遠足のおもひで
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>>63さんは、やさしいね。
おにーちゃん今は落とさないの? みんなでコリスのフエガムでピ〜ピ〜言わせながら歩いたな・・・・・・。
チョコボールみんなでおやつに買って持ってきてるんだけど金のエンジェルや銀の
エンジェルが出てる奴がまぶしかった(w >>65さん
うん、さすがに今は落とさないらしい(笑)
あたしも一人ぐらしやめて久々に家に帰ってきて
でも昔の名残で なんかしかおかずをあげるクセが
いまだに・・(笑)(でもちょっと太めだからいいんだ(´・ω・`) )
遠足チョコボール金のエンジェル羨ましい!どう頑張っても
銀しか出したことないや・・そういえばチョコといえば
チョコベビーももってってた
遠足のおやつの時間の頃になると 入れ物の下に溶けて
くっついちゃってて、入れ物叩きながら食べてたっけ・・(全部取れない) 小学校1年か2年。
よく晴れた秋の日の遠足バスの帰り道は、眠かった。
出回り始めたばかりのみかんの匂いが鼻をついた。 >>34
小学校の遠足で、奈良の若草山にのぼって奈良公園や東大寺を見下ろしながら
弁当を食べた。すると、せっかくのおにぎりがころころと芝生を転がって
はるか下へ・・・ふと見ると、ほかのやつもイチゴをころころ・・・
あそこで弁当食べた学校では、絶対食べ物を転がす奴がいたはず。 「うわっ、また田舎もんが修学旅行とかいってネズミーランド来てるし(プゲラ」
とか思ってたんだが、考えてみたら同じように京都人とかに
「うわあ〜、あきもせんとお寺さん巡りして何が楽しいん?」
って思われてたんだろうか? >71、ごめん、
「うっわー新京極(プゲラ」「うっわー北野印度会社(プゲラ」と思ってた、ごめんよ。 汚い家を見つけると「あー お前の家やー!」
ホームレスのオッサン見つけて「あー お前のオヤジやー!」 >>73
歩いててたとえば山田って家があったら「山田、お前の家やー」って言ってた 小学校の修学旅行は日光だった。華厳の滝で心霊写真を撮ろうと頑張った。
乗出しすぎてカメラを落とした。写るんですが発売され始めた頃の思い出。(´・ω・`)
東京だと小学校の修学旅行に日光ってケースがわりとあるような。
奥日光高原ホテルに泊まった。飯がまずくてみんな残してた記憶あり。
飯がダメだったせいか口直しのために?紅茶が大人気だった。 修学旅行で薬師寺のお坊さんの話を聞いた。
お坊さんもクリスマス会をすることをそのとき初めて知った。
6年の遠足のとき、缶ジュースに安全ピンで穴あけて中身を全部飲み干した空き缶を
自販機の取り出し口に入れておいたことがある。
いっときして戻ってみたら先生が何人も集まって難しい顔してた。
ガキの頃は遠足に行くのがすごく嫌だった
遠足自体は楽しくて好きなんだが、その楽しみの絶頂でもし
事故とかに遭って死んでしまったら自分が惨めすぎる気がしてたから
当時は、楽しい事があってもすぐそれをぶち壊されるような気がして不安だった 小学校、3〜4キロ歩いた場所にある運動場
中学校、7〜8キロ歩いた場所にある公園
高校、14〜5キロ歩いた場所にある公園で、ほとんどの運動部は
帰りは学校まで走って帰ってた。
田舎の学校ですた。 >83
高校の時は、筑波山から高校まで30KMぐらい歩かされた。 そういえば、遠足で電車に追っかけられた奴がいたような・・・。 >>83
中2のときに50Kmあるいた(´Д`;
当然脱落者とかいた…。
その2年前の中2は77Km歩かされたとか >>87
50mとか77kmとか、一日で?それとももしや徹夜??(((゚Д゚)))ガタガタ
うちは高校のとき往復50kmの徹夜の登山があったなあ。
冬の夕方に学校近くの神社を出て、深夜に大阪府境の大きな寺のある山に
