【あの頃】 学生時代の後悔 【どうして】
あの時、ああしてればよかった、とかあのときの選択で今は違う人生を歩んでいたかも・・・
など、昔を思い出せば後悔というものは必ずついてくると思います。
そういったことを全般的に書いて、一緒にセピアな気分になりましょう。 大学の頃1歳年上の先輩を好きになったことがある。
野球好きの俺は自分の大学の野球部の試合を良く見に行っていたんだがその時に応援のためのチアリーダーをやっている先輩に出会った。
彼女はチアリーディングチームのまとめ役で元気が良く笑顔も素敵でお姉さんタイプだった。
それにいつも礼儀正しく俺にも「いつも一緒に応援してくれてありがとね」とか声を掛けてくれた。
最初はそうでもなかったが何度も会っているうちにいつの間にか好きになってしまった。
携帯の番号を交換したり一緒に飲みに行ったり(2人だけじゃなくて野球を観戦していた他の男女も一緒に)はしたんだが好きだと告白はできなかった。
多分彼氏がいるだろうから告白しても振られるだろうとか自分はオタクみたいな性格だから嫌がられるだろうかとか思ったりしたし女性と付き合う自身がなかったのが要因だった。
でも今思えば何もしないで後悔するより告白して振られた方が良かったと思う。
中2の時に隣になった女子が俺に親密にしてくれていたのに、
奥手だった俺はその女子に自分から話しかけられなかったこと。
何かと話しかけてきたし、フラグがたっていたのかもしれないと思うと、ホントに時を戻したくなる。 中学、高校と、何回か女の子と付き合うチャンスがあったにもかかわらず、
変に硬派を気取って、相手の好意に気づかないフリをしたり、告白されても
にべもなく断わっていたこと。
一度でいいから制服デートとかしてみたかった('A`) 部屋に何度も遊びに来た女の子に手を出さなかったことは悔やまれる。
特に好きではなかったというのが理由だが、向こうは俺を好きだったみたいだから
手を出してもよかったんだよね。 小6のクラスメイトで俺に好意をもってくれているのがわかった女の子と中2でも
同じクラスになり、彼女からクラス内の腕相撲大会のときに「予行演習しよう」と
言われ、二人で腕相撲をしたら周囲からは囃し立てられ、恥かしかった。
中3の修学旅行でも同じ班になって一緒に行動したし、運動会のときはリレーに出
場する俺に鉢巻を用意してくれた。
でも俺からは一度も彼女に好意を示す機会がなかった。好きだったのに。
別々の高校に入ってからは会う機会もなくなり、噂だけ。彼女はモテモテだったら
しいが、誰とも付き合わずに卒業したらしい。俺は俺で結構モテたし、何人かの女
の子と交際した。多分彼女の耳にも入っただろう。
大学生になり3回生の夏休みに帰省したときに数年ぶりに彼女に会った。思ってい
た以上に美しく、気品のある女性になっていた。
だが当時の俺は無軌道な生活ぶりで遊びまわっていた。彼女はその気配を感じ取っ
たのか、俺に対する態度はよそよそしかった。あまり話をすることもなく別れた。
其の冬に帰省して他の友人に会った際に彼女が夏に俺と会ったことを嬉しそうに話
していたことを知った。かなり俺のことを美化して話していたようだった。俺は当
時の生活(実は年上の水商売の女性の部屋に転がり込んでいた)を清算する決意を
固めた。彼女は俺のことを「小学校時代からの夢に向けて努力している」と言って
いたらしいのだ。その「努力」をしなければならない。そう思った。
それからは仙人のような生活だった。だが必死さな通じ、俺の努力は実った。4回
生の冬に俺は帰省して彼女に電話をかけた。そして彼女に告げた。「夢がかなった
んだ。キミのおかげだ。だから僕と」とまで言った時に彼女が「よかったわね。こ
れで安心して結婚できるわ」と言った。聞けばお見合い話が持ち上がり、色々理由
をつけて断っていたらしいが、親戚が強引に話を進め、近く結納という話だった。
俺は彼女の家に走った。彼女は俺が来るとまでは思っていなかったようで「うそ?
来たの?」と言って固まってしまった。俺は「結婚は駄目だ。絶対するな。僕と結
婚するんだ!」と彼女に迫り、今にお茶を運んできた彼女の母親はお茶をこぼして
しまった。
彼女の母親は「そんな、もう無理ですよ。以前はよく■■さん(=俺)の話をして
いたから、娘は■■さんのことが好きなんだろうな、と思っていましたけど、中学
生の頃でしょう。お互いに別の高校に行ってからは道がわかれたんじゃないですか」
と寂しそうな口ぶりで言った。俺は「いえ、そんなことはないんです。僕は●●さ
ん(=彼女)のおかげで自分の夢を思い出し、それに向かって努力することができ、
そしてその夢がかなったんです。●●さんの応援があったから・・・」とまで言っ
たところで彼女が「応援?」と口を挟んだ。俺は友人から聞いた話を伝えた。彼女
は「だってああでも言わないと、あのときのあなたはどう見てもちゃんとしていな
かったから」と苦笑した。だけど俺は怯まなかった。「それが僕にとっては最高の
応援だったんだ。君のその言葉に応えたい。その一心だった」と言い、「君がいて
こその今の僕なんだよ。だからこれからもそうあって欲しい」と迫った。彼女は俯
いた。目元に涙が滲んでいた。
彼女の母親は立ち上がって部屋を出るとすぐに戻ってきた。手には小学校の卒業文
集。そこには俺の将来の夢が書かれている。「夢がかなったんですね、すごいわ。
●●ちゃんの夢は『お嫁さん』か。かわいいものね」と笑った。そしてふと思い出
したように「ねえ、この『お嫁さん』は『誰かの』というのをイメージしてたの?」
と彼女に尋ねた。彼女は涙をこぼしながら「この人」と俺を指差した。
彼女の母親は「やれやれだわね。■■さんの夢だけがかなうのは不公平よね。じゃ
あ●●ちゃんの夢もかなえないと。■■さん、いいんですか?」と言い、話は急展開
した。かえって彼女の方が「でも▲▲さん(=お見合い相手)には・・・」と気を遣
った。「そんなのは親の役目ですよ。もう親の役目を果たす機会も少なくなりそうだ
し」と彼女の母親は笑っていた。
こうして俺と彼女は大逆転で結婚することに決まったが、後悔はある。
中学生時代に告白しておけばよかった、この点だ。今でも妻から「いつ言われるか、
とドキドキしていたのに」と詰られる。 趣旨が違うかもしれんが、黒歴史みたいな話を書く。
中1のとき、何を思ったか覚えたてのモールス信号を、提出用の生物ノートの表紙一面に書き殴っていた。「トントンツー」とか…。
当然見た男子から白い目で見られた。奇特な長身女だと思われた。今もです。同窓会には一生行けません 本命チョコをもらった
どうして会いに行かなかったんだろう _
|O\
| \ キリキリ
∧|∧ \ キリキリ
ググゥ>(;⌒ヽ \
∪ | (~)
∪∪ γ´⌒`ヽ
) ) {i:i:i:i:i:i:i:i:}
( ( ( ´・ω・)、
(O ⌒ )O
⊂_)∪ 中学の体育祭で競技が終わるたびに、歩き回ったりしていた。
それでうちのクラスの色別は赤だった。
赤が惨敗していやな思い出であった。 教師の不誠実に対して訴訟しなかった事が悔やまれる
・喫煙所の灰皿を生徒に掃除させて、まだ汚いと喚く教師
・生徒が言う事を聞かないと担任を数週間ボイコットした教師(学校側と相談無し)
・生徒1人が忘れ物したからと授業に出ないでサボる教師
・女性優位社会を推進して、週1位で授業を中断し持論を語り話し合わせる教師
・生徒に手を(性的な意味で)出す教師
・サカキバラ事件(未解決時)に生徒に推理させて楽しんでた教師(教師の推理は大人
ってか、急にボイコットする教師多かったな。。
90年代ってそんなもんか?
全部静○県静○市の中学教師だよ!
