丸山眞男が言ってるところの「抑圧移譲の原理」だと思う。
得体のしれない攻撃性は弱者や非標準にばかり向いて、天皇制の国家権力には向かわないからね。

http://www.el-saito.co.jp/cafe/cafe.cgi?mode=res&;one=2&no=3427
まずは、幕藩体制の終焉とそれに続く明治政府の成立からコトは始まっています。
ヨーロッパにおける近代国家は、真理とか道徳といった人間の内面的価値には国家としては立ち入らずに、
中立的立場をとり、あくまでも形式的な法機構のうえに成り立っている「中性国家」とでも言うべき体制でした。

しかし近代日本の国家は、それとは違った方向へ進みました。徳川幕府時代は、精神的権威 = 天皇と、
政治的実権者 = 将軍の二重統治体制が存在していました。でも「大政奉還」を経て成立した明治政府は、
権力奪取後も天皇の「権威」と「権力」を一元化する制度を徐々に作り出していったのです。
倒幕の方便としての「大政奉還」が、その後の国家的イデオロギーになっていったのです。

そこではヨーロッパのように、精神的世界の支配を強調するキリスト教会勢力は存在せず、
次第に日本国家そのものが、道徳ないし倫理という個人の内面を独占的に支配することになっていきました。
これは実はたいへん恐ろしいことだと思います。(日本の仏教界は、この意味ではヨーロッパのキリスト教会とは異なり、
大勢として完全に国家に従属する道を選びました。)国家が個人の内面を支配するという、この考え方が、
その後の思想統制や、個人の思想を裁くという、国家として決してやってはならないことを堂々と許す根拠になったわけです。