔父に感心された。
まだ地元にいるとき、見ず知らずの老人が、
「この子の顔つきは、素晴らしい。60歳になる前に、天下にひびく大功を建てるだろう」
と言ってくれた。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。 夏侯威からのスカウト
冴えなかった羊祜が、飛躍のチャンスを得た。夏侯威から評価をされた。有力者にコメントをもらうとは、派閥に加えてもらうに等しい。
「っていうか、夏侯威その人が無名だよ」
という謗りも予想されますが・・・夏侯淵の四男です。 嫌がらせのように癒着しております。夏侯氏は、魏の宗室でありながら、司馬氏とも結びついた。だから、晋代に栄えることもできた。
夏侯氏と司馬氏の婚姻結合のなかに、羊祜が取り込まれている。なぜか。理由が2つ考えられる。まず、羊祜が有能&清廉だったから。次に、実家の地位が低かったから。 セルティ レンタカー回送業 詐欺師 鹿住良人PART-11 司馬氏は、魏室と関係が深く、自己主張が弱く、政治に成功したという、矛盾したような性質の家と結びつきたかった。
要求の無茶ぶりを例えるなら、
「100グラム48円の高級ブランド牛肉で、霜降りだがノーカロリー」
を探すようなものだ。羊祜が、あつらえ向きだった。 羊祜のウワサを聞きつけたのは、曹爽だった。
「王沈と羊祜を、私の手下にしたい」
と言った。乗り気の王沈は、羊祜を誘った。羊祜は、
「仕える相手は、慎重に選ぶべきです」
と断った。 「私は、曹爽が敗北することまで、見通してはいませんでしたよ」
このエピソードで王沈は、完全なる引き立て役だ。
王沈が単なるバカな貴族なら、先見の明について、羊祜と比較する価値はない。だが、裴松之が引用しまくっている『魏書』を書いたのが、王沈だ。バカどころか、すばらしい教養者だ。
王沈がオオモノであるほど、羊祜が引き立つ仕組みだ。 離縁しなかったことについて、もう1つ。
魏晋の官人の立場は、推挙してくれた人に依拠する。もし夏侯氏との縁を切ってしまったら、羊祜は泰山郡の孤児に戻ってしまう。司馬氏が羊祜を優遇しているのは、夏侯氏の一味という看板が付いているからだ。 羊祜は、夏侯氏と離縁すると、名士の仲間でなくなる。すなわち、政治生命が絶える。離縁をしなくても、ギリギリ司馬氏に睨まれない。ここまで冷静に分析できたら、別れないのが絶対に正解だ。
まあ、その分析が難しいのですが。 さらに。司馬氏のニーズからしても、羊祜は離縁してはいけない。
司馬氏がやろうとしているのは、放伐でなく、禅譲だ。魏の宗室の権力を全否定せず、魏の宗室の権威をソコソコに引き継がねばならない。羊祜を間に挟んで、夏侯氏の輿望を味方に付けてしまえば、濃すぎず、薄すぎず、よい塩梅で魏の権威を継げる。 曹髦との距離
司馬昭は、羊祜を中書侍郎として、給事中、黄門郎に転じさせた。
文学皇帝の曹髦は、侍臣たちに詩賦をやらせた。そういう風潮を批判して、退けられた人もいた。羊祜は、曹髦にも批判者にも味方もせず、中立の立場を保った。世間の人は、羊祜の態度を褒めた。 曹髦のその後について、
『晋書』が「羊祜伝」で書いてくれてないから、続きを補足。
文学などの芸術が好きな人は、見境なく加熱することがある(笑)曹髦は自ら兵を率いて、司馬昭に対して「クーデター」を起こした。
「皇帝は私なのに、司馬昭は私より偉そうだな!」
という動機だ。 【悲報】なんJ民さん、余計なことを言ってしまうwww【2ch面白いスレ・ゆっくり解説】 司馬昭は、曹髦を殺した。なんと現役の皇帝を殺してしまったから、非難は司馬昭に集まった。
羊祜の何が優れていたかというと、
「自己主張の強い人は、その主張が正しかろうが誤っていようが、とにかく争いごとを起こしやすい。どちらに味方しても、損である。誹謗されたり、滅亡させられたりするリスクがあるからだ。初めから、激しい主張のある人には、近づかない方が賢い」
という処世をやれたことだ。 人は悲しいもので、敵味方を作るのが楽しい。抗争の当事者になりたがる。やがて、主張の内容そっちのけで、衝突することもある。羊祜は、闘争という名の麻薬に毒されていない人だった。 曹奐との距離
次の皇帝・曹奐は、羊祜を慕った。だが曹奐は、司馬氏が禅譲のクッションのために立てた、若いお飾りの皇帝だ。近づきすぎると、身に危険が及ぶ。羊祜は、曹奐との間に、適度なミゾを保った。 羊祜は、おそらく知っていた。自分は、実家が貧弱ゆえに、司馬氏から利用価値を見出された。だから、高い位を昇ることを許されている。 だが、もともと、
「親交を結びたい人が、名刺を持って門前を埋めた」
みたいな、名士の名門の生まれではない。だから、現在の持ち上げられぶりは、不自然なのだ。アンバランスだ。あんまり出しゃばってはいけない。皇帝に密着などしてはいけない。 「地方官に出して下さい」
羊祜は願い出た。秘書監に任じられた。 鍾会との衝突
曹髦、曹奐と距離を保っている羊祜です。 鍾会のひとり相撲
鍾会は、羊祜をライバル視して妬んだ。
対等に張り合ったということは、2人に共通する部分と、異なる部分が、最低1つずつなければならない。なぜか。まるで次元が違う人間なら、そもそも眼中に入らない。完璧に待遇が同じならば、エンヴィは生じない。そういうわけ。 共通点は、司馬昭に重く用いられ、高位を与えられていることだ。魏朝の中にいながら、司馬昭に近い。のちに『晋書』が編まれたら、建国の臣に数えられるべき位置にいる。
ちなみに鍾会は『晋書』に列伝はなくて、『三国志』の中で、魏を裏切った人物として列伝が組まれている。だがそれは、後の結果が招いたこと。曹奐の時代の鍾会は、司馬昭の懐刀だ。 異なる点は、家柄と貢献度だ。
鍾会は、鍾繇の末子だ。さらに遡れば、後漢末の名士、鍾皓もいる。出身地は頴川で、まさにサラブレッド。名士のスターだ。 異なる点は、家柄と貢献度だ。
鍾会は、鍾繇の末子だ。さらに遡れば、後漢末の名士、鍾皓もいる。出身地は頴川で、まさにサラブレッド。名士のスターだ。 異なる点は、家柄と貢献度だ。
鍾会は、鍾繇の末子だ。さらに遡れば、後漢末の名士、鍾皓もいる。出身地は頴川で、まさにサラブレッド。名士のスターだ。 一方で羊祜は、
「世吏二千石、至祜九世」
である。歴史の長さこそ立派だが、鍾氏よりは見劣りがする。 鍾会はプライドが高い。まるで家格の違う羊祜と、待遇の差がついていないことが、気に食わなかったに違いない。 また鍾会は、司馬昭のためにアイディアをたくさん出している。淮南の叛乱のとき、軍師をやった。労力の出し惜しまない。
だが羊祜は、どうか。
羊祜は、曹爽、曹髦、曹奐に接近していないが、同時に司馬昭のために働いてもいない。その証拠に、司馬昭のためを思った発言は、羊祜の列伝に出てこない。荀攸のような、
「歴史家が知りえない、極秘の進言」
があったことも、強く仄めかされていない。司馬昭が大将軍になったとき、与えられた官位を辞退した。曹髦への攻撃に、冷淡だった。羊祜は、司馬昭からも距離を取っていたように見える。 「家柄が上の私が、こんなに熱心に働いているのに、羊祜と横並びか・・・」
鍾会は、そりゃあ不満に感じたでしょう! さらに鍾会が、ストレスを溜める要因がありそうだ。
「鍾會有寵而忌、祜亦憚之」
と『晋書』にある。鍾会は、羊祜が司馬昭に寵愛されたから「忌」んで、羊祜は鍾会を「憚」った。このニュアンスの違いを見落としたくない。 鍾会が食って掛かろうとしても、羊祜は軽くいなしただろう。争いごとに加担して、身を危うくするようなことを、羊祜はしない。 さらに鍾会が、ストレスを溜める要因がありそうだ。
「鍾會有寵而忌、祜亦憚之」
と『晋書』にある。鍾会は、羊祜が司馬昭に寵愛されたから「忌」んで、羊祜は鍾会を「憚」った。このニュアンスの違いを見落としたくない。 鍾会が食って掛かろうとしても、羊祜は軽くいなしただろう。争いごとに加担して、身を危うくするようなことを、羊祜はしない。 さらに鍾会が、ストレスを溜める要因がありそうだ。
「鍾會有寵而忌、祜亦憚之」
と『晋書』にある。鍾会は、羊祜が司馬昭に寵愛されたから「忌」んで、羊祜は鍾会を「憚」った。このニュアンスの違いを見落としたくない。 鍾会が食って掛かろうとしても、羊祜は軽くいなしただろう。争いごとに加担して、身を危うくするようなことを、羊祜はしない。 羊祜は、曹髦のように、
「喋りすぎ系」
の性格だから、近づいてはいけない。鍾会から、赤黒い怒気がモクモクと立ち上っていたに違いない。正面衝突できたら、まだ鍾会はラクなのに。 羊祜は、曹髦のように、
「喋りすぎ系」
の性格だから、近づいてはいけない。鍾会から、赤黒い怒気がモクモクと立ち上っていたに違いない。正面衝突できたら、まだ鍾会はラクなのに。 羊祜は、曹髦のように、
「喋りすぎ系」
の性格だから、近づいてはいけない。鍾会から、赤黒い怒気がモクモクと立ち上っていたに違いない。正面衝突できたら、まだ鍾会はラクなのに。 鍾会と羊祜の対称性
司馬氏の事情から、鍾会と羊祜を見る。
なぜ羊祜が、不相応に得をしているか、簡単に分かる。司馬氏は、名士の同僚の中で、抜き出て皇帝にならなければならない。つまり鍾氏のような名門は、それなりに利用しつつも、掣肘しておかねば邪魔になる。取って代わられるリスクがあるから。 その点で羊祜は、使いやすかった。夏侯覇が亡命した今、司馬昭が、
「キミの名声は認めないよ」
と一言だけ言えば、羊祜は地盤を失うのだ。こういう便利なコマこそ、鍾会にぶつけて利用しない手はない。 鍾会は、司馬昭からの扱いに物足りなさを感じてか、司馬昭に取って代わろうとしてか、成都で叛乱した。
鍾会が誅殺されると、羊祜は鍾会の代わりに軍事を総領させられた。鍾会の後任が羊祜だったのだから、司馬昭の中で2人は同レベルの位置づけをされていたと考えていい。対称だ。ライバルだ。
羊祜は荀勗とともに、機密を担当した。荀氏も名士のスターだが、曹操との関係が悪化してから、落ち目だった。司馬氏は、名士の主流を叩き、名士の亜流を味方に取り込んで、自分の周りを固めた。 司馬炎が受禅すると、羊祜に高位を与えようとした。だが羊祜は辞去して、王祐、賈充、裴秀より上に昇ろうとしなかった。
羊祜は、名士の嫉妬深さやプライドを知っていた。争いのタネに近づいてはいけない。逆説的だが、こうして弁えている羊祜だから、司馬氏にとっては使いやすく、高位を授けやすい。 荊州に出たのは保身
司馬炎は、孫呉を滅ぼしたいと思っていたから、羊祜を都督荊州諸軍事、仮節とした。
孫呉を討つべきか、討たざるべきか。この議論は、西晋内部の権力闘争が形を変えたものだ。代理戦争である。純粋に戦略的な見地から喋っている人は、少ない。っていうか、いない。 このスレッドは1000を超えました。
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