ヨーロッパの陰惨な歴史の認識ができるのは、宗教的な自己規律が醸成され、正直に告白しようとする習慣が出来上がったから、真実と虚為の複合的歴史認識になれる。
日本も当然同じように陰惨な歴史があっても、恐怖反応で向き合えない、不快排除が優先され気分調整のために美談化されたり、伝統的な臭い物に蓋で歴史的事実がら正直に伝えられることがない。