若い時に勢いで結婚。
汚部屋育ちで常識知らずで、家事もやったことなかった。
何とかなる、と思ってたけど、ならなかった。
結婚してすぐ子どもも生まれ、嫁ぎ先もあっというまに汚屋敷にしてしまった。

原因は今から思えば、婚礼家具セットにもあったかも。
急な結婚にも関わらず、親は婚礼家具やら家電やら応接セットやら全部一式揃えてくれた。
相手の家と全く話し合いも持たず。
当時は紅白の幕をつけた婚礼家具専用トラックで相手の家に乗り付け、
運び込んだ嫁の道具、箪笥の引き出しの中身を近所の御婦人たちをお招きして、
着物から下着に至るまで全部見て頂く慣習があったとこ。
相手の家にも既に家具も家電も一式ちゃんとあるのに。
そこに嫁(自分)の婚礼家具をぎゅうぎゅうに押し込んだから。

共働き・仕事・子育て、もともとダラシ無かった自分はいっぺんにパンクした。
何もかも上手くいかなかった。子どもは泣きわめき、スカートにとりつき洗濯も掃除も料理もまともにできず、同居の夫の家族ともうまくいかず。
物が有り過ぎて必要な物を取り出せず、間に合わせに買うことで余計物が増え、の悪循環。
おまけに自分は物を捨てられない性質。
買うことは出来ても捨てる決断が出来なくて、家の中は物地獄。
収納したら何とかなるかと、棚を買いこみ、物を詰め、床を出そうとして更に家を狭くして。
ストレスで買い物依存に陥って更に悪化。
掃除なんか出来なかった。床は見えなかったから。
埃にまみれた物だらけの家でいつも皆体調が悪くて、子どもは喘息でアレルギーだらけでアトピー肌をかきむしって泣いてた。
優しかった夫はイライラと怒りっぽくなり、喧嘩が絶えなくなった。
汚い家にキレた夫からとうとう離婚を言い渡された。
ここはゴミ溜めか、ゴミ女!と罵られた。

捨てずに収納で解決しようとしても、余計酷くなるばかりで。
自分はもう考える力も無くなって、そうだもう自分なんか死ぬしかない、と思い詰めた。
どうせもう死ぬんだから、とまず会社を辞めた。
どうせ死ぬんだから、もう私物はいらないや、と服を捨て本を捨て雑貨を捨て趣味の道具を捨てた。
アルバムもジュエリーも大事にしてた友人の手紙も何もかも捨てた。
服も着物も捨てて空っぽにした箪笥、バールと金づちで叩き壊してのこぎりで切った。
親の思いの詰まった婚礼家具全部、泣きながら壊した。
車に詰めてどんどん自治体の処分場に運んだ。
自分で自分の遺品整理してた。
とにかく、自分がこの家に居た形跡を残したくなかった。
自分みたいなダメ人間・最低人間は、早くいなくなるのが家族の為だと思ってた。

家から自分の物を全部処分したところで、そっと姿を消すつもりだった。
ところが計算違いが起きた。
家から物を無くしていったら、埃が眼についた。
今まで出来なかったそうじが簡単に出来るようになった。
そしたらなぜか段々夫も穏やかになってきて、離婚話が立ち消えた。
時間のかかっていた家事も、以前よりは早く出来るようになってきた。
まとわりついて泣きわめくだけだった子どもも、肌が治って落ち着いてきた。
ほんの少し前まで、子どもを自分の物みたく感じていて、ホントは一緒に連れて行くつもりだった。
今思うと、以前の自分はなんて恐ろしいことを考えていたんだろうと震えが来る。

今、すっきりと物の少なくなった家で、生きることが楽しい。
物が無いと掃除ってこんなに楽だったんだ。
家じゅうの物が把握できて、探し物をしない人生。
物が無いから掃除が楽で、むしろどうしたらもっと家が良くなるか、を楽しめている。
家の中のちょっとした修理を、夫が嬉々としてやってくれるのが嬉しい。
廊下にワックスをかけたり、窓ガラスを磨いたりするのが楽しい。

死ぬつもりで始めた整理だけど、結果、今生きることが楽しくなってる。
「掃除の力」というより「片づけの力」かも、だけど。