思い出すだけで、腹立たしい。 スクールカーストやら受験やらで抑圧される高校でもなく、
社会人になったり、その前段階としての就職をひかえて楽しむ余裕が無い時期でもない、
抑圧から自分が開放されるつかの間の貴重な時間があるとすれば、
たしかにそれはゴールデンタイムと読んでもいいと思う。 社会人になれば(イベントにでも参加しない限り)社内と取引先くらいしか出会いが無いし
既婚者や同性ばかりの職場もあるから
学生時代に相手を見つけておくのが無難だったりする 中1の国語の授業のプリント配られたときに、自分がわかる範囲内は書いたけど、例えば「少年の日の思い出」とかの長文読解の部分をシカトして落書きしてたので、次の国語の授業はみんなの進みに差をつけられてた。
そのときに答え合わせのとき、恥をかいたことあった。 ト.、___ ...ノ しイ ノ (_ //..:../..:..:..:..:..:..:../..:..:..:.\
!  ̄ f´ ,イ/..:..:..:.´..:..:..:.:/.〃:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ ト-.、_____..-─┐ノ!
」 | /.:/.:.:.:.:.:.:/.:.:.:/.:.//.:.:.:.:.:.:.:.:.:.rx.:.:.:.ハ「 し/
| |/.::/.:/.:.:.:./.:.:.:/.:.:://.:.:.:.:.:///Y!:=、.:.:.:ハ /
1 な 謝 神 セ ./::〃:/.:.:.:.ト、:.:/.:.,イ/.:.:.:.:.:/.,.イ/ `ゝ!.:.:.:.:.:.l な 謝 l
| さ. り. 様. ッ //:/.:/.:.:.:.::l.::メ、//ハ.::.::/:/ 〃 |.::.::.::.::l. さ .り |
| い に ク l/.:/.::|.:.:.:.:.::l.::」_|\|.::.::.:/:/ 〃 //.::.::.|.::| い !
/ !! ス !.::,'.:.:」|.::.::.::|ィfi弌 丁`メ/ , }___,...〃!.::l.::.|.::| !! /
/ の :|:小/ ||.::.::.::|.:l リ:ツ |.:/ 7fいヽ//.::/::/:V |
/ lハ:| l!.::.::.::|:.|、、、 / , iノム }/:::/.::/// l
¬ l.::!ハ ∨.:::.lト、 / 、,、/:/::.:,イ/} r.、 |
/ ___ ∧ ト、l\ トヘハ!:l:`!:::::∧ /`ーァ /イ.:::/〃/ /7 | _ _」
'⌒  ̄`′ヽ! ヽ ゝ宀、:ハ / ./ / // /レ'´ ̄ ̄7 / / ト-┘
,' \ L___/ ,..-< /./ / l
/ l \_ ,...イ厂 _ / / / /
,.. --- 、__.. - '′ l / ノ V / / / / 7
/ l ∧ / / ´ ノ / / /
/ 、 ! :/: \. / / / ″ レ′/
,′ `ー-..__ _ >‐- 、 / /
| l ヽ ,.-‐'こ \ ,′ /
l ヽl ,′ /
l ', ヽ , ,′ /
', ', ヽ Y / ,..イ″
', ', \ / /
', ', ヽ / ,ィ′
', ', ヽ / / .',
', ', . . l / /ヽ__',
', ', . : : : : : . У ./: : :、__)
', ヽi: : : 、__): :./ /: : : : :`∧
', \: : : / / ,イ ヽ
東東東南南南西西西北北北中中 体育祭当日は体操服に短パンで登校して、教室から椅子を校庭に出して応援席とした。
入場行進・校歌・応援歌斉唱が終わってから競技・演技がはじまり、中1のとき午前は応援団で感動していた。
競技は「100m走」・「追いかけ玉いれ」・「マスゲーム」・「綱引き」、「竹取物語」・「組立て」だった。
中1のときは自分の出場する競技・演技が終わるたびに応援席から離れるときに色別の先生に断らないでいって歩き回っていたし、そのときの来客がPTAのほかに本校の兄弟である小学生や高校生がいっぱいきていたし。
また、ほかの子が応援席から離れるときに「いげば」といわれている先生から「席を離れるときは各色別の先生に断ったのでしょうね、ちっとも応援しないで」と指摘されていた。
このほかにも競技のときおしっこ我慢していたのがいて、終わってから大股開いてシャーとオシッコするところを見た。後年になって、俺が思うにはその子は、「なんであんなことしたのだろー・・・」今は半分笑い話になっているけど
閉会式の成績発表では中1のとき惨敗で色別の教師から体罰があったし、去年は惨敗だったけど、中1のときみたいに歩き回る回数が少なくなった。
閉会式が終わって椅子を教室に戻してから、中1のときみんなにボロクソ言われていた。それは中1のときは歩き回ってばかりいて体罰があったりして、去年からはそうでもなかった。
HRが終わってから中学のときは体操服に短パンで下校してから着替えた。 小学生に戻ってプールの時間に女子のパンツパクって、その女子のプールバッグに自分のパンツ突っ込んでおきたい。 俺、33になるけど学生時代は極端に内向的だったからまともな青春など全てパァだったよ・・・。
両親共に大人しく、事勿れ主義で束縛が強く、そんな悪い影響と強権をモロに食らった自分は人前で内面を表に出せず、学校内ではどうにか笑ってごまかすのが精一杯だった。
常識的な人付き合いもわからず、小中学校時代は特に極端に偏ったのばかりしか寄って来なくて、和気藹々とした仲間は作れない、彼女も出来る訳がない、高校時代も放課後のバイトも出来なかった。
30近くになった頃、社会性に欠けた家庭環境の劣悪さにようやく気付き、激しく両親に詰め寄ったけど、もう後の祭りだと思って同級生と親しくなれなかったことには諦めが付いたよ。 高3の終わりに中1のおにゃのコにコクられた。
「お兄ちゃんになら何されてもいーよ」
とまで言われておきながら、
「○○はかわいーなー」と頭なでなでしただけ。
その後俺は上京し、おにゃのコとは音信不通。
乳くらい触ればよかった。 ♪グォングォングォングォン♪
♪ダカトダカトダカトダカト♪ 高校で帰宅部だったこと。
中学は吹奏楽部だった。部活を引退した時、吹奏楽に飽きてたが、続けてれば良かった。
高校3年のスポーツテストの時のこと。
運動音痴だった俺が、唯一平均より上の競技があった。1500m走。
毎日ランニングしてた。腕足せ伏せ200回とかその他筋トレもしてたが、筋力はなぜか全くつかなかった。
1500m走を、クラス3位でゴールした俺に、女子が「OO君って、実は、運動神経良いの?」と聞いて来た。
俺は誰ともほとんど話さなかった。話しかけて来た女子とも1度も話したことがない。その話しかけて女子は目立たない子だった。
俺は何も言わず、その場を離れた。スルーって、最悪な行動だったな。
40歳過ぎてから、後悔し始めた。それまで思い出しもしなかったのに。彼女はもう全く覚えてないだろうが。
大学に入学し、空手部に入ったが、3か月後に後悔した。基礎練習のみの3か月間は、そこそこ楽しかった。
大学は、吹奏楽部はなかったけど、ジャズ研があった。ジャズ研に入れば良かった。
空手部辞めて、ジャズ研に入るという行動は出来そうになかった。
空手部はよくて2回戦の、少人数の弱小空手部だった。 【警察による国民監視衛星の悪用】
◎電磁波を使った国民に対する人体実験・虐待・拷問・性犯罪
『未分類 電磁波による拷問と性犯罪 Archive. is』の記事を御覧ください。
http://archive.fo/sFWAh
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【告発者】高添沼田(葛飾区青戸6)
◎日本全国にたくさんの被害者がいます。
@私、高添沼田のオヤジはこのような犯罪を絶対に認めないし絶対に許さない!!
A私、高添沼田のオヤジはこの犯罪の撲滅のために最後まで闘い抜くことを誓います!!
B私、高添沼田のオヤジは邪悪な警察権力に対して敢然と立ち向かうことを皆様にお約束します!!
C私、高添沼田のオヤジは被害者に代わり自らが電磁波による人体への攻撃を受ける覚悟でいます!!
D私、高添沼田のオヤジはたとえ孫が電磁波攻撃にさらされようとも闘い続けます!!
E私、高添沼田のオヤジはたとえ近所の高橋清水千明が電磁波攻撃にさらされようともそんなこと知ったこっちゃありません!! 年末年始、急な入り用の時…
今月の生活費が足りないかも… 。
急な出費でお財布がカラッポ… 。
リアルに一か月一万円で生活しないとやばい!
借金の返済が立て込んでどうしようもない! (金融機関、住宅ローン、会社、個人など)
給料が減少し、生活が苦しい !
そんなアナタのお金の悩み、相談はエスティーエーで
ホームページもあります、エヌピーオー法人エスティーエーでケンサク! セピアのように金が手に入る方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
8L0E0 大学の少ない県の大学に行けば、私立の底辺大学生でも正社員になれたかもいれない。
就活、全て1次面接で落ちた。 高校生の時、友達付き合いは広く浅くがカッコイイと思って実行してた。
結果、大人になった今、連絡を取る友達が居なくなってしまったよ。
先日偶然街中で高校時代の友人と会って話してた時に「そういえば、こないだAの結婚式やったじゃん? あの時にさ〜、、、」という会話をされて、
呼ばれていないとも言えず適当に答えたときの悲しさ。
なぜ高校時代にもっと友人関係を深くしていかなかったんだろう。
一生残る後悔。 龍神連合五代目総長・清水(葛飾区青戸6−26−6)の挑発
清水「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状) 大学時代にバイトしてた時に美人で巨乳で凄く優しい女性が働いてて
その人にこっそり誘われたのにビビって逃げてしまったこと
当時はシャイだったので女からそんな事言うなんてとドン引きしてしまった
その後なんとか童貞は捨てたけどあのレベルと一線交えるチャンスは
もう二度とないだろうな。
乳くらい触らせてもらえばよかった 信じられる人は他にいたのに、信じてはいけない人を信じてしまい、しなくていい苦労をいっぱいしたこと 自然教室で登校してから教室で体操服に着替えた。
体育館で事前指導が行われた。校門を出てから体操服とジャージになって貸しきった路線バスで山や海へ移動しているときに、生徒は一般の路線バスと思い込んでブザーをいたずらで押したのもいた。
ついてから班別で行動して、暑くてジャージを脱いだよ。
ほかの班の生徒はリタイアもいたし、リタイアが出るとその班員たちが責任となる。
昼食のときは自然の中で食べるのはよかったし。
午後も班別で行動しているとき、トイレ行きたくて路線バスの駐車所までがまんしていたのもいて、トイレ行ったときは並んでいた。
それから路線バスに乗って学校まで移動しているときに座席の下の通路にはレジャーシートを敷いていたのがいた。
それから学校の校門に入り、体育館に集合してから「自然教室おつかれさまでした」だった。
放課後にリタイアが出た生徒の班員5人と別の班員5人は残されて説教されていた。
オレはあまり活躍しなかったけど、うちの班員は説教されなかった。
それから教室に戻って体操服を脱いでから制服に着替えて、HRが終わってから16時10分に下校した。
ハードスケジュールだったし、家についてからは疲れていたよ。 せっかく東京のM大学というある程度名の知れた大学に入ったのに、その後の人生に
活かせなかった。いや、活かさなかったというべきか。
大学に入るや否や、受験勉強から解放された喜びで怠けるようになり、勉強はさっぱり
しなくなり、といって若さを発散させて遊びに向けて友達を作るでもなく、家でファミコン
とかまるで若さを持て余すような生活。
就職もいい加減で大手銀行の子会社に簡単に決め、そこも3年足らずで辞め、以後は
中小を渡り歩く、不毛な人生だった。
思えばM大学に入ったのだから、4年間思いっきり「M大生生活」を楽しむべきだった。 中、高、大とほとんど記憶に残ってない。
引きこもり同然の空っぽの性活。
もう20年も前、後悔しかない。 >>103
もう見てないと思うけど、良い話だったよ
久しぶりに泣いた
20191004 (小6)
放課後、帰ろうとしたら、好きだった子がワイに「バイバイ」と挨拶してくれたのに、ボッチで女子と全く会話したことの無かったワイは無視した。
「バイバイ」と挨拶すれば良かった。
(中3)
修学旅行、行きしな好きな男女で座ることになり、3軍にいるワイのことが好きだという変な女子がいて彼女と座ることになった。
女子と全く会話したことが無かったワイは、何も話さなかった。
会話すれば良かった。といっても、3軍男子と少年ジャンプの会話しかしてなかったので、女子と話すことは何もないのだが。
(高3)
スポーツテスト、絶望的な運動音痴だが、マラソンだけは得意で、1500m走がクラスで3位だった。
地味な女子が「」OO君って、実は運動神経良いの?」と質問してきたが、その女子とは全く会話したことが無かったので黙ってた。
「マラソンだけは得意なんだ」と言えば良かった。 高校3年。
大学じゃなくて、公務員専門学校に行って、高卒公務員を目指せばよかった。Fランに行って就職出来ず、派遣工になるが、今準ひきこもり。
MT車に乗ってるが、高卒公務員に受からなかったら、自動車整備士を目指せばよかった。 中2か中3の頃
担任が左巻きのおかしな熱血漢で、学校祭のクラス発表で反戦ソング歌わせるような奴だった
マジで大嫌いだった
わりと不良の多い学校で、怖い先輩がたくさんいて同級生も4分の1くらいはそんな感じ
同じクラスにKちゃんという不良っぽい子がいて、鑑別所に入ってたとかいう噂もあったが、
話してみたら口数少ないけど優しいしたまにボソッと面白いこと言ったりして印象は悪くなかった
そのKちゃんが一時期不登校になって、何があったのかはよく知らなかったけどトラブル絡みだった模様
ある日Kちゃんが登校したら担任が熱くkちゃんに説教?開始
自分は担任嫌いだし上の空でいたら、いつの間にか1人ずつKちゃんの更正を声かけする流れになってた
順番に立って「早く更正してください」って適当な言葉をかけるクラスメイト達、
「Kは何も悪いことしてない、信じてる」と言う不良グループの子、それ聞いて涙するKちゃん
自分の番が来た、正直何の話かさっぱりわかんなかったけど「早く立ち直って学校に来てください」って
全く心にも無い上っ面のことしか言えなかった
何であの時あんなこと言ったんだろう
正直に「Kちゃんに嫌なことをされたことがないから、何も言うことはないし言う筋合いもない」と言えば良かった 卒業の時、大量に捨てられていた女子の上履き
持って帰れば、今何百万になります。 イベントスタッフとして働いていた時、迷子になっていた幼稚園児くらいの男の子を見つけて、本部へ連れていった。本部から案内放送でお母さんを呼んでもらうもなかなか現れず。
お菓子をあげようとしたとき、お母さんが現れたんだけど、開口一番が「うちの子にお菓子を与えないで!」とキレられた。
自分が「すみませんが、○○君のお母さんですか?お話があるのでこちらへ…」と言ったら、お母さんが「そうですよ。あなたですか、息子を誘拐したのは!」と。(誘拐じゃねーし、息子さんが迷子になっていたんだから本部へ連れていっただけなのに…)
男の子に「ごめんねー。もうちょっと待っていてくれるかな?…」と声を掛けたら、お母さんが「息子にさわらないで!私は話すことなんかないしもういいか?」と、男の子の手を引いて帰っていった…。(どうしようない母親だ…)
実は本部へ行く途中にこっちに視線を送るお母さんの姿を途中で見てはいた。
でも男の子はお母さんだとは言わなかった。お母さんはきっと、息子をまわりからは迷子だと見せかけておいて、一人で行動できるかを試したかったんだと…。
嗚呼。当時、それに気づいていればと…。 オレは人の目を気にする所があり割と目を合わせないように振る舞うタイプ。ブサイクだから尚更だけど。
高校は男子高で駅まで自転車だったんだけど駐輪場で毎朝よく一緒になるJKがオレの事をじろりと見るから苦手であった。
そんなに可愛いってわけでもないけど当時のオレの童貞好みなその地味さに萌えはしていた。
そんな高2も終わりを迎えたある日の朝、彼女の止める自転車がいつもよりオレに近いから嫌だなと行こうとすると「ちょっとお時間いいですか?」と呼び止められた。
駅まで一緒に歩きながら、以前からオレの事を好きだったと言うのを伝えたかった、いつも振り向いて貰えずで、私みたいなタイプは嫌い?みたいな事を言われた。
彼女は高3でこの時間帯に駅に来るのが今日が最後、もうオレには会えないから気持ちだけは伝えたかったらしい。これにはマジでオレはびっくりした。だけど恥ずかしさもあり気の利いた言葉も思いつかないオレは言葉を濁したまま改札で別れてそのまま。
後悔してる…。