> シンプルな暮らしへの憧れが強くなっているよう。シンプルな暮らしが
> もてはやされているよう。そんなふうに感じるのだけど。
>
> そして、断捨離はといえば、そのシンプルな暮らしそのものと、
> 思われているのかもしれない。う〜ん、そうであるようで、いえ、
> そうとは言えない。実のところ、それが断捨離の「言いだしっぺ」
> としての私の思い。
>
> そもそも、シンプルな暮らしって何だろう。
> モノが何もないこと? モノが必要最低限しかないこと?
> モノを徹底的に捨てること? あるいは、質素、簡素ということ?
> 違いますよね。

> 断捨離が求めるものは、新陳代謝。モノの堆積を取り除き、空間の
> 淀みを解消し、結果、流れを蘇らせて、暮らしの、人生の、より良い
> 変化を促す。それが、断捨離の目指すところ。

> モノが何もないことを、質素簡素を、それらを目的にしている訳では
> ないのです。もちろん、結果的に、そういう状態になる場合は、いくら
> でもあるけれど。

> 断捨離が目指すものは、ごきげん。ごきげんなモノとの関係を育み、
> ごきげんな空間をクリエイトし、ごきげんな私を取り戻していく。

> シンプル系と複雑系
> シンプルへの訴求も欲求も、過剰となれば、そこにはぬくもりがなく。
> 複雑にモノを空間で絡み合わせてしまうと、そこには暑苦しさが
> つきまとう。

> そうだ、断捨離とは、時に軽やかに、時に重みも噛みしめながら、
> 時に涼しげに、時にぬくもりも味わいながら、季節とともに、日々の
> 暮らしを愉しんでいくこと。年齢とともに、人生を面白がっていくこと。

> シンプルにさえ拘らず。シンプルにさえ囚われず。自由闊達にある
> 私づくり。それが、自在な私の有り方だと、そう思うのだけど。