前を見据え、後ろに広がる陣地を作る
前を見据え、後ろに広がる陣地を作る 前だけ見てませんか? あなたが先頭グループにいるという事は、後ろはどうなっているか分かりにくいのです。 兎に角全ての資源を利用して目の前の目標を叩きましょう。 それとも真ん中に位置していますか? 前後とバランスは歪ではないですか? 前後と意思疎通し、前後左右のバランスが保てるように声を出していますか? 後ろですか? 資源は足りていますか? 前の状況が遅れなく伝わっていますか? 不満はありませんか? あなたたちが基盤です。倒れない為に自衛と意思伝達を行うべきです。 つまり陣形です。そして時勢は流れです。 大きな流れや勢いに力技で打ち勝つ事は莫大なエネルギーが必要であり常に出せる力ではありません。 言い方は悪いですが、スタイリッシュにやや衰退するべきなのです。 攻めつつ重心の位置を変えます。 何故ならば人が減るからです。 地震や事故、事件。 ネガティヴに落ちる事は割と簡単に出来てしまう。 落ちる事が救いだと思う瞬間さえ私はある。 緊張状態や極限状態では善悪よりも、自分が出来る事と、考えた結果のやるべき事以外には手が届きにくい。 生きる事は、本来は難しい。 だから文明国家の維持に皆が苦労している。 日本のお酒は舌触りが丸い。 ついに焼酎に辿り着いてしまった。 丸いよー。すごいよー。25度の丁度良さ。素晴らしいよ。 世界各地で発生してる社会情勢の不安定化はコロナや移民政策による社会不安が徐々に拡大し続けた結果のように見える。 個人が受ける日々のストレスが各グループで共通認識化されて責任の所在を探し出す。 結果的に国家や目立つ存在に辿り着きやすく、対象に対する排除行動につながる。 ストレスの発散が創作活動につながる場合もあれば、社会否定につながる場合もあるし、自己否定につながる場合もあるんじゃないかな。 怒りが長期的な活動エネルギーになるように、危険な火薬も使い方によっては大変便利な道具にもなる。 要は自身が抱えてるストレスや怒り、正だろうが負だろうが全てのエネルギー要因を良い方向に発散するための自律行動や自己洗脳はとても大切。 負の共通認識をグループ共有するってのは危険行為なんだよ。 簡単に雑に言えば無理して笑えってなるよな。 しんどいんだけどな。 俺が好きな強いなって思う人は大体これが得意技だ。 まぁ、楽天的に生きる事は明るさを引き寄せることがあるのは事実だよ。 出来るだけ普段の生活で目視による空間認識の範囲を広げて歩いたり生活してると次第に観察範囲や認識範囲が広がる。 ずーっとやってると目視範囲を超えた認識範囲に広がったりするかもしれないし、しないかもしれない。 認識範囲をカバーするのは五感+と知識経験と想像力や感性だと思う。 推測が正しいかどうかは目視確認しに行けばいい。 繰り返し繰り返し。 思考は深化すればするほど溝が深くなる。 やがて自身の溝の深さに恐怖に似た感情を覚える人が出てくるが、それは自身に対してではなく正確に言えば他者との隔たりが大きくなったことへの不安感だ。 格差によるストレスってのは経済状態だけではない。 知能、所属、自己評価など多岐にわたる格差が存在する。 つまり格差ってのは、言葉なだけで正確には差や個性、ただ違うってだけなんだけど錯覚する原因は他者のリアクションをコピーしようとするその短略さだ。 考えず、疑わず、調べない。行動しない、学ばない。 簡単じゃないからこそ、やり続けなければならないとも言える。 言葉にするのは簡単だけど、ほんと大変な事で大切な事なんだよ。 玄米を初めて炊飯器で炊いたらお粥になった。 浸水させて水多めで炊きましょうってネットに書いてたのに。 味噌炒めを上に乗せたら成功品となりました。 インターネットの情報を精査せず、確認せずに実行するのは危険ですね! 美味しいよ! 気持ちや感情等、精神的思念的なものに質量があって、目的の波長に質量を転写なり保存なりができるみたいな事が考えられる。 私はどうやら意識や感情伝播について、量子がうんたらかんたらで、どうにかこうにかしてその情報が何かに保存されて更にその何かは質量を持ってる筈だ。 だから不思議な重力感覚が発生する。 みたいなお話をしてくれる人が突然出てきて証明してくれるってのを期待してるようだ。 そしたらミクさんがガチリアルになるって話だ。 過去の不思議ワールドの一部はいつしか当たり前になる。 賽の目転がす君の知促す! 遺伝子に意思や記憶あるんじゃね?ってのはまた別の話だ。 数字が言語化してるんだ。 数学じゃない。数字なんだよ。 言語化しやすいから。 本来は数学で更には方程式的なやつなんだ。 Roger Penrose English mathematical physicist (born 1931) そもそも恋愛や性行為が秘め事だと言う社会的な圧力みたいに捉える考え方がどうかと思うよ。 これは文化的なものもあり、簡単にひっくり返せるとは思わないが、本能的なものや衝動的なものを否定するってのは無理があるんだよ。 認めた上で扱い方を決める。 少子化が問題だと言うのなら場所とか品位とかモラルやマナー的に問題なけりゃむしろ推奨されるべきなんじゃないの。 性関連嫌悪には理由があり、その理由はストレスやトラウマな場合が多い。 つまり誰かが感情を雑に扱ったからだ。 丁寧に扱えって話なんだよ。 これは全ての物事に言える。 だから丁寧に優しく誰よりも大切に扱ってよね! さもなくば……って話になる。 ありとあらゆる特権と呼ばれるものは最終的に大衆化する。 そして議論され、裁きを受ける。 人類の発展てのはエントロピーの逆だ。 正しいとか正しくないとか、自然不自然の話ではない。 流れ的な問題だ。 変えるのは自由だが、流れに逆らう事にはなる。 悪いことではないと思う。 だがしかし!みたいな感じにもなる。 人類に限定するのは誤りだ。正しくは生命だと思う。 お花さんやも苔さんも似てる。 また遺伝子の意思みたいな話になる。 パワハラ・セクハラ・いじめ等 男女共に理不尽な人間と戦っている人は 必ずレコーダーを回しながら生活して下さい。 https://archive.is/rKT1h https://x ドットgd/j8AL6 ↑公益性がある戦いの記録です。 加害者は日頃から掲示板でいじめをするのが 得意で、記録には恫喝もあります。 ボトムアップでミドルアウト。 ボトムアップでミドルアウト。 人手が足りません!って現場が多発している場合、雇用を守る為って建前は通用し難い。 支出減らしてトンネル等インフラ補強したりする方が次の為になると思うと同時に、減った何かは必要があれば他の何かが埋めるってのは当然の力学だし、埋まらないならそれは自然消滅って話だ。 だって、人が減るのだから。至極当然。 コンクリートに拘るわけではない。 若い会社に投げまくるでもいいし私的には前衛的防衛だと思うけど、それは2段階目以降の話でまずは1段階目を決める必要があると思う。 >>324 これは魔導書の誤りだと思われる。 ペラい一枚みたいなやつです。 春。 春が来ない。全然来ない。一回来たんだけど帰ってしまった。 ちょっと前来たんだ。福寿草っていう黄色い花達は反応して咲いた。 おー。福寿草咲いてんな。売り飛ばすか。そう思った直後。 ガンガン雪が降る。何もかもがまた真っ白になる。 眩しすぎて雪見障子を上げられない。白ヤバい。眩しい。 福寿草や出しっぱなしのチェンソーも何もかも雪の下になってしまった。 もう少し引きこもるか……。そう思ったのは10日前位。 まだ来ない。もうだめかもしれない……。 きっともう春は来ないんだ……。毎日朝起きて換気して音を流してゲームして少し学んで、少しだけ運動して、温泉入って寝る。たいして疲れないからご飯も悲しい。 もう、そうやって死ぬタイミングだけ探して生きていこう……。 だって、春が来ないのだから。