対馬から、沖ノ島を経て福津/神湊に上陸し、
直方/田川を通って、豊前の中津・宇佐の海岸に達し、
そこから瀬戸内航路で淡路島やアワに至る道の大繁栄、つまり北部九州が、ただの通り道になった歴史は確かにあった。

但しそれは、4世紀に銅で財を成した秦氏(応神天皇)の時代から始まった「北部九州ただの通り道化時代」のことである。
つまり上の@数レスは、阿波が、4世紀の出来事を三世紀だったと誤って認知していることを、明瞭端的に物語るものであろう・・。