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文学部 邪馬台国畿内説

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1学籍番号:774 氏名:_____
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2021/03/30(火) 12:58:05.37ID:guTpz5Wh
邪馬台国畿内説は、
1000キロメートル程も離れた陸続きでもない地層を、幾つもの併行関係という物事で、年代を恣意的にずらしながら、細々と繋げることが、絶対年代を決定する証拠なのだ、という非学問的な嘘をつき、
さらには、一般の科学的学問の手法としては、完全に破綻してしまった要素還元主義に基づき、近畿第V様式土器の埋まっていた範囲が邪馬台国なのだ、とする、完全に非科学的な妄想なのだったな。
258学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/10(土) 08:19:11.84ID:woDLrn6X
そうさせたのは「阿波」であって、決して九州説のせいではないから。  ナムナム・・・、   @阿波
259学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/10(土) 10:01:21.12ID:5Q9IK71S
>>252
つまり、魏志倭人伝で、3回登場する「水行」、2回登場する「陸行」でも、
それぞれ最初に登場した時の完全な区間の明示は、その区間の始点が、それぞれ後から登場する「水行」と「陸行」の区間の始点でもあることの、予めの明示であるだけではなく、
直前までの文脈をリセットする目印でもあるのだな。

從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里。
東南陸行五百里到伊都國。

南至投馬國水行二十日。
南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月。
260学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/10(土) 11:40:03.63ID:5Q9IK71S
「本当は、吉備から河内に伝来したのだが、庄内という場所で発見されたので、庄内式と名付けられてしまい、邪馬台国畿内説という空想の材料となってしまった土器」
という言葉を、そのまま使用すると、
文章が、長くなり、読むのが、大変なので、
「吉備から河内に伝来し、庄内式と名付けられた土器」
という言葉に変換して、意見を発表します。

「九州で土師器Ib期に出土したが、「吉備から河内に伝来し、庄内式と名付けられた土器」と似ていると認識された土器」、
「「吉備から河内に伝来し、庄内式と名付けられた土器」の伝来元である吉備の土器」、
「吉備から河内に伝来し、庄内式と名付けられた土器」、
「「吉備から河内に伝来し、庄内式と名付けられた土器」の影響を受け、纏向大下水道の深い所に埋まった庄内0式と分類された土器」
という4種類の土器の埋まっていた4つの地域の位置関係から考えれば、
「「吉備から河内に伝来し、庄内式と名付けられた土器」の伝来元である吉備の土器」との直接的な影響関係がありそうな「九州で土師器Ib期に出土したが、「吉備から河内に伝来し、庄内式と名付けられた土器」と似ていると認識された土器」と
「「吉備から河内に伝来し、庄内式と名付けられた土器」の影響を受け、纏向大下水道の深い所に埋まった庄内0式と分類された土器」とでは、
「「吉備から河内に伝来し、庄内式と名付けられた土器」の伝来元である吉備の土器」との直接的な影響関係がありそうな「九州で土師器Ib期に出土したが、「吉備から河内に伝来し、庄内式と名付けられた土器」と似ていると認識された土器」の方が、古そうだよ。
261学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/10(土) 11:51:55.76ID:5Q9IK71S
土師器Ib期という謎の期は、どの程度の長さの期間だったのだろうか。
262学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 06:48:55.55ID:Ma8j973G
魏志・東夷倭人伝の書き出し
「倭人有り 帯方東南 大海の中」・・・

下に拝借したimgurは、素晴らしい原図です。
帯方 → 倭地(九州島)の位置関係が、東南の直線で正しく記入されています
https://i.imgur.com/Ixx2XXX.png
263学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 07:01:39.23ID:qk1HyleM
「自郡至女王國萬二千餘里」

「計其道里當在会稽東治之東」

会稽東治(江蘇省宿遷市宿城区)と同じ緯度(北緯33度56分〜58分)に女王国(阿波)がある。   @阿波      

https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&;insightstoken=bcid_S3gyNtXaI5kCliZ5N45fpO2T2gHK.....yc*ccid_eDI21doj&form=ANCMS1&iss=SBIUPLOADGET&selectedindex=0&id=1294645963&ccid=eDI21doj&exph=341&expw=600&vt=2&sim=11
264学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 07:33:19.44ID:Ma8j973G
名だたる中国の歴史書は、倭国に上陸したら東南へ進めと書いた。
しかし、後世の日本の学者・文化人・知識人は、ことごとく北東へ進むべしと捻じ曲げた。
そこに混乱・混迷・狂気の行軍の源が有ったということだ。
その尻馬に乗った阿波テものも少なからず・・、
265学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 07:35:05.69ID:qk1HyleM
そもそも、その里程を加算するのが間違いの元!   

魏志倭人伝のどこにも、加算して「万二千里」などとは書かれていない! 

すべて直線距離で表されている。   @阿波 
266学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 09:28:01.80ID:Ma8j973G
そもそも、その里程を直線記述とするのが間違いのもと!
魏志倭人伝のどこにも、郡から直線で萬二千余里、とは書かれていない
皆が目にする通り、区間の累積距離で書かれている・・。
267学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 10:43:18.41ID:qk1HyleM
>>266
>皆が目にする通り、区間の累積距離で書かれている・・。

じゃあ、帯方郡〜不弥国まで何里だ?   @阿波
268学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 12:23:57.92ID:qk1HyleM
つい最近まで、帯方郡〜不弥国まで1万700余里などと、どや顔でホザイテいたのに、なんだこのざまは。  わははははは   @阿波
269学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 13:30:14.94ID:Ma8j973G
帯方郡〜不彌国までは1万600里+100里(この100里は、伊都国から奴国への枝道)だ。
んで、女王の都まで残り1400里だから、100qちょいだね。
残念ながら、阿波にはほんの少し届かないけど・・、
270学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 13:41:34.89ID:qk1HyleM
>>269
>10700*75=802500=802.5` ???


帯方郡〜不彌国までは、10700*75=802500=802.5`   いったい不彌国はどこなんだ?   @阿波
271学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 13:42:45.84ID:qk1HyleM
>>269
>帯方郡〜不彌国までは1万600里+100里


帯方郡〜不彌国までは、10700*75=802500=802.5`   いったい不彌国はどこなんだ?   @阿波
272学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 13:48:16.82ID:Ma8j973G
で、不彌国・吉野ヶ里から南へ100q余ということは、おおむね熊本県の範囲ということになる。
そして共立された所は、不平不満の出ないように、倭=九州島のど真ん中だったと考えれば、
阿蘇高千穂が、最高最適の候補地だな。(後世の高千穂神話は、伊達ではないぞえ)
273学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 13:52:19.47ID:qk1HyleM
>>272
>で、不彌国・吉野ヶ里

帯方郡〜不彌国・吉野ヶ里まで800キロもあるのか?   @阿波
274学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 15:47:59.36ID:Ma8j973G
>>273
帯方郡(ソウル)〜唐津〜多久市〜吉野ヶ里で、880qくらいだろう。
1里80mちょっとだな。
275学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 15:58:29.03ID:qk1HyleM
>>272
>阿蘇高千穂が、最高最適の候補地だな。(後世の高千穂神話は、伊達ではないぞえ)

で、なんという阿蘇高千穂の王都遺跡なんだ?  有りもしない妄想を楽しんでるのか?  わははははは   @阿波
276学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 16:05:29.42ID:qk1HyleM
>>269
>んで、女王の都まで残り1400里だから

んで、不彌国〜投馬国までの水行二十日は無視か?  わははははは   @阿波
277学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 16:15:31.42ID:Ma8j973G
福津に上陸しても、郡から1万里だ。
福津から筑豊経由〜中津〜徳島まで400qはあるだろう合計1200qで、1萬5千里ってえところだな。
洛陽から西の大月氏までの1萬4千里より遠いじゃないか、超遠絶の東の阿波氏・・、

ま、しもじもの荒れ果て、顧みられることのなかった遺跡(=廃墟)とはわけが違う。
卑弥呼の塚を祀る高千穂神社、及びこれを取り巻く神社群は、今も数多の神職によって護られ、祀られ、日々掃き清められているのだ。
そして皇族方の御参詣も数知れず・・、
278学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 16:20:02.85ID:Ma8j973G
>>276
アワ如きの読みとはわけが違うわ
・不彌国〜南至る投馬国
・不味国〜南至る邪馬台国女王の都する所
この二行は並列記述だ。どちらも不彌国から南(正確には南南東)であり、陸行する場合は途中まで同じ道なんだよ。
279学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 16:34:32.38ID:qk1HyleM
>>277
>卑弥呼の塚を祀る高千穂神社、及びこれを取り巻く神社群

神社が王都遺跡なのか?  みじめにならないのか?  わははははは   @阿波  
280学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 17:29:21.23ID:Ma8j973G
>.279
繰り返すが、遺跡(廃墟)ではないぞ、古えの王宮のお姿そのものだ。失礼無きよう御参詣ありたし、
281学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 17:57:02.80ID:qk1HyleM
>>280
つべこべ言わずに、王都たる集落遺跡を示してみろ!  そんなイカサマ神社など興味ないわ、ヘタレ。   @阿波
2021/04/11(日) 18:47:31.44ID:???
阿波さんも、
叩いてばかりいないで、
もっと歴史を追求しましょうよ
真実を書けば、
それが決定打になるんですから
283学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 18:51:17.71ID:qk1HyleM
>>282
歴史の真実  「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」   @阿波
284学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 19:01:29.03ID:Ma8j973G
廃墟に取り憑かれた男、阿波アワアワ、、。
285学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/11(日) 19:03:31.64ID:qk1HyleM
>>284
そんなイカサマ神社など興味ないわ、ヘタレ。   