暖かくならないから。 芽吹いた桐の花も一時停止したまま黒くなる。 タヌキは山から逃げ出してきて困った顔でウロウロしてる。 鹿は遠目に見るとカンガルーみたいだ。飛んでる時。 猫は電気ストーブと電気マットで頭の位置がわからなくなるくらい変な姿勢になってる。 きっとこれは春が来ないストレスだ。 ウィンタースポーツも暖冬で困ってた。なのに寒い。 雪が溶けないし気温が上がらないからお花ハウスのビニールも張り替えられない。 どうしようもない。 そうやって、今日も雪を眺めてる。 言いたい事は、まだ春が来ない。って事です。 人間は歩いたり運動して、何かを頑張ってそうやって運動を伴う社会的な適度なストレスを受けて、健康を維持できるように出来てる。 その過程でエラーを発生させない物事は理論上理想に思えるが、こと人が関連する物事においては信用に欠ける。 この感覚が何故なのかは、説明する事は可能だが伝わらない者に伝えるのは困難だししたくない。 感情的な何かが、何かを分離する。 そして差を形成する。合理的ではない事実。 社会実装に繋がる感情の割合。 東京は花粉が飛んでるようですが、こちらはまだ真っ白です。 桜は散る時は惜しまれますが、咲くのを待つ私の気持ちはまるで再会を待ち望む彦星のようです。 現代語訳古語風的な何か。 疲れ果てたら料理する気にもならないし味わう余裕もなくなる。 取り急ぎで栄養を体にぶち込んで寝ることしか考えられない。 なぜ両極端を得るのは簡単で、バランス良く物事を維持する事はより難しいのか。 計画性や自己制御、無理をしない慌てない、押さない駆けない、慌てないみたいな感じが大切って事だ。 わかっちゃいるんだよ! ついつい加速するもんなんだよ。どっちも。 無限ループ。 0か100かで物事を処理すると前進は早いです。 多少のダメージは残りますが、兎に角前に進むことができます。 私は頻繁に自分にやります。 特に言葉の裏や他意はなく、そのままの意味なんだけど。 俺たちは、可愛くて仕方がない後進とか弟子とか後輩とか部下とか、そういう存在を積極的に育てる必要があると思うのね。 何故ならばそれが社会的な代謝となり、柔軟さを維持できるんじゃないかなって思う。 育てた側はフォローにまわればいい。失敗してどうしようもないなら最後には助ける。ギリギリで。 過去を否定するのではなく、前だけ見て次に何がベストでベターなのか考えていたい。 過ぎた何かよりも、次に来る何かを考えて。 そうやって進んで、いつか振り返って。 たまにしんみりしたらいい。 兎に角、自分のコピー以上の存在を育てまくるのです。 循環。 周るんだ。多くの事が。事象が。季節が。雰囲気が。 韻を踏む歴史。スポーツの得点後。四季。再戦。 繰り返すたびに、長期時間軸をグラフにした場合多くに波形が認められる。より長期に。更に永く。 だからさ、あんまり深く考えずとも循環や季節や調子に身を任せつつ最大表現をしていれば、きっとそれは循環に一致して最高のパフォーマンスをグラフに残すはずなんだよ。 冬の寒さに負けず、凍結に耐えて新芽を地平から突き出すトリカブトの新芽は美しいよ。 美しさを表現しているのは花だけじゃない。 制限付き強くてニューゲームを繰り返しつつ縛りプレイ。 M願望があるSを極めます。 毒だ猛毒だと批判されて。 本人は自身を防衛しているだけだ。 何もかも消し飛ばしたくなる衝動の根幹はこの辺りにある。 私はこの衝動を決して手放さない。 ダリアはかつて美し過ぎて盗まれるから誰かがダリアには毒があるよ!って噂を流した。 そしてその噂が定着した過去がある。 やたらでかい会で批判された。 問答進捗の結果正面から巻き込みでぶった斬られた。 まぁ、ある程度予測はできたはずだよね。 やっちまったもんは仕方がない。更に今は全て記録に残る。 突っ込んだからには多少のダメージなんか当たり前で、俺から言わせりゃそのまま突っ込めとも思うし、やや軟化するのも合理的だ。 長くなりそうだから簡潔に言えば。 大丈夫。言いたいことや探してるものがあるのはみんな理解しているしサポートする気もある。 でも、炎上上等で突っ込んだのは貴方だよね?w 本音と建前の人達はまだまだたくさんいるよ!って感じで凹んだ姿を楽しんでる。 英語を話す俺と日本語を話す俺は主張の仕方や話し方、表現の仕方は真逆とさえ言える。 困ったら人に助けを求めて一人前だから困ったらいいんじゃない?っていう人が隣にいます。怖いよね! ahaha! 更に。 やったー!助けを求めていいんだって! ってなって全力で全体重で寄りかかろうとしたら何故か拒否られて攻撃されるの。 わからないの。難しいの。バランスらしいんだけど。 最終的に精神論でフィニッシュ。 そんなもんだ。男たるもの! 力を加えると望む形に調整できるじゃん? でも、歪みが出来やすいのね。 そして、歪みがあるまま更に歪みを取ろうとしてまた力を加えると、歪みが取れたと錯覚できる状態になって実は対象には更に歪みが蓄積していく。 これ、よくあるやつなんだ。何事においても。 俺がよくやるのは力を加えた後自然放置する。 または自分の行為を遡って見直す。見直すだけ。特になんもしない。勝手に反省する。 大切なことは歪みを解消する理想は自然解消の可能性がある事。 または自然解消を加速させる環境を少し用意すること。 歪みは蓄積させると取り返しのつかないことになる可能性がある。 力が強い場合、反動の精密制御が極めて重要になる。 いろんなやり方があると思うけど、力を加え続けることは避けたい。緊張と緩和みたいな感じ。 完璧な反動制御なんてありえないんじゃないかとさえ思うけど、やるとやらないでは明らかに違う。 自然解消や何もしないって表現がいまいちしっくり来ないんだけど。 つまりは自然状態で成長点がどこに現れどこに向かうのかや、全体的な質量バランスがどう動きたがっているのがを観察して見極める時間を作るって事だ。 見極めたら判断して加速させる感じ。 あんま私が言うことでもない気がする。 私は最近新しく手に入れたハウスのビニールの張り替えや育苗で大変忙しいです。 小さい植物はかわいいよ! 施設園芸は水分と温度の制御が路地よりもはるかに出来るため便利で作業性もよく、雨の日でも働けてしまいます。 つまり人為的に気候を制御した中で作物を育てる為の施設です。 自然の恵みに見える人工的な自然とも言え、生産物は天然ではない自然のものとも言えます。 大変考えさせられることは多く、理解の先に展開可能な応用性に富んでいます。 足と親指の先が痛いです。 自然てなんなんだ。自然数とか自然エネルギーとか自然体とか。 それは本当に自然と呼んでいいのか? 天然自然、不自然な。然。 錯覚を伴っていた認識があって。 多少の人工的な自然が競争する以上は有利で。 天然の価値と自身の邪悪さを天秤にかけて自己裁判が進行していく。 まだまだ漠然としています。 簡単に言えば冬のキュウリは明らかに不自然だ。 でも美味しいし、南半球から来た可能性はある。 ようこそ北半球へ!! 本当か? 基本的に加工されていない生のお野菜達は冬は九州とか四国や千葉とか暖地と呼ばれる地域出身です。 南半球出身のキュウリはかなりレアのようです。 https://www.alic.go.jp/content/000138287.pdf 南北に長い国は各季節の作物が南北に移動しながら生産できるから多品種を育てることが多くて、東西に長い国は少品種を大量に生産する傾向があるんだって。 国境の形がそもそも何かを運命付けてしまっている。 さらに言えば時間もカレンダーも法も学問も全ては只々生産管理や状況理解、統治の為に生み出されてる。 便利だし面白いし。好きなんだけど植物を見てるとなんだか自身が不自然に感じる。 不思議だね。 read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる