【 大東文化大学 改革案 募集! 】
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大正12年設立、準公立学校であった由緒正しき伝統。 かつては公務員、教員の合格者数で、全国私大でも上位であった実績。 箱根駅伝、ラグビー等、マスコミ向け大学スポーツ強化のパイオニアだった先見性。 今は眠れる、“名門”大東文化大学。 大学生き残りをかけ、奮い立たせよう! ビジネス界で活躍する人はいないと思う。 ビジネス界に進むなら大原簿記学校のほうがいい。 予備校関係者です。 大東文化のターニングポイントは2000年前後でした。 あの当時、もっと大東当局が真剣に対外イメージ向上と在学生の能力アップに努めていれば、 ここまで低迷しなかったと思われます。 少なくとも一定レベル(代ゼミ偏差値50位)はずっと持ちこたえられたでしょう。 一方、それまで長期低迷していて、大東文化と難易差が縮まっていた東洋大が、その頃から息を吹き返し、 一気呵成に引き離し始めた印象です。 つまり、2000年頃を境に大東が下がりモード、東洋が上がりモードに入り、差がドンドン開いて行った図式です。 今後の予想として、東洋大はこれからも中堅大学として安定した人気を続けると思います。 大東文化は少々荒治療が必要かも知れません。 教育学部だ。初等教員養成が強いんだから教育学部を作ればいいんだよ。 1982年7月旺文社発行の蛍雪時代増刊号より 経済学科偏差値 早稲田・・・・67 慶応・・・・・66 上智・・・・・63 立教、明治、青山学院・・60 学習院・・・・・58 法政、中央・・・・57 明治学院・・・・56 専修・・・・・・53 日大、駒沢、神奈川・・・52 東洋・・・・51 大東文化・・・50 立正・・・・・48 亜細亜・・・・47 帝京・・・・・44 国士舘・・・・41 大東のFラン化は昨今の都心ブームによって起こったと思うよw 東松山なんて東京の奴らからしたら選択肢にないからなw 大東亜帝国とか言われて、帝京大学と同じレベルに見られるのがつらい。 同レベルだよ。残念ながら…。学生も非創造的で排他的なふざけた田舎者が多いし、 大東はおわコンなんだよ。残念だけどな。やる気があるなら転学or再受験したほうがいい。 学生と一部教員の質が悪すぎる 大東は板橋区だけでなく、もっともっと地元東松山市とも連携すべき。 共同でイベントを開催するとか。 スリーデーマーチに体連の運動部がチームで参加するのも良いと思う。 あと、学祭に地域ボランティア団体が出展するのも認めるとか。 ゴミゼロ活動を一緒にやるのもgood。 学生がみな朗らかと評判で、とにかく地元に愛され、信頼される大学になって欲しい。 地域との連携は大切ですよね。入学は易しい庶民派大学なんだし。 ↓↓就活での困ったちゃん↓↓ 1.真剣に動き始めるのが遅い 2.自己分析の突っ込みが不十分 3.身なりが今一つキチンとできない 4.今どき喫煙者 5.大学の中で何も思い出を作っておらず(部活やゼミにも未加入)、自分の大学を語れない 6.あきらかな社会常識不足(面接で雑談ができない) 7.趣味がゲームやヲタアニメ、AKB48 8.若いくせにデブ 9.新聞を一紙も購読していない 10.普通自動車免許を取得していない 11.就活マニュアル丸出し 12.メガネのセンスが悪い 13.貧乏ゆすりのクセがある 14.出身高校のレベルが低い 15.携帯だけで、マイPCは持っていない 16.読書量が明らかに少ない 17.日常生活のだらしなさが垣間見える言動、振舞い ここのOBで知っているのは大野幹代と桂米朝くらいか。 あと浅沼稲次郎を殺した犯人。 大学でさ、はじめに声かけてきた友達ってかなり信頼性ひくくない? ようは誰にでも声かけてきてるというか吟味されてないわけで 途中で全然見かけなくなるレヴェル >>26 全部当てはまる しかもピアス穴メッチャあるwww >>26 そういう奴、確かに多い。 だけど、俺大東の4年だけど、俺の周辺の友達はみんな内定もらってるぜ。 まっ、俺の周りは真面目で、意欲的な奴が多かったから。リア充。 大東に入ったら、日ごろの友達作りが大切だな。グダグダ集団に入るなよ。 やっぱり今どき喫煙している奴とかは、ロクな奴でないのは事実。気を付けろよ。 大学を卒業して大原簿記学校に入学する人もいる。 高校を卒業して大原簿記学校に入ればいいのに。 学力偏差値は40であっても人間偏差値は70目指せ!! 受験時に大東レベルの学力しか無かったから大東なんでしょ。 日東駒専レベルの学力あれば日東駒専行くし、早慶入れる学力あれば早慶に行ってるよ。 まぁ私的な事情で自分の学力以下の大学に行く人もたまにはいるだろうけど。 大切なのは大東に入学したのは、その時点での自分の実力だったことを自覚すること。 だからそこで腐らず、自分を高める、研く努力を継続して心掛けること。 社会に出てから云々って言うけど、国立や早慶ならともかく日東駒専以下のレベルなら どこも大差ない目でしか見られないのが現実。 東洋と大東の違いなんて一般人はほとんど気にしてないよ。 たしかに大東に来るような奴は、俺も含め社会常識すら足らなかった奴が 多い。 だから大学時代の過ごし方でその後の人生に差が出てくるんだよ。 努力次第でマーチ出身者と肩を並べる位の知性や教養は身に付けられる。 そういう事言い出したらマーチの奴は努力次第で早慶に 並べるとかニッコマの奴はマーチ並みになるだのとなる 結局変わらない >>39 俺、大東にしては知性と教養が溢れているよ。 東洋は文学と社学はいいが 法経経の実務系は大東亜と同じだよ 資格実績も低いし。 工学部は底辺だし。 大学もわかってるから都心回帰と設備投資でごまかしてる。 そういうのも言い出すこと自体が劣等感を抱いている証拠 本当に負けていないのならいちいちそんな事アピールしない 大東も東洋も雑魚ってことじゃん。だから大東だけ馬鹿って言うなよ。胸くそ悪いわほんとに 世間的には東洋もバカだけど大東はもっとバカってことだろ 日大ビルだけキャンパスは、大学らしくなくてツマラナイ。(法・経済) 予備校? 専門学校? 俺は大東のやつらが大嫌いだ 消えろ。二度と2chにくるな 嫌いで結構 40過ぎたら男は嫌われるくらいじゃなきゃダメだ 東海・二松・大東の三つに受かって、最終的に大東を選んだが失敗だったか…? 東海は立地条件と学費がネック、二松はなんか地味そうな気がしたんで切ったんだが ちなみに東洋は落ちたw 東海か大東ならどっちでもいいだろ 二松学舎とかありえん とりあえず東武東上線と話つけて東練駅に急行が停まるようにしてもらってくれよ… 今の大東は、教員養成はウリにできないし、書道・漢文も二松に水をあけられたっぽい スポーツと国際関係はわりと知名度ある感じだが いっそ「東京国際体育関係大学」とかに改名したらどうか そもそも「大東」っていうのがあんまり世間的に良いイメージじゃないらしいし 理系しかない東京電機大に吸収してもらって名前を変えれば 二ッコマレベルになれる。 平成の初めの頃、仕事の関係で北坂戸に住んでいました。 近所のアパートには大東文化大学や東京電機大学の学生さんがたくさん住んでいて、若い活気がありました。 近くの飲食店なんかで地方出身の学生さんと仲良くなって、いろんな話しをしたものです。 新潟、長野、静岡、福島あたりの出身者が多く、卒業したら故郷にUターン就職したいって言ってた人が多かったです。 彼らもそろそろ社会の中堅、みんな元気でしょうか? そのころの大東文化大学はけっこう人気があり、難易度もそれなりに高く、偏差値55〜57は確実にあったようですね。 ちょうど今の法政大などと同じくらいではないでしょうか? みんな根が真面目で向上心がありましね。 >>64 今の大東も地方出身者だと、長野や新潟の人が多いですよ。 1990年代の大学案内の本とか読むと大東の評価が意外に高くて驚くよ。 この当時はニッコマと比べても遜色ない感じだったようだ(逆に言えば、MARCH より下の中堅校は横並びに考えられてた節もあるが) この大学の悲劇は語呂的に大東亜帝国に組み込まれたことだと思う…。 偏差値云々以前に、右翼的でスポーツしか能のない大学、という印象が世間では まず先に立つようなんだよなぁ…。これだけ中国寄りなのにw 二ッコマ落ちが多いが まじめに受験して入る奴が多いから、他の大東亜よりマシ >>64 当時の大東の学生は、今より偉かったんですね。 真面目で向上心も強かったとは。 でも、現在3年の俺もゼミやサークルで頑張ってますよ。 たぶん入学時より、かなり人間として成長してると思う。 ふざけんなカスども 俺は大東が大嫌いだ。この世から消えてしまえばいいと思っている >>71 うそつくなカス DQNばっかりじゃねえかよ 71は大東へ入って人生あやまったと思い込んでるOB >>67 亜細亜国士舘帝京の右寄り大学群の中に入ったのは痛かったなw 本来なら東海大東のポジションに拓殖立正を入れるべき 昔、『立拓大東亜』(りったくだいとうあ:立正、拓殖、大東文化、亜細亜)って言われてたこともある。 80年代? >>78 神奈川県とかだと、 『立関大東亜』(りっかんだいとうあ:立正、関東学院、大東文化、東海、亜細亜)って言われてましたね。 このご時世だと理工系の学部がない大学はキツイかもね。 ネットでは文系大学不要論(文系の学問は一部の上級大学が担えばよいと言う論)が幅を利かせてるし。 かといって、今から理工系の学部を創設したところで、設備投資に見合う結果が出ると思えない。 と、いうことで。 どこかの理工系の大学と提携して、単位互換制度を試みてはどうかな。 理工系でも文系の専門科目を取りたい人だっているろうし、図書館資料の相互貸出を実現すればお互いに 利するところもあると思うんだよね。 大東は他大学とのネットワーク創りをもう少し考えるべきだと思うよ。 あとは栄養女子大坂戸キャンパスとも提携して萌え成分を導入すれば無敵 んなことより高坂から成増に移転しろよwって話だ 誰も降りないからここの学生が降りるべき かつて大東文化の経済学部は2学科合計で募集人数1000人だった。それに対して、入学者数1500人超と言う、とんでもない水増し入学をさせていた。 当然、教育環境は劣悪で、当時の学生は今も大学を恨んでいる。 就職できないのが多くて当然だよな 大学が多すぎる。 Fランは合併 統合しろ 大東の実際の就職状況は良い方。 1年の時から、キチンと自覚を持って大学生活を送ってた奴は、みんな内定もらっている。 苦戦しているのは、何事もイイ加減で成長しなかったヤツ。 >>79 亜細亜の武蔵境の立地がどこが最優位なんだよw 普通に 国士舘=世田谷 拓殖=茗荷谷 立正=五反田 の方が遥かに良いだろ 九段か池袋に本拠地を置いたままにしておけば大東が最強だったのに… 東松山校舎の機能強化をすると良い。 あと図書館の開館時間大幅延長とかして欲しい。 犬束交牝大学(犬、束になりて牝と交わり大いに学ぶ)に改名 専門はエロいこと 真面目な話、強みは多いんだから、立地と事務のやる気次第で、全然変わると思う。 その立地が1番変えるのが大変なんだろ。 何百億かかると思ってんだ。 さしあたり就職課が頑張って学生の就職率を上げることができればいいんだろうけどね それで早慶に並んだかつての上智みたいに あとは広報(イメージ戦略)に力を入れることかな 4〜5年前よりは広報のセンスは洗煉されてきてるとは思うんだけど、右翼っぽいとか 泥臭いという世間的イメージを払拭できるまで頑張れ 明治だって何年もかけてバンカラっぽいイメージを払拭して志望者数を増やしたんだし 就職は公務員向きに伸ばすのが手っ取り早そうだな。 専修やら中央の資格関係や、文教の教育系見るとやっぱり就職課が必死。 その辺と比べると、大東文化は温い。 公務員や資格に強いってところ見せれば、企業へのアピールにもなるし、 自然と就職状況も良くなると思う。 在学中に取得した資格を卒業要件の単位(の一部)に振り返られるようにするとかね また、就職試験の教養科目(SPI試験の能力検査)対策の講座を必修にするとかね 主要教科の復習を駆け足でも1年間やれば、進路がどうであれ役に立つだろう 『下流大学が日本を滅ぼす』『下流大学に入ろう』 大東はアジアからの留学生の受け入れ態勢をもっと充実させるべきだ。 昔からアジアから留学生を多く受け入れていたんだし、勉強に熱心な 留学生をたくさん受け入れれて社会に貢献できる学生を送り出せば、 まともな大学になるんじゃないですか もう無理だよ やるならバブルの頃やらないと 改革ってのは追い詰められてからやるものは 状況を更に悪くするんだぜ >>110 それはそうかもしれないけど、大東は追いつめられてるっていうほど経営状態は 悪くないと思うので、今からでも何か変えられないかと思ってさ 別にこのスレを大東の経営者が見てくれるワケじゃないんだけどねw 大東文化は、経済状況は凄く良いし、いろいろするお金はある。 ただ、事務が全然やる気ないって言ってた。 経営状態がいいのと、質のいい大学ってのは別だからな。 経営状態だけなら城西や明海だっていいんだから。 >ただ、事務が全然やる気ないって言ってた。 事務の人かわいそ 教員は威張って、役員は好き勝手言うし、教員は不祥事ばかり起こすし 学生はゆとりだし >ただ、事務が全然やる気ないって言ってた。 事務の人の給料を教授並みにすればやる気が出るだろうし不祥事も減るんじゃない? やっぱりOBの社会での活躍しかないだろ。 スポーツとか一芸でレベルが上がらないのは山梨学院や関東学院とかが 証明済みなんだし。 こういうことは言っても意味ないのかもしれないが・・・・ 教員のモチベーションが低すぎると思う。ハナから学生をバカにしてるところがある。 仮にも教育者なんだから情熱を持って学生と向き合わないと、いい結果は出ないと思う。 >>117 大東より上のレベルの大学に行った人の話を聞いても、教授のテンションは決して高くないし、 有名教授ほど論文執筆だの取材旅行だので休講も多い 講義は自分の著書を音読するだけ…ならまだしも、学生に黙読を命じて自分は寝てる教授だって いるって話だ 大東は休講も比較的少ないし、自分が受講した範囲では、教員はちゃんとしてる人が多かった 私語も、地方の短大に比べれば全然マシみたいだし あと、大学教授=研究者は他の教員と違い、基本的には人とのコミュを好まない内向型の人が 多い。カリスマ的な熱血先生なんて、多分少数だよ それと、教員から見れば大東の学生は物足りなく思うのは厳然たる事実だと思う… だからって学生を見下して良いのかどうかと言われれば、それは断じて否なんだけど 学生側にも、そうした偏見を跳ね返すだけのパワーが欲しいところだと思う今日この頃 低倍率の推薦と1〜2科目入試をなくすべき。 こういう常識のないバカが社会に出て大東のバカっぷりをアピールすることになる。 推薦使って定員埋めるというがこれじゃ意味がない。 在学生の自覚次第でしょ。 このクラスの大学なら、ギリギリ社会で追い付ける。 「大東」だから「逆さ東大」ってことか? さすがたけし。 逆さ東大よりビッグ東大のほうが語呂も良いしイメージも良い >>122 「たけしの元気が出るテレビ」で言った。 「ビートたけしのオールナイトニッポン」でだったかも知れない。 たけしは大東大卒業の国語教師に高校時代に教わっていて、大東文化には親しみを持っているニュアンスだった。 >>126 ビートたけしは、中学か高校時代の担任教師が大東大卒業って言ってなかったっけ? 違ってたらスンマセン。 改革できるの? 予定通り(60校) → 多数派 青山学院 上野学園 大妻女子 学習院女子 北里 杏林 国立音楽 恵泉学園 国際基督教 産業能率 実践女子 上智 昭和女子 昭和薬科 白梅学園 清泉女子 ?聖路加看護 拓殖 玉川 多摩美術 中央 帝京グループ デジタルハリウッド 東海 東京有明医療 東京医科 東京医療保健 東京音楽 東京家政 東京家政学院 東京慈恵会医科 東京純心女子 東京女子 東京女子医科 東京女子体育 東京神学 東京聖栄 東京工科・蒲田 東京電機 東京都市 東京理科 東邦 桐朋学園 東洋 日本医科 日本歯科 日本社会事業 日本獣医生命科学 日本赤十字看護 日本体育 文京学院 法政 星薬科 武蔵野 武蔵野音楽 明治薬科 明星 目白 ヤマザキ学園 ルーテル学院 4月中(24校)→ 慎重派 亜細亜<4月25日> 嘉悦<4月18日> 学習院<4月11日> 共立女子<4月25日> 慶応義塾・三田<4月15日> 慶應義塾・日吉<4月25日> 工学院<4月22日> 國學院<4月23日> 芝浦工業<4月21日> 白百合女子<4月18日> 成蹊<4月18日> 聖心女子<2週間延期> 専修<4月25日> 東京工科・八王子<4月15日> 東京工芸<4月9日> 東京農業<4月18日> 東京富士<4月25日> 東京薬科<4月20日> 東洋学園<4月18日> 二松學舎<5月2日発表> 日本女子<4月25日> 武蔵<4月21日> 武蔵野美術<4月18日> 和光<4月29日> 5月連休中(6校) → 連休中授業実施校あり 桜美林<5月2日> 成城<5月2日> 創価<5月2日> 高千穂<5月2日> 東京経済<5月2日> 明治<5月2日> 5月連休以降(10校) →サボりすぎ 駒澤<5月6日> 国士舘<5月9日> 大正<5月9日> 明治学院<5月6日> 立教<5月6日> 立正<5月6日> 早稲田<5月6日> 大東文化<5月6日> >>130 大東が早稲田や立教と肩を並べる大学であることが証明されたわけだな 未だバブル期の感覚そのままで学力のない学生を多数 入れているから大学のレベルの低下を招くんだよ。 一応、大学なんだからもっと定員を絞ればいいじゃないのか。 入学時の偏差値は低いけど、在学中に努力する校風作りをすれは、いずれ注目される。 実際、マトモな学生が結構いるし。大東は。 90年代後半の卒業生だが、君たちのおかげで最近は恥ずかしくて大東出身なんて言えなくなってきたよ。 出身大学を胸を張って言えないことこそ悲しいことはない。 少しは勉強してくれよ。 就職先がホントになくなるぞ。 教職事務のメガネかけた人の窓口対応がいかがなものかと 毎日新聞 6月1日(水)11時17分配信 大東文化大学(東京都板橋区)の元教授が在職中に経費を不正請求して現金を だまし取っていたとして、警視庁捜査2課は1日、元環境創造学部長の 篠原章容疑者(54)=世田谷区祖師谷4=を詐欺容疑で逮捕したと発表した。 捜査2課は、不正受給の総額は01〜08年で総額2000万円に上るとみて追及する。 逮捕容疑は05年4月から10月にかけて数回にわたり、領収書を偽造して物品を購入したように装い、 大学に経費を請求。現金約250万円をだまし取ったとしている。 「領収書を作ったのは事実だが、詐欺はしていない」と容疑を否認しているという。 篠原容疑者は先月、毎日新聞の取材に「(請求した経費は)あくまでも学生の教育のために使った」と話していた。 しかし、捜査2課は高級ホテルの宿泊費やレストランでの飲食費に充てたとみている。 篠原容疑者は財政学を専攻。09年4月に学部長に就任した。 有名ミュージシャンに師事していた経験から音楽批評も手がけ、 日本のポップミュージックやロックに関する著書も多数出版している。 大東文化大は昨年12月、篠原容疑者が学部の予算でパソコンソフトやDVDを購入したり、 海外での学会に出席したように装って01〜08年、総額2000万円の経費を不正に 受給していたことを公表し、警視庁に詐欺容疑で告訴していた。 今年1月に篠原容疑者は懲戒解雇された。 ◇大学側、対応遅れる 篠原容疑者が関与したとされる詐欺事件を巡っては、学内では09年初めから 経費の不正請求を指摘する声が上がっていたが、大学側は調査のたびに疑惑を否定。 10年12月に疑惑を認めて刑事告訴に踏み切るまで2年を要し、 関係者からは対応の遅れを問題視する声も上がっている。 大学関係者によると、問題が発覚したのは09年1月。 新入生から集めたキャンプ費を篠原容疑者が無断使用した疑惑が教授会で問題となった。 篠原容疑者は「学生用のパソコンソフトを購入した」と説明していたが、領収書偽造も判明した。 大学は調査委員会を設置したが、09年12月、「(篠原容疑者が)業者にだまされた」と文科省に報告。 文科省は継続調査を求めたが、教授会は10年7月、不処分を決めた。 結論が一転したのは10年10月。真相究明を求める文科省の圧力に加え、 篠原容疑者に海外へのカラ出張疑惑まで持ち上がったことで大学側はようやく弁護士を交えた外部調査委員会を設置。 2カ月後、篠原容疑者が01年以降、計約2000万円を不正に受け取っていたという調査結果がまとまった。 文科省は3月、同大の昨年度の私学助成金約8億円を半額まで減額する処分を決めた。 大東文化大の広報担当者は「原因究明と処分が遅れたことは厳しく受け止めている。 調査にあたった関係者の処分を検討している」としている。 大東亜帝国の中で一番まともな大学だと思う。 亜細亜もいい感じ。 東海・帝京・国士舘はアウト。 こんなに偏差値低いと大学としてのプライドの かけらもない、ただの馬鹿だ大学だろ。 中国企業に身売りするとか学生を留学生だけに するとかしろよ。 駅伝もラグビーもダメで学生は凹んでいるんだから何とかしろって。 文系の総合大学へ拡大路線を進んだのが間違い。 文学部・外国語学部・国際関係・スポーツ健康科学だけにしろ。 大東の原点に回帰しろ。 >>142 同じようなことやってる教員が多いから、 大学側もきちんと対応したくなかった。 この人、以前はもっと馬鹿の千○○科大で先生やってて 大東大に移ってきたらしい 授業料払うのやだね。 2012年度 大東亜帝国 文系偏差値ランキング(代ゼミ)http://www.yozemi.ac.jp/rank/daigakubetsu/index.html 亜細亜大学 50.75 :経営:50:経済51:法51:国際関係51 (全2科目入試) 帝京大学 50.50 :経49:法52:文52:外国語49 (全2科目入試) 国士舘大学 49.83 :文前期48:法47:経営52:政経54:体46(法、経、21ア=1教科入試) 拓殖大学 48.50 :商47:政経46:国際51:外国語50 (全2科目入試) 東海大学 47.42 :文49:観光:49:政経49:法:48:教養48:総合経:42:体育49 関東学院大学 47.25 :文48:経47:法48:人環46 明星大学 47.25 :人文46:教育52:経45:造形46(造形、1科目入試) 大東文化大学 46.42 :文47:外45:経46:経営46:法47:国際48:環境創46 流通経済大学 46.20 :経47:社会46:流通情45:法46:体育47 東京国際大学 45.60 :商45:経44:言語48:国際46:人社45 和光大学 45.00 :現人46:表現44:経営45 多摩大学 44.00 :経情タ43:グロバルスタディ45:経営情44 駅から遠くて大変 バスも混んでて大変 隣接の高校生のマナーが悪くて大変 その女子高生のスカートが短すぎて丸見えなのがうれしい 校舎を新しくしたが学費が上がったのが大変 就職できないのが大変 つまり行かないほうがいい学校ってことだ 2012年度 大東亜帝国 文系偏差値ランキング(代ゼミ)http://www.yozemi.ac.jp/rank/daigakubetsu/index.html 亜細亜大学 50.75 :経営:50:経済51:法51:国際関係51 (全2科目入試) 帝京大学 50.50 :経49:法52:文52:外国語49 (全2科目入試) 国士舘大学 49.83 :文前期48:法47:経営52:政経54:体46(法、経、21ア=1教科入試) 拓殖大学 48.50 :商47:政経46:国際51:外国語50 (全2科目入試) 東海大学 47.42 :文49:観光:49:政経49:法:48:教養48:総合経:42:体育49 関東学院大学 47.25 :文48:経47:法48:人環46 明星大学 47.25 :人文46:教育52:経45:造形46(造形、1科目入試) 大東文化大学 46.42 :文47:外45:経46:経営46:法47:国際48:環境創46 (全2科目入試) 流通経済大学 46.20 :経47:社会46:流通情45:法46:体育47 (全2科目入試) 東京国際大学 45.60 :商45:経44:言語48:国際46:人社45 和光大学 45.00 :現人46:表現44:経営45 多摩大学 44.00 :経情タ43:グロバルスタディ もう大東亜から陥落してるじゃねーか・・・ 間に関東学院と明星が入ってる しかも向こうは三教科入試なのに こっちは二教科入試だよ???? 大東文化大はもう大東亜帝国からはずさないとだめだな・・・ さすがにこの偏差値は大東亜帝国では無理がある・・・ 2012年度 大東亜帝国立神 最新版 文系偏差値ランキング(代ゼミ)偏差値分布より計算 神奈川大学 51.60 :法53:経50:経営50:外53:人科52 東京経済大学 50.75 :経51:経営52:コミュ51:教養49 亜細亜大学 50.75 :経営:50:経済51:法51:国際関係51(全2教科入試) 桜美林大学 50.50 :リベ;51:ビジネス51:文51:健康49 帝京大学 50.50 :経49:法52:文52:外国語49(全1(2)教科入試)← 偏差値操作? 創価大学 50.20 :経51:経営48:法50:文51:教育51 立正大学 49.57 :経52:経営52:法47:心50:文51:地47:福50(経営2教科入試) 国士舘大学 49.83 :文前期48:法47:経営52:政経54:体46:21ア(法、経、21ア=1教科入試) 拓殖大学 48.50 :商47:政経46:国際51:外国語50(全2教科入試) 大正大学 48.33 :文50:表現48:人:47 ※仏教除く 関東学院大学 48.25 :文48:経47:法49:人環49 東海大学 47.42 :文49:観光:49:政経49:法:48:教養48:総合経:42:体育49 明星大学 47.25 :人文46:教育52:経45:造形46(造形、1教科入試) 城西大学 47.00 :経48:現政47:経営46(全2教科入試) 大東文化大学 46.42 :文47:外45:経46:経営46:法47:国際48:環境創46 ーーーー以上 大東亜帝国 ーーーーーーー 流通経済大学 46.20 :経47:社会46:流通情45:法46:体育47 (全2教科入試) 常磐大学 46.00 :国際46:コミュ46:人47:地域政策45 山梨学院大学 46.00 :法46:現代43;経営情43:健康52(健康2教科入試) 東京国際大学 45.60 :商45:経44:言語48:国際46:人社45 和光大学 45.00 :現人46:表現44:経営45 目白大学 45.00 ;経営44:外45:社45:人46(全2教科入試) 駿河台大学 45.00 :法44:経44:現44;メディア45:心理48(全2教科入試) 多摩大学 44.00 :経情タ43:グロバルスタディ45 明海大学 42.50 :外45:経41:ホスピ44:不動産40(全2教科入試) 聖学院大学 42.25 :政経43;人文42:福祉43 そうだ!夜間部を作ろう! 勉強する意欲のある学生をたくさん入れよう! 名門大学もここまで没落するものか・・・ 経営陣の怠慢以外何物でもないな <2012年度進研模試合格可能性判定基準(B)> 〜法・経済・経営・商系〜 國學院大学法学部58 経済学部57 獨協大学法学部57 経済学部57 日本大学法学部60 経済学部59 商学部58 東洋大学法学部58 経済学部58 経営学部57 駒澤大学法学部56 経済学部55 経営学部55 専修大学法学部57 経済学部57 経営学部56 商学部56 東京経済大学現代法学部53 経済学部55 経営学部55 神奈川大学法学部54 経済学部53 経営学部51 大東文化大学法学部48 経済学部47 経営学部47 東海大学法学部50 政治経済学部51 総合経営学部46 観光学部52 亜細亜大学法学部52 経済学部53 経営学部52 帝京大学法学部51 経済学部51 国士舘大学法学部50 政経学部55 経営学部57 拓殖大学政経学部51 商学部50 関東学院大学法学部46 経済学部47 千葉商科大学商経学部45 政策情報学部44 高千穂大学経営学部44 商学部44 横浜商科大学商学部43 環境創造学部なんて募集停止にしたほうがいいんじゃね。 学部新設して拡大路線に進んでからおかしくなっているよ。 教授が学部を私物化して大学の金を使い込んだりしてんだからさ。 この際だから文部科学省から指導してもらって悪い膿を出したほう がいいかもな 日大の夜間受かったがこっちに進学した 今考えるとあの判断は間違いだったよ まじか 俺も東洋のライフか大東法かで迷ってこっちきたけど同じ考え 腐っても東洋なんだよね 東洋>大東文化ってのは周知の事実だし 実情がどうであれ名前の力が強すぎるからしょうがない 何が凋落の原因なんだろう 大東亜帝国に入れとくには勿体ない、と言われてた頃もあったのに <2012年度進研模試合格可能性判定基準(B)> 〜法・経済・経営・商系〜 ttp://manabi.benesse.ne.jp/nyushi/2012/hantei/3nen5k/#H002 日本大学法学部60 経済学部59 商学部58 東洋大学法学部58 経済学部58 経営学部57 専修大学法学部57 経済学部57 経営学部56 商学部56 國學院大学法学部58 経済学部57 獨協大学法学部57 経済学部57 駒澤大学法学部56 経済学部55 経営学部55 東京経済大学現代法学部53 経済学部55 経営学部55 国士舘大学法学部50 政経学部55 経営学部57 亜細亜大学法学部52 経済学部53 経営学部52 神奈川大学法学部54 経済学部53 経営学部51 帝京大学法学部51 経済学部51 拓殖大学政経学部51 商学部50 東海大学法学部50 政治経済学部51 総合経営学部46 ★大東文化大学法学部48 経済学部47 経営学部47 関東学院大学法学部46 経済学部47 環境創造学部は、学生にイベントばかりやらせて教育せずに、マジに就職が悪い。横領事件もあるし、とりつぶしだな! そんだったら、イベントやってるだけ環境創造学部のほうがマシかもなー <2012年度進研模試合格可能性判定基準(B)> 〜法・経済・経営・商系〜 ttp://manabi.benesse.ne.jp/nyushi/2012/hantei/3nen5k/#H002 日本大学法学部60 経済学部59 商学部58 國學院大学法学部58 経済学部57 東洋大学法学部58 経済学部58 経営学部57 獨協大学法学部57 経済学部57 専修大学法学部57 経済学部57 経営学部56 商学部56 駒澤大学法学部56 経済学部55 経営学部55 東京経済大学現代法学部53 経済学部55 経営学部55 ------ここから大東亜帝国 ------ 国士舘大学法学部50 政経学部55 経営学部57 亜細亜大学法学部52 経済学部53 経営学部52 神奈川大学法学部54 経済学部53 経営学部51 帝京大学法学部51 経済学部51 拓殖大学政経学部51 商学部50 東海大学法学部50 政治経済学部51 総合経営学部46 ★大東文化大学法学部48 経済学部47 経営学部47 ------ここから関東上流江戸桜------ 関東学院大学法学部46 経済学部47 お前ら、バ関東学院といい勝負だなw 東大の頭に大をつけて大東大だから東大より上だ。 wwwww 学生たくさん集めるならスポーツを強化しろよ。 バカでスポーツ弱けりゃ、取り得が何もないだろ >>1 のような現実逃避してる奴を排除することが第一歩 >>190 そんな低いのか?45ぐらいじゃないの? 低いのは経済系と中国とか国際系だけだろ 文学とかはもう少しまし どこかの週刊誌だったと思うが、環境創造学部の 偏差値35ってマジかよと思った。 バカ田大学って記事に書いてあるの見ると もしかして、ウチか!と思っちまうな。 あの不便な立地と在学生のDQNぷりならFランになるのも仕方ないだろうな 602 :名無しさん@引く手あまた:2011/09/28(水) 20:08:49.18 ID:lvm26dGM0 >>566 この会社は自動車業界の意向とかで節電のために夏季限定で土日出勤&平日休みにしておいて 東北震災時の減産分を挽回するのに毎週休日出勤した挙げ句に休日出勤日に社員が死んでるんだぜ ↓ 566 :名無しさん@引く手あまた:2011/09/25(日) 17:23:22.77 ID:EiXe52MN0 おい、お前らの大好きな白根の大〇精工が募集してるぞ! このことを隠すために荒らしているようです {新潟マジキチ絶望工場} 大野精工就職編 {日産トヨタ} http://hato.2ch.net/test/read.cgi/recruit/1315776688/ 【隷属】大野精工の仕上工場-新潟【トヨタ日産等】 http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/eco/1318505412/ トヨタ・日産の下孫請/ 大野精工 /熱処理工場-2- http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/industry/1315664494/ 【近所迷惑】大野精工新潟圧造工場2【トヨタ日産】 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/volunteer/1318424132/ 駅名を「東武練馬」や「西台」でなく「大東文化大学」に変えてもらう。 <2012年度進研模試合格可能性判定基準(B)> 〜法・経済・経営・商系〜 ttp://manabi.benesse.ne.jp/nyushi/2012/hantei/3nen5k/#H002 日本大学法学部60 経済学部59 商学部58 國學院大学法学部58 経済学部57 東洋大学法学部58 経済学部58 経営学部57 獨協大学法学部57 経済学部57 専修大学法学部57 経済学部57 経営学部56 商学部56 駒澤大学法学部56 経済学部55 経営学部55 東京経済大学現代法学部53 経済学部55 経営学部55 ------ここから大東亜帝国神------ 国士舘大学法学部50 政経学部55 経営学部57 亜細亜大学法学部52 経済学部53 経営学部52 神奈川大学法学部54 経済学部53 経営学部51 帝京大学法学部51 経済学部51 拓殖大学政経学部51 商学部50 東海大学法学部50 政治経済学部51 総合経営学部46 ★大東文化大学法学部48 経済学部47 経営学部47 ------ここから関東上流江戸桜------ 関東学院大学法学部46 経済学部47 「危ない大学・消える大学 2011」島野清志著 (P77〜P86より抜粋) 【SA】私学四天王 ・慶応・早稲田・上智・ICU 【A1】一流私大 ・青山学院・学習院・中央・津田塾・東京理科・明治・立教・同志社・立命館・関西学院 【A2】一流私大 ・成城・成蹊・獨協・法政・明治学院・聖心女子・南山・関西・西南学院 【B】準一流私大 ・神田外語・國學院・芝浦工業・武蔵 【C】中堅私大の上位 ・日本・東洋・駒沢・専修・東京農業・東京都市・玉川・神奈川・東京経済・大妻女子・近畿・福岡 【D】中堅私大 ・桜美林・実践女子・亜細亜・工学院・国士舘・東海・東京電機・立正 【E】中堅私大 ・帝京・拓殖・大正・麗澤・大東文化・明星・和光・関東学院・千葉工業・追手門学院・摂南 【E】本書を読む受験生にはせめてこのクラスの大学までには入ることを切に願っている。千葉工業、明星、帝京、大東文化、和光、関東学院、追手門学院、摂南など一般的な知名度がある大学が含まれるのはここまでである。 【F】知名度の低い大学が目立つ ・石巻専修・流通経済・足利工業・上武・明海・尚美学園・聖学院・日本工業・川村学園女子・千葉商科・中央学院・桐蔭横浜・東京情報・神奈川工科・駒沢女子・湘南工科・横浜商科・山梨学院・名古屋学院・大阪電気通信・流通科学 【G】定員割れ大学が目立つ ・城西国際・西武文理・共栄・平成国際・ものつくり・秀明・江戸川・敬愛・千葉経済・嘉悦・東京富士・日本文化・大阪学院 【N】危ない大学・消える大学の候補校 ・作新学院・関東学園・松蔭・プール学院・鈴鹿国際・芦屋・甲子園・東亜・第一工業 留学生とか社会人をたくさん入学させればいいじゃないか。 視野を広くするために異文化との交流を盛んにすれば 大学自体に活気が出るんじゃないの >>205 大東じゃやってもムダだ。図書館にもゴミ本しかねえし。司書はバカだし。 <2012年度 最新11月進研模試合格可能性判定基準(B)> 〜法・経済・経営・商系〜 ttp://manabi.benesse.ne.jp/nyushi/2012/hantei/3nen11m/shi-syuto.html 日本大学法学部58 経済学部57 商学部57 國學院大学法学部57 経済学部56 東洋大学法学部57 経済学部57 経営学部56 獨協大学法学部55 経済学部56 専修大学法学部55 経済学部56 経営学部56 商学部55 駒澤大学法学部54 経済学部54 経営学部53 東京経済大学現代法学部51 経済学部53 経営学部53 神奈川大学法学部53 経済学部52 経営学部51 国士舘大学法学部48 政経学部55 経営学部55 産業能率大学経営学部52 亜細亜大学法学部50 経済学部51 経営学部51 帝京大学法学部48 経済学部48 拓殖大学政経学部49 商学部49 東海大学法学部47 政治経済学部50 総合経営学部44 大東文化大学法学部45 経済学部46 経営学部46 関東学院大学法学部44 経済学部45 高千穂大学経営学部43 商学部43 千葉商科大学商経学部43 入試科目、日程の細分化 推薦増やして一般絞れ それで見かけの偏差値あげろ そうすりゃ名前は有名なんだから人集まって息を吹き返すはず 定員を考えるな。高い基準点を設け入試で脚を切れ。 初めは、入学できる学生は少ないだろう。 だが数年後、偏差値は上昇し、優秀な学生が自然と集る 人気大学となるだろう。 90年代はまさにそれに近い状態であった。 大学経営を優先するあまり、アホな学生を多数入学させる必要はない。 推薦偏重でも中の下程度の学生しか獲得できない。 ここ蹴って酷使やツゲ行くやつがいることを考えると、 受験生は単に偏差値の高低だけで大学選んでるということが解る。 入試科目、日程、ましては大学のカリキュラムなんて眼中にない。 経営を度外視で入学定員100人くらいにすれば、 見せかけ偏差値が明治、青学並みになるかな 私学に経営考えるなと言うのは無茶だろ 少子化の時代、10年先20年先を見据えて運営できるのは難関大学だけ それ以外の大学は数年先を見据えるのすら厳しい 大東は大体滑り止めで他を落ちた人の受け皿のような存在なんだから 、まるで大学受験のセーフティネットだな これって底辺大学としては大きな役割を担っているってことだね アジアから留学生をたくさん受け入れればいいんだよ。 そのために日本語学科があるんじゃないか 結局ここに書き込まれたのをまとめて大学に送る勇者がいないと意味無し。 校舎の建て替えを急げよ。 今どんだけできているかは知らんが、 建て替えが終わったら一度は足を運びたい 結局、まわりまわって「予備校関係者」の「5」の分析に尽きる。 今また新たなターニングポイントを迎えている段階で、このまま完全に没落するか、 荒療治で現状維持以上を目指せるかどうか、といったところ。 東洋がこの10年で飛躍できたように「広報・入試戦略」しかないと思う。 現状の素人スタッフがもはや何をやってもダメで、外部に委ねるべき。 変にいじらないほうがいいというのもあるが、プロの業者なら、 大東ののんびりしたいいところをアピールすることもできるだろう。 学部再編やキャンパス移転も将来的には考えたほうがいい。 マスプロはしょうがないんだろうが、二松学舎のように、 中国語や教育、アジア(国際文化)などのある種の学科は、 入学時の学力は問わず少人数で鍛え上げるなど、 特色や学科のメリハリを出さないと現状では生き残れない学科が出るだろう。 「改革案」スレがあるうちが華。 学部再編を考えるならば例えば書道とか、中国関係の学部やスポーツ学部などの 大東の特色を残して、経済や法学部を再編するのがいいんじゃないの。 神大みたいに奨学金制度とか充実させたほうがよいのでは? 中国語学科は文学部からはじき出された膿だから今のままでいい というかあいつら文学部とかいったら笑われるわ 本も読まない文学部とかありえん うちの大学の教授が「大東のいいところ?女子の元気が良いですね。それくらいかな。」だってさ 思わず吹いた 書道学部!どうだ! あと明星にならって教育学部ね。 秋田国際教養大学みたいに4年間で勉強付けのスパルタ教育をやるってどうだ? 偏差値も旧帝大レベルまで上がるぜ 1〜2年と3〜4年で分けるより学部別で分けたほうがいい 法と経と文を四年間板橋とかね 経済的な理由で大学行けない学生を学費援助できるように 奨学金の制度を神大みたいに充実させればいいんじゃないか 進研ゼミ(高2模試) 最新偏差値 60 成城 武蔵 明治学院 59 近畿 58 日本 龍谷 57 甲南 56 専修 東洋 55 獨協 國學院 54 東京経済 京都産業 53 駒沢 52 二松学舎 立正 51 亜細亜 50 神奈川 48 拓殖 帝京 東海 44 城西 明星 関東学院 古賀たまき 【間違いだらけの学校選び・大学編】より 東洋大学 君子危うきに近寄らず [伝統・実績] 文のみわずかにあるが、他はなし。 [実力] 極めて低い。文学系中心の大学と言えども、国学院や明学のように、文学部が なかなかの実績があるなら、大学としての実力もそれなりに認められるが、東洋、駒沢、 大東などはそれほどでもない。 [就職] なし。とにかく人文系中心の大学は、難易の割には、経済界での実績は低いと いうことを認識しておこう。ただし、伝統が長いことなどもあって、新興大学よりはよい と考えよう。 [競争相手] 駒沢とほぼ同じ。専修や武蔵に及ばない。だが文のみは、この二つに匹敵。 独協とは同じくらい。大東、東海、亜細亜、玉川などよりよい。 [おススメ度] 薦められない。仮に哲人を目指すにしても、日大、神奈川、東京経済、専修 などの方がいい。 東洋も東海も日大も大東と似たようなレベルだってーの 同じ中堅大学なんだから <2013年度進研模試合格可能性判定基準(B)> 〜法・経済・経営・商系〜 日本大学法学部61 経済学部60 商学部59 東洋大学法学部59 経済学部59 経営学部58 國學院大学法学部59 経済学部58 専修大学法学部57 経済学部58 経営学部58 商学部58 獨協大学法学部57 経済学部57 駒澤大学法学部57 経済学部56 経営学部56 東京経済大学現代法学部53 経済学部55 経営学部55 神奈川大学法学部55 経済学部54 経営学部53 国士舘大学法学部50 政経学部58 経営学部58 亜細亜大学法学部52 経済学部53 経営学部53 東海大学法学部48 政治経済学部52 経営学部52 拓殖大学政経学部51 商学部50 帝京大学法学部50 経済学部49 大東文化大学法学部46 経済学部47 経営学部47 関東学院大学法学部46 経済学部47 高千穂商科大学経営学部44 商学部44 千葉商科大学商経学部45 陸上とか ラグビーとか 聖域を作ってしがみついてるようじゃだめ この大学からスポーツ取ったら それこそただのゴミ大になるだろ 2013年度 ★☆大東亜帝国立神偏差値ランキング確定版☆★ (最新代ゼミ偏差値)http://www.yozemi.ac.jp/rank/gakka/index.html 神奈川大学 51.8:法51:経51:営51:外53:人科53 創価大学 51.4:法51:経51:営49:文53:教:53 帝京大学 51.0:法51:経49:文52:教:52:外51 ←★(全1〜2教科入試)★ 東京経済 50.2:現50:経50:営50:コ:52:教49(2) 立正大学 50.0:法48:経49:営52:心53:文51:社福49:地環48(2〜3教科入試) 国士舘大学 49.8:政経54★1教科入試):21ア53★1教科入試)文48:営48:法46 中央学院大 49.0:法47:商51 亜細亜大学 48.5:法48:経48:営48:国際50(全2教科入試) 拓殖大学 48.5:政経44:商46:外国51:国際53(全2教科入試) 東海大学 47.8:政経49:法48:観光50:文50:総合経営44:教養48:健康47:海洋47 桜美林大学 47.6:リベ49:ビジマネ46:健康福祉48(全2教科入試) 明星大学 47.0:経45:営44:教52:人文47 大東文化大 47.0:法48:経48:営46:国際47:文49:環境46:外45 城西大学 46.7 経49:営46、現代政策45 東京国際大 46.4 経46:商45:国際46:言語49:人社46 流通経済大 46.2 法46:流通情報45:社会46:経済47:スポ47 高千穂大学 46.0 和光大学 45.0 経済44:現人47:表現44 千葉商科大 43.5 江戸川大42.0 ------以下その他Fランの低脳カスクラス------ ★★Fランバ関東学院大★★ 46.75:法45:経46:文48:人環48(2〜3教科入試)大東亜帝国のすべり止めwww★ 関東学園大37.0 上武大36.0 2013年度 ★☆大東亜帝国立神偏差値ランキング確定版☆★ (最新代ゼミ偏差値)http://www.yozemi.ac.jp/rank/gakka/index.html 神奈川大学 51.8:法51:経51:営51:外53:人科53 創価大学 51.4:法51:経51:営49:文53:教:53 帝京大学 51.0:法51:経49:文52:教:52:外51 ←★(全1〜2教科入試)★ 東京経済 50.2:現50:経50:営50:コ:52:教49(2) 立正大学 50.0:法48:経49:営52:心53:文51:社福49:地環48(2〜3教科入試) 国士舘大学 49.8:政経54★1教科入試):21ア53★1教科入試)文48:営48:法46 中央学院大 49.0:法47:商51 亜細亜大学 48.5:法48:経48:営48:国際50(全2教科入試) 拓殖大学 48.5:政経44:商46:外国51:国際53(全2教科入試) 東海大学 47.8:政経49:法48:観光50:文50:総合経営44:教養48:健康47:海洋47 桜美林大学 47.6:リベ49:ビジマネ46:健康福祉48(全2教科入試) 明星大学 47.0:経45:営44:教52:人文47 大東文化大 47.0:法48:経48:営46:国際47:文49:環境46:外45 城西大学 46.7 経49:営46、現代政策45 東京国際大 46.4 経46:商45:国際46:言語49:人社46 流通経済大 46.2 法46:流通情報45:社会46:経済47:スポ47 高千穂大学 46.0 和光大学 45.0 経済44:現人47:表現44 千葉商科大 43.5 江戸川大42.0 ------以下偏差値操作しても46しかない実質全入最底辺Fランバ関東学院とその他Fランの低脳カスクラス------ ★★Fランバ関東学院大★★ 46.75:法45:経46:文48:人環48(2〜3教科入試)大東亜帝国のすべり止めwww★ 関東学園大37.0 上武大36.0 『危ない私立大学 残る私立大学』って読んだ人いる? 大東は危ない大学に入ってました? 2013年度 ★☆大東亜帝国立神偏差値ランキング確定版☆★ (最新代ゼミ偏差値)http://www.yozemi.ac.jp/rank/gakka/index.html 神奈川大学 51.8:法51:経51:営51:外53:人科53 創価大学 51.4:法51:経51:営49:文53:教:53 帝京大学 51.0:法51:経49:文52:教:52:外51 ←★(全1〜2教科入試)★ 東京経済 50.2:現50:経50:営50:コ:52:教49(2) 立正大学 50.0:法48:経49:営52:心53:文51:社福49:地環48(2〜3教科入試) 国士舘大学 49.8:政経54★1教科入試):21ア53★1教科入試)文48:営48:法46 中央学院大 49.0:法47:商51 亜細亜大学 48.5:法48:経48:営48:国際50(全2教科入試) 拓殖大学 48.5:政経44:商46:外国51:国際53(全2教科入試) 杏林大学 48.33 :外国47:総政44:保健54(医学部除く)保健以外2教科 東海大学 47.8:政経49:法48:観光50:文50:総合経営44:教養48:健康47:海洋47 桜美林大学 47.6:リベ49:ビジマネ46:健康福祉48(全2教科入試) 明星大学 47.0:経45:営44:教52:人文47 大東文化大 47.0:法48:経48:営46:国際47:文49:環境46:外45 城西大学 46.7 経49:営46、現代政策45 東京国際大 46.4 経46:商45:国際46:言語49:人社46 流通経済大 46.2 法46:流通情報45:社会46:経済47:スポ47 高千穂大学 46.0 和光大学 45.0 経済44:現人47:表現44 千葉商科大 43.5 江戸川大42.0 ------以下偏差値操作しても46しかない実質全入最底辺Fランバ関東学院とその他Fランの低脳カスクラス------ ★★Fランバ関東学院大★★ 46.75:法45:経46:文48:人環48(2〜3教科入試)大東亜帝国拓殖立正明星落ちとその他Fラン大落ちの底無し低脳バカが行くすべり止め大学www★ 関東学園大37.0 上武大36.0  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .| ┏━┓ . | ┃大┃ . | ┃東┃ ∧∧ ┃文┃ ( ) 羨ましいなあ〜俺たちは底無し激烈バカだからな〜 ┃化 ./⌒ ヽ 偏差値BFの全員合格入試Fランバ関東学院しか受からなかったよ。 ┃ .//全入 ノ // / ←Fラン全部落ちのバ関東学院大の底無し低脳糞バカDQNwwwww / / | / (_ ヽ | ノ / \ \ ..| / ノ \ ) .| / / / | / ./ .| / / | 高1:ぼく早慶に行きたいんですけど・・・ 先生:よし、君ならいける、頑張れ。 高2:マーチ辺りなら行けますよね。 先生:当たり前だよ、頑張れ。 高3:まさかダダ大東文化なら文句無し行けますよね。(汗 先生:うむ、偏差値BF低脳全入Fランバ関東学院大に推薦書いて置いたから、そこで頑張れ 全入Fランバ関東学院大に入学して感じたこと。 ・講義中や図書館で弁当やおにぎりを食べている馬鹿がいる。 ・学部共通の講義では、パソコンや携帯で音楽を聴いている奴や でかい声で話している馬鹿な奴が多くいる。 ・大学らしい今まで学んだことのない講義はほとんどなく中学や 小学校でやるような授業が多い。 ・ゼミは全学年必修である。来ない人が多いと、ほとんど何も できないの参加しての意味がないことがある。 また、必修なので、参加しないといけないし、 何やっているのか、よくわからないゼミのある。 全入Fランバ関東学院大の良いところ ・全入でどんなバカでも入学できる ・金さえ出せば引率付きの名目だけのリュウガクができる ・日本語すらまともに出来ない ・算数は足し算までしか出来ない ・毎日、ひたすら自己擁護して質問に答えられないチンカスがいる ・工学部があるのにメーカーに就職する奴が5%未満しかない ・メーカーに採用されてもブラック企業の契約社員やアルバイトでの営業ばかり ・就職率は最悪 ・チンパンジーのほうが優れている 全入Fランバ関東学院大に入学して感じたこと。 ・学部共通の教養科目の講義はうるさく、携帯の音楽を聞いたり、 パソコンをしている奴がいる。 ・すべての講義ではないが、パワー・ポイントなどを使わずに ただ黒板に書いているだけの講義がやたらと多い。 ・全講義と全ゼミと全研究室に当てはまるが、来ない奴が多く、また学級崩壊の状態である。 大東は中国語・書道が看板なのだから、全学的にアピールをすべきだよね。 東京国際大学も、中国語の学科を作ったみたいだし、ますますアピールポイントが薄くなっていくのが心配だ。 中国語は看板じゃないぞ レベル的にはピンイン読めない三年がいる 他大学と競合するような物じゃない。単なる受け皿になってる 米国務省は25日までに米国内にある81個所の中国の孔子学院を閉鎖することを決めたそうです。 中国は当然反発していますが、中国による情報侵略に対する措置です。 我が国にも大学を中心に孔子学院がかなりの数できておりますが、我が国も閉鎖させた方がいいのではないかと思います。 元航空自衛官 第29代航空幕僚長 田母神俊雄氏 2012/05/27 ツイート “孔子学院”には御注意下さい。 http://ameblo.jp/dominionsdevotion/entry-10803933293.html 【日中】 「孔子学院は文化スパイ機関、提携するのは不適当」と大阪産業大学事務局長。辞職か解任へ [06/02] (160) http://desktop2ch.info/news4plus/1275474599/?1& ;guid=ON 孔子学院は中国の宣伝工作機関 5月28日(月) http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-894.html 監視するべき各大学の「孔子学院」 http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1524.html 孔子学院、30万人留学生計画、1000万人移民計画… http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/10/ 中国人自身が書いた中国共産党の巨悪を論じた大作「九評共産党」 http://www.youtube.com/watch?v=dEQq5IiZzoI& ;list=PLxejGDsVviQj-RHK6KSaVjmj2rpz0ZwbL 城西大学(代ゼミ2014) 経済A 経済 47 現代政策A 社会経済システム 45 経営A マネジメント総合 45 理A 数学 49 化学 47 薬 薬−6年制 50 薬科−4年制 46 医療栄養 53 経済47、現代政策45、経営45、理48、薬50=47.0 なんと・・・大東文化は城西に抜かれました。 東京国際(2014、代ゼミ) 商1期3科 商 43 経営 43 経済1期3科 44 言語1期3科 英語コミュニケ 48 中国言語文化 42 国関1期3科 国際関係 44 国際メディア 44 人社1期3科 福祉心理 44 人間スポーツ 49 スポーツ科 47 商43、経済44、言語45、国際44、人間47=44.6 さすがに東京国際には勝ちました。 そりゃ経済とか経営の連中は悔しいのかもしれないけど 国士舘ってのは、下記のような事件を長年に渡って引き起こし、 最後は文部省からの駐留軍が介入して、5年間も補助金を カットされてたような学校だったんだよ・・ ・電車内で東京芸大の学生を失明させる ・学校近辺の住民から「国士舘生から小田急沿線住民を守る会」 という住民運動を起こされる。 ・皇居前で乱闘事件を起こす ・歌舞伎町で乱闘事件を起こす ・他大学の応援団から恐喝を行う ・クラブのイジメシゴキで学生が死亡し、それに対しての学校の 対応(いじめられるやつが悪い)に抗議し、父親が構内で焼身自殺 ・総長が博士学位を取得するため、200万円で東大生に論文偽造を依頼。 (その東大生が他人の論文をコピーした為発覚www) ・補助金を流用して、自分の息子をアメリカ留学させる (その息子は、ちゃっかり現在も国士舘大学教授) ・総長が対立する理事を構内で暗殺(雇った殺し屋も国士舘) ・サッカー部員の集団輪姦 ・スキー部員の集団暴行 【【【痴漢・強姦・国士舘】】】 国士舘の非道行為 昭和43年(1967).3.22〔19歳国士舘大生がカインとアベルをまねて小学生の弟を殺害〕 昭和42年(1970).7.17〔国士舘大空手部が早大生をリンチ殺人〕 昭和44年(1969).8.14〔国士舘大生、女子店員監禁〕 昭和44年(1969).11.19〔国士舘大生5人組と北里大生が大学生2人を殺害〕 昭和45年(1970).6.15〔また国士舘大空手部が退会者をリンチ殺人〕 昭和47年(1972).10.〔国士館大生尽忠浪士隊63名を集団恐喝、暴行で補導〕 昭和47年(1972).11.〔国士舘大生らサーキットグループによる強盗〕 昭和48年(1973).5.2〔慶應、立教、中大、日大、国士舘大生ら9人が集団レイプ〕 昭和52年(1977).12.10〔国士舘大生ら9人が行きずり少年にリンチ殺人〕 昭和53年(1978).6.2〔国士舘大でまたリンチ殺人、被害の新入生の父、抗議自殺〕 昭和61年(1986).7.1〔国士舘大空手部でリンチ、1人死亡1人重傷〕 昭和61年(1986).7.9〔国士舘大拳法部でリンチ、1年生重傷〕 昭和63年(1986).7.2〔国士舘大学空手部6人がリンチ殺人〕 昭和61年(1986).7.29〔国士舘大ゴルフ部、炎天下のマラソンしごき、1人死亡1人重傷〕 平成11年(1999)11 〔国士舘大学剣道部リンチ殺人〕 平成12年(2000).1.〔国士舘大生による警察官に対するけん銃奪取強盗未遂事件〕 平成15年(2003)11 〔国士舘大生ら集団淫行〕 平成16年(2004)12 〔国士舘大学サッカー部、集団レイプ事件〕 平成17年(2005).9.6〔国士舘大生らがカラオケ店員を殴って逮捕〕 平成19年(2007).8.21〔国士舘大非常勤講師が痴漢で逮捕〕 平成20年(2008)12 〔国士舘大学法学部3年の村上頼智が世田谷区の女性宅に侵入し暴行・強姦、その他十数件の強制わいせつ事件の関与も認める〕 平成21年(2009).6.25〔国士舘大生がパンツの中に大麻を所持して逮捕〕 平成23年(2011).10.30〔欠けた日の丸のポスターで国旗を冒涜〕 平成24年(2012).8.22〔国士舘大生らが海水浴に来ていた女子専門学生を集団レイプ〕 平成24年(2012).9.15〔国士舘大学野球部の部長・監督が未成年部員の飲酒・喫煙の報告が遅れたとして謹慎処分〕 代ゼミ2014偏差値表<関東上流江戸城クラス>(※医学部、芸術系、宗教系、体育系は除く。主に3教科入試偏差値を使う) 流通経済:経済50、社会48、流通45、法45、=47.0 城西:経済47、現代政策45、経営45、理48、薬50=47.0 ★(大東文化:文学部48、外国語45、経済47、経営45、法48、国際47、環境45、健康47=46.5 )大東亜帝国最底辺 鶴見:歯46、文47=46.5 淑徳:総合福祉49、国際46、教育46、経営43、コミュニケーション45、看護栄養49 =46.3 拓殖:商46、政経45、外国語48、国際48、工44=46.2 (※2教科全国入試) 目白:人間45、社会45、経営45、外国語46、保健医療46、看護50=46.1 -------------------------------------------------------------------- 桐蔭横浜:法42、医用工49、スポーツ46=45.6(スポーツテクノ除く) 和光:現代47、表現41、経済45=44.3 駿河台大:法43、経済経営43、メディア46、現代文化43、心理46=44.2 共栄:国際経営42、教育46、=44.0 千葉商科:政策43、商44=43.5 江戸川:社会42、メディア44=43.0 上武:看護48、ビジネス37=42.5(なお、経営情報学部は2014年募集停止予定) ----------------------------------偏差値Nグループ(41.0未満) 埼玉学園:人間42、経済経営41=41.5 清和大 法41=41.0 横浜商科大学 商40=40.0 日本橋学館 リベラル40=40.0 松蔭大学 経営文化40、コミュニケーション40、観光文化39=39.6(社会科学系総合大で首都圏最低か?) 関東学園:経済37=37.0 代ゼミ2014偏差値表<大東亜帝国クラス>(※医学部、芸術系、宗教系、体育系は除く。主に3教科入試偏差値を使う) 神奈川:法52、経済51、経営50、外国語53、人間53、理51、工48=51.1 立正:心理53、経営51、経済48、文51、地理47、社会福祉52、法49=50.1 東京経済:経済50、経営50、コミュニケーション50、現代法49=50.0 ----------------------------------------------------------------(50.0未満から大東亜帝国。↑は「立東神」レベル) 帝京:薬学52、経済49、法律51、文53、外国語49、教育54、理工46、医療技術52、福岡医療48 =50.4(※1教科2科目入試OK) 国士舘:政経56、理工48、法律48、文49、21世紀アジア51、経営47=49.8 桜美林:リベラルアーツ49、ビジネス49、健康49=49.0 亜細亜:経営50、経済46、法47、国際関係52=48.8(※2教科入試) 東海:国際文化48、生物49、情報通信47、文51、観光52、政治経済48、法律50 教養48(芸術系は省略)、理49、情報理工46、工46、健康50、海洋48 経営44、基盤工44、農51 =48.2 関東学院:文48、経済46、法律45、理工44、建築49、人間48、看護50=47.1 ---------------------------------------------------------------(47.1未満。関東上流江戸城) 城西:経済47、現代政策45、経営45、理48、薬50=47.0 流通経済:経済50、社会48、流通45、法45、=47.0 明星:理工47、人文48、教育52、経済45、経営46、情報43=46.8 大東文化:文学部48、外国語45、経済47、経営45、法48、国際47、環境45、健康47=46.5 拓殖:商46、政経45、外国語48、国際48、工44=46.2 (※2教科全国入試) 目白:人間45、社会45、経営45、外国語46、保健医療46、看護50=46.1 46.0未満省略 日本を代表するバカ大学参上,夜露死苦! 坊主養成(駒澤) 盗用(東洋) 先週(専修) 大盗バカ(大東文化) /\___/\ /\___/\ /\___/\ /\___/\ /'''''' ''''''::\ / ⌒ ⌒ ::\ / / ヽ ::: \ / ::\ |(へ), 、(へ)、.| | (●), 、 (●)、 ::| | (●), 、(●)、 | .| ─ ─ | | ,,ノ(、_, )ヽ、,, .:| | ,,ノ(、_, )ヽ、, :::| | ,,ノ(、_, )ヽ、,, | | (●), 、 (●)、 | | `-=ニ=- ' .:::::| | ト‐=‐ァ' .:::| | ,;‐=‐ヽ .:::::| .| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::| \ `ニニ´ .:::::/ \ `ニニ´ .::/ \ `ニニ´ .:::/ \ r‐=‐、 .:::/ /`ー‐--‐‐―´\ /`ー‐--‐‐一''´\ /`ー‐--‐‐―´´\ /`ー `ニニ´一''´ \ 酷死姦(国士舘) 低凶(帝京) ポン大(日大) /\___/ヽ ./ノヽ ヽ、 /\___/\ /\___/ヽ / ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' :::ヘ / ::\ /'''''' '''''':::::::\ .| ン(Ф),ン <、(Ф)<::| |`ヽ、 | :| . |(Ф), 、(Ф)、.:| | `⌒,,ノ(、_, )ヽ⌒´ ::l |::::ヽl | ノ ヽ、 :| | ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::| ヽ ヽ il´トェェェイ`li r ;/ .|:::::i | | (●), 、 (●)、.:::| | `-=ニ=- ' .:::::::| /ヽ !l |,r-r-| l! /ヽ |:::::l | \ ,,ノ(、_, )ヽ、,, ::/ \ `ニニ´ .:::::/ / |^|ヽ、 `ニニ´一/|^|`,r-|:「 ̄ /`ー `ニニ´一''´ \ /`ー‐--‐‐―´\ / | .| | .| ,U(ニ 、)ヽ 代ゼミ2014偏差値表<大東亜帝国クラス>(※医学部、芸術系、宗教系、体育系は除く。主に3教科入試偏差値、確定版) 玉川:文51、農54、工43、経営49、観光51、教育58、リベラル52=51.1(※2教科入試) 神奈川:法52、経済51、経営50、外国語53、人間53、理51、工48=51.1 産業能率大:情報51、経営50=50.5(※2教科入試) 立正:心理53、経営51、経済48、文51、地理47、社会福祉52、法49=50.1 東京経済:経済50、経営50、コミュニケーション50、現代法49=50.0 ----------------------------------------------------------------(50.0未満から大東亜帝国。↑は「立東神」レベル) 帝京:薬学52、経済49、法律51、文53、外国語49、教育54、理工46、医療技術52、福岡医療48 =50.4(※1教科2科目入試OK) 国士舘:政経56、理工48、法律48、文49、21世紀アジア51、経営47=49.8 桜美林:リベラルアーツ49、ビジネス49、健康49=49.0 亜細亜:経営50、経済46、法47、国際関係52=48.8(※2教科入試) 大正:文50、表現48、人間48=48.7 茨城キリスト教:文48、経営49、生活47、看護50=48.5 東海:国際文化48、生物49、情報通信47、文51、観光52、政治経済48、法律50 教養48(芸術系は省略)、理49、情報理工46、工46、 健康50、海洋48 、経営44、基盤工44、農51 =48.2 山梨学院:法47、現代ビジネス45、経営情報45、栄養55=48.0 常盤大:人間47、 国際49、コミュニティー46=47.3(※2教科) 関東学院:文48、経済45、法律45、理工44、建築49、人間48、看護50=47.0 城西:経済47、現代政策45、経営45、理48、薬50=47.0 流通経済:経済50、社会48、流通45、法45、=47.0 明星:理工47、人文48、教育52、経済45、経営46、情報43=46.8 大東文化:文学部48、外国語45、経済47、経営45、法48、国際47、環境45、健康47=46.5 拓殖:商46、政経45、外国語48、国際48、工44=46.2 (※2教科全国入試) 目白:人間45、社会45、経営45、外国語46、保健医療46、看護50=46.1 46.0未満省略 茨城キリスト教大学どころか山梨学院にも抜かれた大東文化。これはピンチだわ。洒落になってない。 看護学部とか作らないからだ。 代ゼミ2014偏差値表<大東亜帝国クラス>(※医学部、芸術系、宗教系、体育系は除く。主に3教科入試偏差値、確定版) 玉川:文51、農54、工43、経営49、観光51、教育58、リベラル52=51.1(※2教科入試) 神奈川:法52、経済51、経営50、外国語53、人間53、理51、工48=51.1 産業能率大:情報51、経営50=50.5(※2教科入試) 立正:心理53、経営51、経済48、文51、地理47、社会福祉52、法49=50.1 東京経済:経済50、経営50、コミュニケーション50、現代法49=50.0 ----------------------------------------------------------------(50.0未満から大東亜帝国。↑は「立東神」レベル) 帝京:薬学52、経済49、法律51、文53、外国語49、教育54、理工46、医療技術52、福岡医療48 =50.4(※1教科2科目入試OK) 国士舘:政経56、理工48、法律48、文49、21世紀アジア51、経営47=49.8 桜美林:リベラルアーツ49、ビジネス49、健康49=49.0 亜細亜:経営50、経済46、法47、国際関係52=48.8(※2教科入試) 大正:文50、表現48、人間48=48.7 茨城キリスト教:文48、経営49、生活47、看護50=48.5 東海:国際文化48、生物49、情報通信47、文51、観光52、政治経済48、法律50 教養48(芸術系は省略)、理49、情報理工46、工46、健康50、海洋48 経営44、基盤工44、農51 =48.2 山梨学院:法47、現代ビジネス45、経営情報45、栄養55=48.0 常盤大:人間47、 国際49、コミュニティー46=47.3(※2教科) ★関東学院:文48、経済45、法律45、理工44、建築49、人間48、看護50=47.0 城西:経済47、現代政策45、経営45、理48、薬50=47.0 流通経済:経済50、社会48、流通45、法45、=47.0 明星:理工47、人文48、教育52、経済45、経営46、情報43=46.8 鶴見:歯46、文47=46.5 大東文化:文学部48、外国語45、経済47、経営45、法48、国際47、環境45、健康47=46.5 淑徳:総合福祉49、国際46、教育46、経営43、コミュニケーション45、看護栄養49 =46.3 拓殖:商46、政経45、外国語48、国際48、工44=46.2 (※2教科全国入試) 目白:人間45、社会45、経営45、外国語46、保健医療46、看護50=46.1 鶴見大に抜かれたことが判明!! 明星に抜かれて〜♪ 流通経済に抜かれて〜♪ 鶴見大に抜かれて〜♪ 茨城キリスト教大にも抜かれ〜♪ 山梨学院にも抜かれて〜♪ 常盤大にも抜かれた大東文化。ああ〜大東亜帝国のお荷物〜♪ 社会科学系学部だらけに大学に〜世間は冷たい〜♪ チーン!(なんまいだぶ) 大東文化大薬学部55 大東文化大獣医学部63 大東文化大看護学部55 大東文化大理学部57 大東文化大医学部70 これで文理のバランスが取れた名門総合私大の完成 <全国大学別平均年収ランキングBEST100> 01 東京大学 843 26 津田塾大 755 51 静岡大学 721 76 龍谷大学 685 02 一橋大学 841 27 成蹊大学 752 52 京都女子 720 77 関東学院 684 03 慶應義塾 828 28 青山学院 751 53 金城学院 719 78 近畿大学 683 04 国際基督 821 29 千葉大学 749 54 東京電気 718 79 創価大学 682 05 京都大学 812 30 名古屋工 746 55 新潟大学 716 80 京都産業 681 06 上智大学 807 31 横浜市立 745 56 学習院女 715 81 中京大学 680 07 早稲田大 806 32 明治大学 744 56 山形大学 715 81 武蔵大学 680 08 筑波大学 795 32 芝浦工業 744 58 東京女子 713 83 東海大学 679 ○ 09 東京工業 794 34 金沢大学 742 59 名城大学 712 84 駒澤大学 678 10 神戸大学 789 34 立命館大 742 59 滋賀大学 712 85 北九州市 676 11 大阪大学 785 36 中央大学 740 61 甲南大学 710 85 千葉工業 676 12 北海道大 775 37 武蔵工業 738 62 摂南大学 709 87 専修大学 673 13 東北大学 774 37 東洋英和 738 63 岐阜大学 707 88 昭和女子 672 14 大阪市立 769 37 広島大学 738 63 甲南女子 707 88 福岡大学 672 15 名古屋大 769 40 成城大学 735 65 同志社女 703 90 神奈川大 671 16 首都大学 769 40 聖心女子 735 66 工学院大 702 91 東北学院 669 17 九州大学 768 40 南山大学 735 66 椙山女学 702 92 國學院大 664 ○ 18 電気通信 767 40 九州工業 735 68 共立女子 700 93 東京農業 662 19 横浜国立 765 44 京都工繊 734 69 金沢工業 697 94 帝京大学 659 ○ 20 大阪府立 764 45 西南学院 732 70 明治学院 696 95 東洋大学 658 21 東京理科 761 45 徳島大学 732 70 武庫川女 696 96 桃山学院 652 21 同志社大 761 47 神戸女学 731 72 大阪工業 695 97 獨協大学 645 23 関西学院 757 48 法政大学 730 73 大妻女子 693 98 北海学園 643 24 立教大学 756 49 日本女子 729 74 愛知大学 691 99 大東文化 642 ○ 24 学習院大 756 50 関西大学 727 75 愛知淑徳 686 100 拓殖大学 636 (平成18年 プレジデント10/16号「大学と出世」より) ※亜細亜大学は100位圏外 東海・帝京は医理薬学部含 ※専門学校卒は平均年収350万-400万 大東という名称がよくないのに知名度ができてしまったことが問題。 ビック東大とか大東亜とかイメージが悪い 東洋文化大にしとくべきだった 東洋大と比較される程度ですむから大差ないし。 ってことはなんと大東亜帝国レベルでのトップは関東学院!(77位) 1級建築士事務所として独立してる人が多いからだ。 その割には関東学院は叩かれてるよな。 >東京電気 東京電機な 東洋大は元は東洋哲学のための大学。 大東は、国が東アジア文化研究のために作った専門学校。後に大学。 アジアってお前ら中国とインドと東南アジアしかないとでも思ってるのか? 中央アジアもシベリア=ロシアも中東もあるんだぞ。 西アジアの西の端っこはイスタンブールだぞ。東方正教会の本部はイスラムの国トルコのイスタンブールにある。 当初日本・朝鮮・中国しか研究対象にしなかった大東とは全然スケールが違う。 だから東洋にはインド哲学科まである。 東洋大にイスラム学部が必要かもな あとイスラエルも東洋の端 ユダヤ学部も この大学の関係者から聞いたのですが、共産党支持者、創価学会員が職員に 多いと聞きました。言われてみると納得できるふしもあります。 共産党や創価学会と関係がある大學なんでしょうか? 学生さんで先生と話していて共産党っぽいな〜とか特定の宗教にかぶれていそうだな〜と 思う発言はありましたか? 私は、仕事でここの関係者と会うことがあるのですがそう思ったことがあります。 習字大学に改名 二松学舎大学は別名漢文大学らしいのでこれに倣い 大学教授は生活に困ってないせいか 資本主義を否定する奴も少なくない しかも中韓に同情的な売国奴も多いし あの鳩山ポッポも元教授だし >>285 学生さんですか? 中国韓国大好き、日本人が悪い、って考え方してませんか? 私が関わった人たちはそんな感じでした。名前や部署などはここには絶対書けませんが。 >>287 それって、大東の教授=高学歴で偏差値高い=リベラルってこと? そりゃ、教員は高偏差値だろ そうでなくてもランクの高い大学ほど校風はリベラルなんじゃねーの 名前がよくない 大東なんて大東亜戦争を連想させる 東洋文化大 略して東文大なら受けてた。 大東京大学だろ・・・・・・ ビッグ東大だからなうちは くそ大東の改革? くだらん学部閉鎖して習字と中国関連に特化しろ。 大東亜帝国のイメージ 大東文化 底辺文系 東海 底辺理系 亜細亜 駅伝 帝京 DQNの巣窟 国士舘 体育会系 みんなどんな学生生活送ってるの? なんか活気がない なんかイメージアップになるようなおもしろいこと無いの? 土井選手獲得で大東の偏差値低下は底打ち。ここから卑劣かもしれんが1教科入試など使ってまず文学部全科50にしていこう。人がこなけりゃそれでいい。誰でもとるな。偏差値35はOBが聞くと沈むよ。 環境創造と経営と国際関係はいらない 増設した学部がみなFラン化して全体の足も引っ張っている スポーツ推薦枠を廃止 その学費免除分を学業優秀 学生への給付奨学金にする 大学の学業軽視が甚だしい 東松山に資金を投入した事は都心系大学を狙う高校生の実態にそぐわない。ここが急激に下降した原因。馬鹿にされても1教科、信濃町、今のキーワードを大事にした方がいい。 これからオリンピックで各大学がスポーツに力入れる 同じ土俵で勝負したら負ける ダメです 上位大学がスポーツに力入れて大東クラスは埋没します 大東文化ももっと力入れればいいのでは? あっ、そういうとまた反論されちゃうのか 上位大学はそれよりもっと力を入れるってねw 1位 中央大学(6勝1敗)流経に負ける 2位 大東文化(5勝2敗)西内にやられる 3位 流通経済(5勝2敗)大東・東海あたりに負け 4位 日本大学(4勝3敗)大東・流経・中央に負け 5位 拓殖大学(3勝3敗)立正・東海・法政には勝つ 6位 東海大学(3勝4敗)流経・立正・法政に勝つ 7位 法政大学(2勝5敗)立正・大東に勝つ 山梨には圧勝の100点ゲーム 8位 立正大学(7敗)関東学院は1部復帰かな!? 番外 日体大 シーズン失点記録樹立。 って記録いくつだ?? 満足感味わえるならいいじゃん 何も満足感味わえない学校だってあんだから 「静岡市で受験がデキマス。」とでかでかと車体に広告を書いた「しずてつジャストライン」のバス(ラッピングバスではない。)が走っている。 全学部2教科入試しようぜ そしたら見かけの偏差値はマシになるぞ どこそこの大学だって汚ねえ手使ってんだからw 3教科入試は廃止だ どこそこの大学だって汚ねえ手使ってんだ 全学部2教科入試だけでOK テレビ朝日 報道発 ドキュメンタリ宣言 『さらば警察 〜わが人生に悔いなし〜』 2009年5月11日放送 密着4年!さらば警察 裏金告発した現役警官 仙波敏郎 現職に拘り続けた仙波さんを待っていたのは、警察組織による壮絶な報復人事( いじめ )・・・。 @ http://www.youtube.com/watch?v=6ceWpw7CChI A http://www.youtube.com/watch?v=nGdd_cA9OBc B http://www.youtube.com/watch?v=k5fg3XxMjTY C http://www.youtube.com/watch?v=I5_0LjGUJ8A D http://www.youtube.com/watch?v=DzKBfXPWDCo 自宅周辺を普通乗用車を使い徘徊 尾行、張り込み、電話の盗聴、メール(パソコン)の盗聴、盗撮 大量の花や寿司が届けられる 架空の結婚式を予約されキャンセル料を請求される 窓ガラスが割られる 飼い犬が石を投げつけられ殺される 車を壊される 車にスプレーを吹き掛けられる 自宅や職場に誹謗中傷の電話がひっきりなしにかかってくる 京都の大学に在学中だった次男は家庭教師のアルバイトをすべてクビ 尾行にはNシステムやセコムが開発したGPS発信装置が利用されている可能性が高いという。 郵便物が持ち去られたこともあり、電話や電子メールが盗聴されている可能性も高いという。 仙波の告発後、愛媛県警は通信傍受技術に精通したNTT職員を警察官として採用し、 高額の通信傍受用機器を納入している。 大東亜帝国のイメージ 大東文化 底辺文系 東海 底辺理系 亜細亜 駅伝 帝京 DQNの巣窟 国士舘 体育会系 この 帝京 DQNの巣窟は本当ですね 俺の高校偏差値42ぐらいだったんだが クラスで一番ヤンキー学力ビリがAOで一発合格したからw 確か工学部いった 学校の普段は怖い先生も、優しい口調で「お前の性格は優しい(ひ弱ってことかな?)帝京は止めた方がいい」とアドバイスしてもらった。 大東文化大の法・政治行ったけど正解だったかも >>329 帝京に工学部はないから。 理工学部なら宇都宮にあるけどな 兎に角、帝京と国士舘はもう足引っ張るな もうEラン大学群は大東亜でいいよ それ言い出すと結局東海と亜細亜だけでいいってことになりそう 大東文化も入れろよ 大東亜帝国文系と言えば大東文化だろ ■頭の悪い国民をNSA盗聴問題の話題に集中させつつ 裏では 「盗聴法の改正」 へ向け準備が進んでいる http://beatniks.cocolog-nifty.com/cruising/2013/06/post-5ec7.html 政府の情報セキュリティー政策会議(議長・菅義偉官房長官)は、2013年6月10日、2015年度までの 「サイバーセキュリティー戦略」を正式決定した。サイバー犯罪の複雑化と被害の深刻化を踏まえ、 通信事業者がインターネットの利用状況を解析したり、利用内容の履歴を保存したりすることについての検討を打ち出している。 今後は、特に、通信履歴の一定期間の保存を通信事業者に義務付けることの検討が進むだろう。 このように、既に、私たちり電子メールや通信履歴については現行法上も対象犯罪の限定なく容易に取得できる状況となっており、 さらに、通信傍受が拡大されるとともに、その手続が緩和されようとしており、捜査機関の捜査権限はますまず拡大されようとしているのである。 対象犯罪にテロ関連犯罪も含める動きがあることから、通信傍受の対象は、ますまず将来犯罪を対象とするものに拡大され、 限りなく行政盗聴に近付いていくことが予想される。そうだとしたら、アメリカで明らかになったインターネットの監視プログラムに ついても他人事ではないと言わなければならない。秋の臨時国会には、秘密保全法案が提出されることも決まっており、 これと併せて、日本においても通信の監視が強化されていく可能性は極めて高いと言わなければならない。 いずれにしても、通信傍受法の改正の動きを注視し、反対の声をあげていくことが強く求められている。 ■マイナンバー法と盗聴法改正問題 http://blogs.yahoo.co.jp/constimasahikos/31888191.html ■ACTA〜水面下で進められる動きに注意〜/堤 未果のブログから ほか http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/d1d08b3ae375726481dc64a2ef8c24ee 「国民が何が起きているか分からないでいるうちに、急速かつ強権的に改革を進めることだ」 国民がおかしいと気付いた時には、すでに社会のあらゆる場所が「監視国家」と化していたのだ。 テレビや新聞が抽象的なスローガンや芸能ニュースで占められ、国民の知らない間に、 いつの間にか法律がいじられてゆくという状況は、3・11以降の日本と酷似しているのではないか。 ■頭の悪い国民をNSA盗聴問題の話題に集中させつつ 裏では 「盗聴法の改正」 へ向け準備が進んでいる http://beatniks.cocolog-nifty.com/cruising/2013/06/post-5ec7.html 政府の情報セキュリティー政策会議(議長・菅義偉官房長官)は、2013年6月10日、2015年度までの 「サイバーセキュリティー戦略」を正式決定した。サイバー犯罪の複雑化と被害の深刻化を踏まえ、 通信事業者がインターネットの利用状況を解析したり、利用内容の履歴を保存したりすることについての検討を打ち出している。 今後は、特に、通信履歴の一定期間の保存を通信事業者に義務付けることの検討が進むだろう。 このように、既に、私たちり電子メールや通信履歴については現行法上も対象犯罪の限定なく容易に取得できる状況となっており、 さらに、通信傍受が拡大されるとともに、その手続が緩和されようとしており、捜査機関の捜査権限はますまず拡大されようとしているのである。 対象犯罪にテロ関連犯罪も含める動きがあることから、通信傍受の対象は、ますまず将来犯罪を対象とするものに拡大され、 限りなく行政盗聴に近付いていくことが予想される。そうだとしたら、アメリカで明らかになったインターネットの監視プログラムに ついても他人事ではないと言わなければならない。秋の臨時国会には、秘密保全法案が提出されることも決まっており、 これと併せて、日本においても通信の監視が強化されていく可能性は極めて高いと言わなければならない。 いずれにしても、通信傍受法の改正の動きを注視し、反対の声をあげていくことが強く求められている。 ■マイナンバー法と盗聴法改正問題 http://blogs.yahoo.co.jp/constimasahikos/31888191.html ■ACTA〜水面下で進められる動きに注意〜/堤 未果のブログから ほか http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/d1d08b3ae375726481dc64a2ef8c24ee 「国民が何が起きているか分からないでいるうちに、急速かつ強権的に改革を進めることだ」 国民がおかしいと気付いた時には、すでに社会のあらゆる場所が「監視国家」と化していたのだ。 テレビや新聞が抽象的なスローガンや芸能ニュースで占められ、国民の知らない間に、 いつの間にか法律がいじられてゆくという状況は、3・11以降の日本と酷似しているのではないか。 高木浩光@自宅の日記 - takagi-hiromitsu.jp ■ 動機が善だからと説明なく埋め込まれていくスパイコード http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20130626.html これは、利用者間のそういうサービスであり、そういうシステムが組まれているのだからいい。 まさか、この仕組みを流用して、つまり、システムの内部に介入して、 警察が、市民の端末のGPSを遠隔作動させているということなのか? そもそも、こんなアプリを勝手にインストールするのは、刑法168条の2、不正指令電磁的記録供用罪に当たるのではないか。 キャリアの説明書、利用規約、約款を調べてみたが、あくまでも、 「ケータイお探しサービス」 「子ども見守りサービス」 「今どこ検索」、「緊急通報位置通知」 のために使うものとされていて、その他の目的で流用することがあるなどと、どこにも書かれていない。 キャリアの人ら、端末は自分たちの物だと勘違いしてるんじゃないのか。 自分たちの制御下にあって、何をインストールしようが勝手だと。 百歩譲って10年前の電話ならそれもいい。だが、自由にアプリをインストールできるスマホは、コンピュータなのであって、 キャリアの管理下にあるわけじゃない。 いや、それどころか、総務省令事業用電気通信設備規則で義務付けた結果がこれなのだから、 まるっきり、国が、スパイコードを国民の携帯電話に埋め込んでいる話じゃないか。 まさにこれは、「コンピュータプログラムに対する社会的信頼」という刑法168条の2(及び同3)の 保護法益を侵すものであり、到底許されるものではない。 . 社民党ホームページ 「盗聴法はいらない」 が文字化け中 不正アクセス改竄されたか? http://www5.sdp.or.jp/central/faq/toutyou.html . ■マイナンバー法と盗聴法改正問題 - 清水雅彦の憲法・鉄道・バイクetc ... http://blogs.yahoo.co.jp/constimasahikos/31888191.html ■“治安対策”の名で進む監視体制 http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/living/0707/0706308111/1.php ■人がやることなすことすべて監視する構想が政権内部の既成事実となっている 人たちを警察が監視カメラでチェックし、人相、しぐさ、顔かたち、音声を解析することにより〜 音声の解析ということは、 ■「 監視カメラ 」 がおかれたところには ■「 集音マイク 」 が仕掛けられていて、 そこで話した会話が ■「 盗聴 」 されていることを意味します。 斎藤さんは「人がやることなすことすべてを監視する構想が政権内部では常識になっている」と述べ、 そのような監視体制が既成事実となっていることに懸念を示しました。 ■警視庁様 | 導入事例 | 法人のお客さま | NTT東日本 地域ぐるみによる未来を担う子どもの安心・安全を守る「子ども見守りカメラシステム」 ■電柱に設置された見守りカメラ http://www.ntt-east.co.jp/business/case/2010/004/image/image04.jpg 「子ども見守りカメラシステム」の構築に当たり、システムの要となるのは、カメラの設置場所です。 これについては、小中学校の近辺や通学路脇の■電柱に設置することとなりました。 ■監視社会はビジネスにとっても宝の山 http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/living/0707/0706308111/1.php サミットを利用し、あおっている「監視」の背景伝える重要性強調 清水雅彦教授の講演要旨 ■目的外使用されている「プライバシー」 http://jcj-daily.sakura.ne.jp/hokkaido/report08/0607shimizu/youshi.htm ■民間の個人情報売買解禁へ 政府、新事業創出を後押し http://www.nikkei.com/article/DGXNZO48940300Z21C12A1EE8000/ 寺澤有 ?@Yu_TERASAWA 10月27日 ■「 警察庁 」 は ■「 盗聴法を改正 」 して、 ■「 室内盗聴を合法化 」 しようとしているので、近い将来の話です。 RT @mitsuru_kuroda 電話もメールもしなくても、声に出しただけで来るかも 「安倍首相の携帯も米国から盗聴されているらしい」 #秘密保全法がある明日 https://twitter.com/Yu_TERASAWA/status/394413203376988160 小島詩織は浮気して彼氏を捨てた挙句元彼をストーカー扱いするクズ 寺澤有 ?@Yu_TERASAWA 11月7日 11月24日18時00分から山岡さん @yama03024 と秘密保護法や記者クラブ、日本版NSC、共謀罪、盗聴法改正について 緊急対談します。場所は「ありがtoCafe&Bar」です。http://www.arigato-cb.com/index.html たくさんのみなさんのお越しをお待ちしています!11月24日18時00分〜20時00分 料金1500円 (アルコール&ソフトドリンク飲み放題。食べ物は各自でご注文ください) https://twitter.com/Yu_TERASAWA/status/398692666063351809 https://twitter.com/Yu_TERASAWA/status/398691549795475456 11月24日の秘密保護法反対のイベント 【緊急対談】情報統制・国民監視時代の生き方 山岡俊介×寺澤有 https://www.facebook.com/events/549023758523272/ ありがto Cafe&Bar https://www.facebook.com/arigato.cb 【ゲストプロフィール】 山岡俊介 ジャーナリスト 1959年生まれ、高知県出身 「噂の真相」の意志を継ぐタブー無し有料WEBマガジン「アクセスジャーナル」編集長(http://accessjournal.jp/ )。 上場企業、政治家、暴力団、芸能界から反原発まで幅広くネタを日々配信中。日本アムウェイの店頭公開を止めさせ、 武富士会長を逮捕させ、自宅放火も経験。 寺澤有 ジャーナリスト インシデンツ代表 1967年2月9日、東京生まれ 大学在学中の1989年からジャーナリストとして、警察や検察、裁判所、弁護士会、会計検査院、防衛省、 記者クラブ、大企業などの聖域となりがちな組織の腐敗を追及しはじめる。 犯人、不審者、監視対象者、調査対象者は 「 誰か? 」 とにかく ■「 誰でもいいから作らないと裏金が作れない 」 んですよ。 愛媛県警の裏金を内部告発した仙波敏郎さん 6/13 http://www.youtube.com/watch?v=Tf5ZNiruFxA 市民の方と接触している最高の権力機関は警察ですよね?その警察が・・・・■「 全部 」 ですよ? 100パーセント裏金にもう汚染されている 町のお巡りさんから高級官僚から ■「 上から下まで全部 」 裏金を必要悪だといわれる方がいる。公務のためにプールして運用するというのも必要ではないかと。 ところが、日本の警察の裏金はそういったものと類が違う。 公務に使うという名目で私腹を肥やしている。 ■「 結局自分の飲み食いに使う 」 公金横領なる犯罪 - ジビエ料理&ハンティングのシェフブログ http://blogs.yahoo.co.jp/japangibier/32547160.html 先日、当時現職警察官として日本で初めて実名での警察による裏金問題公開記者会見を行った、 仙波敏郎さんにお会いした折り、こんな質問をしてみました。 「 愛媛県には銃砲安全協会ってありますか? 」 『いや、そう言う名称のものは無かったけど、■「 防犯協会 」 というのはありましたね。 ■そこでも皆同じような手口で裏金を作っています。』 私たちが知らないところで、そんなことがまかり通っているのですから呆れてしまいます。 町民の皆様へ 余市町防犯協会経理事務における不正な会計処理に対する関係職員の処分内容とお詫び http://l.moapi.net/http ://www.town.yoichi.hokkaido.jp/oshirase/soumu/sc-20120830.pdf 【事件】署幹部にビール券…防犯協が不適切支出4000万円 栃木県警、返還要求へ http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120316/crm12031623310035-n1.htm 官の不正も機密? 内部告発、逮捕の懸念 2013年10月31日 朝刊 東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013103102000128.html 「秘密保護法は公益通報者の足かせになる」と話す仙波さん=鹿児島県阿久根市で(早川由紀美撮影) http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/images/PK2013103102100036_size0.jpg 警察天下りを受け入れるダメ企業393社リスト 渡邉正裕 09:26 07/30 2008 http://www.mynewsjapan.com/reports/883 寺澤氏は、警視庁内では誰もが知っている「人材情報センター」という組織が 警察官の再就職を斡旋している実態をつかみ、東京都情報公開条例によって過去2年ほどの求人票を入手。 うち200社以上に対しては電話取材も行い、警視庁OBを採る理由などを尋ねた。 ■「全員、他の社会人と同様、ハローワークに行け」 ■「天下りが跋扈してる会社がいい会社なわけない」 と主張する寺澤氏に、その背景、構造について、編集長の渡邉が聞いた。 就職で人気ランキングに入るような有名企業にも、組織的な斡旋で天下った警察OBが跋扈している 官庁の斡旋による押し付け的な天下りが政府の行革で問題となるなかでも、懲りずに受け入れる企業が後を絶たない。 警察報道の第一人者、ジャーナリストの寺澤有氏が明らかにした警視庁の天下り先リストによれば、過去2年ほどの間に、 大企業・有名企業を多数含む393もの企業(団体)が天下りを受け入れていた(下記一覧画像参照)。 リストを見ると、スネに傷を持つ“問題企業”がズラリと並び、読売新聞など官僚機構を監視すべきマスコミ企業までが 天下りを受け入れている。これら企業は、働く場としては避けたほうがよさそうだ。(末尾にて全「斡旋求人票」現物のPDFダウンロード可) 【Digest】 ◇「どこでやめてもらえるか」で実質的な取引 ◇インフラ、重厚長大産業は警察以外でも多い ◇ドワンゴにまで入り込む警察OB ◇パチンコを無理やり合法化して天下る ◇年1万人前後、10年間続く退職者 寺澤有のホームページ「インシデンツ」 http://www.incidents.jp/profile.html MyNewsJapan 警察天下りを受け入れるダメ企業393社リスト http://static. o w . l y /docs/%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E5%A4%A9%E4%B8%8B%E3%82%8A%E3%81%8A%E3%81%AD%E3%81%A0%E3%82%8A%E4%BC%81%E6%A5%AD393%E7%A4%BE%E5%85%A8%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88_Kvo.pdf 経済困窮している学生が多いのだから 体育推薦とスポーツ奨学金の廃止をしたらどうか 大学特定・書店も着々と/垢消して逃亡! - 書店員「『この本どこ?』って聞くな。てめえで探せや。 ないならアマゾンで買え」発言で炎上 http://buzzpics.blog.fc2.com/blog-entry-4097.html 私たちの目・耳・口をふさぐ秘密保全法案:清水雅彦 - 法学館憲法研究所 http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20120723.html 清水雅彦氏講演 『秘密保護法と憲法』 2013/11/10 http://www.youtube.com/watch?v=znBzatd2M3A 治安政策としての「安全・安心まちづくり」 監視と管理の招牌 清水雅彦 著 http://www.shahyo.com/mokuroku/gendai_shahyo/authority/ISBN978-4-7845-1463-2.php やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 Yahoo!ニュース 3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci 日本弁護士連合会 エッ!これもヒミツ?あれもヒミツ!あなたも「秘密保全法」にねらわれるQ&A http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/booklet/data/himitsu_hozen_qa.pdf Q なにが「特別秘密」になるの? A 「特別秘密」は、@国の安全、A外交、B公共の安全と秩序の維持 の3つの分野の情報のうち、「国の存立にとって重要な情報」なのだそうです。 Bの「公共の安全と秩序の維持」には、わたしたちの生活全般に関わる事が全て入ってしまう危険があります。 Q わたしのプライバシーも調査されるってほんと?「適正評価制度」 A ほんとうです。報告書は、「特別秘密」が外部にもれないようにするために、 「秘密をとりあつかう人たちの管理を徹底する」ことが重要だとしています。 他人に知られたくないプライバシーまで調査し、管理し、チェックするとしています。 調査の対象になるのは、情報をとりあつかう本人だけにとどまりません。 家族や親戚、そして恋人や友人など、「本人の身近にあって、本人の行動に影響を与えうる者」 のプライバシーも、管理される人の範囲は、際限なく広がっていくといってよいでしょう。 国の「特別秘密」をまもるために、私たち国民ひとりひとりの、知られたくないプライバシー情報が、 国や自治体、民間の事業者によってあつめられ、使われていく。そんな人権侵害が、許されてよいのでしょうか。 Q @処罰されるのは公務員だけ? A私たちの私生活が「監視」されるってほんと? A @違います。一般人も含まれます。 A確実にそうなります。一般市民には、いつ、なにが「特別秘密」に指定されたか わからないのですから、知らない間に「特別秘密」を収集、取り扱っていた等。 ┏------警察------------------------------------------┓ ┃ ├---監視---→調査対象 ┗--監視--→ 地域安全活動に関わる全ての人間(調査対象)---┛ Q まさか地域安全の為 (公共の安全と秩序の維持) に防犯活動をしていたわたし達までも監視対象だったなんて・・・ A プギャ――m9(^Д^)―― >>350 偏差値の低い大衆大学は貧乏人の子弟が多い。 偏差値の高い名門大学は金持ちの子弟が多い。 まぁ学問で名を挙げるより、スポーツで挙げる方がより効率的だよな。 OBは駅伝で正月は待ち遠しいし、これを一生楽しめるしな。 >>350 文系はだいたい兄弟がいるとか貧乏人だろ 国立はもっと貧乏人 理系は金ないと無理 >>354 文系はだいたい兄弟がいるとか貧乏人だろ 国立はもっと貧乏人 理系は金ないと無理 --------------------------------------------------------------------- 財政状態の厳しい大学にピックアップされている大東文化大学 大東文化の悪徳経営に騙されて入学したら人生終了です 財政状態の厳しい大学はどこ? 解散命令や募集停止など追い詰められる大学も http://toyokeizai.net/articles/-/12883?page=2 --------------------------------------------------------------------- ★大東文化大学空手部員、立教大アメリカ人教授を殴り殺す http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1024443360 最近でも大東文化大のボクシング部員が目があったという理由だけで 中学生を二人がかりでリンチした悪質な事件もあったしね 大東はチンピラみたいなガラの悪い学生が多いことでも知られてる --------------------------------------------------------------------- http://www.youtube.com/watch?v=fCpj49DtGy8 書店の店員が『Twitter(ツイッター)』で愚痴ツイート。 2013年11月26日、その日書店に来た客に憤慨していたと思われるツイート主が 「ラノベはアニメイトとかで買え。老害と情弱とキモオタは書店にくんな」 といったツイートの後、「書店員は忙しいので『この本どこ?』って聞くな」といった内容をつぶやいた。 大東文化大東松山キャンパス経営学部2年 イオンモール高崎未来屋書店勤務アルバイト店員 趣味;エロゲ クズすぎワロタw さすがFラン大東 --------------------------------------------------------------------- ロー廃校場所に大学の基幹学部、文学部か経済学部を入れ、学部は8から5にし、都心に集約した大学になれ。全部BFでいいのか!立ち直れ!経営陣よ! もう関東学院にも拓殖にもそれどころか流通経済にすら抜かれているんだから いい加減自分たちの立ち位置「察し」ろよな。 なぜか帝京と関東学院ばっかり2ちゃんで叩かれてるがこの2校よりも学力的にも就職でも下だからな、ここは。 高坂がガンだろ。何が楽しくて埼玉の奥地に行くんだ・・・ 団地潰して高島平にキャンパス集約しろよ。三田線の駅名は「大東文化大学前」に変更しろ。 いや抜かれてないよ。 大東亜帝国の筆頭は大東文化大だよ。 卒業から1年…届かぬアルバム 制作担当の学生が放置 http://www.asahi.com/articles/ASG335G4KG33UTNB01W.html 卒業からもう1年。なのに……。埼玉県東松山市にもキャンパスのある大東文化大学 (本部・東京都板橋区)で、昨春の卒業アルバムがいまだに購入者の手元に届いて いないことがわかった。制作担当だった学生全員が、作業を放り投げたまま卒業した のが主な原因という。下級生の卒業が間近に迫るなか、同大は「大変申し訳ない。 一日も早く届けたい」としている。 同大によると、2012年度の卒業アルバムは1冊1万2千円。学部卒業生2796人 のうち、約15%にあたる410人が購入を希望し、学生から集めた代金の総額492万円は 、すでにアルバム制作の委託業者に支払われている。 アルバムづくりに同大は関与せず、学生自治会の「卒業アルバム委員会」が企画・制作する。 12年度は、委員の5人全員が4年生(当時)だった。ところが、写真データの張り付けや レイアウトなどが未完成のまま、昨年3月に全員卒業してしまい、同委員会内に作業を引き継ぐ 後輩もおらず、制作途中のまま放置されたという。 卒業アルバムぐらい完成させろよ ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140309-00000018-asahi-soci 卒アル制作放棄し その無責任精神のまま社会へ巣立つ大東文化大卒業生であった 大東文化大学、卒アル委員会の学生が代金500万円もらいトンズラ卒業、Fランの意地を見せつける http://maguro.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1394355591/ 卒業から1年…届かぬアルバム 制作担当の学生が放置 卒業からもう1年。なのに……。埼玉県東松山市にもキャンパスのある大東文化大学 (本部・東京都板橋区)で、昨春の卒業アルバムがいまだに購入者の手元に届いて いないことがわかった。制作担当だった学生全員が、作業を放り投げたまま卒業した のが主な原因という。下級生の卒業が間近に迫るなか、同大は「大変申し訳ない。 一日も早く届けたい」としている。 同大によると、2012年度の卒業アルバムは1冊1万2千円。学部卒業生2796人 のうち、約15%にあたる410人が購入を希望し、学生から集めた代金の総額492万円は 、すでにアルバム制作の委託業者に支払われている。 アルバムづくりに同大は関与せず、学生自治会の「卒業アルバム委員会」が企画・制作する。 12年度は、委員の5人全員が4年生(当時)だった。ところが、写真データの張り付けや レイアウトなどが未完成のまま、昨年3月に全員卒業してしまい、同委員会内に作業を引き継ぐ 後輩もおらず、制作途中のまま放置されたという。 ____ /_ノ ヽ、_\ ミ ミ ミ o゚((●)) ((●))゚o ミ ミ ミ 卒アル代金500万もってトンズラなんで逮捕されるわけないおwww /⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\ /⌒)⌒)⌒) | / / / |r┬-| | (⌒)/ / / // バ | :::::::::::(⌒) | | | / ゝ :::::::::::/ ン | ノ | | | \ / ) / バ ヽ / `ー'´ ヽ / / ン | | l||l 从人 l||l l||l 从人 l||l ヽ -一''''''"~~``'ー--、 -一'''''''ー-、 ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒)) ____ / \ / ─ ─\ ./ (●) (●) \ | (__人__) |、 r―n|l\ ` ⌒´ ,/ ヽ \\\.` ー‐ ' .// l ヽ . \ | | . \ _ __ | ._ | /, /_ ヽ/、 ヽ_| \ // /< __) l -,|__) > \. || | < __)_ゝJ_)_> \. ||.| < ___)_(_)_ > \_| | <____ノ_(_)_ ) 「東日本大震災で亡くなった人達の“遺体"で裏ガネを作っていた警察 3万体 9000万円」 http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2011/04/post-9f7c.html 4月25日発売の写真週刊誌『フラッシュ』(5月10・17日合併号)が、大スクープしている。 http://www.amazon.co.jp/FLASH- (フラッシュ)-2011年-5月10-17日合併号-光文社/dpB00B7E7N76 東日本大震災で亡くなった方の遺体の検案(「変死体」扱いのため、警察が検視し、 医師が死因を決定する検案を行う)で、医師に遺体1体につき3000円払ったことにして、裏ガネを作っているというのだ。 この記事を書いたのは、本紙でもお馴染みのジャーナリスト仲間の寺澤有氏だ。 以前から、記者クラブ制度の問題もそうだが、警察の裏ガネ作りについても精力的に取材している。 寺澤氏は6年以上前、会計検査院に警視庁会計文書について情報公開請求し、入手した約38万枚を分析。 その過程で検案における裏ガネ作りの可能性に気づいていたが、被災地を取材した際、 実際に検案した医師の証言を得ることができ、今回のスクープに結実した。警察庁は1体に3000円払うといっているのに、 今回記事に登場した医師は約20体検案したが、一銭ももらってなければ、今後、もらう予定もないと証言したからだ。 従来の警察の裏ガネ作りといえば、捜査協力への謝礼の架空計上が真っ先に思い浮かぶが、いくら何でも遺体の検案、 それも未曽有の大震災におけるもので、未だ関係者は大きな心の傷を負っていることを思えば、 さすがに警察に対してこれまでにない反発の声が挙がってもおかしくない。 それだけに、警察はこの記事に対し、いつも以上に過剰に反応をしたようだ。 2011年4月30日掲載。 寺澤有のホームページ「インシデンツ」 http://www.incidents.jp/profile.html 警察庁だけでなく法務省もやっていた 【政治】公安調査庁「被災地で過激派に勢力拡大の動き」と復興予算で乗用車を購入 http://www.logsoku.com/r/newsplus/1352424836/ 小さいころ、おっきな東大で大東大だと思ってた すっげと ■黙殺された野村総研の『テレビを消せばエアコンの1.7倍節電』報告 http://www.news-postseven.com/archives/20110810_28053.html 「こまめに電灯を消そう」「エアコンの設定温度を28度に」 テレビのワイドショーでは、様々な節電方法が連日紹介されている。その一方で、黙殺され続けている 「一番効果的な節電方法」がある。それはズバリ「テレビを消すこと」だ。 興味深いデータがある。野村総合研究所が4月15日に発表した『家庭における節電対策の推進』なるレポート。 注目したいのは「主な節電対策を講じた場合の1軒あたりの期待節電量」という試算だ。 これによれば、エアコン1台を止めることで期待できる節電効果(1時間あたりの消費電力)は130ワット。 一方、液晶テレビを1台消すと220ワットとなる。単純に比較しても、テレビを消す節電効果は、エアコンの約1.7倍にもなるということだ。 この夏、エアコンを使わずに熱中症で亡くなる人が続出しているにもかかわらず 「テレビを消す」という選択肢を国民に知らせないテレビ局は社会の公器といえるのか。 自分たちにとって「不都合な真実」を隠しつつ、今日もテレビはつまらない番組を垂れ流し続けている。 ■新聞購読を止めてみる?年間約5万円の節約に なんとなくダラダラと購読し続けてしまう新聞・・・テレビ欄やスポーツ欄くらいは見るし、近くのお店の チラシは入っているし、たまには興味のある特集記事が掲載されていたり・・・ 「契約の更新のときも、なんとなくサインしてしまっていませんか?」 メジャーな全国紙を朝刊・夕刊のセットで購読すると「月額約4,000円、年間で5万円近い出費」となります。 また、毎日出る読み終わった新聞をまとめて捨てるのも意外と小さな手間に。さあ、思い切って新聞購読を止めてみませんか? 「浮いたお金と時間を、より有効的に活用」することで、人生が変わるかもしれません。 そりゃ、時間をお金に換算できない人の考え方 ネットする時間を有意義に使うのが勝者 ネットに費やしたお金を時間に換算したら、取り返しのつかないことになってるよな 子供の頃に家庭が新聞を購読していたかどうかは、子供の将来に大きく影響するからな au氏名公表問題ガソリン雪大阪ハワイイラクシリアTBCナンパ渋谷団塊怪獣視察忠告SIM無料サービス結婚はがきドラパーティーしょうゆトンコツ評価点酒ディレクター戦争光金パスニューヨーク森林火災マックスさむらい有料鉄工所中新華かん水ガンダムラーメン au氏名公表問題ガソリン雪大阪ハワイイラクシリアTBCナンパ渋谷団塊怪獣視察忠告SIM無料サービス結婚はがきドラパーティーしょうゆトンコツ評価点酒ディレクター戦争光金パスニューヨーク森林火災マックスさむらい有料鉄工所中新華かん水ガンダムラーメン au氏名公表問題ガソリン雪大阪ハワイイラクシリアTBCナンパ渋谷団塊怪獣視察忠告SIM無料サービス結婚はがきドラパーティーしょうゆトンコツ評価点酒ディレクター戦争光金パスニューヨーク森林火災マックスさむらい有料鉄工所中新華かん水ガンダムラーメン 速報カサ商品回収不返却問題スタミナ不足社員ヤーフォー東電ディーラー写真誌高額オイルシャンプーアメリカ大好きTBS駐車近代良心フジ道路公団フジ低原価アニメ野球ビール代甲子園アイフォンマナー高野連承認お台場ラーメン ☆下取り問題加工タイヤミステリー国会保険王「わー!うう」↓★↓★↓★↓宿題カウントダウン英検bディレクタービールうまい八王子テレビカスタマー神教デズネー別荘ロケットPC窃盗団野球ビール月曜テキサス幹事長 【完成版】河合塾大東亜帝国レベル偏差値一覧(全部非BFランク大学。医歯薬獣医学部、宗教系、芸術系、体育系除く) 立正:心理50.0、経営47.5、経済47.5、文47.5、地球40.0、社会福祉42.5、法45.0=45.7 神奈川大:外国語45.0、法45.0、経済45.0、経営42.5、理47.5、工40.0、人間47.5=44.6 亜細亜:経営47.5、経済40.0、法42.5、国際関係47.5=44.4 大正:文45.0、表現45.0、人間40.0=43.3 桜美林:リベラルアーツ42.5、ビジネス42.5、健康42.5、芸術42.5(実技系除く)=42.5 国士舘:政経52.5、理工37.5、法律40.0、文42.5、21世紀アジア37.5、経営45.0=42.5 東海:国際文化37.5、生物45.0、情報通信40.0、文42.5、観光47.5、政治経済45.0、法律40.0 教養42.5(芸術系は省略)、理42.5、情報理工40.0、工37.5、健康47.5、海洋40.0 経営37.5、基盤工35.0、農45.0 =41.7 関東学院:国際文化37.5、社会40.0、法35.0、経済35.0、建築40.0、栄養47.5、看護45.0、理工40.0、教育42.5=40.2 帝京:経済35.0、法律35.0、文45.0、外国語35.0、教育50.0、理工35.0、医療技術45.0、福岡医療40.0=40.0 -----------------------(40.0未満。「大東亜帝国」から実質転落)--------------------- 明星:理工37.5、人文40.0、教育50.0、経済40.0、経営40.0、情報35.0、デザイン35.0=39.6 ★大東文化:文学部40.0、外国語37.5、経済40.0、経営40.0、法37.5、国際37.5、環境35.0、健康42.5 =38.8 拓殖:商37.5、政経35.0、外国語40.0、国際45.0、工35.0=38.5 >>363 抜かれてるどころか明星レベルです 【完成版】河合塾大東亜帝国レベル偏差値一覧(全部非BFランク大学。医歯薬獣医学部、宗教系、芸術系、体育系除く) 立正:心理50.0、経営47.5、経済47.5、文47.5、地球40.0、社会福祉42.5、法45.0=45.7 神奈川大:外国語45.0、法45.0、経済45.0、経営42.5、理47.5、工40.0、人間47.5=44.6 亜細亜:経営47.5、経済40.0、法42.5、国際関係47.5=44.4 大正:文45.0、表現45.0、人間40.0=43.3 桜美林:リベラルアーツ42.5、ビジネス42.5、健康42.5、芸術42.5(実技系除く)=42.5 国士舘:政経52.5、理工37.5、法律40.0、文42.5、21世紀アジア37.5、経営45.0=42.5 ★東京経済大:コミュ42.5、法40.0、経済42.5、経営42.5=41.9 東海:国際文化37.5、生物45.0、情報通信40.0、文42.5、観光47.5、政治経済45.0、法律40.0 教養42.5(芸術系は省略)、理42.5、情報理工40.0、工37.5、健康45.0、海洋40.0 経営37.5、基盤工35.0、農45.0 =41.4 関東学院:国際文化37.5、社会40.0、法35.0、経済35.0、建築40.0、栄養47.5、看護45.0、理工40.0、教育42.5=40.2 帝京:経済35.0、法律35.0、文45.0、外国語35.0、教育50.0、理工35.0、医療技術45.0、福岡医療40.0=40.0 -----------------------(40.0未満。「大東亜帝国」から実質転落)--------------------- 明星:理工37.5、人文40.0、教育50.0、経済40.0、経営40.0、情報35.0、デザイン35.0=39.6 ☆大東文化:文学部40.0、外国語37.5、経済40.0、経営40.0、法37.5、国際37.5、環境35.0、健康42.5 =38.8 拓殖:商37.5、政経35.0、外国語40.0、国際45.0、工35.0=38.5 東京経済大が抜けてました。訂正いたします。 オレオレ伊ロマ鷺取りファッショニスタパスポートチェックベンチャー依存症違法企業主生存率ロスドバイべネエズラインドウェア低ニーズテレビ編集者冷や飯南京上場バカハードメーカー駐車近代とんこつラーメン低原価GTM860MIGZO オレオレ伊ロマ鷺取りファッショニスタパスポートチェックベンチャー依存症違法企業主生存率ロスドバイべネエズラインドウェア低ニーズテレビ編集者冷や飯南京上場バカハードメーカー駐車近代とんこつラーメン オレオレ伊ロマ鷺取りファッショニスタパスポートチェックベンチャー依存症違法企業主生存率ロスドバイべネエズラインドウェア低ニーズテレビ編集者冷や飯南京上場バカハードメーカー駐車近代とんこつラーメン 修学旅行者強制送還mlb歯鼻科賞金猪木仕掛人ラボセコム福岡エコノミー解体車業しお焼のり反日輸出車駐車禁止管理代パスポート控えJCB猪木ふなぶっしゅ栄螺3mlbドララーメン カンヌ剤チャイニーズディスカバリー確定損保wardegaぐつぐつ上海敵地危険運転審判利権ヤーフォーレポート優待株主大陸横断秘密地下トンネル☆↓☆鈍足エアライン郵政省韓電池社長証券ディレクター大学福助スポクラオーナー息子 http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20141016-00000874-fnn-soci 警察によると、日本文化大2年の沼田雄介容疑者(20)は、15日午後10時すぎ、 入間市豊岡の路上で、近くに住む大東文化大3年の佐藤静香さん(21)の胸や 背中などを刃物で刺し、殺害した疑いが持たれている。 大東亜帝国に明星・拓殖あたりは全部合併してマンモス大学になればいいよ。 入間女子大生殺害 被害者と3人で食事 7月ごろ知り合う http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141019-00000088-san-soci 埼玉県入間市の路上で、近くに住む大東文化大3年、佐藤静香さん(21)が刺殺 された事件で、殺人容疑で逮捕された同市の日本文化大2年、沼田雄介容疑者(20) が佐藤さんと事件前に食事をするなど面識があったことが18日、関係者への取材で分かった。 沼田容疑者は県警の調べに対し、佐藤さんについて「近くのコンビニ店員で、顔は知っている」と説明。 県警は沼田容疑者が当初から佐藤さんを狙っていた疑いがあるとみて、「誰でもよかった」との供述の 信憑性について慎重に捜査を進める。 関係者によると、沼田容疑者は知人に「コンビニにかわいい子がいる」などと話しており、今年7月ごろに 佐藤さんと知り合った。約1カ月後には共通の知人とともに3人で食事をしたという。 佐藤さんはこの頃、「バイト帰りにつけられているかもしれない」と周囲に相談していた。 【ご参集ください】 2014年11月19日 秘密保護法違憲訴訟 第3回口頭弁論 東京地裁 第103号法廷 大学生が中心に500人ぐらいが秘密保護法反対のデモをしています。 世の中の大人も、もう少し頑張らないとです。 https://twitter.com/Yu_TERASAWA/status/525919168550297600 寺澤 有 (てらさわ ゆう) http://www.incidents.jp/profile.html 経歴等 1967年2月9日、東京生まれ。大学在学中の1989年からジャーナリストとして、警察や検察、裁判所、弁護士会、 会計検査院、防衛省、記者クラブ、大企業などの聖域となりがちな組織の腐敗を追及しはじめる。 過去2回、平沢勝栄・衆議院議員(元警察庁キャリア)と消費者金融大手・武富士から名誉毀損で提訴されるが (損害賠償請求金額は、前者が1780万円、後者が2億円)、どちらも勝利。 2009年公開の映画『ポチの告白』(高橋玄監督)では、原案協力者とスーパーバイザーを務め、特別出演(裁判所職員役)も果たした。 【映画】ポチの告白 (予告編) https://www.youtube.com/watch?v=tsFy_BzAzok 【映画】ポチの告白 (本編) 3時間13分 https://www.youtube.com/watch?v=JqXnda1ZKGU 寺澤有さんが、国境なき記者団により『世界のヒーロー100人』に選ばれ、日本外国特派員協会で記者会見をしました。 http://www.youtube.com/watch?v=7dS0AiFUAW8 留置場での強姦事件も「テロ防止」で秘密指定(寺澤有氏) http://www.youtube.com/watch?v=kum18nIVlw0 ジャーナリスト寺澤有、車を破壊される https://twitter.com/Yu_TERASAWA/status/367568128508579840 寺澤有 ?@Yu_TERASAWA クルマに危害を加えられることがたまにあるので、新車を買う気が起きないんです。 大学群一覧 旧帝大 北海道大、東北大、東京大、名古屋大、京都大、大阪大、九州大 早慶上理 早稲田大、慶應義塾大、上智大、東京理科大 金岡千広 金沢大、岡山大、千葉大、広島大 MARCH 明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大 関関同立 関西大、関西学院大、同志社大、立命館大 5S 埼玉大、新潟大、静岡大、信州大、滋賀大 成成獨國武明学 成城大、成蹊大、獨協大、國學院大、武蔵大、明治学院大 STARS 島根大、鳥取大、秋田大、琉球大、佐賀大 日東駒専 日本大、東洋大、駒澤大、専修大 産近甲龍 京都産業大、近畿大、甲南大、龍谷大 愛愛名中 愛知大、愛知学院大、名城大、中京大 西福 西南学院大、福岡大 SSK 椙山女学園大、愛知淑徳大、金城学院大 東京4理工 芝浦工業大、東京電機大、東京都市大、工学院大 外外経工佛 京都外国語大、関西外国語大、大阪経済大、大阪工業大、佛教大 大東亜帝国 大東文化大、東海大、亜細亜大、帝京大、国士舘大 摂神追桃 摂南大、神戸学院大、追手門学院大、桃山学院大 名名中日 名古屋学院大、名古屋学芸大、中部大、日本福祉大 関東上流江戸桜 関東学園大、上武大、流通経済大、江戸川大、桜美林大 中東和平成立 中央学院大、東京国際大、和光大、平成国際大、立正大 神姫流兵 神戸国際大、姫路獨協大、流通科学大、兵庫大 >>378 文系偏差値ランキング(河合塾) http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html ○3教科入試校 國學院大:経営57.5 経済57.5 法律57.5 専修大学:経営47.5 経済47.5 法律47.5 神奈川大:政経45.0 経済45.0 法律45.0 東海大学:経営47.5 経済45.0 法律40.0 大東文化:経営42.5 経済40.0 法律40.0 明星大学:経営40.0 経済40.0 教育52.5 関東学院:経営37.5 経済40.0 法律35.0 ●2〜1教科入試校 国士舘大:政経52.5 経済47.5 法律45.0 亜細亜大:経営45.0 経済40.0 法律37.5 ★笑 拓殖大学:商学40.0 経済40.0 法律40.0 帝京大学:経営35.0 経済37.5 法律37.5 偏差値は正しく正確に。 もっともっと地元と密着した活動があっても良いよね。 特に東松山市の活性化に。 http://www.daito.ac.jp/file/block_33554_01.pdf 大学学生定員充足率〔平成26年度〕 平成26年5月1日現在 入学定員充足率 中国学科0.80 中国語学科0.77 「危ない大学・消える大学 2016」島野清志著 2014年難易度・総定員充足率による私立大学分類 (P84〜P95より主要大学のみ抜粋) 【SAグループ】私学四天王 慶應義塾・国際基督教・上智・早稲田 【A1グループ】一流私大 青山学院・学習院・中央・東京理科・明治・法政・立教・南山・同志社・立命館・関西・関西学院 【A2グループ】一流私大 獨協・國學院・芝浦工業・成城・成蹊・武蔵・明治学院・西南学院・立命館アジア太平洋 【Bグループ】準一流私大 駒澤・専修・東洋・日本・東京農業・武蔵野・愛知・愛知淑徳・中京・佛教・龍谷・近畿・甲南 【Cグループ】中堅私大の上位 北海学園・東北学院・文教・玉川・東京経済・東京電機・東京都市・立正・神奈川・金沢工業 ・愛知学院・愛知工業・名城・京都産業・大阪経済・摂南・広島修道・松山・福岡 【Dグループ】中堅私大 北星学園・千葉工業・亜細亜・桜美林・国士舘・工学院・大正・拓殖・東海・東京工科 ・二松学舎・金沢星稜・岐阜聖徳学園・中部・大阪工業・神戸学院・就実・美作・久留米 【Eグループ】大衆私大 できればこのクラスまでに入ってもらいたい 北海商科・白鴎・中央学院・城西・西武文理・駿河台・東京国際・帝京・淑徳・★大東文化 ・文京学院・明星・和光・関東学院・山梨学院・常葉・名古屋学院・大同・大谷・桃山学院 ・追手門学院・四天王寺・大阪商業・阪南・岡山理科・広島国際・広島工業・広島経済 ・九州産業・福岡工業・熊本学園・沖縄国際 ※ 本書を参考にする受験生にはこのグループ以上の大学に入ることを切に願っている。 大東文化、帝京、明星、和光、関東学院、追手門学院など相応な知名度がある、 認知されている大学が含まれるのはこのクラスまでである。 文系偏差値ランキング(河合塾) http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html ●3教科以上入試方式<法・経済・経営>(順不同・学科含む) 日本大学 :法律55.0 経済50.0 経営50.0 東洋大学 :法律52.0 経済52.0 経営52.0 専修大学 :法律47.5 経済50.0 経営50.0 駒澤大学 :法律47.5 経済50.0 経営50.0 獨協大学 :法律47.5 経済47.5 経営50.0 武蔵野大学 :法律45.0 経済47.5 経営47.5 神奈川大学 :法律45.0 経済45.0 経営45.0 東京経済大学:現法45.0 経済45.0 経営45.0 立正大学 :法律47.5 経済47.5 経営47.5 拓殖大学 :政経40.0 経済40.0 経営45.0 東海大学 :法律35.0 政経45.0 経営35.0 大東文化大学:法律40.0 経済40.0 経営40.0 関東学院大学:法律35.0 経済37.5 経営35.0 帝京大学 :法律35.0 経済35.0 経営35.0 文系偏差値ランキング(河合塾) http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html ●3教科以上入試方式 <法・経済・経営>(順不同・学科含む) 日本大学 :法律55.0 経済50.0 経営50.0 東洋大学 :法律52.0 経済52.0 経営52.0 専修大学 :法律47.5 経済50.0 経営50.0 駒澤大学 :法律47.5 経済50.0 経営50.0 獨協大学 :法律47.5 経済47.5 経営50.0 武蔵野大学 :法律45.0 経済47.5 経営47.5 神奈川大学 :法律45.0 経済45.0 経営45.0 東京経済大学:現法45.0 経済45.0 経営45.0 立正大学 :法律47.5 経済47.5 経営47.5 拓殖大学 :政経40.0 経済40.0 経営45.0 大東文化大学:法律40.0 経済40.0 経営40.0 東海大学 :法律35.0 政経45.0 経営35.0 関東学院大学:法律35.0 経済37.5 経営35.0 帝京大学 :法律35.0 経済35.0 経営35.0 TBSテレビ60周年特別企画・日曜劇場「天皇の料理番」(日曜後9・00)の エンドロールに大東文化大学があった。番組制作に協力しているようだ。 【完全版:6/26】河合塾偏差値大東亜帝国レベル2016(医歯薬獣医学部・宗教系・体育系・芸術系除く) 玉川:文47.5、教育52.5、工37.5、農50.0、芸術40.0(実技含まずのみ)、リベラル47.5=45.8 文教:文45.0(中国語BF)、教育52.5、国際42.5、経営40.0、栄養50.0、情報42.5、人間45.0=45.3 立正:文45.0、心理50.0、福祉37.5、法47.5、経済47.5、経営47.5、地球40.0=45.0 神奈川:外国語45.0、法42.5、経済45.0、★経営45.0、理47.5、工42.5、人間47.5=45.0(↑) 東京経済:コミュ42.5、現代法45.0、経済45.0、経営45.0=44.3 ----------------------------(大東亜国)--------------------------- 国士館:文45.0、アジア37.5、法40.0、政経50.0、★経営42.5、理工40.0=42.5 (↑) 産業能率:★経営45.0、情報40.0=42.5(↑) 拓植:外国語42.5、国際45.0、政経40.0、★商45.0、工37.5=42.0(↑) 桜美林:芸術45.0(※実技含まず)、健康42.5、★ビジネス37.5(フライト含まず)、★リベラル42.5=41.8 (→) 東海:文42.5、教養37.5、観光47.5、国際37.5、法35.0、政経42.5、経営37.5、 ------理42.5、工40.0(航空宇宙含まず)、情報理工40.0、情報通信42.5、基盤工37.5、 農45.0、生物42.5、海洋50.0、健康45.0=41.6 亜細亜:国際42.5、法35.0、経済42.5、経営45.0=41.3 関東学院:教育45.0、国際37.5、社会42.5、法35.0、経済37.5、建築40.0、理工40.0、看護45.0、栄養47.5、人間40.0=41.0 明星:教育50.0、人文42.5、経済40.0、経営40.0、理工37.5、デザイン37.5、情報35.0=39.6 大東:文40.0、外国語40.0、国際関係37.5、法40.0、経済40.0、経営40.0、環境35.0、★健康42.5(スポーツ含まず)=39.3(↑) ---------------------------------(帝東淑白)---------------------------- 淑徳大:人文42.5、教育37.5、福祉37.5、経営35.0、看護栄養40.0=38.5 帝京:文35.0、教育45.0、外国語35.0、法35.0、理工35.0、医療42.5、福岡医療40.0=38.2 白鴎:教育40.0、法35.0、経営35.0=36.6(帝京との差、1.6) 東京国際:言語40.0、経済35.0、商35.0、国際関係35.0、人間35.0=36.0 流通経済:社会35.0、法37.5、経済35.0、流通35.0=35.6 中央学院:法BF、商35.0=(33.8) 「危ない大学・消える大学 2016」島野清志著 2014年難易度・総定員充足率による私立大学分類 (P84〜P95より主要大学のみ抜粋) 【SAグループ】私学四天王 慶應義塾・国際基督教・上智・早稲田 【A1グループ】一流私大 青山学院・学習院・中央・東京理科・明治・法政・立教・南山・同志社・立命館・関西・関西学院 【A2グループ】一流私大 獨協・國學院・芝浦工業・成城・成蹊・武蔵・明治学院・西南学院・立命館アジア太平洋 【Bグループ】準一流私大 駒澤・専修・東洋・日本・東京農業・武蔵野・愛知・愛知淑徳・中京・佛教・龍谷・近畿・甲南 【Cグループ】中堅私大の上位 北海学園・東北学院・文教・玉川・東京経済・東京電機・東京都市・立正・神奈川・金沢工業 ・愛知学院・愛知工業・名城・京都産業・大阪経済・摂南・広島修道・松山・福岡 【Dグループ】中堅私大 北星学園・千葉工業・亜細亜・桜美林・国士舘・工学院・大正・拓殖・東海・東京工科 ・二松学舎・金沢星稜・岐阜聖徳学園・中部・大阪工業・神戸学院・就実・美作・久留米 【Eグループ】大衆私大 できればこのクラスまでに入ってもらいたい 北海商科・白鴎・中央学院・城西・西武文理・駿河台・東京国際・帝京・淑徳・大東文化 ・文京学院・明星・和光・関東学院・山梨学院・常葉・名古屋学院・大同・大谷・桃山学院 ・追手門学院・四天王寺・大阪商業・阪南・岡山理科・広島国際・広島工業・広島経済 ・九州産業・福岡工業・熊本学園・沖縄国際 河合塾偏差値ランキング(文系主要学科) http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html ○3教科入試校 東洋大学:経済52.5 経営52.5 法律50.0 日本大学:経済50.0 経営50.0 法律55.0 駒沢大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5 専修大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5 神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0 東海大学:経済42.5 経営45.0 法律35.0 大東文化:経済40.0 経営42.5 法律40.0 明星大学:経済40.0 経営40.0 教育50.0 関東学院:経済40.0 経営37.5 法律35.0 ●2〜1教科入試校 国士舘大:経済47.5 経営42.5 法律40.0 亜細亜大:経済45.0 経営45.0 法律40.0 拓殖大学:経済45.0 経営45.0 法律40.0 帝京大学:経済35.0 経営35.0 法律35.0 >>389 >>395 ------------------------------------------------------------------------------ 大東文化大より偏差値が上とされる下記の大学が、企業人の評価で大東文化大以下 なのはへんくない? 【A2グループ】一流私大 國學院・成城・武蔵・西南学院・立命館アジア太平洋 【Bグループ】準一流私大 武蔵野・佛教 【Cグループ】中堅私大の上位 北海学園・東北学院・文教・玉川・東京経済・金沢工業・愛知学院・名城・ 大阪経済・摂南・広島修道・松山 【Dグループ】中堅私大 北星学園・亜細亜・桜美林・大正・二松学舎・金沢星稜・岐阜聖徳学園 ・神戸学院 ------------------------------------------------------------------------- 大東文化大の企業評価は下記のように100位だが、ランクインしている私大の 多くが医学系や工学系、理科系学部を有する大学だから、文系総合の大東文化大が 『価値ある大学2016年版』日本経済新聞社(2015年6月)にランクインしているのは、 特記すべきだ。企業人から高く評価されているということだろう。 企業人の大学評価は、偏差値なんかでないということのようだ。 --------------------------------------------------------------------- 【企業の人事担当者から見た大学のイメージ調査】 〔総合ランキング〕順位 日経HR『価値ある大学2016年版』日本経済新聞社(2015年6月)より ●:国立大学、▲:公立大学、○私立大学 1:●京都、2:●筑波、3:●東京、4:●東京外国語、5:○早稲田、6:●大阪、7:●東京工業、8:●神戸・●北海道、10:○慶應義塾、 11:●東京農工、12:○上智、13:●長岡技術科学、14:●京都工芸繊維、15:▲兵庫県立、16:●信州、17○同志社、18:○立命館、19:▲大阪市立・○関西外国語、 21:●横浜国立、22:○明治、23:●九州、24:○青山学院、25:●東北、26:●名古屋、27:●長崎、28:▲首都東京・▲大阪府立、30:○関西、 31:○学習院、32:●佐賀、33:●一橋、34:○東京理科、35:▲北九州市立、36:●千葉、37:○龍谷、38:●愛媛、39:○関西学院、40:○愛知・●広島、 42:○中央、43:○明治学院、44:○立教、45:○獨協、46:○金沢工業・●九州工業、48:●名古屋工業、49:●茨城、50:○東京電機、 51:●埼玉・○日本工業、53:○法政、54:●山形、55:●岩手、56:○甲南、57:○東京都市、58:○成蹊、59:●熊本、60:○芝浦工業、 61:○大阪工業、62:○帝京・●徳島、64:●静岡、65:●富山、66:○近畿、67:○国士舘、68:○京都産業、69:●岡山、70:●三重、 71:○東京農業、72:●山口、73:○日本・○名城、75:○駒澤・○愛知淑徳、77:○中京・●岐阜、79:○関東学院、80:●新潟、 81:○東海、※82:○東洋、83:●金沢、84:○工学院、85:●福井、86:○愛知工業、87:○神奈川、88:○専修、89:○南山、90:○福岡工業、 91:○拓殖、92:●鹿児島、93:○千葉工業、94:○中部、95:○東北学院、96:○立正、97:○福岡、98:○九州産業、99:○広島工業、100:○大東文化 一般入試による入学率 ★東洋大学 75% ★芝浦工業大学 70% ============== ★駒澤大学 63% ★帝京大学(八王子文系) 59% ★専修大学 58% ★東京電機大学 56% ★大東文化大学 55% ★東京農業大学 55% ★拓殖大学 54% ★神奈川大学 54% ==============以下実質アホの集団(偏差値操作大学含む) 京都女子大学 49% 同志社女子大学 49% ★創価大学 48% ★神田外語大学 48% ★亜細亜大学 47% ★立正大学 46% ★玉川大学 45% ★千葉工業大学 45% ==以下大学じゃねえよバカ== ★桃山学院大学 37% ★桜美林大学 30% ↓推薦入学組が多い 比率非公開大学は省略 日本大学 推薦率非公開 国士舘大学 推薦率非公開 東京都市大学 推薦率非公開 一般入試合格者率50%以上のまともな大学(「大学ランキング2015」朝日新聞社) 01位 東京理科81.1% 02位 東洋大学77.1% 03位 南山大学73.8% 04位 西南学院72.4% 05位 明治大学71.4% 06位 青山学院67.0% 07位 獨協大学67.0% 08位 立教大学66.8% 09位 上智大学64.2% 10位 法政大学63.7% 10位 福岡大学63.7% 12位 甲南大学63.1% 13位 明治学院62.7% 14位 駒澤大学61.9% 15位 学習院大61.7% 16位 立命館大60.9% 17位 同志社大60.8% 18位 早稲田大60.7% 19位 専修大学60.4% 20位 慶應義塾59.7% 21位 帝京大学58.3% 22位 名城大学58.1% 24位 中央大学57.6% 24位 愛知大学57.6% 27位 東京農業54.8% 29位 國學院大54.4% 30位 大東文化53.6% 31位 神奈川大52.9% 32位 関西大学52.2% 34位 中京大学52.0% 35位 明星大学50.6% 河合塾偏差値ランキング(文系主要学科) http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html ○3教科入試校 東洋大学:経済52.5 経営52.5 法律50.0 日本大学:経済50.0 経営50.0 法律55.0 駒沢大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5 専修大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5 神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0 東海大学:経済42.5 経営45.0 法律35.0 大東文化:経済40.0 経営42.5 法律40.0 明星大学:経済40.0 経営40.0 教育50.0 関東学院:経済40.0 経営37.5 法律35.0 ●2〜1教科入試校 国士舘大:経済47.5 経営42.5 法律40.0 亜細亜大:経済45.0 経営45.0 法律40.0 拓殖大学:経済45.0 経営45.0 法律40.0 帝京大学:経済35.0 経営35.0 法律35.0 被害者は大東文化大学 加害者は日本文化大学 ★「自分の人生をリセットするため刑務所に行こうと思った」…女子大学生を殺害した罪などに問われている男の初公判 去年、埼玉県入間市の路上で、女子大学生をナイフで刺し、殺害した罪などに問われている男の初公判が28日に開かれ、 男は動機について「自分の人生をリセットするため刑務所に行こうと思った」と話した。 起訴状によると、沼田雄介被告(21)は、去年10月、入間市の路上で、 大学生の佐藤静香さん(当時21)をナイフで何度も刺して殺害した罪などに問われていて、28日の初公判で起訴内容を認めた。 検察側は、冒頭陳述で、「面識のない被害者をメッタ刺しにして殺害した」と指摘した上で、 「大学の留年が確実になるなどの現実から逃れるため他人を殺害した動機は身勝手で強い非難に値する」と主張した。 沼田被告はその後の被告人質問で、高校も大学も勉強についていけず、 「同じことを繰り返す自分が情けない」と感じ、夜も眠れなくなったとした上で、 「自分の人生をリセットするため誰かを殺して刑務所に行こうと思った」と犯行の動機を話した。 http://www.news24.jp/articles/2015/09/28/07310805.html 【企業の人事担当者から見た大学のイメージ調査】〔総合ランキング〕順位 日経HR『価値ある大学2016年版』日本経済新聞社(2015年6月)より ●:国立大学、▲:公立大学、○私立大学 1:●京都、2:●筑波、3:●東京、4:●東京外国語、5:○早稲田、6:●大阪、7:●東京工業、8:●神戸・●北海道、10:○慶應義塾、 11:●東京農工、12:○上智、13:●長岡技術科学、14:●京都工芸繊維、15:▲兵庫県立、16:●信州、17○同志社、18:○立命館、19:▲大阪市立・○関西外国語、 21:●横浜国立、22:○明治、23:●九州、24:○青山学院、25:●東北、26:●名古屋、27:●長崎、28:▲首都東京・▲大阪府立、30:○関西、 31:○学習院、32:●佐賀、33:●一橋、34:○東京理科、35:▲北九州市立、36:●千葉、37:○龍谷、38:●愛媛、39:○関西学院、40:○愛知・●広島、 42:○中央、43:○明治学院、44:○立教、45:○獨協、46:○金沢工業・●九州工業、48:●名古屋工業、49:●茨城、50:○東京電機、 51:●埼玉・○日本工業、53:○法政、54:●山形、55:●岩手、56:○甲南、57:○東京都市、58:○成蹊、59:●熊本、60:○芝浦工業、 61:○大阪工業、62:○帝京・●徳島、64:●静岡、65:●富山、66:○近畿、67:○国士舘、68:○京都産業、69:●岡山、70:●三重、 71:○東京農業、72:●山口、73:○日本・○名城、75:○駒澤・○愛知淑徳、77:○中京・●岐阜、79:○関東学院、80:●新潟、 81:○東海、※82:○東洋、83:●金沢、84:○工学院、85:●福井、86:○愛知工業、87:○神奈川、88:○専修、89:○南山、90:○福岡工業、 91:○拓殖、92:●鹿児島、93:○千葉工業、94:○中部、95:○東北学院、96:○立正、97:○福岡、98:○九州産業、99:○広島工業、100:○大東文化 企業人による大東文化大の評価は100位。ランクインする私大のほとんどが医学、工学、理科系学部を有する大学だから、文系だけの大東文化 が『価値ある大学2016年版』にランクインするのはお見事。成城、國學院、武蔵、亜細亜などはランクインしてないからね。 埼玉・入間女子大生殺害 沼田被告に無期懲役判決 http://www.sankei.com/affairs/news/151007/afr1510070017-n1.html 埼玉県入間市で昨年10月、同市の大東文化大3年、佐藤静香さん=当時(21)=が刺殺された事件で、 殺人罪などに問われた同市の無職、沼田雄介被告(21)の裁判員裁判判決公判が7日、 さいたま地裁で開かれ、片山隆夫裁判長は求刑通り無期懲役を言い渡した。 判決で片山裁判長は、沼田被告が犯行理由を「人生をリセットしたかった」などと述べたことについて 「身勝手で生命軽視が甚だしい」と指弾した。 起訴状によると、沼田被告は昨年10月15日、自宅近くで佐藤さんの背中や胸などをコンバットナイフ (刃渡り約18センチ)で30回以上刺し、殺害したとしている。 佐藤静香さん(当時21) http://livedoor.4.blogimg.jp/akb48matomemory/imgs/c/8/c8751470-s.jpg 沼田雄介被告(21) http://geinouhaishinn.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_b4c/geinouhaishinn/E6B2BCE794B0E99B84E4BB8BEFBC92.jpg 被害者=大東文化大学。加害者=日本文化大学 何かというとすぐに偏差値を持ち出して大学語る人が多いけれど、そういう人 は拠り所にしている予備校やネット上の偏差値表がデーターとして客観性に欠 けることを知らずに語っているようだ。 予備校の偏差値表などは一般入試合格者と学力試験を課さない推薦合格者との 入学者率を算出の基準に入れてないから、まともな偏差値と操作された偏差値 とがごちゃ混ぜになってて信憑性に乏しいことを知るべきだ。 つまり、推薦合格者を多く出して一般合格者を絞れば当然のことだが偏差値が 上がるわけで、そうした大学が極めて多い実態を知らなさすぎるようだ。 一般入試入学者率を50%以上確保しているまともな大学は、次の35大学に過ぎ ないことをご存じかな。 一般入試合格者率50%以上のまともな大学(「大学ランキング2015」朝日新聞社) 01位 東京理科81.1% 02位 東洋大学77.1% 03位 南山大学73.8% 04位 西南学院72.4% 05位 明治大学71.4% 06位 青山学院67.0% 07位 獨協大学67.0% 08位 立教大学66.8% 09位 上智大学64.2% 10位 法政大学63.7% 10位 福岡大学63.7% 12位 甲南大学63.1% 13位 明治学院62.7% 14位 駒澤大学61.9% 15位 学習院大61.7% 16位 立命館大60.9% 17位 同志社大60.8% 18位 早稲田大60.7% 19位 専修大学60.4% 20位 慶應義塾59.7% 21位 帝京大学58.3% 22位 名城大学58.1% 24位 中央大学57.6% 24位 愛知大学57.6% 27位 東京農業54.8% 29位 國學院大54.4% 30位 大東文化53.6% 31位 神奈川大52.9% 32位 関西大学52.2% 34位 中京大学52.0% 35位 明星大学50.6% 今から日テレで大原櫻子と大東文化大福内櫻子のW櫻子コラボ番組放送される。 10:30 ツイセキGoing! 【企業の人事担当者から見た大学のイメージ調査】〔総合ランキング〕順位 日経HR『価値ある大学2016年版』日本経済新聞社(2015年6月)より ●:国立大学、▲:公立大学、○私立大学 1:●京都、2:●筑波、3:●東京、4:●東京外国語、5:○早稲田、6:●大阪、7:●東京工業、8:●神戸・●北海道、10:○慶應義塾、 11:●東京農工、12:○上智、13:●長岡技術科学、14:●京都工芸繊維、15:▲兵庫県立、16:●信州、17○同志社、18:○立命館、19:▲大阪市立・○関西外国語、 21:●横浜国立、22:○明治、23:●九州、24:○青山学院、25:●東北、26:●名古屋、27:●長崎、28:▲首都東京・▲大阪府立、30:○関西、 31:○学習院、32:●佐賀、33:●一橋、34:○東京理科、35:▲北九州市立、36:●千葉、37:○龍谷、38:●愛媛、39:○関西学院、40:○愛知・●広島、 42:○中央、43:○明治学院、44:○立教、45:○獨協、46:○金沢工業・●九州工業、48:●名古屋工業、49:●茨城、50:○東京電機、 51:●埼玉・○日本工業、53:○法政、54:●山形、55:●岩手、56:○甲南、57:○東京都市、58:○成蹊、59:●熊本、60:○芝浦工業、 61:○大阪工業、62:○帝京・●徳島、64:●静岡、65:●富山、66:○近畿、67:○国士舘、68:○京都産業、69:●岡山、70:●三重、 71:○東京農業、72:●山口、73:○日本・○名城、75:○駒澤・○愛知淑徳、77:○中京・●岐阜、79:○関東学院、80:●新潟、 81:○東海、※82:○東洋、83:●金沢、84:○工学院、85:●福井、86:○愛知工業、87:○神奈川、88:○専修、89:○南山、90:○福岡工業、 91:○拓殖、92:●鹿児島、93:○千葉工業、94:○中部、95:○東北学院、96:○立正、97:○福岡、98:○九州産業、99:○広島工業、100:○大東文化 企業人による大東文化大の評価は100位。ランクインする私大のほとんどが医学、工学、理科系学部を有する大学だから、文系だけの大東文化 が『価値ある大学2016年版』にランクインするのはお見事。成城、國學院、武蔵、亜細亜などはランクインしてないからね。 ┏━━━┓ ┏━━┓ ┃早稲田―意識→慶應┃ ┗↑━━┛ ┗↑━╋━━┓ ┏━━┓┌――――┐ 嫉妬 . 邪魔┨上智┃←┐ ┌→ ICU┃│中央(法)│ ┏┷━┓ ┏━━┓┗↑━┛嫉妬 嫉妬┗━━┛└──┬─┴┐ ┌──┐ ┃明治→激戦←立教┠―邪魔 │ │ ┌────→SFC←別世界.→所沢│ ┗┯━╋━━╋━↑┛ ┏┷━┷┓ │ . └──┘ └──┘ 優越感┃青学┠邪魔 ┌憧れ→学習院← 別世界 ┏↓━╋━━┛ ┏┷━┓┗━━━╋━┷┓ ┃法政←――意識――┨成蹊┃←牽制―┨中央┃ ┌――――─――――─────┐ ┗↑━┛ ┏━━╋━↑┛ ┏━━╋━━┛ │獨協(外) 文教(教育) 理科経営│ 嫉妬―┐ ┃成城┠―追従─┨明学┃←粘着┐└──────────────┘ ┏┷━┓┗━━╋━━┓ ┗━━┛ ┏━┷━┓ ┃日本┃ . ┃武蔵┃ ┃國學院┃ ┏━━┓ ┏━━╋━━╋━━┓┗━━╋━━┓潜伏 ┗━━━┛ ┃獨協┃ 潜伏 ┃駒澤→敵視←東洋←―流出←専修┣━↓━┓潜伏 ┏┻━━╋━↓━━┓ UP ┗━━┛ ┗↑━┛┏━━╋━━┫神奈川┣↓━┓ ┃武蔵野┃東京経済┃ ┏ ↑ ┓ 諦め────┴固執┨東海┃ ┗━━━┫玉川┃ ┗━━━┻━━━━┛ ┃立正┃ ┏┷━┓ ┏━━━╋━━╋━━━┓ ┗┳━┻┓ ┏━━┓ ┗━━┛ ┃大東→仲間←国士舘→仲間←亜細亜←無関心→拓殖←無関心→麗澤┃┏━━┓ ↑ ┗━━┛ ┗┳━━┻━┓┗━↑━╋━━┓┗━━┛ ┗━━┛┃大正┠―意識 ┏━━━┓┌―┨関東学院┠――敵視┃帝京 諦めの空気 ━┳━━┳━┻┳━┻━┳━━┳━━┓ ┃桜美林←意識┗━━━━┛ ┗━━┫江戸川┃城西┃淑徳┃和光┃駿河台┃中学┃上武┃ ┗━━━┛ ┗━━━┻━━┻━━┻━━┻━━━┻━━┻━━┛ 【The Times Higher Education World University Rankings 2015-2016】 ※Times Higher Education World University Rankingsは イギリスの高等教育専門週刊誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』が 2004年から毎年秋に公表している世界の大学ランキングで、 2010年からは「トムソン・ロイター社」と共同でランキングを作っています。 学生情報機関IDPの調査で世界で一番広く用いられている大学ランキングに選ばれました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ http://www.tmd.ac.jp/kouhou/ranking/THE/index.html ※東京医科歯科大ホームページ https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2016/world-ranking#!/page/0/length/-1 日本時間2015/10/1 AM5:00発表 1位(43位) 東京 2位(88位) 京都 3位(201-250位) :東北、東京工業 5位(251-300位) 大阪 6位(301-350位) 名古屋 7位(401-500位) 北海道、九州、東京医科歯科、首都東京、筑波 12位(501-600位) 広島、金沢、○慶應義塾、大阪市立、東京農工 17位(601-800位): 千葉、愛媛、岐阜、○順天堂、○近畿、神戸、熊本、九州工業、 長崎、新潟、岡山、大阪府立、埼玉、信州、○昭和、○上智、○東海、徳島、東京海洋、 ○東京理科、鳥取、豊橋技術科学、○早稲田、横浜市立、横浜国立 {備考} ○私立大学 河合塾偏差値ランキング(文系主要学科) http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html ○3教科入試校 東洋大学:経済52.5 経営52.5 法律50.0 日本大学:経済50.0 経営50.0 法律55.0 駒沢大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5 専修大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5 立正大学:経済50.0 経営47.5 法律47.5 東京経済:経済45.0 経営45.0 現法45.0 神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0 東海大学:経済42.5 経営45.0 法律35.0 大東文化:経済40.0 経営42.5 法律40.0 明星大学:経済40.0 経営40.0 教育50.0 関東学院:経済40.0 経営37.5 法律35.0 ●2〜1教科入試校 国士舘大:経済47.5 経営42.5 法律40.0 亜細亜大:経済45.0 経営45.0 法律40.0 拓殖大学:経済45.0 経営45.0 法律40.0 帝京大学:経済35.0 経営35.0 法律35.0 o 。 ______o O 。 。 ° 。 ○ o ○ / ィ ○ o ○ o /ニニニ)⌒ヽ ぼくのメイ演CDをプレゼントするといえよう。 ゜ ○ ω□-□ω o o ( 皿 ) ) 。 o ○ 。 ○ /○ ○) /|,. o O o 。 o o ∠∠______∠_/ / ○ o .|/ |_/ ○ 。 o O 。 o O / ̄ ̄ ̄/ ̄ o 。 。 ノ / o O o o y y_ノ) y y__ノ) 。 o ○ o (゚皿゚ ) (゚皿゚ ) つ o ° o 。 。 o ∪-∪'"~ ∪-∪'"~ 。 。 o °o 。 __ _ 。 __ _ o o__ _ ° __ .|ロロ|/ \ ____..|ロロ|/ \ __ |ロロ| __. / \ _|田|_|ロロ|_| ロロ|_|田|.|ロロ|_| ロロ|_|田|.|ロロ|_|田|._| ロロ|_ 河合塾偏差値ランキング(文系主要学科) http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html ○3教科入試校 東洋大学:経済52.5 経営50.0 法律52.5 日本大学:経済50.0 経営50.0 法律55.0 駒沢大学:経済50.0 経営52.5 法律50.0 専修大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5 獨協大学:経済47.5 経営50.0 法律47.5 立正大学:経済50.0 経営47.5 法律47.5 武蔵野大:経済47.5 経営47.5 法律45.0 東京経済:経済45.0 経営45.0 現法45.0 神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0 拓殖大学:経済40.0 経営45.0 法律37.5 東海大学:経済40.0 経営45.0 法律35.0 大東文化:経済40.0 経営40.0 法律40.0 関東学院:経済37.5 経営35.0 法律35.0 帝京大学:経済37.5 経営35.0 法律35.0 河合塾偏差値ランキング(文系主要学科) http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html ○3教科入試校 東洋大学:経済52.5 経営52.5 法律50.0 日本大学:経済50.0 経営50.0 法律55.0 駒沢大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5 専修大学:経済50.0 経営50.0 法律47.5 立正大学:経済50.0 経営47.5 法律47.5 東京経済:経済45.0 経営45.0 現法45.0 神奈川大:経済45.0 経営45.0 法律45.0 東海大学:経済42.5 経営45.0 法律35.0 大東文化:経済40.0 経営42.5 法律40.0 明星大学:経済40.0 経営40.0 教育50.0 関東学院:経済40.0 経営37.5 法律35.0 ●2〜1教科入試校 国士舘大:経済47.5 経営42.5 法律40.0 亜細亜大:経済45.0 経営45.0 法律40.0 拓殖大学:経済45.0 経営45.0 法律40.0 帝京大学:経済35.0 経営35.0 法律35.0 大前研一が、税理士の集まりで 「海外で税務申告の仕事無くなったって内容」 を言った動画 くそ面白い お勧め 【大前研一】今後税理士はいらなくなってしまう?! https://www.youtube.com/watch?v=Hi-ZYEUkTaI サッカー日本代表日程ぷあたんしゅっちょう社長交代春文40代売上チョコレート https://www.youtube.com/watch?v=NDq1QoJY0nY 宇ドナルド サッカー日本代表日程古本屋まんびきしゅっちょう ディーラー税務署天才開発者死亡詰みヨミドクターサービス不足 サッカー日本代表日程ぷあたんシフト光金さかい強制バイト問題 ニューヨークラスベガスソルトレイク福岡横浜課金パチシフト強制バイト問題新潟米センター生残 オーチスエレベーター転落 東京移転の話は無いな 法学部だけでも完全移転したほうが良くないか 育毛剤復帰為替報道陣トランプコスメコーポレーション40代ニュース報道春文教授立会人そていFX博奕「ニューヨークシリコンバレー」シリアセンター50代野村光金顔出しNGしゃちょおしょくじけんベルギーチョコ https://www.youtube.com/watch?v=DCUeqBJjldE ★宇ドナルドスペイン王室★マック張内戦熊本地震中国義援金中華接待 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@慶應義塾、A早稲田、B日本、C立命館、D東海、E近畿、F順天堂、G東京理科、H北里、I明治、J同志社、K関西、L昭和、M法政、N福岡、O関西学院、P久留米、Q中央、R上智、S日本医科 【文系(人文社会系)合計】http://tanuki-no-suji.at.webry.info/201501/article_4.html @早稲田、A立命館、B慶應義塾、C同志社、D関西、E明治、F法政、G関西学院、H日本、I立教、J上智、K東洋、L青山学院、M中央、N京都産業、O専修、P東海、Q近畿、R学習院、S龍谷 【人文学分野合計】http://tanuki-no-suji.at.webry.info/201501/article_8.html @早稲田、A立命館、B慶應義塾、C明治、D関西、E同志社、F法政、G立教、H日本、I関西学院、J上智、K学習院、L東海、M青山学院、N東洋、O南山、P京都産業、Q中央、R日本女子、S龍谷 【社会科学分野合計】http://tanuki-no-suji.at.webry.info/201501/article_16.html @早稲田、A立命館、B慶應義塾、C法政、D関西学院、E関西、F同志社、G明治、H日本、I立教、J東洋、K上智、L中央、M青山学院、N専修、O近畿、P京都産業、Q日本福祉、R龍谷、S東海 【完全版:5/24】河合塾偏差値 神経玉文・大東亜帝国レベル2017(医歯/獣医学部・宗教系・体育系・芸術系除く) 神奈川:外国語47.5、法45.0、経済45.0、経営45.0、理47.5、工42.5、人間47.5=45.7 産業能率:経営47.5、情報42.5=45.0 玉川:文50.0、教育50.0、工37.5、農47.5、芸術37.5(実技を含まない学科のみ)、リベラル42.5、経営42.5、観光47.5=44.3 東京経済:コミュ42.5、現代法45.0、経済45.0、経営45.0、キャリア42.5=44.0 国士館:文45.0、アジア35.0、法42.5、政経50.0、経営42.5、理工42.5=42.9 亜細亜:国際47.5、法40.0、経済45.0、経営45.0、都市創造35.0=42.5 杏林:外国語40.0、政策37.5、保健47.5=41.6 東海:文42.5、教養40.0、観光47.5、国際37.5、法40.0、政経45.0、経営35.0、 理42.5、工37.5(航空宇宙含まず)、情報理工42.5、情報通信42.5、基盤工35.0、 ------農42.5、生物45.0、海洋45.0、健康45.0=41.5 拓大:外国語40.0、国際42.5、政経42.5、商45.0、工37.5=41.5 関東学院:教育45.0、国際37.5、社会42.5、法37.5、経済37.5、経営37.5、建築40.0、理工40.0、看護45.0、栄養47.5、人間40.0=40.9 大正大:文42.5、心理社会40.0、表現40.0、地域40.0、人間37.5=40.0 ○大東:文40.0、外国語42.5、国際関係37.5、法37.5、経済42.5、経営40.0、環境37.5、スポーツ40.0(健康科学のみ)=39.6 桜美林:グローバル37.5、芸術40.0(※実技含まず)、健康42.5、ビジネス40.0(フライト含まず)、リベラル37.5=39.5 -----------(BFに転落した大東亜帝国レベルの大学or偏差値39.0未満)------------ 文教:文45.0(中国語BF)、教育52.5、国際40.0、経営40.0、栄養47.5、情報42.5、人間45.0=(参考値44.6)<Fランク大では最強?> 立正:文45.0、心理47.5、福祉BF、法47.5、経済45.0、経営45.0、地球40.0=(参考値43.2) 帝京:文37.5、教育42.5、外国語35.0、法35.0、経済35.0、理工37.5、医療37.5、福岡医療40.0、薬50.0=38.8 明星:教育52.5、心理42.5人文37.5、経済37.5、経営35.0、理工35.0、デザイン35.0、情報35.0=38.7 1:大東が教育学部を作っても「明星コース」ということが分かった。 2:環境創造は失敗。普通に社会学部にするべき 3:医療技術学部を作って健康科学部は純粋にスポーツ科学部にするべき 4:高島平の減築に協力してもらい、2年次から高島平で学べるようにするべき。 5:大東がこんなに偏差値低いのは、高坂キャンパスのせい。 立会人そていFX博奕「ニューヨークシリコンバレー」シGしゃちょおしょくじけんベルギーチョコ https://www.youtube.com/watch?v=DCUeqBJjldE ★宇ドナルドスペイン王室★マック張内戦熊本地震中国義援金中華接待 40代為替員権収集がかり40代ニュース報道春文教授ディズニーちゃくふく春分解雇FXさんどりしゃちょお[ヘルシアノートン緑茶] https://www.youtube.com/watch?v=oMbYLIPZQ6c 店頭販売企業信用問題[糖質宣言ライス残し 40代為替会員権収集がかり40代かいわれニュース報道グルテン香港ホテル十代クレカFXセーブデータ遠隔消去KAR-Dローン(シュッ)しょうきょ家賃滞納決算20代かふぇまなー銀行光金動画蓄物牧場 電力自由化中国芸能界壊滅状態サービス不足40代駅員サービス不足ホテルバイトシャンパンパワーストーンギャンブル マンハッタンタイ気象制御無料モニターパリ横浜県議会新橋飲酒運転チャイナタウンパナマ義援金とうせん★大阪人横抜き★ライブマネー 適正価格詐欺のうぜいカタール横浜ラスベガススーダン品川大阪万博チャイナタウンブックオフル流経営中華旅行絶句もんじゃ適正価格販売問題30代不正労働ビザ 遊園地たかが監督(しん原宿あっせん安保上納金決算★ドーピングニュース★) 20代無料モニタリング配信者アメリカ廃油せっけん放送(虎の門20代無許可監督放射能ビジネス医者横浜ポセイドンニュース)外国人万世橋情報(ブフランス西村退会処分ドナルドソフトバンクハローワーク奴隷社員NYダウ9月振高値ビジネス) ヘルスケアスタバ二ホン出店権利納税額40代かいわれお手柄カジノプランナー立川自転(動)車放置警部補気象制御芸能デスクGMドカシ 高齢シャンハイセコムコンビニATM2399億中国系アイドルプロデューサー出張費「投資家人間性能」吉祥寺中国ジュエリーストーンケヤキすしランチ オキシ―フランスチャイナタウン自己資金300万放送大学リクルーター「女性習慣 経団連グローバル人材育成スカラーシップ http://idc.disc.co.jp/keidanren/scholarship/ 募集対象校 北海道大学 神戸大学 東洋大学 東北大学 岡山大学 日本女子大学 筑波大学 広島大学 法政大学 埼玉大学 九州大学 明治大学 千葉大学 長崎大学 早稲田大学 東京大学 宮城大学 創価大学 東京外国語大学 国際教養大学 多摩大学 東京工業大学 首都大学東京 中京大学 お茶の水女子大学 大阪市立大学 京都産業大学 一橋大学 共愛学園前橋国際大学 同志社大学 横浜国立大学 慶應義塾大学 立命館大学 信州大学 国際基督教大学 関西学院大学 静岡大学 上智大学 福岡大学 名古屋大学 聖路加国際大学 北九州市立大学 京都大学 中央大学 立命館アジア太平洋大学 大阪大学 東海大学 出身大学別社長数ランキング2015帝国データバンクによる調査に基づいた社長の出身大学 【第1位】 日本大学社長数:22,582人 【第2位】 慶應義塾大学社長数:11,703人 【第3位】 早稲田大学社長数:10,993人 【第4位】 明治大学社長数:9,580人 【第5位】 中央大学社長数:8,534人 【第6位】 法政大学社長数:6,971人 【第7位】 近畿大学社長数:6,243人 【第8位】 東海大学社長数:5,663人 【第9位】 同志社大学社長数:5,561人 【第10位】 関西大学社長数:4,475人 【第11位】 青山学院大学社長数:4,025人 【第12位】 立教大学社長数:4,023人 【第13位】 専修大学社長数:3,985人 【第14位】 外国の大学社長数:3,853人 【第15位】 立命館大学社長数:3,754人 【第16位】 関西学院大学社長数:3,576人 【第17位】 福岡大学社長数:2,902人 【第18位】 東洋大学社長数:2,868人 【第19位】 駒澤大学社長数:2,770人 【第20位】 甲南大学社長数:2,683人 【第21位】 東京大学社長数:2,577人 【第22位】 神奈川大学社長数:2,540人 【第23位】 名城大学社長数:2,488人 【第24位】 東京理科大学社長数:2,139人 【第25位】 京都産業大学社長数:2,136人 大東文化 法学部 1990年 志願者8558名 合格者663名 河合塾偏差値 57.5 2015年 志願者2143名 合格者1003名 河合塾偏差値 37.5 志願者減少率 75% 地方私大の中には志願者減少率がピーク時より99%減少している大学もある その点大東文化は、まだ崩壊までは至っていない 但し少子化が更に厳しくなる将来は生き残る保証はない ★学生にモデルガンの銃口突きつける 教授を懲戒解雇 8月3日 11時27分 東京の大東文化大学の教授が、授業中に学生に対して「正解できなかったら、この銃で発砲する」 と言ってモデルガンの銃口を突きつけたり、複数の学生に暴言を繰り返したりしたとして、 大学が先月下旬に懲戒解雇の処分を決めていたことが関係者への取材で分かりました。 関係者によりますと、東京・板橋区にある大東文化大学の文学部の60代の男性教授は、授業中に学生に対して 「正解できなかったら、この銃で発砲する」と言ってモデルガンの銃口を突きつけたり、複数の学生に「バカ」などと暴言をくり返したりしたということです。 また、校内で模造刀を振り回したりエアガンを発射したりしていたということで、このエアガンは厚さおよそ3ミリの銅板をえぐるほどの威力があったということです。 これらの行為は学生からの訴えを基に大学が調査して明らかになったもので、大学側は極めて悪質な行為だとして、先月27日にこの教授を懲戒解雇の処分にすることを決めたということです。 これについて教授は大学側に対して、「銃の握り方を見せただけで、たまたま銃口が向いただけだ」などと話しているということです。 大学を運営する大東文化学園は「大学という教育・研究の場であってはならないことであり再発防止に努めたい」とコメントした 改革案1 業績の上がらない寄生虫教員を首にしろ まずは会計学の某からだ >>425 関東学院の偏差値があんなに低いのは何が原因だと分析してる? 関東学院も立地か? 立地と下手にスポーツに力入れ過ぎたからじゃねえか ラグビーか何かで不祥事もあったし >>435 そんなの少子化のせいに決まってんだろ ゆとりを甘やかして大学定員を増やしまくった結果 低偏差値大学が増加した この20年間で本当は少子化にあわせて大学定員を半分にするはずだったのに なぜか倍にした ! | 丶 _ .,! ヽ > ``‐.`ヽ、 .|、 | ゙'. ,ト `i、 `i、 .、″ | .,.:/"" ゙‐,. ` / ` .,-''ヽ"` ヽ,,,、 ! 、,、‐'゙l‐、 .丿 : ':、 、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''` .,"-、 ,r"ツぃ丶 `````` ../ `i、 ,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´ .l゙`-、 _,,l゙-:ヽ,;、、 、、丶 ゙i、,,、 ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`": │ `i、 、、::|、、、ヽ,、、. ```: : : ``` 、.、'` .|丶、 .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´ l゙ ゙).._ ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、 : `"```¬――'''"`゙^` : ..、丶 .l゙ `ヽ ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、 、、...,,,、−‘` 、‐ |゙゙:‐, ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".` `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'": _.‐′ 丿 ,! j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、 、._,、..-‐:'''′ .、,:" 丿 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"` ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": ` 、._./` ._/` `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: : 、.,-‐'` 、/` ``ヽン'`"` : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^ ,、‐'"` `"'゙―-、,,,,..、、 : ..,、ー'"'` : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''"" ! | 丶 _ .,! ヽ > ``‐.`ヽ、 .|、 | ゙'. ,ト `i、 `i、 .、″ | .,.:/"" ゙‐,. ` / ` .,-''ヽ"` ヽ,,,、 ! 、,、‐'゙l‐、 .丿 : ':、 、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''` .,"-、 ,r"ツぃ丶 `````` ../ `i、 ,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´ .l゙`-、 _,,l゙-:ヽ,;、、 、、丶 ゙i、,,、 ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`": │ `i、 、、::|、、、ヽ,、、. ```: : : ``` 、.、'` .|丶、 .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´ l゙ ゙).._ ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、 : `"```¬――'''"`゙^` : ..、丶 .l゙ `ヽ ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、 、、...,,,、−‘` 、‐ |゙゙:‐, ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".` `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'": _.‐′ 丿 ,! j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、 、._,、..-‐:'''′ .、,:" 丿 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"` ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": ` 、._./` ._/` `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: : 、.,-‐'` 、/` ``ヽン'`"` : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^ ,、‐'"` `"'゙―-、,,,,..、、 : ..,、ー'"'` : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''"" 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」 「私は財産家と見えますか」 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」 「私は財産家と見えますか」 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」 「私は財産家と見えますか」 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」 「私は財産家と見えますか」 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」 「私は財産家と見えますか」 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」 「私は財産家と見えますか」 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」 「私は財産家と見えますか」 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」 「私は財産家と見えますか」 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」 「私は財産家と見えますか」 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」 「私は財産家と見えますか」 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」 「私は財産家と見えますか」 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなた 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなた・ 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなた 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなた 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あな 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あ 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あ。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あ。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あ。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あ。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あ。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あ。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あ。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あ。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あ 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまい 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまい 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまい 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまい 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しま 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しま 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、し 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、し 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、し 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、し 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていた 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いてい 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いて 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞い 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙っ ○○○○大学単位不正発覚!学長太田政男氏隠蔽中! http://ameblo.jp/fenderapple/entry-12204329697.html 2002年より不正を指摘されるが黙殺! 関与すれば即時解雇になる事案長期隠蔽中! 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙っ 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙っ 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙っ 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙っ 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙っ 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙 東京12大学 1964年発足 青山学院大学 慶應義塾大学 國學院大學 上智大学 専修大学 中央大学 東海大学 日本大学 法政大学 明治大学 立教大学 早稲田大学 http://www.tokyo12univ.com/index.html 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうち 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのう 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めの 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始め 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始 平成26年度奨学金の返還者に関する属性調査結果 http://www.jasso.go.jp/about/statistics/zokusei_chosa/h26.html http://www.jasso.go.jp/about/statistics/zokusei_chosa/__icsFiles/afieldfile/2016/07/07/h26zokuseichosa_shosai.pdf (5)だれに奨学金の申請を勧められたか 延滞者 親:57.4% 教師:37.4% その他:5.3% 無延滞者 親:83.1% 教師:14.4% その他:2.5% >一方、延滞者では「学校の先生や職員」と回答した者が 37.4%で、 >無延滞者の 14.4%に比べて 23.0%高くなっている。本人または親が主体的に申請した者に比べて、 >学校の先生等の勧めにより申請をした者が延滞となる傾向があることがうかがえる。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるの 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがる。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにか。 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにか。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も。 聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私。 の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」。 「私は財産家と見えますか」。 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く。 はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは 贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」。 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの。 を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」。 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」。 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し。 も筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」。 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」。 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」。。 「そうですか」。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする 、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない 私は無論そこに気が付くはずがなかった。。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま。 せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油。 断ができないんです」。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」。 「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、 一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と 云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか に仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」。 「まああるまいね」。 「じゃ分らないでもよござんす」。 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの 細長い御影の碑だのを指して、しきりにか。 私は先生が私のうちの財産を聞いた、 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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