失われた思い出の場所について
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最近一人暮らしを始めて、幼い頃住んでた町の近くに引っ越しました。
ところが、思い出の場所は開発や過疎化、不景気による閉店や廃校等で
記憶の中の風景はすっかり失われていました。
皆さんはそういう体験をお持ちではないでしょうか。 幼少のころに住んでいた団地。
10軒ほどの商店街は、半数が違う店にいた。
団地と同じように建物は傷んで、無残な姿となっていた。
遊びに行くとお肉を焼いてくれた肉屋はもうなかった。 去年10数年ぶりに実家に戻ってきた。家から少し山の方に広がっていた畑地が○○タウンに変貌していて…… 通っていた小学校は廃校になった。今は立ち入り禁止の札が立っている。
食品メインで雑貨も買えた店はコンビニや郊外大型店に押されて軒並み潰れたなぁ…。 20年程前毎年帰省してた田舎の商店街、数年前に行ったらものの見事にシャッター通りに。
みんな車持ってるから便利な市外に買い物に行くんだってさ。 昔18切符で乗ってた思い出の路線が経営不振で3セクの運営になって、
しっかり別料金取られたときは泣いた。どうしてもそこを通らなきゃ
行けない故郷も下手に開発されて酷いモンだったよ。 >>5
コンビニが出店を諦めるほどの僻地で無い限り、
○○商店って感じの名前の雑貨屋はほぼ全滅では。
俺の田舎は市内にコンビニが2軒しかないんで(24時間営業は一軒のみ)
辛うじて生き残っているけど。 コンビニとかテーマパーク、本屋なんかでも
最近駄菓子屋の雰囲気を再現したつもりのコーナーが良く見られ、一定の売り上げがあるみたい。
手軽に菓子が手に入る一方で、本物の駄菓子屋(含む学校の前の文房具屋や菓子を扱う商店)は
店主の高齢化や不景気でどんどん潰れてる。何なんだろうな…。 なんか帰るたびに故郷が変貌しててさびしいです。
思いではいつまでもそのままであった欲しいと思うものなのでしょうか。 土地の寂れも悲しいが、俺にとっては当時の友達が殆ど地元に残っていない事の方が辛かった。
楽しかったあの頃からずっと変わらないでいようと思ったのにな…。 かつて栄えてた駅前周辺の映画館はほぼ全滅、
よく買い物に行ってたデパートはすっかり落ちぶれてしまい、
かつての家並みも今や高層マンションだらけ、
そして、かつて栄華を誇ってたアミューズメント施設も消えて。
辛うじて思い出が残ってるのは区[市]役所と隣のおイナリさんだけ。
そして私のかつての実家跡は生命保険会社のビルがボンと・・・・・・・。
思い出の場所でなくても、やたらマンションや駐車場が増えるのは
気分のいいものではない。まだ空き地や古民家の方がマシ。 小山ゆうえんハーヴェストウォークで前にあったダイエーの建物。
空調設備が古いもので、冷却塔が屋上にあった。
その冷却塔の音をデンスケでカセットに収めておいた。
さてと、そのテープの音声をMP3化しようかな。 未開の山頂に作った秘密基地
ブルドーザーとかダンプとかで2年がかりでつぶされた
不思議な白い石の取れる聖地だったのに 小6の時探検した廃墟(S市の通称南鉄塔町、)
清水精工所、中2の年にダイアパレスになった。
鉄鋼所で怪しい薬品とかあった。排水がシンナー臭いも
まだ家が建つ前で水路(暗渠)も水が綺麗でとなり校の
女子は青い体操服とブルマーになって探検してたっけ...
また、その学校の校門前のクロサキ文具で中3の2学期
1987年12月21日
どうしてもブルマーが欲しくてなけなしのこずかいで買う
自校の学区内の店では誰かにバレる危険もあったので...
OLESSと言うメーカのナイロン100%の厚地で臭い。
その学校の指定品だった、おばはんがオレを疑った目で見てた。
その文具屋も1990年廃業し、今はフツ〜の家。
モリタ文具と言う駄菓子と文具の店も廃業、建物2年前あ〜ぼん。
廃墟はあともう1物件大物があった。U学園の女子高の木造校舎
無人のはずの校舎からヒアノ演奏が(ショパンが多かった)
後日市立病院建設の為、2000年秋にあ〜ぼんしたが
隣接する同学園の短大の寮生が中で練習していたようだ。
何故、南鉄塔町かと言うと学校の3階からみえた小松川線尖がり頭の鉄塔が
有った為(小松川線No32大正15年12月築、H3年末あ〜ぼん)
当時クラスで鉄塔を見物に行くのが流行っていた。今や開発され当時の
面影なく平凡な住宅地になり、挙句、東西は何時も大渋滞、南北は分断された
ガン県道が出来公害も増加...
地元のハーブ園
季節の花が美しく咲いて人々の笑いで華やいでいた場所。
犬の散歩にも最適で癒しの場でもあったのに
急になくなるなんて悲しすぎる。
色々な思い出が詰まってるのに。 いいスレ。
子供の頃日が暮れても遊んでいた公園がなくなって、
母親と何度も行ったスーパーがつぶされて、
秘密基地のようにしていた空き地が駐車場になって、
お祭りのときに心が踊るような美しさを見せた
屋台の並ぶ商店街が消えていった。
一つ一つの思い出をあげていくと、きりが無い。
人は死ぬとき、二度死ぬと聞いたことがある。
一つ目は肉体が死ぬときで、二度目は人々の記憶から消えるとき。
「場所」にも適応できると思う。
自分が忘れない限り、昔のことは消えないと思うけれど、
やっぱり寂しい。 無くなった場所の次に出来るものって、思い出補正を除いても
マンションとか駐車場とか更地とか、ろくな使われ方をしない気がする。
地主にとっては一銭でも儲けになるほうがありがたいのだろうけど。 自宅
オヤジが自己破産して、家がなくなった
30年住み続けたから思い出はたくさんある コンビニが潰れて設計事務所になったのとか見ると
(扉や壁がそのままなのですぐわかる)、思い出の有無を問わず悲しくなるね。 生後8か月〜10歳まで暮らした家。
幼少〜小学校中学年までの思い出はこの家とその近所に全て残っていた。
小学校5年に越した新しい土地で小学校、中学校に通った。
高校も家から近いとこを選んだ。同じ市内とはいえ、越す前の家へ行くことはなかった。
高2に進級したある日、何故だか突然バイクの免許でも取って、その場所へ行ってみたくなった。
学校では禁止されていたが、1日で取れるという原付試験を受けに行くことにした。
考え甘く試験を見くびっていた私は落ちた。よく雨の降る8月13日のことだった。
それから半年後、ひょんなことで親から例の家とその近所の家々が取り壊されたことを聞かされた。
信じられなくて、涙がボロボロ零れ落ちた。たった1回原付免許とりそこねた程度だって思ってたことが、
もう2度と思い出の家を見れないっていうことに繋がるなんて…。一生後悔すべきことになるなんて…。
今、私は21。私が生まれた家が今度は取り壊された。時期、そこは駅ビルが完成し、
とても賑やかな街に生まれ変わるそうだ。土地開発、ビル開発・・・
地域を新しくすることは素晴らしいことでもあるけど、思い出の場所がまた1つ失われるのは悲しい…。
長文スマソorz しかし、自分が大人に近づくたびに、思い出が形を失っていくのが、本当にやりきれない。。 ミニ四駆ブームの頃によく通ってた
模型屋やオモチャ屋がほとんど潰れてしまった
昔はあんなに賑わってたのに…時間の流れは残酷だな >>26
今は通販が便利だから仕方ないかも。
うちの近所ではまだコース置いてる模型店があるよ。 高校時代に彼女とよく行っていた小さな公園が先日マンション建設予定地となっていた・・・
本当にもう戻れないんだな・・・ 思い出は戻らない時間。
生まれてから4歳か5歳まで住んでた家。
四畳半と六畳と台所、風呂トイレ。
寝るのは両親が六畳の机を畳んで、俺と兄貴は四畳半。
思い出は数え切れない。
日曜の朝、早く目覚めて親父とお袋の温かい布団に潜りこんだ事。
兄貴とお揃いの服を枕元にたたんで眠った事。
大きな桜の木に毛虫がたかって父が退治する下を母ときゃーきゃー言って走った事。
休みの日はいつもクラシックのレコードがかかってた。
母が留守番してた俺と兄貴にキャンディを繋いだ首飾りを買って帰ってくれた事。
夜中に目が覚めて、朝と思
って起きたらケーキのお土産を買って帰宅した父がいた事。
近所の幼稚園だけど、俺にしたらとても遠くの知らない場所に
初めて一人で兄貴に届けものをした事。
庭で洗濯してる母の横で絵本を読んだ事。
とても書ききれない思い出。
今も夢に出てくるのは次に引越した、部屋数の多いマンションだけど。
5歳から23まで住んで母を亡くしたそのマンションにはいい思い出が少ない。
俺のHomeはあの小さな社宅。
母が元気で父が笑ってて兄貴の後をついてまわった俺の生まれた家。
桜の咲く家。窓から入道雲の見える家。
今はもうない。 よく友達と遊んだ空き地がアパートになり
親と一緒に花火をした裏山が駐車場になり
幼なじみとよく遊んだ家が空き地になり
水溜りに写る自分の顔を見て笑った道路は舗装され
かくれんぼをした野原には家がたった…
こうやってどんどん思い出の場所がなくなっていくのか… 逆に思い出が無くても最近の開発にはいい印象を持てない。
マンションやアパートとか、やたら入れ替わりの激しい店とか、
郊外型の大型店とか、今から思い出になりそうな場所なんてできやしねえ…。 いくつもの思いでの場所があるけど
まだじいちゃんが生きてて、家族全員が仲良くて、
学校も楽しかった無邪気な当時の自分に帰化したいんだと思う。
少し前、疎遠になった従弟が親づてに私と会いたいと言って来たらしいけど
多分、今の私じゃなくて昔の私に会いたいんだと悟った。
時間は戻らないけど美しい想い出は残るね。スレチスマソ
子供時代は、田舎に住んでいた。
さらに幼い時分は、市街地のアパートに住んでいた。
市街地しかすらずに育った幼い僕には、その田舎は完全な異境だった。
そんな田舎に似つかわしくない大団地があった。
そこに行くと、幼いのに「妙に懐かしかった」もの。
以前の「街の生活」を思い出してたのだろう。
その大団地は、大規模な社宅群。 幾棟ものアパートの列は、威容を誇った。
あの農村にあって、そこだけは「都会」だった・・・・
しかし、今その団地は・・・
居住区域はごく一部に。 残りは閉鎖、既にかなりの建物が取り壊されていた。
日曜ともなれば子供たちの歓声にあふれていたのに、今や休日でも人の気配がロクに無い。
「ショピング・センター」と呼んでいた、商店街は完全に閉鎖されていた・・・
もはや、ゴーストタウンに成り果てている。 新卒で入社した精密機器設計開発・製造会社Gが大手に吸収の後閉鎖となり、
現在は建物がそのまんま残っている。
その大手企業も業績がイマイチでねえ。。。 小さい時にお袋に連れられて行っていたスーパーはコンビニとDocomoの店になっていた 学生時代、東京に住んでた頃のラーメン屋、パチンコ屋、ハンバーガーショップ、喫茶店、ビデオショップ…
全部なくなってた。
あの頃の暖かい雰囲気はなくなったけど、思い出の中にはある。
思い出はいつでも優しい。
だから苦しい時、悲しい時に思い出すと癒やされる。 2001年につぶれた取手のイトーヨーカドー→マルエツ・ダイソーと専門店街は
05年にマルエツだけつぶれ、一昨年完全につぶれた。今取り壊しやってる。
どうやら跡地はマンションになるらしい。 ヤオハンつぶれ、ダイエー潰れ、イトーヨーカドー傾き、
岡田克也の一族のイオン、ひとり勝ち。 >>40
完全につぶれたのは去年だろ。マルエツの後釜もみつからないままに。 >>37
そこ、あきる野市のアレか?!
大手企業って、音響メーカーK(旧T)だろ?! 学校終わったら行った学童保育所
自分がいた時代はプレハブだった
今は建て替えられて、二階建てのログハウスに
小学校時代の思い出が全部詰まってる
夏休みも冬休みも学童に通ってたから
今でも鮮明にプレハブ小屋の間取りを思い出せる
本棚が置いてあるとこは畳で、他は板張りの床
二カ所入り口があって、前方の入り口入るとすぐ手洗い場があった
台所には冷蔵庫とかコンロがあって学童の先生がいた
トイレは男女別
天井にはファンがついてたけど、途中で冷房が導入された
畳に寝転がりながら絵本よんだり
隔離された事務所に侵入して遊んだり
班ごとに机を並べておやつを取りにいったり
オルガンをめちゃくちゃに弾いてみたり
荷物棚の上に登って猫を気取ったり
かまぼこ板にかぐや姫に丸太鬼やエスけん、今でもやってるのかな >>30
平成不況の時代、福利厚生は無駄なコストと見られて目の敵にされ、
社宅や社員寮は遊休資産としてことごとく売り飛ばされたからな。
googleストリートビューで俺が育った社宅の場所を見てみたら、
こぎれいなマンションに変わってしまっていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています