現実を見ようよ

歴代天皇陛下「関東人は野蛮で文化程度も低い」

後醍醐天皇の正中の乱の際に弁明した言葉がある。
「関東は戎夷(えびす)なり。天下管領しるべからず。卒人の民皆重恩を荷う。聖主の謀反と称すべからず。
但し、陰謀の輩あらば、法にまかせて尋ね沙汰すべき事の由これを載せらる、多く本文を引かる、その文体宋朝の文章のごとし(花園天皇記)」

この時代の公家の国家観は「天下」があって、その「天下」の中に「日本国」(畿内)と「外国」(周辺地域)が併存するというものであった。
彼らは観念の上で2つの国家という意識を持っていたである。そしてさらに天皇や公家の居住地である京都や畿内が清浄で周辺地域は野蛮で文化程度も低いという観念が横行していた。
この野蛮で文化程度の低い地域の代表が東国であると意識されていた。だから後醍醐は率直に「関東は戎夷なり」と言ったのである。


日本書紀「関東人は凶暴で不潔で恩知らず」

景行天皇は次のように述べられている(日本書紀)。
「東の国(関東)の人々は性質が凶暴で人を凌辱しても恥じることない。
国を治める人がいないので、領地争いばかりしている。
道を通る人に悪いことをしたり、苦しめたりしている。
蝦夷は男と女が雑居して暮し、親子の礼儀を知らない。
獣の皮を着て動物の血を好み、兄弟は仲が悪くて争ってばかりいる。
人から恩を受けてもすぐに忘れるが、人に恨みを持つと必ず仕返しをする。
仲間を集めては、大和朝廷の国境に侵入して農家の仕事を邪魔し、人を襲っては物を奪ったりして人々を苦しめている。」