京都府立医科大学、松山商大などでは昭和40年代でもM検が課されていた。
40年代の「平凡パンチ」によると、京都府立医科大学では入学時と卒業時にM検を行う。
受験生だか一年生だかのM検では、包茎を捲り挙げると亀頭に恥垢がいっぱいで、しかも
黴が生えていたそうだ。

まだ中学生とかわらぬ包茎が殆ど、包茎は環状溝が露出するまで剥きあげられる。

一度も捲れたことが無い、しかも孤独な慰めに慰めの結果溜まったものが露わになる瞬間。
昭和30年代半ば位前までは、男子は総てこの検査を受けないと、たとえどんなにいい成績をとっても合格
できなかった。

検査のやり方はそれぞれ異なり、東大は今武道館になっている七徳堂にて、集百人もがパンツを取り最初から素っ裸で7列に並んで検査の順番を待つ。
慶應は、20人くらいがパンツ一枚で一室に入れられ、最初に手足を動かし運動して、関節などの検査を行う
。それが終わると最初のものがパンツ一枚で前に出さされて、性器・肛門検査の見本となる。一通り説明が終わると
パンツはすぐ脱いでしまいすっ裸になって、検査官の前に立ち、性器やワンワンスタイルでの肛門検査。それが済むと次のものが
前に出されてパンツを脱いで。

後ろのものは、前のものが素っ裸にされて恥ずかしい検査をされるのを見ながら順番を待つ。
剥くたびにツンとする恥垢の匂いや男の匂い・・自分ももうすぐあのように・・。
なんてて思うとたまらないはず。

可哀そうに人前でパンツを脱ぐなんで、ちんぽこ出すなんて死ぬほど恥ずかしいおぼっちゃんでも、
たとえ膨らんでしまっても順番が来たら容赦なく一人の例外なしに全員受ける。
どの大学でもだいたいおなじだろう。
「蛍雪時代」などの受験雑誌には毎号かならずM検の相談があったのだ。
「めくれていないと合格しないのでしょうか」とか「僕は3分の一くらいしか捲れていません。受験してもいいでしょうか」とか