「阿波」の記紀古神社知らんのか?   @阿波
2021/04/11(日) 23:55:54.99ID:???
阿波さんは、
劔山なら、
安全と思いますか?
核ミサイルがある今、
全然安全じゃないと思うんですけど
287学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/12(月) 07:22:25.73ID:HrpUBJAz
[日本高千穂神話の里]・・・(但し現在は、宮崎県西臼杵郡に帰属) 
阿蘇高千穂
中心街区 : 高千穂町大字三田井(=馬台)・・・翰苑に登場するあの馬台である
 「山に憑き 海を負い 馬台を鎮め 以て都を建てる 」
288学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/12(月) 07:33:46.23ID:dEHyLYHy
高千穂とは天降(あまくだ)った所なんだから、少なくとも高い山地(阿蘇高千穂)ではなく、麓・平地である。

そして、豊かに稲や稗などが稔るところを指す。   

高天原=四国山地(神山・木屋平村)

高千穂=大吉野川中流域(穴吹・阿波町)    @阿波
289学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/12(月) 07:45:10.14ID:HrpUBJAz
三田井氏(みたいし)
氏は、天照大神、三毛入命、祖母嶽大明神らに連なる高貴の一族として、日向高千穂(高知尾)を治めた「高千穂氏」の末裔氏族である。
六代目に男子なく、豊後・宇佐神宮大宮司家の大神氏惟基の一男を貰いうけ、嫡男とし高千穂太郎政次を名乗らせたという。
なお鎌倉時代後期、高知尾武政より「三田井氏」を名乗っているが、これは高千穂の主邑であった三田井(=馬台)の地名に由来する。
290学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/12(月) 08:10:51.85ID:dEHyLYHy
>>289
>なお鎌倉時代後期、高知尾武政より「三田井氏」を名乗っているが


鎌倉時代www   

高千穂とは天降(あまくだ)った所なんだから、少なくとも高い山地(阿蘇高千穂)ではなく、麓・平地である。

そして、豊かに稲や稗などが稔るところを指す。   

高天原=四国山地(神山・木屋平村)

高千穂=大吉野川中流域(穴吹・阿波町)    @阿波
291学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/12(月) 08:23:25.81ID:HrpUBJAz
倭人伝に記された「邪馬台」に発し、翰苑に云う「馬台」に由来して、
高千穂(高知尾)の主邑にその名をとどめてきた「三田井(=馬台)」の名を、鎌倉時代に氏族の名として戴いたというわけである。
その長きの及ぶ地名は、今もなお高千穂町の中心街区に見ることができる。しかも、三田井の小字には「神殿」という名さえも残されているのである。
292学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/12(月) 08:26:25.11ID:dEHyLYHy
>>291
鎌倉時代の後付け地名はどうでもよい。   @阿波
293学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/12(月) 10:48:53.57ID:1g4fFjjo
連続苦闘天、魏志倭人伝を研究する。 
公式ホームページ
renzokukutouten.blogspot.com
294学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/12(月) 12:16:36.69ID:HrpUBJAz
阿波に限るわけではない。
日本の殆どの学者・文化人・知識人が、中国の歴史書を無視(軽蔑)して、上陸したとたんに我を忘れ、北東へ猪突猛進するから迷子になる。
挙句の果ては、史書のどこそこがいくつ間違っている・・、などと古代人のせいにして責任逃れを計る。
倭国(唐津)に上陸したら、魏志倭人伝・魏略・廣志が書き記すところに則って、忠実に東南へ向かえばいいのだ。
そのように行動した先学もいる。名文筆家の森村伊作氏、山口大学の吉本彰教授はその先駆けであった。偉大な先覚者を見習うべし・・・、
295学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/12(月) 12:30:30.17ID:dEHyLYHy
>>294
>阿波に限るわけではない。

まるで「阿波」が間違ってるような言いぐさだな。  中国の歴史書を忠実に、東南へ向かうのは「阿波」一択。   @阿波
296学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/12(月) 12:49:53.69ID:CxN2x+8Y
>>295
間違ってるよw
297学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/13(火) 07:54:47.51ID:c0kLyVg2
古代三世紀の宮殿は遺跡(廃墟)となって、地下に埋もれている。多くはそうだ。
しかし、倭国や日本国を支え、諸国を従えてきた超大国の王宮は、そうとは言い切れない。

出雲大社は、古代出雲王国の宮殿の姿・形を今に伝えるもので、多数の神職により守られ続けている。
高千穂神社群も全く同様であり、古代倭女王の王宮と廟墓を護り伝えるものである。
近世になって急造された近世国家的神社の橿原や明治やその他もろもろとは、歴史時間の長さが違う・・・。
298学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/13(火) 09:05:30.90ID:c0kLyVg2
古代倭国の源流の水は、現代の川にも流れている、、、
299学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/13(火) 10:18:41.55ID:c0kLyVg2
徳島そごうも、奈良そごうも閉店か。
倭女王国の歴史にくらぶれば、ほんの束の間、うたかたの夢・・・、
300学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/13(火) 17:38:07.25ID:c0kLyVg2
阿蘇高千穂(現・宮崎県西臼杵郡高千穂町)の主邑である三田井地区は、
最深150メートルにも及ぶ断崖絶壁で取り囲まれ、外敵を防いできた。その総延長は25qにも及ぶ。
比較していえば、奈良の桜井市ほどの面積が、天然の150mの城壁で囲まれているようなもので、まれにみる絶景・絶壁なのである。

この三田井地区の東半分ほどが、「神殿」と表記される。(地元の発音では「こうどの=神殿」)
叉西端には、径150余mほどの、こんもりとした良形の自然丘陵が有る。これが伝にいう「径百余歩」の塚なのであろう。
そして三十三階段を登った其の最も高い部分に、古代人が盛り上げたと思しき、これまたこんもりとしたご神体山が鎮座している。

遥かな古えには、季節ごと、その御前に仮の青垣を巡らせて、祀り事を執り行ったと伝えられる。
が、やがてそこには柱を立て、屋根をかけて、神殿がしつらえられることになったらしい。
それは垂仁天皇の御代であったというから、並の歴史のおやしろではない。今、名づけて曰く「高千穂神社」である。
301学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/13(火) 17:56:09.06ID:gF0XfhGq
>>300
そんなイカサマ神社など興味ないわ、ヘタレ。   

「阿波」の記紀古神社知らんのか?   @阿波
302学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/14(水) 06:48:02.20ID:aPXfC8Oz
当時の世相を映す鏡は、まさに銅鏡であろう。
卑弥呼が拝したと思われる○印の黄金塚出土神獣鏡 景初三年銘(239年) や、その他三角縁神獣鏡の図柄の特徴の一つは、
二重三重の鋸歯紋列である。これはその形からして、王宮を取り巻く城柵を模したものであろう。倭人伝にいう「厳設城柵」である。
つまり、二重三重の厳設城柵が「長誼子孫」をかなえる条件のひとつであったことを物語っているのであろう。とにかく物騒な時代だったわけだ。

◆魏の年号が記された鏡
  方格規矩四神鏡 青龍三年(235年) 大田南5号墳 京都府弥生町
  方格規矩四神鏡 青龍三年(235年) 安萬宮山古墳 大阪府高槻市
○ 平縁神獣鏡 景初三年(239年) 黄金塚古墳 大阪府和泉市
三角縁神獣鏡 景初三年(239年) 神原神社古墳 島根県加茂町 
  三角縁盤龍鏡 景初四年(240年) 広峰15号墳 京都府福知山市
  三角縁盤龍鏡 景初四年(240年) 持田古墳群? 伝・宮崎県
  三角縁神獣鏡 正始元年(240年) 蟹沢古墳 群馬県高崎市
  三角縁神獣鏡 正始元年(240年) 森尾古墳 兵庫県豊岡市
  三角縁神獣鏡 正始元年(240年) 御家老屋敷古墳 山口県新南陽市
  平縁神獣鏡 (晋の元康年間291年〜) 上狛古墳 京都府山城町?
303学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/14(水) 08:55:54.75ID:aPXfC8Oz
あっちのスレの >>799
>末慮国(松浦)⇒伊都国(糸島)⇒奴国(なの津=志賀島含む福岡平野一帯)までは
>畿内説、九州説ともに一致しているのだから、方角誤りは自明。

方角を誤ってるのは倭人伝ではなくて、畿内説の学者や九州説の学者やオメの方だぞえ。みんなまとめて大誤りwww
304学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/14(水) 09:06:22.99ID:/5RF6kV/
>>303
「魏志倭人伝」の方角通りなのは、「阿波」だけ。   @阿波
305学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/14(水) 11:07:21.78ID:aPXfC8Oz
学術的知識を以て頑張ってるのは、阿波ただ一人じゃないか、大したものだ。
306学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/14(水) 13:18:56.04ID:aPXfC8Oz
★★★猿でもわかる邪馬台国の北部九州説、及び畿内説の大誤り★★★

 邪馬台国 論争の背景
http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/yama02.html
307学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/14(水) 13:30:01.82ID:aPXfC8Oz
(5)末盧国から伊都国 東南に陸行して五百里
>「東南のかた陸行五百里にして、伊都國に至る」
> 東南に陸行すること五百里で、伊都国(福岡県糸島市付近)にいたる。
・・・・・倭人伝は「東南へ進め」といってるのに、猿は、なぜ北東の福岡県糸島市付近へ行きたがるのか??  東南だ、東南へ行け。

(6)伊都国 から奴国 東南行して百里
>「東南のかた奴國に至ること百里」
> 東南(行)して、奴国(福岡県博多湾付近)にいたる。百里である。
・・・・・倭人伝は「東南の方向だ」といってるのに、猿は、なぜ東の福岡県博多湾付近へ行きたがるのか??  東南だ、東南へ行け。
308学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/15(木) 07:13:13.55ID:GqDQInFt
東南だ、東南の佐賀平野へ向かって進め。 
そこに帯方郡の常駐所があり、一大率もいる・・。
309学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/15(木) 11:17:50.49ID:apO1Oc2x
奧山氏が、奥山氏の禿げを隠すために、頭にアルミホイルを巻き付けていることを、告白したな。
310学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2021/04/15(木) 16:52:02.73ID:r3qC+Kk7
真実を発表している僕達の公式ホームページは、ブログという形式のホームページだったな。
http://renzokukutouten.blogspot.com/2021/04/blog-post_13.html

903 名前:日本@名無史さん 2021/04/15(木) 14:12:47.83
連続苦闘天の魏志倭人伝ヘンテコ解釈ブログ
904 名前:日本@名無史さん 2021/04/15(木) 14:51:57.12
ココはスレ主奥山の魏志倭人伝ガン無視ブログあわれ
905 名前:日本@名無史さん 2021/04/15(木) 15:06:06.89
>>904
連続句点が事実ガン無視でワラ
311学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/15(木) 21:12:51.36ID:GqDQInFt
佐賀平野は広大だ、そしてその東には筑後・筑前平野が続く。掛け値なしの一望千里、つまり対馬〜壱岐間に相当する。
博多平野や、奈良平野なんか、ちゃんちゃらおかしくて相手にしておれるか・・・。
312学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/15(木) 21:42:43.25ID:LmCtPUSG
>>311
>佐賀平野は広大だ

碌な弥生集落遺跡や鍛冶炉遺構の無い佐賀平野に、広大な平地がいくら在っても無用の長物!
そんなところに「邪馬臺国」など興る訳がない。   @阿波  
313学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/15(木) 22:11:42.61ID:GqDQInFt
そごうもやむなく閉店の田舎町に、「邪馬臺国」の王宮など有るわきゃなかろう・・・、
不振徳島商工会、必死の邑おこし、街興し、アワおこし・・・、
314学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/15(木) 22:22:48.49ID:LmCtPUSG
>>311
>佐賀平野は広大だ


碌な弥生集落遺跡や鍛冶炉遺構の無い佐賀平野に、広大な平地がいくら在っても無用の長物!

そんな寒村に「邪馬臺国」など興る訳がない。   @阿波 
315学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/15(木) 22:23:38.72ID:GqDQInFt
佐賀平野、筑後・筑前平野、そして其の南には熊本平野と阿蘇高原が続く・・、
北海道か九州か、というくらいの雄大さだ。現地を訪ねてみよ、これらの平野を行き来した古代人たちの躍動・鼓動を感じる。
316学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/15(木) 22:27:50.94ID:LmCtPUSG
>>315
>これらの平野を行き来した古代人たちの躍動・鼓動を感じる。

碌な弥生集落遺跡や鍛冶炉遺構の無い寒村に、古代人たちの躍動・鼓動など感じる訳がない。  わははははは   @阿波 
317学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/15(木) 22:32:49.56ID:GqDQInFt
ありきたりの神社か廃墟しかないのに、徳島の売り出しにひっしになっておる。地元思いの阿波は感心じゃのう・・、
318学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/16(金) 12:33:27.76ID:0AgHQn03
ガンバレ 阿波さん!
319学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/16(金) 22:37:09.65ID:mweT3cJ7
久しぶりのテスト投稿
320学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/16(金) 23:24:42.71ID:mweT3cJ7
>>52
>ザラコク氏へ。
ザラコク氏の意見は、できる限り、日本史板へ、転載します。

有難う御座います。
しかし、私はしばらく5チャンネルの掲示板から離れていて、
今日、久しぶりに「テスト投稿】をして見たのですが、直ぐに刎ねられましたね。。。。。。。。。
しかし、「邪馬台国畿内説」掲示板の方も少し見てみたのですが、
東大理系博士号自称男も、余り投稿していないようで、寂れていますね。

>ただし、僕達も、投稿しづらくなっているので、失敗する可能性もあるよ。

それはお気の毒な事ですね。
321学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 00:26:52.79ID:DJa+32yB
>>55
概ね賛成です。
江戸末期に鈴木真年氏(後に東大教授になった)に拠って収集され、
国立国会図書館と静嘉堂に保存された「松野氏姫氏系図」の一つには、
姫氏の呉王夫差の遺民が火の国山門に渡来し、しばらくしてそれから、
その一部が委奴の地に移って天孫族系の阿毎氏と合同して、
更にまた、しばらくしてそれからまた一部が大野の地に移り、委奴國王や帥升らを輩出した後、
卑弥呼や壹與(卑弥呼の3代後の「市鹿文」)の名前が記録され、その後、玉垂命のような名前(倭王旨?)があり、
その後、倭の五王の名前があって「東海姫氏國=倭國」とよばれ、
倭王武の次に「倭國王哲」の名前があった後、
突然「倭王」の文字が消えて臣下になったようで、それが丁度磐井の出現時期と一致しており、
磐井は、半島や宇佐方面の出で、大和のヲホド(継体と贈り名?)の物部軍の倒されて、
それを継いだ葛子の王家からタリシホコが「阿毎」氏であるから、磐井も(姫氏ではなく)阿毎氏であった事になり、
大和の(糟屋の屯倉を獲得した)ヲホドの後継者の安閑や宣化は、九州倭國の執政的な地位や施政を実行しており、
更に欽明や推古は筑紫に「宮」を持って九州倭國の王家や太宰や執政にもなっており、
新唐書や(釈日本紀紹介の)延喜講記に拠れば、大和王の欽明が梁にコンタクトを付け、
「次用明,亦曰目多利思比孤,直隋開皇末,始與中國通」で大和の小野妹子が、
隋の文帝に「日本国」名を名乗ったが、受け入れられず、
唐の「武徳中」になって始めて「日本国」名を承認されたんですよ。
2021/04/17(土) 04:31:51.92ID:???
阿波さんは、
天津甕星って、
なんだと思いますか?
オリオン座三ツ星巫女星でしょうか?
そこが、反乱起こしたの?
オリオン太郎と関係ありますか?
323学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 07:14:59.30ID:6O6IfNMM
なるほど、すると、
カワカミノタケル(川上の健)を倒したヤマトタケルは、大陸側の史書で「倭王武」と呼ばれた人物だったのか。
324学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 07:25:55.42ID:6O6IfNMM
景行天皇から数えれば、卑弥呼は百年ほど前であるが、カワカミノタケルは景行天皇よりやや後であるから、
ヤマトタケル、則ち「倭王武」は、卑弥呼からおよそ120年〜150年ほどのちの事になる。大まかに言って、歴史的な時代観は合うな。
325学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 07:30:34.14ID:X9ZeA9Ak
「紙本墨書阿波国板野郡田上郷延喜二年戸籍残巻」は日本で最初の戸籍。

この中に「建部」と見えるが「建部」とは、景行天皇御宇に日本武尊命の功名を記録しようと定められた御名代部である。

「建部」は、日本武尊命の西討東伐の道筋に置かれた。

この「紙本墨書阿波国板野郡田上郷延喜二年戸籍残巻」には11名の「建部」が見える。

「阿波」に日本最古の戸籍。

その「阿波」に「建部」が多数。

一体、「阿波」とはなんぞや?  あとは推して知るべし!   @阿波 
326学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 07:32:40.72ID:X9ZeA9Ak
「紙本墨書阿波国板野郡田上郷延喜二年戸籍残巻」

『和名抄』 阿波国板野郡の郷名に「田上」がある。 阿波の田上郷は鳴門市大麻町坂東に比定されている。

この郷の民の一部を記した延喜2年の「紙本墨書阿波国板野郡田上郷延喜二年戸籍残巻」が遺っている。 23氏487口の名簿である。

この「紙本墨書阿波国板野郡田上郷延喜二年戸籍残巻」の中には、帰化人系の氏である「服部(はとりべ)」、

「錦部(にしきべ)」、「漢人(あやひと)」、「秦(はた)」が見える。

このうち漢人(あやひと)を除く三氏はすべて衣手(職業集団)である。

この「紙本墨書阿波国板野郡田上郷延喜二年戸籍残巻」により、倭国(阿波)に半島帰化人が来ていた事実が分かる。   @阿波  
327学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 09:58:02.99ID:6O6IfNMM
倭国に上陸したら東南だ、東南へ向かって進めと書かれている。
阿波は、福津に上陸して東南の田川・直方方面へという。
が、オレは唐津に上陸して東南の佐賀川上から吉野ヶ里方面だと思うな。そこに郡役人の常駐所があり、女王の一大率もいる・・。
328学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 10:11:11.02ID:X9ZeA9Ak
>>327
>が、オレは唐津に上陸して東南の佐賀川上から吉野ヶ里方面だと思うな。

対馬海流に邪魔されて、松浦や唐津や呼子が「末羅國」には成り得ない。
大陸からの玄関口「末羅國」は福津市( 万津浦)宗像方面。
だから「世界文化遺産」に選ばれたのも当然と言えば当然。  
壱岐の郷ノ浦町辺りから東へ流れる対馬海流に乗って、魏使の手漕ぎ舟は楽々、末盧国(福津市辺り・万津浦)に到着とさ。  
その証拠に、福津市周辺の韓国や中国の漂着物がそれを物語っている。   
一方、松浦や唐津や呼子には、魏使はおろか、元寇・朝鮮通信使も一度たりとも上陸していない。
あとは推して知るべし  @阿波
329学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 11:15:11.98ID:6O6IfNMM
阿波の推理も、それはそれで良かろう、
今、言えるのは、「倭国に上陸したら東南500里へ向かへ」、という史書の指令・指示にかなう九州島の道は、
福津港上陸 → 田川・直方方面か、唐津港上陸 → 佐賀川上・吉野ヶ里方面の二つしかないということだ。
330学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 11:36:37.90ID:X9ZeA9Ak
>>329
>唐津港上陸 → 佐賀川上・吉野ヶ里方面の二つしかないということだ。

だから、対馬海流に流されて、松浦や唐津や呼子が「末羅國」には成り得ない  と何度言えばw   @阿波
331学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 12:27:51.37ID:6O6IfNMM
なかなか強気だねえ
ま、学会の定説を語り(騙り?)、300年の鉄板を自認自負した畿内説も北部九州説も、中国三史書の東南500里にケっつまづいて失脚した。
残るは福津の阿波氏か、、唐津の佐賀氏かだわな。阿波が得意満面、浮かれ踊るのも一理あろう・・、
332学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 12:41:54.94ID:X9ZeA9Ak
>>331
>阿波が得意満面、浮かれ踊るのも一理あろう・・、

「末羅國」福津市( 万津浦)もいいが、「其山有丹」
333学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 12:42:49.43ID:X9ZeA9Ak
>>331
>阿波が得意満面、浮かれ踊るのも一理あろう・・、

「末羅國」福津市( 万津浦)もいいが、「其山有丹」 =「若杉山辰砂採掘遺跡」でとっくに決定済み  だと何度言えばw   @阿波
334学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 13:10:24.76ID:6O6IfNMM
なんせ、自慢の福津・万津浦説だからな、何度聞いてやっていいぞ・・。
335学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 13:24:09.55ID:X9ZeA9Ak
>>334
トンデモのお前には、自慢できるものがないからなww  ここにいても、さぞ、つまらないだろう。   @阿波
336学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 14:26:18.81ID:6O6IfNMM
それがな、阿波の超優秀なゴタクを聞くのが、とても楽しみでな。
いつひっくり返るかと、心待ちしておるのじゃ、、、
337学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 14:33:12.26ID:6O6IfNMM
失礼!
心待ちではなく、「心配している」、の間違いだった。
338学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 14:44:17.08ID:X9ZeA9Ak
>>336
いつひっくり返るかと
339学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 14:48:17.16ID:X9ZeA9Ak
>>336
>いつひっくり返るかと、心待ちしておるのじゃ、、、

お前ではひっくり返せないので、他力本願か?  情けないやっちゃのう。     

ひっくり返るどころか、これからは「阿波」一択の時代だよ。  わははははは   @阿波
340学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 17:58:06.94ID:6O6IfNMM
ま、壱岐から船出したはいいが、南へ行くことままならず、潮に流されて東へドンブラコの底辺技術・力量ではねえ。
なんとか福津に流れ着いたはいいとして、では、郡へ帰るときはどうするのかい。あてにならない阿波船頭では、帰国復命は出来そうにないな、、、

女王の遣使だってそうだ、毎年、郡へ付け届けに行くとしても、福津から船出して、即、潮に流され日本海を一周して、1年かけて釜山にでも流れ着くつもりかい。
そんな力量不足の阿波船頭では、卑弥呼さまも相手にしてくれませんよーーだ。
潮流をかき分け、がむしゃらに渡海できる知識と力量あってこそ、親魏倭王に仕える船長・水夫さまなんだよ・・。
341学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 18:08:57.84ID:X9ZeA9Ak
>>340
>なんとか福津に流れ着いたはいいとして、では、郡へ帰るときはどうするのかい。


大陸からの行きと帰りのルートは異なる。

大陸への帰りは、四国(阿波) → 豊前・筑前・肥前(松浦)→ 大陸への出航地(平戸市周辺)

大陸への渡航出航地として考えられるのは度島(浦小川遺跡)・的場大島(朝鮮井戸海岸遺跡)など。   と何度言えばw   @阿波
342学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 18:19:57.76ID:CMqIjjFp
>>331
>なかなか強気だねえ
ま、学会の定説を語り(騙り?)、300年の鉄板を自認自負した畿内説も北部九州説も、中国三史書の東南500里にケっつまづいて失脚した。
残るは福津の阿波氏か、、唐津の佐賀氏かだわな。阿波が得意満面、浮かれ踊るのも一理あろう・・、

ダメだ。古今「人類の旅程行程の説明や記録」は、
「出発説明+途中説明+到着説明+付加的説明」の順次式に記載するものだ、
という事は人類の常識であり、だから「東南陸行五百里到伊都國」は、
「東南す」が出発説明であり、「陸行五百里」が途中説明であり、「到伊都國」が到着説明であり、
最初に書かれた「東南」は、末盧國から伊都國への方向にはならないし、
「陸行五百里」は当然案内人や道標の案内で進んだものだ。
343学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 18:20:59.38ID:X9ZeA9Ak
太閤さんは、なんで糸島や唐津を通り越して名護屋まで遠征軍を鼓舞しに行く必要があったのか?  考えたこともないんだろうな。   @阿波
344学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 18:24:43.14ID:6O6IfNMM
壱岐から唐津へも渡れないヘタレが、
どうやって唐津沖を西へ航行できるのか、そしてその上、遥か先の平戸まで船を漕いで行けるのか。
そんな腕が有るのなら、唐津から壱岐へ行き来できるだろう。地元民は、日々、南北市櫂が当たり前なんだよ。よそ者阿波船頭はヘタレ・・。
345学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 18:30:53.44ID:X9ZeA9Ak
>>344
>どうやって唐津沖を西へ航行できるのか


あほ、陸行に決まってるだろが! 平戸市周辺から出航だ!

大陸への帰りは、四国(阿波) → 豊前・筑前・肥前(松浦)→ 大陸への出航地(平戸市周辺)   @阿波
346学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 18:32:31.01ID:X9ZeA9Ak
>>344
太閤さんは、なんで糸島や唐津を通り越して名護屋まで遠征軍を鼓舞しに行く必要があったのか?  

考えたこともないんだろうな、アンポンタンは。  わははははは   @阿波
347学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 18:40:38.81ID:6O6IfNMM
太閤さんの軍勢は、軍船を唐津沖から名護屋へ向かわせ、名護屋湾に集結した。そしてそこから壱岐経由半島へ出陣した。
古代の半島航路と同じだ。
それについていけなかった阿波船頭は、なんと平戸までテクテク歩いたそうな。海を行けず、陸を行くヘタレ阿波船頭よ、で船はそこで手に入れたというかwww
348学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 18:45:27.35ID:X9ZeA9Ak
>>347
>で船はそこで手に入れたというかwww

あほ、手に入れるだと
349学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 18:48:05.73ID:X9ZeA9Ak
>>347
>で船はそこで手に入れたというかwww

あほか、手に入れるだと?  現地で造船するんだよ、「阿波」の海人族は。  アンポンタンめ。  わははははは   @阿波
350学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 18:59:14.80ID:X9ZeA9Ak
>>347
>名護屋湾に集結した。そしてそこから壱岐経由半島へ出陣した。

名護屋湾に集結した。そしてそこから大陸への出航地(平戸市周辺)まで西進し、一気に対馬経由半島へ出陣した。

おそらく、壱岐には行っていないだろうね。  対馬海流の関係で。   @阿波
351学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 19:19:30.91ID:6O6IfNMM
上陸地は福津。
出港地は平戸。阿波の都から平戸までテクって、そこで造船がすんだらそこから対馬直行かい、よーく覚えておこう
352学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/17(土) 19:39:56.74ID:X9ZeA9Ak
>>351
よーく覚えておけ。  なんども言わすなよ!  わははははは   @阿波
353学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2021/04/17(土) 20:10:52.81ID:6O6IfNMM
>>あっちのスレより
>少なくとも、「卑彌呼」時代以前の弥生時代中期後半には、「阿波」の海人族は朝鮮半島まで鍛冶材料を手に入れに行ってるよ。   @阿波

なるほど、すでに弥生時代中期から平戸までテクり、そこで船を作っては朝鮮半島へ渡っていたのか・・。風変わりな渡海術を持つ阿波の船頭たちだったのだな。
354学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2021/04/17(土) 20:31:24.84ID:X9ZeA9Ak
>>353
その通り!
よーく覚えておけ。  なんども言わすなよ!  わははははは   @阿波
2021/04/18(日) 01:33:37.34ID:???
連句点=川上爺だったのか
356学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2021/04/18(日) 07:34:14.43ID:VK31IyUO
阿波さんは優しい人なんだねえ、人柄の良さがレスににじみ出てまーす。
357学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2021/04/18(日) 08:02:54.41ID:VK31IyUO
>>342
>「東南す」が出発説明であり、「陸行五百里」が途中説明であり、「到伊都國」が到着説明であり、
>最初に書かれた「東南」は、末盧國から伊都國への方向にはならないし・・、

途中で方向転換しなければ、「東南」は、必然的に末盧國から伊都國への方向になる。
がしかし、途中で方向転換すべきことは、史書のどこにどのように書かれ、指定されているのであろうか??
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