荒井注がいた頃のドリフターズを語ろう
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うろ覚えなんだけど何かのコントで
仲本工事と荒井注が何か賭け事をやっていて荒井が負け
仲本「おめえの一番大事な物は何だ?」
荒井「髪の毛だよ」
仲本、荒井の髪をブチッ!と引っこ抜く
(他のメンバーなら、酷い!とかかわいそうとか思う場面なんだけど)
天性のふてぶてしさで
全然暗い雰囲気にはならず、爆笑が起こってた
思えば不思議なキャラではあった。
S38年生れの自分の場合
荒井さんがいた頃が本物のドリフターズで
加藤チャンがヒーローだった
志村がウケはじめた頃から子供心に違和感を
(新人のクセに態度がでかいなあと)感じた。
とんねるずの石橋貴明氏「なんだよあの髪なげぇやつ(志村けんの事)、つまんねぇよ」
だな。
加藤茶の「あー珍しい珍しい!」 加藤・仲本・高木はこぶ茶バンドとして時たまバンド活動を再開している
気心の知れたかつてのバンド仲間の和の中に志村は入っていけないんだろう。
もし荒井さんが存命だったらこぶ茶バンドにゲスト出演くらいはしてくれたかも >>18
坂井も石橋も下半身にだらし無いヤリチンだからねw
オレさまの敬愛する石橋を悪く言うヤツに生きる資格は無い ドリフ映画では映画けっこう陰湿ないじめシーンありました 生演奏も出来て合間にコントも入れるコミックバンド
歌に映画に大活躍というビジネスモデルはクレージーキャッツが
大成功を収め、ドリフも踏襲した形だけど
音楽の合間の中途半端なコントでは
当時全盛期のコント55号には到底太刀打ちできない
練りに練った緻密で周到なコントを生放送公開番組で行う
という前代未聞の挑戦を居作昌果といかりや長助は始めた。
後に「かけがえのない戦友だった」といかりやが著書で語った様に荒井注は
古典・歴史・文学などの教養をドリフに授け番組を奥深いものにした
「オチを言う前に一拍待って・・・」
今や外人タレントでも普通にこんな事を言う様になったけど
音楽用語をコントに転用したドリフがTV業界にもたらした言葉じゃないかな 仲本工事が全身犬のコスプレで飼い犬の役
荒井注が飼い主
ところがこの犬、飼い主を敬うどころかとんでもない犬で
飼い主が隙を見せると後から蹴りを入れたり、ものをぶつけたりとやりたい放題
何回か見た記憶があるんだけど誰か覚えてないかな? 勲章の授与式で荒井が「勲一等」とか読み上げると
よってたかって荒井がみみくちゃにされ(だんだんエスカレートする)
しまいには袋叩きみたいになって最後は荒井がドスを持ち出してキレる、というのを覚えてる >>27
荒井注の付け髭がズレて頬っぺたの方に付いてたやつだったなw
最後に仲本に後ろからおもいっきり飛び蹴りされるやつな。 2月9日の加藤チャンのサイトに荒井注さんの命日って
書いてあったな。今も心に生きている盟友なんだよね
1969年ドリフのズンドコ節がオリコン最高位2位、売り上げ枚数115万枚以上という、大ヒットを記録
「第12回日本レコード大賞大衆賞」「第1回日本歌謡大賞放送音楽賞」を
受賞している。彼らは歌にコントに映画と文字通りマルチプレイヤーだった。 土曜8時代のライバル萩本欽一は
視聴率で後進のドリフに追い越され、
必死に巻き返しを図っていた
一方、PTA的モラルや制約を無視、ウンコやチンチンといった
お下劣ネタも辞さないドリフの発想の自由さを
羨んでいた嫌いもある。
ドリフ脱退後の荒井注や元キャンディーズの田中好子を
欽ドコで起用したのも、どこかでドリフと(間接的にでも)
絡んでみたかったのではないか いかりや絶対政権下で個人活動禁止だったドリフを辞めてからの方が
のびのびとやってた感じ。ピンクレディの番組でゲーハー総統というキャラを
楽しそうに演じていたのを思い出す 荒井の後任となった志村もあれだけフサフサだったのに
ハゲにハゲた。
ドリフの中のあの立ち位置はハゲる宿命なのか 由紀さおりが母親で荒井注がひねた顔の赤ちゃんというコントもあったね 「ピアノが弾けないピアニスト」と
長さんが評していたけど
後年志村がギターしか弾けない為ブーさんが一時的にキーボード担当した時
「俺は荒井ほどには弾けない・・・」と諦めた
荒井さんはそこそこの(一朝一夕では身につかない)技術は持ってたと思う
荒井注っていかりやさんとギャラ配分で揉めて辞めたんだよな 表向きの理由は体力の限界
なお、長さんの弔辞によれば
「カラッケツでドリフを始めて、飛行機で言えば離陸する大変な時に乗っていてくれて、
それから何とか先が見えてきて、さあ、これから楽になるぞ、お金も儲かるぞという時に
あんた、辞めちゃった。あの時はあんたの人生哲学が理解できなかった。
でも『極力皆に迷惑かけないように、半年、お礼奉公する』って言って、
辞めると言ってからも半年は続けてくれた。・・・」
とあるからお金だけが理由ではないみたい。
2歳下のいかりやをリーダーとして10年立てて来たけど
元来自由人で自分のペースで生きていたい人なんだろ。
いかり屋に内緒でドンキーカルテットを立ち上げ、さっさと初期ドリフを辞めてった小野やすし達よりはまだ良心的かな
野球コントで荒井さんがベースに入るとタッチ(と見せかけてグローブで殴ってる)
という展開を何度かやって
最後は頭に来た荒井さんのバットにドスが仕込んであって
抜いて威嚇するという様なオチがよくあった。 注さんって空気感だけで笑いに持っていけるタイプだったよな >>41
新人だった頃の志村は注さんとは真逆でオーラが全く無く、
普通の人がただ騒いでいるだけ
皆、ポカンとして「何だこいつ?」って感じで見てた >>41
鍵盤の腕はともかく、キャラクターはいかり屋さんからも重宝されてたな
あまりセリフはないけどいじわる爺さんキャラ好きでした
長さんは大人で一番偉いリーダー
後の4人は子供、生徒、部下、店子、弟子、等等下っ端役
その中でも荒井注さんだけは明らかに親父づら
(時に長さんよりも偉そうな顔)で
馬鹿なコントをやるのがたまらなく面白かった。 注さんがいた頃のドリフの演奏見てみたかったな
the Beatlesの前座のシーンだけは見たことある 横浜のみなとみらい線日本大通り駅近くのビルの8階にある
放送ライブラリーでは荒井注さんがドリフに在籍していた
S46年に日テレで放送された
「日曜日だョ!ドリフターズ!!」ってな番組がタダで見られる。
横浜近く在住で興味を持った方、是非! by春日部住民。 >>50
マジ。俺何度も見たよ。とりあえずは「放送ライブラリー」を
検索してみよう。 >>11
ドリフは60年代末まで新宿のジャズ喫茶を
フランチャイズに演奏とネタを磨いた本格派コミックバンド
TOKIOの様に企画的に楽器を持たせてバンドの体裁を持っているのとは訳が違う
ドリフ大爆笑の職業安定所のコントで長さん演ずる窓口の係員の所に
注さんが「もう一度一緒にやらねぇか?」と偉そうな態度で言って来たので
他のメンバー(志村を除く)から袋叩きに遭うってな物があったなw
加トちゃんの「お前が勝手に辞めてっだんだろ」ってな台詞が印象的だった。
同じくドリフ大爆笑、番場の忠太郎に扮した荒井注が
ふすまに向って「おっかさん忠太郎でごんす」と言うと
ふすまがガラっと開いて、長さんが「おめえは忠太郎じゃなくてただの注だろうが!」
とスリッパで頭をスパーン!と叩くというのがあった。 >>47
ビートルズの前座では
荒井さんギター持ってるね
(多分音は出してない) 荒井さんが抜けた後
志村がデカイ態度でふるまうことにとっても違和感があったな
思えば当時は
なんだバカ野郎
ジスイズアペン
だけでよく何年も食っていけたもんだよな
最近のTV界は芸人を使い捨てにし過ぎ ツーレロ節で加藤茶のパート→荒井注のパートの順でセンターマイクを交代
加藤茶はコーラスに回る
このシステムは今見ても斬新
やたらセンターに拘るAKBも柔軟に取り入れても良いと思う ミヨちゃんの時は加藤茶+いかりやで
ズンドコ節やのってる音頭の時は5人全員分パートがあったな 加藤茶は音楽面だけでなく
ドリフのキーマンだったと思う。
小野やすし達がドンキーカルテット結成時にドリフに残って
いかりやを救い
荒井脱退時にも密かに引退を考えていたが結局残留し
お笑い面では志村のサポートに周り
カトケン全盛時(事実上いかりやと志村の断絶状態)にも
ドリフ分裂とはならず
その後仲本・高木とこぶ茶バンドを結成し音楽活動を再開
加藤茶がいなければドリフは早い段階で消滅していたと思う 俺もそう思うぞ!加トちゃんは偉大なる芸術的表現力を有しているだけでなく、お笑いの才能に演技の才能、しかもイケメンで、二度目の嫁が若くて美人。
俺は加トちゃんを尊敬しているんだ。俺も加トちゃんみたいになりたいし、正直たけしやさんまより天才的だと思う。 >>60-61
それにドリフに志村が正式に加入できたのも加藤のおかげ。
志村はドリフの付き人になったが一度辞めてコンビ芸人としてデビューしている。
しかしそのコンビ、マックボンボンの相方が失踪。だがもうドリフには戻れない。
困ってる志村に救いの手を差し出したのが加藤で、
「ドリフじゃなくて俺の個人的な付き人にするから戻ってこい」と。
そのおかげで志村は実質上ドリフの付き人に復帰。
付き人時代から空き時間に加藤にネタを振ったりして、それに対し加藤も全く嫌がることなく
志村にリアクションをとってる姿が当時目撃されている。(ヘビィメタ雑誌BURRN!の社長が見たらしい)
志村加入がなければドリフの未来は大きく変わっていたし、
正直コメディアンとしてはあれ程長く最前線で人気を保てなかっただろう。
加藤は志村のお笑い芸人としての才能を最初から感じ取ってたんだろうね。
まあ正直言って最近の加トチャンは痛いと思う時もあるけど
今はもうオマケみたいなもんで昔はやっぱり凄い人だったと思うよ。 荒井さんの風貌は今の三遊亭小遊三師匠にタイプがちょっと似てるかな
ふてぶてしくも立派なおっさん顔
「なんだバカヤロー」は今で言う切れ芸。
若い奴が言っても視聴者から反発を食うだけだけど荒井さんがいうと
妙なおかしさがあった。
(言った直後に長さんのメガホンで叩かれたり、後から仲本の蹴りが飛んできたりと
更に酷い目にあうのもお約束。) 志村劇場を見て思ったけど
絶対に自分に逆らわない人間だけはべらせて
古臭いコントねたに拘る・・・
今の志村の姿はかつてのいかりやの姿にそっくりだということに本人は気付いている
だろうか? 志村が正式加入する前はドリフの映画って頻繁に作られてたよな 由紀さおりが母親役で赤ん坊が荒井注という
設定のコントがあったはず。誰か動画UPしてくれないかな >>66
松竹映画で何本もあったね
志村が加入してからは1本くらいしか作られなかった 由紀さおり懐かしす!!
そういやチュラ・セイターナは、由紀さおりの顔を持つ巨乳と言われてたな 今思えば荒井さんハゲを売りにするほどハゲじゃなかったな(薄かったけど)
柳家小さんとか山本小鉄の様な完璧なる輝きを持つハゲでなくても
ハゲ、ハゲ言われてたのが子供心に不思議ではあった 新しく開店しようとしてたカラオケ店のドアの幅が狭くて
カラオケの機会が入らなかったのは面白かったよなw >>72
そう書いているあんたも機械の字が「機会」になっとるがなwww 最近加藤茶の再婚で話題になったが
歳の差婚と言うことなら荒井さんも当時話題になったな 荒井さんはああ見えて教員免許も持ってたし
太宰治や芥川竜之介を愛読するインテリ
バンドマン揃いの初期ドリフの中においても異色のタイプだったろう DVDで出してくれないかな演奏メインだった頃のドリフ
動画で見る限り加藤茶のドラムはかなり巧い 荒井さんが抜けた穴を
若いドタバタするだけの兄ちゃん(志村)が埋めるのは絶対に無理だと思った
関係ないけど全日本プロレスで天龍が阿修羅原の代わりに川田利明を抜擢した時に
同じ様に思った
人間努力でどうにかなるものだ。 >>66
全員集合DVDでも荒井さんの出演しているコントはもの凄く少ない
あの時代のドリフの雰囲気を知るには映画を見てみるのも良いかもしれない。 >>80
努力も勿論あっただろうけど志村も川田も努力だけであそこまでいった訳じゃないだろう。
それぞれコメディアン、レスラーとして天性の才能があったんだよ。
そういや昔の全日には志村がよく観戦に来てたよな。
年末の特番にもダチョウと一緒に出てて面白かった。 そう言えば志村にダチョウを引き合わせたのは川田じゃなかったっけ 昔全員集合の特番かなんかで注さんが居た頃のドリフのコントが流れて
そのネタが「優勝者の荒井注さんには賞としてカツラのカタログを
差し上げます」と言われた注さんが「いらねぇよ!!」と怒る物だったw
その後ドリフが「ツーレロ節」を歌っていた。 大爆笑で荒井さんがゲスト出演したドリフ出世競争のコントが面白かった。
ドリフの歴史を振り返りながら各メンバーの栄枯衰勢をネタにしたやつ。
ちゃんと志村や仲本の競馬問題にも触れていた。 1981年2月18日仲本と志村が番組プロデューサーの居作と共に
競馬のノミ行為で任意の事情聴取を受け書類送検されたことが発覚、
約1か月に渡り謹慎。その間いかりや・加藤・高木の3人で乗り切った そうそう、その3人だけで全員集合やったんだよな。
子供心にも大変な事態が起きたことが実感できたわ。
意外と志村抜きでも面白かった記憶があるけど
きっと非常事態ゆえにいつも以上に3人に気合いが入ったんだろうね。
でもさすがに一ヶ月以上だったら3人だけではもたなかったと思う。
もし逮捕までいってたらドリフ解散だったかも。 >>85
「陰険な性格とふてぶてしい態度がメンバー全員の反感を買い、
ザ・ドリフターズより永久追放の憂き目となる」って奴ね
>>88
実はそのときいかりやも買ってたと後年
ダウンタウンの番組で志村が暴露してたね >>89
その注さん脱退の理由、小学生だった俺は当時は本気で信じてしまったよ
本当にそんな理由でクビになったのなら、たとえゲストでも出れないよなw >>15
俺も。
昭和50年代生れの連中がドリフって面白かったんだぞって
昭和60年代生まれの後輩にドヤ顔で説明してるのを聞いて苦笑してる。
お前等は志村の時代からしか知らんだろ 僕は大学生だからドリフの番組すら知らないんだけどね(笑) >>91
クレージー世代からは
ふっ!ドリフなんて子供向けだよ
と見下されてたろ バンド時代
和音の取り方
音程の正確さでは高木ブーが一番だったらしいね 純粋にミュージシャンとしての技量だけでいえばブーさんが一番上でしょ。 >>87
子供の頃ノミ行為の意味がわからなかった。
何か不正なことをしたんだなというのはわかっていたけど。 高木と仲本は共にジェリー藤尾のバックをやってた経験があるんだっけ 荒井さんがいた頃は加藤ちゃんを中心に他の4人が支えあってアンサンブル
良くも悪くもパワーバランスが安定していた。
荒井さんから志村に変ってこのパワーバランスが崩れた。 >>87>>96
いかりや『番号!』
高木『1!』
加藤『4!』 92:坂井輝久 ◆C6YlvmPsWE :2012/11/27(火) 08:50:40.93
僕は大学生だからドリフの番組すら知らないんだけどね(笑)
99:坂井輝久 ◆C6YlvmPsWE :2012/11/30(金) 09:55:31.80
>>87>>96
いかりや『番号!』
高木『1!』
加藤『4!』 コラコラ監視すんなバカヅラ
ようつべかニコ動か何かで見たんだよ。
リアルで見てるわけねえだろタコスケ! >>101
といいつつ平成生まれに言っても信じてもらえないことスレにも徘徊する
ボケ老人坂井
204 :坂井輝久:2012/11/29(木) 23:04:35.77
>>202
そもそも深夜営業の店がなかったからね。電飾看板も電気が消えてたし。
街頭や点滅信号しかなかったよねぇ〜
夜間交通量少ない道なんか信号そのものが消えてたし。
地方都市なんかなおさらだな。 気ままに行きたい荒井さんと
熾烈な視聴率競争のさなかで妥協を許さない(2歳歳下の)いかりやさんとの間で
不協和音が生じたのかもね。 ドリフメンバーで最もつきあいの長い
いかりや長介と加藤茶との信頼関係は多分二人にしかわからないものがあるだろう。
いかりや長介の葬儀の際の加藤の涙の弔辞は、40年以上に渡る喜怒哀楽の情を共にした
世代を超えた男と男の友情を感じた。 >>98
荒井さんが居た頃はドリフもそれなりに仲が良くて
皆で一緒にクレー射撃を始めたりボーリングに行ったりとしていたらしい 6/9パチンコ営業の観客ブログより
>今回も加トちゃんのトークで盛り上がりました。
>「仲本は7月に結婚するんですけど、志村は出席しないと思います。
>あの2人は仲が悪いんで。」
仲本はいかりやとの共演を長期間拒否していた志村を未だに許してないのかも
知れない 志村は加トちゃんの結婚式(現嫁との)にも来てなかったんじゃなかった? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています