【少年画報】少年漫画雑誌の思い出【少年】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
少年、少年画報、少年クラブ、冒険王、漫画王、ぼくら・・など、昭和20年代から30年代、40年代にかけて、日本がまだ貧しかったころの
少年漫画雑誌の思い出をかたりましょう。 当時の少年雑誌は、モデルがいて、そのモデルの笑顔の顔写真が表紙を飾っていた。たとえば「少年画報」は設楽浩嗣というように。 ぼくら。
聞いたこともなかったが「妖怪人間ベム」のアニメで知った。 北大路欣也も昭和32年中学生の時、「少年」の表紙モデルになってる。凛々しい。 東京・中野の漫画店まんだらけ出版部発行の「まんだらけ」10,15,16に創刊号からの各誌表紙写真が載ってます・。すごい情報です。
少女漫画雑誌もでています。
他に次のにも
少年画報社「少年画報大全」
平凡社「別冊太陽 少年マンガの世界1」
この前知り合いの骨董屋が蔵出しに行ったら
これもついでに処分してくれと言われて冒険王や
漫画王を大量にゲットしてた。付録雑誌とかも
揃ってて感動した。 >3
「ぼくら」のモデルは、小幡やすしだった。
その他雑誌に、「おもしろブック」「少年ブック」「「日の丸」「幼年クラブ」「幼年ブック」「譚海」など。
少年画報について、本間正夫「少年マンガ大戦争」蒼馬社2000
付、赤胴鈴の助
宝島特別編集「1960年大百科」宝島社1991
>6すごいですね。捨てないでね。
上記少年雑誌は、20年代から30年代にかけて、まだラジオと紙芝居の時代の、娯楽もない時代だった。十大付録とかいってバンバン立った。当時の少年たちはそれを楽しみにしていて、こずかいをもってかいにいった。
少年雑誌には、表紙のほとんどを使ってアイドルの微笑みの写真が毎号のぞいていたモノ。モデルはみな歯をのぞかせ微笑んでいた。昭和40年代位以降少年漫画は、テレビの影響で衰退し、変わりに、少年サンデー、
少年サンデーなどが創刊された、これらの表紙にはモデルの写真は小さく、そのごなくなって絵とか担った。これらの創刊からの写真も、「まんだらけ」にのっている。 訂正:変わりに、少年サンデー、
少年サンデーなどが創刊された・・少年マガジンなどが創刊された 昭和32年ごろの各雑誌のモデル (雑誌は国会図書館)
「冒険王」 高橋了
「少年」 秋元雄一郎
「少年画報」 設楽浩嗣
「少年クラブ」 北大路欣也
「ぼくら」 小畑やすし 少年倶楽部を韓国ソウルの骨董店で5000ウォンで買ってきた。
日帝支配当時のもので昭和17年発行だった。 30〜40年代に祖父が理髪店を開業していました
夏休みは冷房が効いていて漫画が沢山あるので入り浸りでした
当時は漫画そのものよりも挿絵に憧れていました
第二次大戦の兵器がよく登場したのを覚えています
少年画報・・まだ日本が貧しかった頃昭和20年代から30年代にかけて少年時代を過ごした人には、涙が出てくるほど懐かしい少年雑誌の思い出・・
当時は設楽浩嗣など少年アイドルが表紙いっぱいの大きさの写真で、白い歯を見せて微笑んでいた。
[少年画報]の昭和23年創刊号から昭和46年廃刊までの、表紙をカラー写真で載っている者として以下のものがあります。
図書館等にあるはず。赤銅鈴之助、まぼろし探偵など。
[少年画報大全 昭和23年→昭和46年]少年画報社 平成13年(2001)8月発行
ISBN-7859-2101-3 雑誌50021-01 (雑誌です。)
少年画報社は現在もあります。(千代田区三崎町3-3-12) ・まんだらけ出版部発行「まんだらけ」10,15,16号
各漫画雑誌創刊号からの表紙写真が載ってます。すごい情報です。
少女漫画雑誌もでています。
・[少年画報大全 昭和23年→昭和46年]少年画報社 平成13年(2001)8月発行
ISBN-7859-2101-3 雑誌50021-01 (雑誌です。)
・雑誌『太陽』別冊 少年漫画(平凡社)
『別冊太陽 子どもの昭和史 少女マンガの世界 I 昭和20年〜37年』
(平凡社,1991年 7月)
『別冊太陽 子どもの昭和史 少女マンガの世界 II 昭和38年〜64年』
(平凡社,1991年10月)
『別冊太陽 子どもの昭和史 少年マンガの世界 I 昭和20年〜35年』
(平凡社,1996年 3月)
『別冊太陽 子どもの昭和史 少年マンガの世界 II 昭和35年〜64年』
(平凡社,1996年12月)
『こんなマンガがあったのか! 名作マンガの知られざる続編・外伝』
(メディアファクトリー,1999年11月)
『20世紀少女マンガ天国』
(エンターブレイン,2001年 7月)
このままdat落ちするのは惜しいので上げ。
「ぼくら」の付録に『風のふじまる』のソノシートがついていた。
「少年」の付録に、(たぶんフェノールフタレイン反応を応用した当たると血のように変化する)水鉄砲があった。
家が貧乏で新刊本では買えなく、半年後に古本屋で買った。
たぶん「冒険王」だったと思うが紙で作る戦艦大和が付録でついていた。難しくて組み立てられなかった。
古本の付録で理科が大好きになり、想像力もたくましくなり、家は貧乏だったけど国立大学付属中学校(田舎のブルジョア学校)に進み、その後京都大学工学部を卒業して、現在は公務員。
29です。すみません。誤解を生まないように書き足します。
現在は、平凡な公務員。理系出身ですから平凡なコースを歩みました。数年先にはリタイアする年齢です。
で、子供を育てていく過程で知ったことは、自動車で言うところの「新古車」のような販売形態は雑誌の世界では無くなっていたことです。
学研の「中学○○コース」が廃刊されることを知り、子供のために何とかして三年分をそろえようと学研本社にまで電話した日々が懐かしい。
自分が小学生のときは、B6サイズの読みきりの付録漫画が5冊くらいバンドル売りされていた思い出もあります。店員に隠れてこっそりと面白いやつと入れ替えてから買ったこともありました。
付録だけ売っていたのを買うこともありましたが、組み立ての詳細が雑誌本体に書かれているらしくて困り果てたこともありました。
連投で長文ですみません。
>>29
勝ち組ですね。ソノシートナツカスィ。また続きを書いて欲しいです。 >>31
29と30を書いた者です。勝ち組とは思っていません。
友人の父親が公務員であり、いつも清潔な身だしなみ。
一方、自分の父親は塗装工であり不安定な収入で貧乏。
そんなことから、小さい頃から公務員はカッコイイと勝手な幻想を抱いていました。
雑誌「少年」の付録にゴム動力の戦車がついていたことがあります。
父親が公務員の友人は新刊本で勝ってもらったのです………。
数ヵ月後に古本屋で手に入れたときは本当にうれしかった。
(本の中身は読ませてもらっても組立付録にはタッチできませんから。)
父親が公務員だった友人は公務員社会のいやらしさを父親を通じて知っていたのでしょうか、民間企業に進みました。
(本来の話題と違うことを延々と書き綴りましてすみません。)
年に1冊くらいしか買って貰えなかった。
連載物だとどうにもならないので、そのうちあきた
それでも読みきりの小冊子何かが付いていて、満足はしていたんだろーな
そのうち週刊誌になったけど、興味はもてなかった
模型とラジオ1964年7月号〜1965年1月号にOゲージのスクールズ級のライブスチーム製作記事があった。
後に1975年に1番ゲージでアスターから発売された。 少年画報の末期には、日野日出志なんかが書いていたらしいな・・・ 少年画報はふろくが豪華だったね
見たことはないが、サンダーバードのジェットモグラの組み立てふろく
というのがあったらしいが、完成品が見てみたい
ドリルがゴム動力で回転するとかだったらすごいが 「ぼくら」には怪人二十面相(わんぱく探偵団)のマスクとか、タイガーマスクのお面とか付いてたな
タイガーマスクのマント、懸賞で応募したら当たった
嬉しかったなあ ♪白いマットの ジャングルに 今日も嵐がやってくる〜♪ 白いマットのジャングルって全然イメージ湧かないよな
日本語下手糞 では3番
♪草も木もない ジャングルに 死を呼ぶなわが 待っている♪ >>40
想像力欠如!
思考能力欠如!
ようするに アホ! ジャングルって草や木が密生してるって意味だからな
まあ知らないバカも居るみたいだけど 「少年画報」とか「少年」「冒険王」「ぼくら」など昭和30年代の少年雑誌の表紙は
殆どが「顔」いっぱいで、設楽幸嗣とかスターだったが表紙いっぱいで、笑顔に白い歯が覗いている。
たくさんの付録がついていたもの、
小さな街に一軒位しかなかった小さな本屋の台に並べられる、それを心待ちにしたもの。
そうね、30年代のヒーローはおもに野球選手や力士などだったね
これが40年代になると、ヒーローや怪獣やTVまんがの主人公が
表紙を飾るようになる 少年画報は毎回、実験が楽しみだった。少年画報。たしか300円くらいか。
当時少年サンデーマガジンキングで50円くらいだから。換算すれば1000円くらいなのか。
とはいえ俺鍵っ子でお小遣ためて買ってたんだな。
月刊誌だし。で初恋の女の子のお誕生会に呼ばれてその子の団地に「少年」が定期購読されてた。
一人っ子だよ。雑誌本のリボンの騎士とか貸本大のキャプテンケンとかまであった
週刊漫画雑誌も、別冊の月刊・季刊を発売していたぐらい、当時は月刊漫画雑誌は
人気があったな。しばらくすると週刊に駆逐されてしまったが。
月刊の魅力は、ふろくの多さ。雑誌の厚みが3倍にふくれあがるほど、付録満載だった。
ふろくがこぼれ落ちるので、雑誌を紐で縛って売っていた。
少年画報の付録の特徴は付録の箱が第一付録の土台であり、
組立付録の紙の、要らない端切れも第十付録にまで使われてるという(笑)
怪物くんキャラワッペンとかがデザインされて。
組立第一付録マグマ大使物で最も覚えてるのはマグマの腕がゴム回転でぐるぐる回り、
ガレオンの組立をボカボカ殴るやつ(爆)マグマ大使の漫画のジェット気流はこれなのだが
テレビ実写版はロケットが錐揉みする方式になっている。
これは最高傑作だった。見事な立体紙模型。 付け加えるとこれにさらに胸からロケットが飛び出す仕組みになってるのだ!
もう小学五年生の鍵っ子の俺は夢中になって団地近所の友達呼んで見せびらかして
ソノシートのマグマ大使ガンガンかけてそのあとお決まりの忍者ごっこ。
今は飛行機の整備士だけど仕事中今日も歌ってしまったよ♪ジェット気流だ新兵器♪
マグマ大使がもし今の時代にぼくら昭和30年代生まれ世代に
見直されているとすれば忘れかけていた家族愛なのかも知れない。
そして友達との友情。
随分故郷も小学校も遠くなってしまったけど
もう一度少年画報を本屋さんで発売日前日で買いたいなあ。
少年画報社、バックナンバー保管されてると思うんだけど。
最大の願いは少年画報組立付録の復刻か。
「少年」は一度やったね。戦艦大和の。
ふと思ったのは、懐古趣味でもなく、この時代の少年(少女)SFドラマは
小学校中学校クラスメートそのものをSF世界の異次元に直結している。
ゆえに普通に日本中の子供たちを夢中にさせ、共感、今流にいえば共有できたのではないか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています