冬の思い出も語ろう
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夏の思い出も盛り上がってますが、
冬の思い出も実は同じくらいあるはず。
雪合戦、手袋、耳あて、霜柱、冬でも半ズボンw……
俺はとりあえずバケツに張った氷を太陽に透かして見てましたw 小6の頃から何となく両想いだろうと思っていた女の子とは中学校の3年間を
仲良く過ごしたけど、ついに告白せずじまい&告白されずじまい。
卒業して別々の高校に進み、1年と9ヶ月め、暫くぶりに彼女から電話があっ
て、再会したのが12月7日。彼女からは手編みのセーターを贈られた。本当
は前年に渡すつもりだったが、でき上がらなかったそうだ。
僕は前年は彼女がいたので、前年だったらどう反応したんだろう?
でも最高に嬉しかった。ずっと想ってくれていたなんて!
終業式にまた会って、僕からもストールをプレゼントした。
そのとき以来、僕たちはずっとプレゼントを交換している。 >>18
冬になっても半ズボン奨勧とはいえ
それで「俺TUEEEE」してたんだろ? ジャンパー買ってもらえずお古のセーターだったのは俺だけ 徳利セーターにコール天の半ズボン。アーノルドパーマーのハイソックス。ジャンパーはオジン臭かった。 >>128
きっと世代一緒
とっくりは毛玉だらけで芝生の上で転がると大変なことになった
ジャンパーは黄土色でいつもポケットに手を入れていたのでポケットの付け根が破れていた 冬は・・
11月下旬頃からテレビCMやら朝のニュース等でクリスマスムードが漂い始めテンションアップ
新聞の落ち込みチラシのおもちゃの所を何度も見てワクワクしてた
初雪に興奮し、はしゃぎ、冬休みが近づくと共にテンション上がりっぱなし
大掃除→年賀状作成(プリントゴッコ)→大晦日→元旦→初詣のコンボは楽しくて仕方がなかった
元旦からはばーちゃん家に親族一同集結で同年代のいとこ等と遊んだりお年玉ゲットしたり
中学〜高校に上がると、大晦日は友達の家に泊りに行ったり、初詣も友達やら彼女と行ったり
親戚の集まりも悪くなったりして、幼少期とは違うイベントになっていった
それでも楽しかったがな、歳とるとああいう時代の記憶ががひどく輝いて見える
今年の年末、帰省するのがこれ程楽しみなのは初めてだ 小6の時、近所の専門学校に通っていたお姉さんに
「日曜日にチョコレートケーキを食べに行こう」と
言われ、一度は「日曜日は塾があるから」(真実)
と断った。
冬休み前にもう一度誘われ(冬期講習なんで、塾の
シフトも変わっていた?)こんどはOKした。
約束した日はクリスマス・イブだった。
その日、待ち合わせの駅に少しおくれてきたお姉さん
は、いつも学校のある日に見るより少し濃いめの化粧。
こんな子どもに会うためにわざわざおしゃれしてきた
んだな、と思うと嬉しかった。
年が明けたらおれが受験する男子校を見て、そこから
タクシーで赤坂にでた。お姉さんのお目当ては、当時
TBS会館地下にあった Tops & Saxon のチョコレート
ケーキだから。その前に入ったイタリアンレストラン
もイブだというのにガラガラ(のちにバブルの頃、
イブのイタ飯予約争奪騒ぎのときにいつも思い出した)。
中高時代からずっと、冬になるといつもこの夜のことを
思い出したもんだが、ここ数年は忘れて過ごしていた。
先日、久しぶりに母校を訪ね、変わり果てた街を歩きながら、
ふと彼女のことを思い出した。どうしているのだろう。
幸せでいますか、と。
自分の来し方を振り返れば学校でてからの10年はドツボ。
何度も転職した。渡り歩いた中小企業のひとつで出会った
×1の同い年の女性と去年ようやく結婚した。子供はいない。
相変わらず金はないけど、仕事も生活も満足している。
元気でいますか。ありがとう。何とかやっていますよ。 雪合戦やそりやミニスキーで暗くなるまで遊んで
くたくたになりながら家に帰る。
ぱっぱとアノラックやら手袋やらカッパズボン脱いで
汗だくのシャツやパンツを着替えてコタツに入る。
ちょうどテレビではNHKのみんなのうたの時間で
北島サブちゃんの北風小僧のカンタロウがながれている。
北風小僧のかんたろう〜 かんたろう〜
アニメがまた冬らしい演出で寒さが強調された。
アノラックとかカッパズボン、懐かしくて涙が出る・・・・・ アノラックって、フード付きのジャンパーをひとくくりにして
呼んでいたとおもいます。 北風小僧の寒太郎 また聞きたいなー
アニメーションも見たい。
冬の生活感があって 寒そうな絵だけど心があったまる。 >>136
もともとは、イヌイットが使用するアザラシ皮の上着のことだってさ。
HTTp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF
そういえば、厳寒期は、長袖シャツ+ポロシャツ+セーター+アノラック、タイツ二枚重ね+長ズボン+カッパズボン
が定番だったw >>138
情報サンクス
パルカとも呼ばれる→パーカーの語源?
上下対の今風のスキーウェアを着ている子供はお金持ちの子供だったな。
カッパズボンは別に買ってきてはいてたな。つるつるのビニールナイロン生地でした。
色も地味で黒か紺色が多かった。
長靴の外に出してはけば 長靴に雪が入らず、どんな深い新雪の積もったところも
ズカズカ入っていって「俺、最強〜www」って感じでした。
今思えば、昔の冬は寒かった。今の子供 恵まれすぎだ。
>>139
当時の冬の男子小学生の服装が
相原コージ著、「文化人類ギャグ」に掲載されているw
カッパズボンではなくて、ジーパンだったようだけど。 学校の石油ストーブ、上の蓋を開けて送風スイッチ切ってしばらくしてスイッチオン
するとものすごい炎が立ち上がる。
おもしろくて何回もやった。 手がかじかんで、部屋に入ってもすぐには鉛筆を握れなかった。 小学校のグランドの片隅にスキー山がありました。
冬の体育の授業はそこでスキーしてました。
小学校の教室は寒くてホントに手がかじかんでいた。
ストーブ効果が出る2時間目くらいまではみんなジャンパーを着込んでいた。
>>143
スキーの時はどんな格好でやっていましたか?
>>144
やはりアノラック&カッパズボンですwww
高学年になったら兄のおさがりで綿入りのスキーズボンでした。
耳あても高学年のときに出てきました。あれは画期的でおしゃれでしたね。
手袋もビニールの品質が悪く、すぐ中までしみて指先冷たくなりました。
手袋は、うちに帰ってストーブガードに裏返して干してました。
よく焦がしました。あのにおいも思い出です。 >>145
アノラックにカッパズボン懐かしいw
雪遊びの時は親指以外をいっしょくたにした「ボッコ手袋」が定番だったよね。
長靴に装着する「ミニスキー」や「スノースケート」なんてのもよくやってたよ。
長ズボンにカッパズボンだけだと寒いし、ズボン下はもこもこしているからって、
つま先まであるタイツ(男の子用!)をよく穿かされてたっけ。
あったかいのはいいんだけど、なんかあまり肌にピッタリしてて変な気持ちになったりw そうそう 手袋はミトン型でした。
鍋つかみみたいなやつ。
スキーはミニスキーか長靴スキー。
ビンディング?はバネでかかとにひっかけてつま先の前でレバーを倒す形。
スキー靴のスキーなんてまだまだ
子供用のやつはなかった。
高学年になってやっとスキー靴のスキーになった。
だけどビンディングは長靴スキーとほとんど形体は一緒。
ステップインのビンディングがうらやましかった。
カッパズボンは綿もなにもなく保温性ゼロでしたね。
濡れないけど汗で蒸れた。
雪遊びして体休めると寒い事、寒い事。ww 自分の学校のスキー授業では
青やえんじの地味なアノラックと共に赤やオレンジのスキーウェアを着るやつも出てきた
このスキーウェアはかぶるタイプのアノラックと違ってファスナーの前開きになっていた。
綿が入っていてあたたかそうだった。
しかも真っ赤で前やポケットのファスナーが白かったりして、かっこよかった。
自分はそんなウェアを買ってもらえるわけもなく、ただの普通のジャンパーだった。
雪の上で転んだりみぞれの日は中に染み込んできて腕が冷たかった。
手袋おすぐにぐっしょり濡れてしまうもので、本当に冷たい思いで滑った覚えがある。 俺の学校はスキーはなかったけれどスケート教室というのがあって
みんな色とりどりの服を着ていたから面白かった。
>>150
あの全身タイツを着た子はさすがにいなかったのかな。 北風小僧の寒太郎 サブちゃんじゃなく堺マチャアキでしたね。
思い違いですた。 子供の時の雪遊び
ジャンパーやセーターの中に雪を入れ合って冷たかった
ジャンパーを持っていない俺なんて死にそうだったよ 消防の高学年のスキー学習で
ハンソンのブーツにオーリンの板はいてる椰子がいたな。
うらやましかったな
未来のスキー靴みたくて。
値段も以上に高かった。
不景気だって騒いでいるけど、今の子供達って贅沢だよな。
雪が降って積もっても、外で遊ぶ事って、まず無いもんね。
うち等が子供の頃は、雪が降って積もれば 屋根から落ちた雪山でソリ遊び
や雪合戦をしたもんだ。
屋根から雪崩のように雪が落ちるから、軒下は注意しながら通りました。
by北陸地方
アノラック(ヤッケ)着ていたけど、あんなのでよく持ちこたえたな この頃になるとみんなの着ているジャンバーが汚れてきたものだ
毎日着ていたからね
お金持ちの子は新しいジャンバーを買ってもらう時期だ 小さい頃から薄着で育てられ、寒さに強かった。
小学生になっても、長袖のシャツ1枚で登校してた。
別に寒いとは思わなかったし、厚着して動きにくくなるのが嫌だったので
ずっとそうしていた。
6年生の時、好きだった女の子から『ジャンバーを買ってもらえないの』
って聞かれた。
家がビンボーと思われたくなかったので、帰ってお袋に頼んで買ってもらった。
毎日、無理して着て言ったな。
暑かったのにな。
勉強のよくできる女の子がいて、いつもつんつんしていた。
でも冬になると、ほっぺたが赤くそまって、かわいかったな。
>>161
ずっと薄着だと長ズボンやジャンパーって暑苦しいよね
どんなジャンパーを買ってもらったの? >>164
あんまり覚えてないんだけど…
色がグレーで安物だったような。
暑かったので、登校時以外は脱いでたと思う。
それでいろんな所に置くから、
汚れてグレーになったのかもねw あの頃は、あんまり寒いと思ったことがなかった。
夏の暑さの方が嫌だったので、
天然のクーラーが効いてる(と思っていた)冬が好きだった。 今の子はダウンとか着ているけど、当時はジャンパー1枚でへいちゃらだったよ
雪や雨でなければ半ズボンの時もあった >>167
へいちゃらというか、1枚きりのジャンパーしか持っていなかったから 俺も年がら年中 半ズボンだったよ。
でも、寒い時は親から言われて紺色のタイツを穿いた上に半ズボンを穿いた。
高学年になってもそうしていたんで、友達から変だって言われたな。 半ズボンタイツは低学年までだったけど、
長ズボンの下にタイツなら、ばれないので、高学年でも穿いている男子はわりといたよ。
10〜12歳用のボーイタイツ?ってのを持ってた。 前開きのあるタイツを嫌がる人も多いけど、あれはトイレの時は便利なんだよねw
でも、ズボン→タイツ→パンツとかき分けているうちに間に合わなくて、結局全部ずり下げる
羽目になったことも...orz ブルマにタイツ、上はちょっとダボットした赤いスタジャンでいつも通学の女子がいて、かわゆかった 廊下で女子2人と話していたら
友達にパンツを下ろされ寒くて縮み上がったチンポを凝視されてしまった
後日「○○君のおちんちんって子供のままなんんだね」「弟よりもちっちゃかった」
などと言われからかわれた 冬はいつも鼻水をたれてた。
ティッシュなんてなかったから、
ジャンパーの袖でぬぐってたら、カパカパになった。
ある日、女の子の集団に袖のことでからかわれた。
ちょっと恥ずかしかったのでうつむいてると
女の子の一人が寄ってきた。
そして、薄い紙の束を俺にくれた。
色がピンクだったのを覚えている。
お金持ちのお嬢さんだった。
使うのもったいなくて、机に大事にしまってた。
それが俺のお守りのような存在になって、
大学を卒業するまで俺の財布の中にしまわれた。
一酸化炭素中毒なんて知らなかったあの頃。
いっつもストーブの前でラリってた。 寝小便した布団を ストーブの前で乾かしてた臭いが懐かしい >>176
結局そのペーパーは使えず、相変わらずジャンパーの袖で鼻を拭いていたの?
他の女子たちはどんなふうにガビガビの袖口をからかったんだろう? 実は俺のジャンパー袖口もガビガビだった
ティッシュって持たされなくて、全部袖でぬぐっていた >>179
ペーパーを使わず、ハンカチを持つようになった。
でもそのハンカチはずっと同じもので、
いつもくしゃくしゃだった。
女の子が俺の袖を指差して、あれは汚いよ って言ってたと思う。
>>181
俺は袖で拭うのが大好きで(というか、癖でついついやってしまって…)
特に右袖はガビガビだった
右隣の席の女子が「汚いよ」とか言っていたけど、その子のピンクの
ジャンパーも袖口がねずみ色になっていて「そっちの方が汚いよ!」と
言い合ったのが懐かしいな。
当時は女子でも汚れやシミを気にしない活発な子が多かった。 理科の宿題で、氷は上から張るか、下から張るか、夜に洗面器に水を張って朝観察してみましょう、、、
翌朝
上から下まで全部こちこちに凍って解凍じゃなかった回答不可w
もちろんここは寒冷地だが、温暖化が進んだ現代では考えられない。 北海道だけど、冬は、小学校のグランドにスケートリンクを作るのね(全ての小学校じゃないけど)
高校になってから、夜中に彼女と小学校のグランドにスケートしに行くわけ。
当時流行ってた長ーい毛糸のマフラー一本を二人で巻いて滑るのね。
体が温まったら、リンクの回りに土手みたいに積まれた雪に突っ込んでわざと転んで、
仰向けになってしばらく星を見たり。
時々宿直の用務員に見つかって逃げたり。 新潟だけど子供の頃は腰の辺りまで積もったけど
今はほとんど積もらない。通勤は楽だけど。 今ごろになるとジャンパーを着て行けるのが楽しみだった
でもあまり早く着ていくと寒がりと言われるので見極めが難しかった 雪をとってきて、砂糖をかけて食べたことがあった。
あんまり美味しくなかったな。
大気汚染が言われていた時期だったので
親におこられた。
日曜日の朝。
暖かい布団の中で、目覚めては幸福感を味わいつつ眠る。
それが何回も繰り替えされる。
昼くらいになって、親が『いいかげんにしなさい!』と起こしにくる。
やっぱし 冬は布団の中が最高だね。 >>191
布団の中でジャンパー着ているとあたたかかったね 20のときの冬を思い出した。長いので、分けて書きます。
俺には当時、気になってたコがいた。同い年で、名前が俺の前の前。12月21日に彼女を誘い、受験の壮行会をした。
へたれな俺は、恥ずかしくて彼女だけを誘えず、彼女と俺の間だった1つ下の男も誘い、お好み焼きを食べた。
センターも近く、気も塞ぐからせめて明るく年末をしめようという意図だった。その壮行会で、彼女と2ちゃんの話題で打ち解けることができた。
当時流行っていた、「vipスター」と「残酷なニートのテーゼ」、そして大学受験サロンの「センターオナニーTB」スレが俺たちを結んでくれた。
帰りはバスもなく、俺が彼女をチャリで送った。寒い中、二人きり。自転車に乗る前、一重だったマフラーを二重に結んでくれた彼女。思わずドキッ。
チャリを河原にとりに行き、荷台に脱いだ俺のGジャンを置く。「これに座って」
彼女は2ケツは生まれて初めてだったらしい。めちゃめちゃ力が入っているのが、腰を鷲掴みにする両手から伝わった。運転しにくかったが、嬉しかった。
彼女をアパートまで送ると、その場から離れたくないという気持ちで押し潰されそうになった。だが受験も近い。俺は自転車に乗り、去った。 俺は壮行会で会計をとりまとめた。だから彼女からお金を返してもらうようになっていた。
翌々日くらいかな。彼女からメールで呼ばれ、予備校で代金を受け取った。
数日たってクリスマスになった。
お互い、自習室や教室に引きこもって追い込み。そんな生活を送っているのは想像にかたくなかった。
俺はどうせ断られるだろうと彼女を誘うことができず、クラスの友人と3キロ先の商業施設まで歩き、ツリーを眺めた。
周りは幸せそうなカップルだらけ。受験生であり、また独りの辛さが身にしみたときだった。
尚、後に知ったのだが、クリスマスは彼女も俺と同じだったらしい。俺を誘うことができず、夕方からひとりでフラフラ街に出て過ごしたとか。
(つづきは明日以降) 小学校の頃。
学校が駅の近くにあった。
その駅にくっつくように 立ち食いうどん のお店があった。
(確か一杯が100円くらいだった)
冬の寒い朝、湯気が開け放した扉からモクモクと出てて食べたかった。
一度だけ、小遣いを貯めて入ったことがあった。
勇気を出して入った店で
背が低かった俺は、カウンターの高さが自分の背丈くらいだった。
そして店のおじさんに、『お母さんを一緒に来なさい』と追い出された。
俺の中では幻のうどん となって、その予想される味は美化されていった。
その後 中学になって、カウンターより背が高くなり、
店に入って食べた。
家でかあちゃんが作ってくれる方が、ずっと美味かった。
まあ、そんなもんかな。
札幌にいたころ、猩紅熱(しょうこうねつ)にかかると病院に隔離された。(法定伝染病
だった)でも病院ではクラスの友達もかかっていたので寂しくなかった。
ちょうど札幌オリンピックのころ。北光小学校ってまだあるよね。 >>196
セピア板にお前のような奴こそいらない。
続き、また書きにきてくれ めちゃくちゃ寒い日は小便すると、それがそのまま凍る という噂があった。
独特の放物線をえがいた氷柱ができることを期待し、よく立ちションしたな。 ジャンパー買ってもらえずに3年くらい着ているボロイ上着を着ていたよ 学校のうさぎ当番かな。
近所の女の子と手を繋いで学校に行けた。 >>203
ボタンが取れていたりポケット破れていたりだったね 小学校5年の冬まで男女の体操服はポリエステルの白短パンだったが
女子用だけ突然、濃紺ジャージ素材に変更された
大人っぽいとか妙に女どもが喜んでいたな
スカートの下に履いたり、見せ付けるようにジーパンに重ね着して脱いでたな
おしくら饅頭に乗じてさわり心地を確かめたのはいい思い出 ストーブの回りに金網が張ってあって、アルマイトの弁当箱を先生が網の上に乗せて温めてくれたっけ。
おかずに入っていたチーズがトロトロに溶けていた(笑) 今はストーブ無しで冬を越せる土地に住んでるけど
小中学生のときは寒い県にいたから
石油ストーブの匂いと少年の日の記憶が連動して蘇るな。 ストーブの煙突でナイロンのジャンパーを溶かしたやつがいた この時期に新しいジャンパーを買ってもらうと嬉しかった
翌日から毎日お世話になった >>215
買ってもらえないと押入れから小さくなったジャンパーを引っ張り出した 自転車乗る時にジャンパーがないと死にそうに寒かった
ジャンパーがあってもだんだん背中の部分がずり上がってきて背中が出ちゃうんだよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています