【裏校則】中学時代の理不尽な上下関係【挨拶強制】 [転載禁止]©2ch.net
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>>243
評判は良くなかったですね。入学後は不満を口にする子は減りましたが、
体操服を伸ばすのが流行ったのも抵抗への表れでしょうね。
小学校と高校はラインなしでごく普通の濃紺でしたが、小学校の場合はほぼフリーで、
濃紺や黒の同系色ならば、取扱店以外で買って穿いても全然可でした。
うちの中学ですが、どういうわけか入学後に体操服のセットを注文する方式で(今はわかりませんが)、
新入生は毎年、2週間ほどは卒業した小学校の体操服を再び着用し掃除、体育、部活の仮入部に臨んでました。
ですので、入学してすぐにアズキ色のブルマを穿くのではなく、一定期間猶予もあったわけです。
>>244
緊張もしましたね。全校登校日の前日は日曜で、友達とプールへ行く約束でしたが、
大雨が降って取りやめに。
まだ入部届けすらもらえてない状態でしたが、翌日から即練習参加だろうと想定はしてました。 >>245
予め入部の気構えは出来てたんだ
全校登校日にも部活やる学校って珍しいね。
中学はあまり記憶ないけど高校は午前中で全員下校していた覚えがある 俺のとこの女子バスケは上級生が不祥事起こしたせいで
1年間は体育館練習から締め出し喰らって外練だった。
だが卒アルの写真だけはお情けで体育館撮影だった >>236
秋には文化祭や○○コンクールがめじろ押しで
二学期いっぱいは3年も引退できなかったよ 女って何かと理不尽ルール作りたがるよな。
散々理不尽な目にあったくせに自分たちも後輩に押し付けてるしな それが代々引き継がれ伝統と化していくんだよ。
それは女子に限ったことではなく、男子の野球、ラグビーにも当てはまる。 うちの学校(中高一貫の共学校)は、体育館が、二面分あるだけなので、
ショッチュウ、体育館の 「ブンドリ合戦 」 の問題が発生していたな。
バレーボールだけでも、中・高とあって、男女それぞれがあるから、
二面あっても足りないらいなのに、バスケット部・剣道部・柔道部・・・・
な言った感じなので、週1〜2回、体育館を使えれば、御の字だったわww うちは部活にもカースト制度のようなものがあって
卓球、剣道、陸上、体操がマイナー階級。
体育館は隅っこに追いやられるどころか会議室や通路付近の踊り場を使ったり。
陸上と体操に至っては顧問転任で即座に廃部された >>241
校外をそれもたった一人ブルマ姿で公道を
周囲の視線も気にしながら走らなきゃないけないって恥ずかしくもあり辛いよね。 >>252ざんすが、テニス部も、大混雑状態だったな。
テニスコートが2面しかないのに、中高があり、男女があり、さらに、硬式・軟式・・・
全体で80〜100人くらいいて、横で見ていると、素振りの練習ばかりしていたなww >>255
私立にありがちな専用グランドなどはなかったの? >>256
テニス部は、市営のコートとかは借りていたみたいだけどね。
専用グラウンドは、中高共同使用で、400m?のグラウンドが1つあるだけざますww 私が中学の時は、廊下で先輩に会うと(結んでいるリボンの色で何年生かわかる)1人1人に挨拶しなければいけなくて、一歩教室を出ると
「こんにちは。こんにちは。こんにちは。こんにちはこんにちは。・・・・」と頭を下げながら歩いていました。 うちは名札の色違いで先輩かどうか判断してたな。
1年のうちは大変だったと思うよ。 >>245さんとは反対で、こっちの中学の女子バレー部はいつも学校指定のカッコ悪いジャージ着用
髪型もショートで女らしさを出すのはタブーみたいな感じでした。
校内全体としては女子体育を担当してた20代女性教師がすごく怖いと評判でオニババと呼ばれていて
体育の時間はジャージも禁止で紺色のブルマをシャツインで着用するのがルールでした。
卒業した後はジャージのデザインが一新されたり体育の先生も転属になり規則かなり変わったみたいです。
ちょうど過渡期だったのでしょうね。 >>246
全校登校日も始業式や終業式の午後と同様、どこもふつうに部活はやってましたよ。
そういった日の部活は1時半始まりで、普段と変わらず夕方まででした。
いったん下校し、昼食後に再登校してた子もいましたが、私はそのまま学校に残ってました。
>>254
当時はあの服装が当たり前でしたし、周りの視線を気にする余裕などなかったです。
辛いといえば水を飲めないことと、肌の日焼けでしたね。
外周ランのときは喉の渇きに我慢できず、こっそりと団地内の水を飲んだりもしました。
女バレは外練中心で、陽にさらされての練習も当然でした。
初夏から残暑にかけては連日の日差しと照り返しで、赤焼けするだけでなく、
肌も黒いほうなので、さらに褐色を帯びてましたね・・・ >>261
私たちの体育も新旧のバレー部顧問が担当で、新顧問は2年のときのクラス担任。
偶然にも2年続けて担任が部活の顧問でした。
前顧問は既婚者でしたが、年齢はいっさい公表せず、30代半ばから後半だったらしく、
男子の言動に切れやすい少々ヒステリックでしたね。
後任は大卒4年目で当時26歳。お姉さん的存在で、男子たちからはアイドル扱いされてましたが、
中学から大学までバレー経験者ということで、部活になると厳しさも見られました。
個別特訓と称して、端から端まで廊下の雑巾がけ10往復のほか、マンツーマン特訓、
ワンマンでは容赦なくボールを体中に当てられたり、全員撤収後に居残り声出しランと、
先輩たちどころか新顧問にもしごかれました。 >>262
もし水を飲んでるとこ見られでもしたら大変な目にあってたんじゃないかな?
これはバレずに済んでよかったね。
ところで入学して暫くは小学生時代の体操着を着るって変わった中学校だね。
俺のとこは高校と同じで入学説明会の時に注文して入学式か翌日に配られていたけど。 >>260
うちは上履きと制服のネクタイで色は緑、赤、オレンジ
体操着は半袖がネクタイと同じ色の縁取りだったけど、男子の短パンと女子のブルマは紺で統一。
ジャージは全学年紺で左胸の名札が上記の色で識別。 >>265だけど、うちのテニス部は冬場を除くと上級生でもスコートは一切穿かず、全員がブルマで活動していた。
テニス部女子には一番人気というか部員は女子だけ。
2面のコートが一杯になる程毎年部員過多で、3年でもレギュラーになれない補欠が何人もいた。
補欠は卒アルの記念撮影ですらスコートを穿かせてもらえず
練習時と同じ半袖にブルマの格好で写真に収まっていた。 >>266
うちのテニス部女子は、1年はブルマ強制で2年3年はスコート可だった。
ただし夏休み中は1年だけじゃなくて2年も自主的にブルマで練習をやってる時が多かったな。
2学期の体育祭や授業でブルマになる時に、スコートの日焼け跡ができるのが
嫌だからって言ってた。 >>267
全学年ブルマのテニス部に対して、こちらも部員多数のバスケ部女子は特有で、1年だけがブルマ強制。
2、3年は専用のTシャツ(adidasだかNIKEのマーク入り白シャツ)に下は水色のランパンに似た短パンを穿いていた。
中には穿き替えが面倒だったのか、2年になってもあまり専用短パンを穿かずに、
しょっちゅうブルマで(とはいえ、裾を引っ張ってTシャツを長めにしていたので尻部分がほんの少し露出する程度)参加していた者もいた。
その女子、主将ではなかったけどチームを先導するリーダー的立場で、
背も高く太めでガタイも良い体格な上に、いつもデカイ声を出しまくっていたのでやたら目立っていた。 連投の形にになっちゃうけどスマソ。>>268に付け加えておくと、
うちはどっちかいうと校則と部活ルールは緩いほうだったかなぁ
制服のノーネクタイとスカート丈にはちとうるさかったけど
体操着に関しては女子には甘く、半袖のシャツ出しは常にOKで、逆に男子は裾を短パンに入れないといけなかった。
女子のブルマについても、どっちかいうと中学のは生地も薄く色も紺というよりかなり黒に近い印象を受けたけど、
実際に厚めで色褪せたブルマを穿いていた者もいた程で、
紺ならば小学校や市販のものを穿いていても全然OKっぽい雰囲気だった。
部活での女子の髪形も肩から下に掛かる場合のみ束ねさえすればOKだったから、
スポーツ系でもショートは少数でセミロングが多かったね。 >>264
あのときはバレないという自信がありましたね。
なかにはトイレに行くついでに水を飲んでた子もいて、先輩たちは気づいてたようですが、これは不問に付してましたね。
>>245に書いたとおりですが、
小学校卒業の2週間前くらいに、入学案内書が配布されましたが、
入学式当日になっても体操服セットの購入用紙は配布されず、
担任からは「4月下旬までは小学校の体操服を使う」と言われ、3〜4日後に注文書が配布という流れでした。
>>268
うちの女バスも2年以上は濃紺の短パンを穿いてましたね。 校内で顔合わせたら「ちわっす」どころか
街中で顔合わせても「ちわっす」
ったくお恥ずかしいったらありゃしない >>270
短期間であってもまた小学校時代の体操服を着ることになり、多少は拍子抜けしなかった?
出身小学校によって体操服の種類も異なるはずだから、
想像するに着てる物もバラバラで違和感ありまくりだったんじゃないかな? >>267と>>268のように先輩が後輩と同じ格好するのって
本人は別に気にならないからそうしてると思うけど周囲の反応はどうなんだろう
いちいちそこまで考えたりしないかな うちは部活の厳しさによる格差が大きかった
厳しい部活の3年がブルマなのに、緩い部活の1年はジャージで
校外をランニングなんてこともあった >>273
指定体操服が手渡されたのが4月20日前後でした。
それまでは、どの小学校出身もすべて下は濃紺のブルマでしたが、
体育の授業になると、上は白、オレンジ、青など首もとや袖口の色がばらばら。
まるで統廃合された小学校に移ったようで、まるで小学生の延長みたいな感じを受けました。
新体操服を着用し、白い3本ラインが入ったアズキ色のブルマを穿くようになって、
ようやく中学生になった実感が沸きましたね。 >>277
それからは小学校時代のブルマを穿くことはもうなかったの?
男子の短パンは何色だった? >>276
厳しかったのはバレー、陸上
緩かったのはバスケ、卓球、テニスあたり
バレー、陸上は練習内容はもちろん
全員髪もショート強制で服装も厳しかったので
入部するにはそれなりの覚悟も必要だった >>278
いいえ。日曜日や夏、冬休みなど登校しない日や、
梅雨など、長雨で洗濯物が乾き難かったときなどに穿いてました。
でもそれを校内で着用し、体育や掃除などに参加する場合については、
当然、学校指定外の衣服とみなされるので、担任に了解を得る必要がありました。
掃除や体育の移動中に、風紀委員か生徒会役員らしき3年生から呼び止められ、
「ちゃんと指定された物を穿いてね」と注意を受けたこともありました。
男子の短パンも同じアズキ色でしたが、ラインはなく無地のタイプでした。
むしろ始めのころは「恥ずかしい」という声が、女子よりも男子から多く聞かれたほどです。 >>279
他の部が休みでも、女バレだけは練習という日もかなりありましたね。
2年で顧問が代わってからは、自主練も取り入れられましたし、
日曜、祝日も朝10時から夕方5時半までというのもざらでしたね。
1学期末テスト終了後、総体までの約20日ほどは「部活動強化月間」ということで、
雨の日以外は朝練は毎日、放課後は終了時刻が6時半を回ることも。
下校が7時前で、くたくたでそのまま塾へ直行してました。 >>282
アズキ色よりも紺色のブルマのほうが恥ずかしくないものなのかな。 >>281
1年生がブルマで走らされてるのをよく目撃した
雨の日にも廊下で筋トレやってたけど、かなりハードだったな >>282
うちの男子用短パンは白で薄い生地だった。
アズキ色でも色が付いていれば
パンツが透けにくくなるからうらやましい。 >>282
小学校時代のブルマを穿いて部活に出たことはあったの? >>284
それはあると思いますよ。
「紺のほうが絶対いいよね」、「なんでうちの学校だけ違うの」と口にしてた子もいましたね。
小学生のときは体操服を伸ばして、ブルマ全体を隠してる子はほとんど見かけず、
それが中学生になると、1年の2学期あたりから徐々に体操服を伸ばす子が出始めて、
毎年2年になると、そうする子が急増してました。これもブルマの色なのかなと。
伸ばすのも遅く、さらに3年でブルマ出し≠ノ戻したのも私くらいですね。
>>286
小学校の男子は白の短パンでしたけど、
サッカーなどで汚れが目立ってた子もいました。
>>287
それはありません。
バレー部への入部後は、日曜祝日も部活で登校する日も多くなることで、
アズキ色ブルマを2→3枚とし、最終的には4枚に増やすなどして対応しました。
その為、次第に濃紺ブルマを穿かなくなり、バザーに出品するなどして、
中2のときにはすべて処分しました。 >>288
色よりもやっぱ形状じゃないの?
うちは紺だったけど真面目で成績優秀な優等生且つ、生徒会役員だった女子でさえ
シャツの裾を引っ張ってブルマを覆い隠すしていたよ。
ブルマを隠す女子と隠さない女子の比率は全校で6:4。
1年だと1:9だったけど3年になると8:2に上昇していた。 >>288
基本的にブルマを隠さない着こなし方ってこんな感じでOK?
https://imgur.com/vyOX9cS.jpg
3年でブルマ出しに戻したとあるけど延ばした裾を常に捲くり上げてたの? >>288
うちは体育の授業や行事の時は厳しくて、女子は全員ブルマのゴムが見えるまでシャツの裾を仕舞わないといけなかった。
部活によっては上級生はシャツ出しOKのところもあったけど、授業中や行事の時だけではシャツ入れ強制に逆らえず
渋々シャツをブルマの中に入れさせられていた。
でも休み時間になると、上級生はブルマからシャツの裾を引っ張り出して、お尻を隠してた。
やっぱりお尻のラインがバレるのは恥ずかしいものなのかな?
ちなみにブルマの色は紺でした。 >>289
ショーツ型の形状でしたが、とくに意識した事はなかったです。
小学生のころから、みんなが同じものを穿いてましたし、
どこの学校もブルマが当たり前で、私が変わってるのかもしれませんが、
ブルマ自体に恥ずかしさはなかったですね。
ただ、生理用品を使うときは、周りの視線が気になりましたが。
>>290
そうです。体操服も掃除の時間中のブラウスでも、いつもこんな感じでした。
>3年でブルマ出しに戻したとあるけど延ばした裾を常に捲くり上げてたの?
3着あった体操服のうち、1年のときから着てた2着がぼろくなってしまって、
買い換えが必要と、親が全額負担してくれることになったのですが、
「ブルマを穿いてないような、みっともない格好はしない」という絶対条件が課せらました。
6月下旬から新調した2着の体操服を着ましたが、再び画像のような格好に戻し、
古い残りの1着も裾があまりビロ〜ンとしてなかったので、合わせて3着としましたが、
裾がめくれてもすぐに直す行為は、約束もあり自粛するようにしました。 うちも体育祭の当日は体操服を伸ばしてる場合、ブルマの中に裾をしまうか、
裾を上げて、ブルマが見えるような状態にするようにと言われてました。
でも守ってた子は少なく、生徒会や係の子だけでしたね。
私も2年のときは守らず、そのまま競技に出てましたが。
3年のときはブルマ出し≠ノ戻したので注意を受ける心配はなかったです。 >>292
親から注意されたんだね。
ま、思春期の娘がボディコン擬きのセクシーな格好してるの見て
さぞ衝撃的だったんじゃないかなw
ところでブルマ出しに戻してから周囲の反応はどうだった? >>291
上級生はブルマを出したり隠したり・・・忙しいな >>292
約束を守ってちゃんと体操着の裾をブルマの中に入れていたとは真面目だね。
体育祭の当日でもなければ親にバレることもなかろうに・・・ >>296
292さん、体操着の裾をブルマの中に入れていたとは書いてないぞや
再び画像のような格好に戻したとあるだーよ
要するにブルマ全隠しやめてシャツ出し半ブルマ状態にしたってことじゃね? 自分のところは陸上部と体操部が顧問の転勤で相次いで廃部。
2年になった生徒は転部したりしていたけど、3年はそのまま帰宅部だった。 >>293
1)http://i.imgur.com/NonVs4d.jpg
2)http://i.imgur.com/EkHhU1H.jpg
1)の右奥で男子と会話中の女子のように、まるでブルマが見えない着こなし方をしたけども、
親からリコールされ、つまり2)のようなスタイルに戻したというわけだね。 学年が上というだけで生徒会でも下級生は小さくなって先輩に気を使わないと締められる。 大阪桐蔭の応援席に卒業したばかりのブラバン部のOGが制服着て楽器の演奏してたけど、
中学時代も卒業後の離任式は制服着て学校行ったっけ。
2週間以上も前に卒業式終わってんのにまた制服着るってのもおかしな話だけど、
と同時に中学の制服もそれで着納めになったな。 >>302
うちは毎年11月が生徒会の改選だったけど、
役員に選出された1年が集会の司会進行を任されたりとやたら貧乏クジを引かされていた。 生徒会と委員会活動って
意外と目立たないようなイメージもしたが
特に委員会は参加してるだけで上下関係なくね? 修学旅行や受験で3年がいない数日間は2年の天下だった うちもそう。
普段は禁止のジャージの裾を折ったり、ファスナーを全開にしてる女子もいた。 >>294
体操服になると、「どうして伸ばさないの?」と聞かれたり、
挨拶代わりにお尻を軽く叩かれたりもしました(笑)。
>>294 >>296
仰せのとおりです。
みんな後ろ姿は1枚目の青鉢巻きの子のようでした。
私の後ろ姿も周りからこう映ってたのでしょうね。
なかには伸ばしすぎて、腿までビロ〜ンとなった裾で覆われてた子もいました。 >>303
うちは離任式が年度によって、3月31日か4月1日に行われ、
出席は強制ではないですが、多くの卒業生も制服着用で登校してました。 >>307
上級生が不在だと解放感があったね。
逆に俺らが3年の修学旅行の時なんかは
「2年の奴ら今頃調子こいてんだろ」などと言ったりしてたよ。 上級生がいないと開放的になるだろうね
2年の林間学校の時に女子は3年仕様のジャージの着こなしをしていた >>309
俺らも離任式あったけど 卒業式の翌日からもう部外者扱いだぜ。
当日は校舎にすら入れてもらえずに一般人として
正門付近から去っていく教師達を私服で見送ったよ。 ジャージの着こなしあったあった。
袖口や足首の所は裏返して折り曲げちゃダメなのな。
先輩の前では怯えた小鹿みたいな態度取らなきゃ生意気だとか。
俺達の前では傍若無人なのにな。あの豹変ぶりがおかしかった。 うちは夏服でもネクタイ締めなきゃならなかった。
ほとんどの上級生が第一ボタンをはずし、緩めてネクタイをしてたけど1年は裏校則で禁止。
ブレザーの前開きも同様だった。 >>305
高校と比べ中学の生徒会と委員会活動は形式的であまり実務型ではない >>282
>掃除や体育の移動中に、風紀委員か生徒会役員らしき3年生から呼び止められ、
>「ちゃんと指定された物を穿いてね」と注意を受けたこともありました
先生でなく3年から言われるってのがなんとも理不尽…
うちは紺色のブルマだったけど小学校の物を穿いていても色が同じだから全然御構い無し。
隣の小学校(母校ではない)のブルマは厚めで光線具合によって紫ぽく映るからすぐにわかった。
テニス部のシンコ先輩は3年になってもそれを穿いていたけど、
販売店も小中同じってことでずっと小学校用の物を買い続けていたらしい。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 過疎ってるのでかつての時代、
女子の強制挨拶や裏校則について当時の状況を考察していく。
真新しい制服に身を包んだ彼女たちを待ち受けるのが上級生による裏校則による支配管理。
小学生時代のフリーダム生活から一転、
校則と裏校則のダブルバインドの収容所のような生活が待っている。
兄や姉からの情報や通学路の尋常でない挨拶光景を目にしていた彼女たちにとって公立中学進学は不安でしかなく、
私学へ逃げられた裕福な家庭の子は羨望視されていた。
そして入学の日を迎える。 当時公立中学は何処も程度の差こそあれ荒れていた。
1部のヤクザ候補生なヤンキーが好き放題していた。
男子も勿論色々あってシバキや鉄拳制裁にこそ恐怖したが、
比較的カラッとした上下関係ではあった。
半分友達のような付き合いも先輩によっては可能であった。
度が過ぎなければそれなりに平和な生活が送れ、
小学生時代には上下関係に不安を抱いた記憶はない。
要は子供のままでいれたのだ。
そんなお子様な男子生徒にとって
初めて見る女子生徒に蔓延る厳しい上下関係は
とても大人の世界に映ることになる。 まず気になるのは勿論挨拶であった。
兎に角朝から晩まで所構わず女の挨拶の声がうるさい。
おかしいなと思いよく見て見ると
下級生女子は全員上級生女子に挨拶しているのである。
部活だけの上下関係、ではないのである。
生徒の多い時代、それだけでも相当に圧巻の光景である。
そしてその挨拶は通学路や廊下や移動教室だけでなく
会話中や授業中ですら先輩の姿を見れば最優先事項で行われるのである。もはや教師の威厳もあったものではなく我々男子生徒も日々引きの状態であった。
さらに見ていくと挨拶の仕方も尋常ではないのだ。
我々男子生徒は挨拶といえば部活の先輩に出会うと、先輩ウッス!
ちわッス!みたいな感じの若干の敬意と親しみある元気の良い普通の挨拶であった。
しかし女子の挨拶は明らかに違う種類のものであった。 先輩を発見すると後輩は顔をこわばらせ直立不動のように畏怖した態度に豹変するのである。そしてそれまでしていたしていた行為は全て中断して、先輩のいる方向に向かって
こんにちはー!
かなりハッキリした大きな声である。
しかも高速で頭もかなり下げなければならない。
明らかにオーバーアクションなのである。
思わずこちらも振り向いてしまう。
先輩や後輩の数が多いとその人数分だけその行為が繰り返されるのでもはや滑稽な光景ですらあった。
ただ見ていると彼女たちは何処までも真剣なのである。
怖筋の先輩に対しては最早命懸けでしている感すらあった。
挨拶の連呼が鳴り響く中、悠然と先輩は通り過ぎていく。
まるで何も聴こえてないかのように。仲間たちと雑談しながら。
その不思議な温度差が同居する光景が日常何処でも見られたのだ。 彼女たちの先輩に対する卑屈な態度と日常我々に対する態度とのギャップにとても驚かされた。
活発そうな体育会系の部活の女子ならまだしも、
そういう縦世界に無縁そうな目立たない文化系の女子生徒にもその強制挨拶の掟は適用されるのでそのギャップにも驚かされた。
挨拶時は普段とは完全に別人になるのである。ならされるというべきか。そこになにかとてつもなく強大な強制力が感じられ、
理不尽な不憫さに健気に従う彼女たちはとても大人びて見えたものであった。
女の怖さ、底力をそこで初めて知ってしまったのである。 特に小学生時代から知っているクラスメイトのコメツキバッタのようなペコペコ挨拶を見る時は、いたたまれず、やめろよそんな事!と思ったが、それを口に出させない真剣さと絶対不可侵な女の世界に結局何も言えなかった。
そんな彼女も来年の新入生女子にその屈辱的服従行為を恐怖の力で押し付けることになる。だから我慢出来たのだ。逆に言えば偉そうな先輩もその屈辱と恐怖を味わってきたのだ。
これだけペコペコ挨拶ができるのは逆に言えば自分がしてもらいたいからなのか。そういう事実は上級生になってから後で知ることになる。 強制挨拶の背後にある恐怖の力。
それは1部のヤンキーによる呼び出しや囲みやリンチ。
果てはレイプの恐怖まで。
そういうのが当たり前にあった時代なので
彼女たちは必死に服従の態度が取れるのである。
まだ当時、連帯責任という概念が強かったので
尚更彼女たちはがんじがらめであった。
だから1人も余さずその理不尽な掟に従っていたのである。
教師達も強制挨拶さえ目をつぶれば生徒管理が楽だったのであまり真剣にこの問題に取り組もうとしなかったことも問題であった。
結局彼女たちは諦めて受け入れるしか道がなかったのだ。
体育会系女子は雑談、先輩発見、豹変して渾身の挨拶連呼、
通り過ぎるとまるで何も無かったように雑談していた。
我々の目も全く気にせずに。それが当たり前の光景になっていった。
ただ大人しい女子やプライドの高そうな女子は強制挨拶という屈辱的行為やそれを見られることにいつまでも抵抗があるようで、
それでも渾身の挨拶をしないわけにいかなくて、
豹変スイッチが入り切らずどこか挨拶の声もうわずり気味になってしまう。
そういう心の機微すら粗相と認定されまた呼び出しの対象になったりするのであった。
つまり先輩に対する渾身さこそが下級生女子には常に要求され、
先輩に優越感をあたえないものは全て粗相と判断されるのであった。
下級生女子は地味に地味に。
その立ち回り方に腐心することが彼女たちの最優先事項であったのだ。 女子新人戦で負けたペナルティでバスケ部1年全員が校外を罰走。
試合に出場したのは2年部員のはずだが、どういうわけかお咎めなし。
しかし後日、生徒会とPTAのあいだで問題化し、女子バスケ部は1ヶ月の活動停止に加え、
新年度から1年間体育館使用禁止に発展した。
2年部員の暴走を止められなかったとして顧問は他校へ転任させられた。 >>325
いやー、ほんと女じゃなくて良かった。
あんなペコペコ挨拶、耐えられないわ。 >>328
読んでくれてありがとう。
また明日から細かいのが続きますwゴメン。
何でもいいからコメントくれたらうれしいよ。
ヱヴァンゲリヲンが14歳に固執したように、
俺も中学生活が自分の原点。実際そういうやつ多いと思うね。
多感な年頃だからね。
そしてあの女子の特異な上下関係が女性観の原点になっている。
力を借りて女心というものを解き明かしてみたい。
前にペコペコ挨拶の描写してくれた人かな?
女心の機微を文字にするのは難しいがとても正確な表現だった。
気が向いたらまた書いていって欲しい。
別人だったらゴメン。
クラスメイトのペコペコ見てると色々複雑な気持ちになるよね。
やっぱり女子生徒全員なの? 裏校則っていつ頃まで存続してたの?
今はないでしょ? 部活単位ではあるけど、学校全体の裏校則は存在しなさそう 裏校則は校内暴力の時代とその後の管理教育の時代が全盛だったように思う。より弱い立場の人間を作って鬱憤を晴らしていたように思う。
封建的な田舎にはその後も根強く残っていたかもしれないが
もうルーズソックスやらの時代になるとほとんど都会では見ることもなく、ましてこれだけ情報が発達した現代で裏校則が全国的全校的に蔓延することは不可能。
あれを体験した人たちは貴重な体験をしたと思うよ。 先輩に優越感を与えること。
これこそが裏校則の目的である。
一々差別化された服装や髪型、挨拶の仕方で
ヒエラルキーを細かく構築するのが女社会で
女は社会性の生き物だと思い知らされたものだ。
当時の学級文集なんぞ見直していても
中学生になっての題目では女子は挨拶の大変さが多く取り上げられている。
今日は何十回挨拶したとか早く慣れますようにとか気が抜けないとか
果ては先輩に会うので休みでも外に出たくないという記述さえあった。
それだけ先輩に対する細心の配慮が彼女達を悩ませていたのだろう。
手抜き挨拶や見えないオシャレなど世渡りの要領もそこで学んでいく。
当時は、それがとても新鮮な光景だった。 ではまたボチボチ女子の上下関係を考察していく。
渾身の挨拶が必須と書いたが、渾身さといってもその表現方法は常に変化する。ケースバイケースな対応力に対して評価されるのである。あの子は健気でいい子だと。キャッキャッウフフも大目に見てやるかと。
後輩は自分の立場やその時している行動、先輩との距離、機嫌、状態、果ては彼我勢力や周囲の目までよく観察して瞬時に最も優越感を先輩に与える挨拶の仕方を選択しなければならない。
その努力を先輩達は無関心のようで横目でちゃんと見ているのである。怖筋の先輩だけでなく普通の先輩も怖筋を盾に見えない力を発動するのである。自分が通って来た大変な道を歩ませることが唯一の慰めであるかのように。 その求められる挨拶の渾身さの具体例を挙げていこう。
如何に女の世界が複雑怪奇なものであるか。
勿論全ての機微を言葉にする事はできないが。
先輩との距離が遠い場合
よく通る大きな声でお辞儀もオーバーアクション気味。
勿論先輩に遠くからでも挨拶しているのを認識してもらう為である。 先輩達はほとんど気が付かない振りをしているがちゃんと存在の優位性を確認しているのである。 怖いのは他の先輩の目なので気が付かない振りはできない。
無意味でも恥ずかしくても1人でもやるのだ。それが評価されるのだ。
先輩との距離が近い場合
大声での挨拶は不快感をあたえるので禁物である。
渾身さは挨拶の声質やお辞儀の丁寧さなどで表現する。
さらに先輩の面前に同等に立っているという罪悪感をわかってもらうかのように表情も上目遣いに申し訳なくなっていくのが上級者で体育会系の女子は実にこれが上手い。 先輩の人数が多い時
この場合は挨拶の連呼状態になるわけで単に機械的にペコペコを繰り返すのではなくその中にも人数分の各個人への誠意が評価される。つまりいかに挨拶に集中しているかが渾身ポイントなのである。
後輩の人数が多い時。
先輩の会話を邪魔せぬよう挨拶の声が重ならないような配慮が必要。声の大きさやトーンの調整も必要である。先輩に恐怖感を与える危険があるからである。 自分の容姿や能力が目立つ存在の場合。
それだけで劣等感を先輩に与えてしまうので
一層表情や態度の使い分けの選択に配慮しなければならない。疲れるし基本先輩の前では決して目立ないよう周囲に埋もれて行動しているので挨拶も勿論しているのだろうが我々にも目立たないものである。それでいて時には率先して一番の渾身の挨拶をしなくてはならない。
要領も優秀なのでそれが自然体で出来てしまうのが凄い所である。
自分の立場が目立たない存在の場合。
寧ろ存在を先輩にアピールしなければならない。
予想外の大声での挨拶を先輩方の前では羞恥心を捨てて出します!キャラクター維持よりも挨拶最優先なのを理解しています!という表情や態度が評価される。
目立ちたくない中でも最大限の努力をしているのが渾身ポイントである。 今から思うと馬鹿らしく思えるが当時の女子は必死だったんだよな 廊下で雑談中でも先輩が通ると会話を止めて挨拶していたほどだし 校内や登下校中以外でも挨拶強制?
塾や休みの日に街中で上級生に遭遇した場合でも大声で挨拶しないとだめだったの? 色川高志(葛飾区青戸6)の告発
色川高志「文句があったらいつでも俺にサリンをかけに来やがれっ!! そんな野郎は俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)
■ 地下鉄サリン事件
オウム真理教は当時「サリン」を作ることはできなかった。
正確に言えば 「作る設備」を持っていなかった。
神区一色村の設備で作れば 全員死んでいる。「ガラクタな設備」である。
神区一色の設備を捜査したのが「警視庁」であるが さっさと「解体撤去」している。
サリンは天皇権力から与えられた。
正確に言えば オウム真理教に潜入した工作員が 「サリン」をオウムに与えた。
オウム真理教には 多数の創価学会信者と公安警察が入り込んでいた。
地下鉄サリン事件を起こせば オウムへの強制捜査が「遅れる」という策を授け「地下鉄サリン事件」を誘導したのは
天皇公安警察と創価学会である。
天皇は その体質上 大きな「事件」を欲している。
オウム科学省のトップは 日本刀で殺された「村井」という人物だ。
村井は「サリン」授受の経緯を知る人物なので 「日本刀」で殺された。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20150224 >>341
大声ではないですが、休日の外出先でも顔を合わせれば、必ず挨拶はしましたよ。
中3のときも、卒業した先輩が学校前の団地に住んでいて、
先輩の姿を見れば、バレー部員は挨拶を欠かしませんでしたね。 >>343
親と一緒の時などに挨拶しなきゃいけないのは気まずそう。
中学を卒業して高校になったらリセットされるのかと思った。
部活の上下関係はなかなか断ち切りにくいのかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています