おじいちゃん、おばあちゃんの思い出
無いよね?まだ・・・
私にとって、思い出といえばおじいちゃんおばあちゃんなんだけど。
血が繋がってなくても、近所のおじいちゃん、おばあちゃんでもOK ひいじいちゃん、黒船より前の生まれ。
流石に会った事はないが・・・ 10日に亡くなった。何か聞きたくても二度と言葉を交わせないって切ないね。
帰宅したらいるのが当たり前だったのに何も意識してなかったよ。声もいつか忘れちゃうのかな。また5、60年後にあの世で会おうなおじいちゃん。
生まれ変わらないで待っててくれるか、子どもとして生まれ変わって同じ時代にまた一緒に生きたい。 今、おばあちゃんと、病室で2人きり。おばあちゃんは、いつ何があってもおかしくない状態だと医者から聞いた。
おばあちゃん。昨日は意識があって、元気に酸素チューブを外しまくり、歩いて家に帰ろうとしたね。大好きな歌を一緒に聞いたね。
見よう見まねで作った私の短歌に「すばらしい歌」とマルをつけてくれたね。
じょうず、じょうず、と頭をポンポンしながらね。孫は嗚咽をこらえるのに必死で、頭が痛くなっちゃったよ。
ここは9階だから夜景がきれい。素敵な個室だね。
おばあちゃんと2人きり、最期の一分一秒まで私も寄り添うからね。
おばあちゃんが今までずっと、私に寄り添ってくれているように。 成人してから引きニートになった俺だが、婆ちゃんが入院したので足引きずって見舞いに行った。病室に入り、婆ちゃんの顔を見てると母が婆ちゃんに「誰か分かる?」と言うと俺の顔を見て「うん」とうなずいた
それからしばらくして婆ちゃんは退院するも、自宅で亡くなった
そんな婆ちゃんが今日夢に出てきた。父と母と婆ちゃんで買い物に行ってて、婆ちゃんが「○○(俺の名)、皆の為にこれ買いなさい」と何かのケースを指差し、皆が「ははは」と笑ってる平和な日常だった あの世に行くまで平均寿命ならあと40年くらい
待っててくればあちゃん うちの祖父母は大正生まれ
つまり今から見れば約100年前の人と話してた訳だ
言葉って通じるものだ
距離を里で言ったり長さを寸で言ったりするのは抜けなかったみたいだがおばあちゃん 病気で入院しているおばあちゃんを見舞う夢を見た
医者嫌いで生前一度も入院したことなんかなかったくせにな
次は元気な姿で出てきてくれよ 話したいことがたくさんあるんだ 中学に入っておばあちゃんの家に行かなくなった。
両親がおばあちゃんの家に行った日の夜、おばあちゃんから電話があった。声を聞いて嬉しそうだった。 おまえら、
ビデオテープとか写真って、ど〜してる?
DVD変換してる?
懐かしい映像とかもったいないじゃん???
で、こんなトコ見つけた!
★★http://pcassist-tachikawa.jp/dvddub.html
PCアシスト立川(立川駅北口)
古いビデオテープをさ、
★持込でも★郵送でも、DVDに焼きなおしてくれるw
撮り溜め写真だって、音楽つきの映像DVDにしてくれる!
デザイナーさんがいて、
『タイトル+タイトル画』も付けてくれるw
既成とオリジナルとあってさ、
1)絵心のあるヤツは自作の絵でもOK!
2)ガキんちょの絵だって、バッチリ
3)持込の写真だって決まるぜ
PCアシスト立川〜〜〜〜〜〜おすすめだぜ!!
w つい最近大好きなじいちゃん亡くなった。
生前は帰りが遅い時とか自転車で探しにきてくれたり、作った料理を喜んで食べてくれたりした。
大学もじいちゃんが入学金出してくれたおかげでいけた。
まだまだ気持ちの切り替えができないけど、就活頑張って一生懸命働くからね。
大切にしてくれて本当にありがとう。じいちゃん大好きだ。 >>657
俺のじいちゃんも先日亡くなった
時期近いし天国行くときの貴方のおじいちゃんと同期かもね うちは親が共働きだったから小学校から帰ると近所のじいちゃんばあちゃんの家に行く。
腹すかせた俺のためにばあちゃんはよくホットケーキ焼いてくれた。
といっても小麦粉と牛乳と卵と砂糖しか使わない簡単なもの。
小麦粉の量だって目分量で、時々完全に溶けずダマになったところがケーキから出てくる。
これにマーガリン乗せて食べるのが好きだった。
もう食べることは出来ない。
先日彼女にばあちゃんのホットケーキの思い出を語った。
「今度私が再現してあげるよ〜」と彼女。
気持ちは本当に嬉しいけど、そしてたぶん確実に味はいいだろうけど、
>ばあちゃんが焼いてくれた
これだけは再現できないんだよ…… 葬式終わったけど辛い
おまいらどうやって立ち直ったの? >>660
時が解決してくれる
そりゃ今でも悲しいよ
でもいつまでも泣いてたら天国のじいちゃんばあちゃんが心配するぞ >>661
それがわかるから尚更辛いんだ
きっと優しく見守ってくれてるんだろうなって
いつも泣いたとき慰めてくれたときみたいに
自分がふがいなさすぎてなんもできなくて本当に辛くて申し訳ない
なんもできなかった
後悔先にたたずってほんとこれだよな
この歳なるまでそれがわかんなくて本当にばかだ俺 ばあちゃんが裁縫するときは針に糸を通してあげてた。 おじいちゃんの命がいま尽きそうになってる
泣かないようにがんばる
おじいちゃんすごく頑張ってるから
ありがとうおじいちゃん
ありがとう 祖母の四十九日法要のとき祖母の実家に自分の少年時代の写真がたくさんあることを知らされた
滅多に穿かなかった半ズボン姿の自分がたくさん映っていた
祖母の実家に遊びに行くときは「もやしっ子に見せたくないから」と母親に無理やり半ズボンを穿かされていたことを思い出した 両親が蒸発した九才の時
祖父に「もしも頼って来たら施設にブチ込んでやる」と言われ、その後祖父が亡くなるまで十年程会話した記憶はないなぁ。
瞬間から他人に変わるって感覚を経験できて感謝してる部分もある。 セピアのように金が手に入る方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
R0QRZ 96才のばあちゃんがもうすぐ旅立ちそう。
自分は33才だけど、沢山思い出があってつらいなぁ。本当に沢山可愛がって貰ったよ。
今日病院でまた、ばあちゃん泣いてた。小声で、ありがとう、嬉しかったって。 夏休みや冬休みになる度におばあちゃんの家に遊びに行っていた。
大日本帝国海軍のご飯炊きをしていたからか、おばあちゃんが作るご飯は何でも美味しかった。
寝る前になると戦争時分の話をしてくれた。
いくら眠たくても戦争の話を始めるとおばあちゃんは何時間も話をしてくれた。
当時は一人で起きているのが怖いので、寝物語に聞いていた。
高校1年の頃に数回会いに行ったっきりで、その頃になると友達と遊ぶ方が楽しくなり足が遠のいていった。
本当に後悔しているが少年院に入ることになってから、おばあちゃんが突然亡くなった。
謝りたい気持ちと感謝の気持ちを述べたくてももういない。 じいちゃんがいまでも生きていたらもっとましな仕事見つけてくれたかな…
こんな甲斐性なしになってしまってごめんなさい 長年市役所勤めして頭がよく博識だったじいちゃんみたいになりたかったが結局なれなかった
他の兄弟従兄弟たちはそれなりなのになぜか自分だけがだめだめ
じいちゃんは自分の名付け親なんだけどコロナで日本終わりそうだしこんなダメ人間になってしまったバカな孫のことをどう思っているのか
わるいことをした本当にわるいことをしてしまった… 久々に婆ちゃん家の夢を見て思い出した
小さい頃から17ぐらいまで週末遊びに行く時は大体婆ちゃん家で、行く度にゲーム買ってくれたり、天ぷらとか作ってくれたりしたな
一族で唯一の一人孫だったから可愛いがってくれたのかねと大人になって思った 先週、大好きなばあちゃん亡くなった
葬儀も終わってもう乗り越えたと思ったら
夜になると泣いて眠れない
ばあが楽しみにしてくれてた私の結婚式
すでに挙げているはずがコロナで延期
ばあちゃん大好きすぎて
エスコートも掛け替えの儀も
全部ばあちゃんにお願いするつもりでいた
どうしようもないのに後悔ばかり
あと何年ばあちゃんのいない世界にいなきゃいけないの
どこにもいけなくてここに来てしまった ばあちゃん、ボケちゃって5年以上まともに会話しないまま逝ってしまったなぁ。あんだけ楽しみにしてたひ孫も、ちゃんと認識できてたのだろうか。
成人するまで育ててくれたばあちゃんに、ちゃんと最後にありがとうと言いたかった。ごめんよばあちゃん。 私が保育園の時。何かの事情で早く帰らなくてはいけなかったのかな、ばあちゃんが迎えに来てくれて。
でも保育園て年寄り(当時70代後半だったはず)の脚には遠くて、長い坂もある道のりで、それを歩いて往復してくれた。
今私がその道を歩けって言われたら絶対ヤダっていう道を。
ありがとう、ばあちゃん。
ばあちゃんが隣県の伯父の家に住むことになってなかなか会えなくなったのに、私は行くのが面倒であんまり会いに行かなくて、たまに行ったら帰り際に「また来いよ、また来いよ」って毎回私の手を握ってくれた。
今になってもっと会いに行けばよかったと思ってる。ごめんね、ばあちゃん。
天国で元気にしてますか。そのうち会いに行くね。