登って翌朝帰ってくるという。。。もとは真剣な軍事教練だったらしいけど
戦後の民主化によりただのハイキングと化してますが。リタイヤ発生に
備えて、行列の後ろからタクシーが1台ついて来てた。 遠足の時って、持参できるお菓子の総額を150円以内にしなさいって
先生に言われて、忠実に守っていたな。今なら絶対に守らないが。 小4のときバスで隣に座っていた子が吐いたけど、なにも手助けしないで無視した。。
先生に軽く注意された。。。 小3ぐらいの遠足の時、
当日雨が降ってきて、中止か行き先変更かを、生徒をバスに残したまま
暫らく先生方が話し合っていた。
シーンとした車内に、運転手さんが
「今日の遠足は中止になりました、お弁当とおやつは運転手さんにあげて降りましょう」と言った。
泣きそうだった車内は爆笑。
数年後、まさしく逆転した状況に俺は同じ事を言った。
「・・・・・」
T/Cのチーフから「余計な事は言わないで下さいね」w
軽い特殊学級の遠足、
子供達が降りる時、一人の男の子が定期券を見せた。
「あー、この券では通学じゃないから降りられないよー」
財布を出して小銭を探し出した子供に、「ごめんごめん冗談だってー」
先生から「うちの生徒は冗談が通じませんからね、やめて下さい」w
で、昼食。
いつもの習慣で当然、昼食は乗務員待遇があるかと思えば 無かった。
ポケーっと、ベンチで缶コーヒー飲んでると
女生徒が来て、「お弁当ー食べないのー」
俺「忘れて来ちゃったから、我慢してる」
わらわらと、生徒が集まってきて
まさしく>>43のような状況だわw
正直、みんなと最高に楽しい昼食になりました。
お返しに、帰りの車内ゲームの景品を大奮発してしまいました。
最初は「げっ、ハズレクジ」と思ったけど反省して回送したです。
今でも、貰った折り紙の「安全カメさん」担当車に下がってます。 あまったおやつを持ち寄って「おやつパーティー」をするのが恒例だった。
普段は呼べない女の子を家に呼んだりして、楽しかったなぁ・・・
この部屋に当時好きだった子が入ったんだな、と思えばなんか不思議な28歳夏。 遠足って何回か行ったはずだけどどこ行ったかほとんど覚えてない。バスでは必ずビニール袋持ってそれに吐いて、バスレクなんか参加したことない。おやつも食べられなかった。ただただ苦しかった。昼のお弁当が唯一の楽しみ。 一度どこかの広場みたいなところで昼食の予定が雨でバス内で昼食になった。みんなおしゃべりしながら食べている中で、私はバスが動いてもいないのに気持ち悪くなり、ゲロ袋ずっと口に当てて吐きそうになってた。そのままバスが動いたら速攻吐いた。 遠足ってバス酔いしか思い出がないかわいそうな私みたいな人、他にもいる? バスの中でお菓子の袋を開けたら、中身がバッ!って飛び散っちゃった子がいた・・・ 1 大阪城公園
2 大阪城公園
3 奈良ファミリー公園
4
5 橿原昆虫館:
6 なし
中学
1 奈良公園
2
3
春秋2回だったけどほとんど忘れた。 忘れもしない小6の秋の宮島遠足・・・。
帰りの電車でトイレに行きたくなった奴が電車にトイレついてないことをマジ切れしていた。
男なんだけどすげぇ泣き騒ぎようだったから途中駅で先生が一人そいつと降りて駅のトイレに行ってた。
標高500m程度の山登りな、秋の遠足……。
朝から曇で天気予報でも午後から雨、夜からどしゃぶりと言われている中で決行。
5合目まで登ったところで小雨、8合目ではすでに本格的に降っていた。
それでも、頂上まで登って、オリエンテーリングさせられた。
泥や落ち葉で滑って転んだり、レインコートを枝に引っかけて破いたりして、ほぼ全員ずぶ濡れ。
下山時は激しくどしゃぶりで、寒くて震えているやつ多数。
それでも全員無事に帰れたんだが、ニュースで昼すぎに大雨警報が出ていたことを知って愕然とした。 >97
俺なんて、遠足のたびに乗り物酔いと下痢のダブルパンチだったぞ!
バスの車内で上下同時にやらかしたことも1度や2度ではなく、また、
3点同時ということもあったんだぞ! 買ったお菓子を我慢して残し、家に帰ってから食べリッチな気分に。 >>104
当時はリッチな気分のようだったけど
今、思い出せばなんか 「貧乏くせー」 あまりいい思い出じゃないけど…
うちの小学校は6年生と1年生が一緒に遠足に行く行事があって(1年に早く学校に慣れてもらうのが目的で6年はただの子守役)
クジであらかじめペア(1年と6年)を決めておいて当日も一緒にバスにのり一緒に行動して弁当を食べてという感じなんだけど、
学年の男子で一番小柄だった俺とペアになった1年が学年で一番背も高くかなりの肥満体型のハーフの奴だった。
クラスメイトには「どっちが一年なんだよ」ってからかわれたのが今だに忘れられない。
最悪だったのが遠足当日はどっかの広い公園に行ったんだけど、六年が一年をおんぶしてみんなで鬼ごっこすることになっていて
もちろん俺達のペアは普通に走って逃げるだけ、、むなしかった。
それで終わりかと思えば遠足後もやたらこのペアで掃除の仕方や保健室の利用方法を教えるみたいなことを道徳の時間にやらされて
嫌だったな。あいつ今はどうしているんだろうな。 私遠足の半分は げろ吐いてたかも。
坂道の野原でお弁当を食べていたら
おにぎりが上から転がってきた。
皆で笑っていたら、上から男子が転がってきてわらた。
なつかしいなー(゚д゚) 水筒の中蓋しなかったから、リュックの中がびしょびしょになった。 山奥の田舎の学校だったんで遠足も山のなか歩いた
思い出ばかり。耳の奥に虫が入り込んでパニックになったり。 【私の小学校時代に実際にあった遠足】
・バッタ遠足(バッタを中心に昆虫を採ることを目的とした遠足)
・ラーメン遠足(各班ごとにラーメンを作り、どれだけ美味しく作れたか競うための遠足)
これらの遠足ってそんなに変わってるんですか??
大学の友達に話したら大爆笑されたんですけど… 戦前、うちの小学校にあった「金次郎遠足」の話を思い出した。 小3の頃、山に遠足。
山の中をひとりで探検していたら、他クラスの5人ぐらいのグループが山道を上ってきた。
─よし。
ひっかかるかな…。
「グァルァアアオオオオグァアアア!!!!!!!!」
獣の鳴き声を真似て茂みをガサガサ激しく揺さぶる。
「何かいるよ」
「うわぁあああ─!」
2〜3人転がり落ちて行った。 遠足の日だけだったな、砂糖入りの麦茶は。
今は飲む気しないけど、あの日だけは嬉しかった。 小学校四年の遠足だった。山奥のキャンプ場へ学校から2時間歩いての、ほん
との遠い足だった。 それは良いとしても、帰宅してタオルを忘れてきたこと
に気付き母親に言ったら、「今から、取りに行け!」といわれて、もう一往復
させられた。 貧乏していたからかも・・。 幸い、岩陰に残っていたから良
かったものの、もし無かったら何されるか分からんと怯えていたっけ。 イノブタにお弁当の容器取られて先生に助け求めに言ったら高原を散らかすなと怒られた…未だに先生嫌い。 小3か小4のときの、大変だった思い出。
天気予報で午後から崩れるってわかってたのに、山登りの遠足。
案の定、山頂での昼飯後に雨が降り出し、そのうちドシャ降りに。
森の中を楽しく歩くはずが、霧で5m先くらいまでしか見えないし
足下は激流のように泥水や小石が流れて滑るし、みんな1列になって
声をかけあって歩くのが精一杯な状況。
日が暮れてからやっと下山して、ドロドロのまま電車に乗って帰宅。
車内では他の乗客が心配して、タオルやお菓子をくれたりした。
後で聞いた話では、警察に遭難届を出す寸前だったそうな。
40人×4クラス、よく全員無事だったと思う。 遠足のとき、弁当は必ずかーちゃんのお手製サンドイッチだった。
たまごサンドとハムサンドなんだけど、
売ってるサンドイッチによくあるマヨネーズであえたたまごと違って、
普通のご飯のときにも良くたべるような塩味の薄焼き卵がはさんであった。
「なんかちがうんだよな・・・」と思いながらもなんか大好きで
遠足のときは必ずサンドイッチにしてもらってた。
とーちゃんは、遠足のときは必ず砂糖たくさんいれたあまーいレモンティーを作って
水筒に入れて持たせてくれた。すごいおいしかった。
水筒にジュースとか入れてくるのは違反だったけど、
「レモンティーなら一応お茶だから先生にもばれへんから。」と
毎回作ってくれた。
「友達がすごいうらやましがるねん。」ってとーちゃんに帰ってから
毎回報告してた。それ聞いてとーちゃんもうれしそうだった。
山登りとか体力いる遠足のとき余計おいしかったな。
最近、初めてリプトンから出てるペットボトルのレモンティー飲んだら
とーちゃんのレモンティーに味がすごく似てたから、
なんか7年前死んだとーちゃん思い出して飲みながらちょっと涙腺緩んだ。
しかしあの甘さにするには相当砂糖入れまくっただろうから
すごいカロリーだっただろうな〜
昨日遠足行ってきました。
さっき体重量ったら2キロやせてた。。
そういえば昨日はホットドックと飲み物飲んで
帰ってきたら疲れて即行寝たからな。。
1時間に3キロ歩くとして、、、×5時間、、
15キロ?!知らぬ間に結構歩いたな。。。 高校時代、遠足キツイし(歩くから)嫌だ、ってみんな言ってたけど、
今思えば学年全員で歩く、一緒に弁当を食べる、なんて経験はそれが最後だったんだな。。 小5の秋、サイクリングの遠足だったんだけど
好きな子が近くにいたから調子こいてゴボウ抜きしてたら
反対から来たバイクとぶつかって自転車を壊してしまったことがあった。
お互い怪我がなくて良かった… N県の小学生なら必ず一度は訪れる、桜の名所、U公園。
自分ももちろん小1の春にU公園へ。
季節は新緑のまぶしい五月。小学生になって初めての遠足。
わくわくどきどきな生徒達を待ち受けていたのは
異常発生した何千何万とも知れぬ 毛虫 の大群!!!!。
木にはもちろん、地面も足の踏み場も無いほどの毛虫。
公園だから遊ぼうにも、すべての遊具に何百匹も
毛虫がへばりついて遊べない。(払いのけりゃいいというレベルじゃない)
どこもかしこも毛虫!毛虫!!毛虫!!!
みんな嫌でも毛虫を何度も踏んでしまう。
涙目になっている女子達。ありえない状態にやけにテンション上がる男子達
目をそむけたくなる状況なのに
その場でお弁当を食べるよう指示する教師(鬼)
幼すぎて反論できない生徒達(涙)
それでも比較的毛虫の集まりが少ない地域で足で毛虫を転がして
お弁当スペースを必死に確保する生徒達…。
それ以降は正直、記憶があまりない。
燦々たる状況に感覚が麻痺したか、
脳味噌が記憶するのを拒絶したのかもしれない。
ただ、家に帰ってきた自分を出迎えた母は今も語る。
「ものすごく青ざめた顔してた。『何があったの?』と
聞いても『毛虫…』としか言わないしどうしようかと思った」
「遠足」という希望に満ち溢れていた小学生のピュアな心を
一瞬で闇に葬ったU公園は正しく地獄絵図だった…。
あれから丁度20年経つが、最強トラウマスポットと
化してしまったU公園には未だ行く気にはなれない。 春の遠足は季節の変わり目だから必ず風邪、消4辺りから
今年こそは大丈夫だ、軽い軽い って毎年行く前に言い聞かせてたのに、途中で必ず悪化
帰りがけ、小林と「お前も風邪か・・・」「ああ、まぁね・・・」ってやりとりしてたっけ、仲間が居ると心強いんだよね
家に帰り、一目散に体温計へ、39〜40の高熱を記録、何てこった、こんな高熱で高熱でよく8`も歩いたな、それに耐えた俺よくやった
俺は泣いた 遠足のおやつ。250円もお菓子を買える事が贅沢で嬉しかったなぁ。
遠足の次の土曜日は、余ったおやつを持って友達とプチ遠足したのも楽しかった。 小4の時に女子が野糞しているのを目撃して弁当が食えなくなった. 山に登って弁当を食べ、麓の神社で解散。なぜか神社の森に入ってみたら、
近くに住んでいる女子高生と多分彼氏が制服姿でハァハァしているのを目撃して
精通を迎えてしまいました。一緒に見た友達も精通を同時に迎えるという
劇的な事件だった。
その翌年に中学に入った俺たちはその女子高生を「親にバラすぞ」という言葉
で脅してセクースを経験するつもりが、彼氏にボコられた。
頭にきたので女子高生の親にバラしてやった。 ほかのクラスの女子が繁みに入ったので、なんだろうと思った私と友人数名が
後をついていったら、よほど切迫していたのか気づかないままパンツを下ろして大量の
糞を排出し始めた。激しい勢い、凄い量。私達はほぼ全員が「あぁっ!」と声をあげてしまった。それに排便女子
が気づいて「ヒィッ!」とヘンな声を出したので、私達は逃走したが、あまりの展開にそのことを
誰にも話さないままだった。
お弁当のハンバーグを見た瞬間、吐き気を催した友人、私も食欲が失せた。 中学1年の時、各クラスで行き先を自由に決めてよい事になった。
多数決の結果で水族館に決まったが、うちの生徒が8年前に働いた悪事の
せいで水族館側に断られ、行き先を変更せざるを得なくなった。
結局牧場に行ったけど、結構楽しかった。 都市圏は外れるのでスルーしてちょ。
トイレのない場所での遠足の時の「男子!トイレはあの辺で、女子!トイレはあの辺で。」
なんか萌える。 小学校の卒業遠足のとき、
往路:学校を出発して30分後
復路:学校に到着する30分前
どちらも凄まじい排泄音と異臭とともに、大量のうんこを漏らした。
但し、この2回とは別に、現地でもバレこそしなかったが、やはり、大量のうんこ漏らした。 バスはほとんどが禁煙車だよね。
その為、用意しておいたいいちこを3時間の間にボトル一本を開ける。
「ちょっと!!ビニール袋、無い?ギンコさんのやつ吐きそうだって!!」
「聞いた?あのやつ、意外に間抜けだよ。バス酔いなんかしちまいやがって、ガキみてえ。」
「ん?馬鹿だな!いくら暇だからって、いいちこをボトル1本も開けるやつがあるか!」 俺はそのとき風邪で休んでたからその場にはいなかったんだが、遠足先で飯盒炊飯&カレー作りをしたことがあって
ウチの班は飯作りが上手く行かず、ご飯は芯が残っていてカレーも具が半生だったらしい。
野菜はまだしも、肉まで半生だったというからヤバイ(汗)結果的に誰も食中毒にならなかったから良かったようなものの。
後日、同じ班の奴から
「○○(←俺の名前)来なくて正解だったんじゃない」
って言われたw 遠足懐かしいな〜
よくお菓子の詰め合わせのパックを買ってた この間、遠足で子供たちを引き連れた教師らしき人を駅で見かけたのですが、
その人が、こどもたちに静かにしなさい、迷惑にならないように!とかって
言いまくってたのに、目の前でタバコをポイ捨てした明らかにヤクザと思われる男
に対しては、うつむいて、なにも見なかったかのような顔をしていました。
先生、ヤクザこそ本当に教育せねばならない存在なのです。
どうか、ヤクザを叱ってやってください。 小4のとき、前日まで楽しみにしていた遠足だったが、
風邪で高熱をだしてしまい、それでも行きたいと母親に
せがんだら「そんな体で絶対に行っちゃダメ!」と言われ、
布団の中で悔しくて泣いた思い出がある。 >>143
一生懸命に貯めた貯金で一人で小山から函館まで行って、旅行に行きたいという希望を果たせましたけど。
小山から青森までが電車で、青森から函館までが青函連絡船。 小学校の遠足、クラスで普段は目立たないO君は必ず水筒にコーラを入れてくるので人気者だった。あと、ポカリとかが出始めた時代だったのでその類も人気者。おいらはいつも水。でも登山遠足の時とか水が一番うまかったな。 小学校二年の頃から貧乏生活が始まっていた。 ある年の遠足に親が持たせて
くれたオヤツは、夏みかん1個と自家栽培のそら豆を炒ったのを一袋だけ。
友達はそれなりのオヤツを持たせてもらって、休憩のたびに食べたり交換し
あったりしていたが、こっちはそんな仲間には入れないで淋しい想いをした。
金回りの良い土建屋の倅が大きな板チョコを取り出して、さも上手そうに食べ
始めると、いつのまにかそいつの横へ座り込んでいた。 オコボレ欲しさの浅ま
しい行動だったが、そいつがカケラを一つくれるまで座り込んでいたな。 遠足の思い出って言ったら 教師が常に酔っぱらっていたこと
これに尽きる
車でビールや酒を持ち込んで昼飯は花見気分で宴会
当時は当たり前だった
昼飯後の教師は顔真っ赤で生徒に指示なんかしても まるで説得力なかったなw 2年生の時、裕子が帰りにションベン漏らしちゃって
何故か体育倉庫で担任のオッサン先生にパンツ取り替えてもらっていた。
体育倉庫の入り口にはかなりの人数のギャラリーが中の様子を伺っていた。
泣きながらオッサン先生にパンツを取り替えてもらっている
裕子の様子を妄想していたに過ぎないオレがいた。 小学校の卒業遠足のとき、
往路:学校を出発して30分後
復路:学校に到着する30分前
どちらも凄まじい排泄音と異臭とともに、大量のうんこを漏らした。
この2回とは別に、現地でも2回、バレこそしなかったが、やはり、大量のうんこ漏らした。
五年生の時の遠足の日の朝、家で下痢した。
だから、遠足を辞退。 途中で催したらさすがにマズい。
よく「男子は学校でンコできない」ってあるけど、普段は結構平気で学校でもしてた子だった。
けど、遠足の最中はねぇ・・・ だから、休んだ。 >>145
水ならいいじゃないか!
おれなんか、遠足が4月末で肌寒いからって、
温かい牛乳持たされて、いい笑い者だよ!
4月も末なら結構暖かいし、歩くとかなり暑くなるのに、いくら言ってもわかってくれなかった。
本気で普通の水にして欲しいって頭下げて頼んだけど却下された。
しかも6年間、長袖の運動着で遠足行かされた。
先生も半袖を推奨していたし、学年ほぼ全員が半袖の中、一人長袖。
理由は「あんたは風邪をひきやすいから」だけど、
喘息持ちの身体弱い奴も、半袖だったのをみると悔しくて仕方なかったっけ。 >>151
替えのパンツがいくらあっても足りねぇなw
それとも滴れたまま、一日過ごしたの? 遠足の弁当はいつもおにぎり〇個(人によって個数が違う)と小さい弁当箱につめられたおかずの組み合わせだった。
幼稚園から中学までずっとそうだった。
サンドイッチやお寿司を持ってくる子はめずらしかった。
遠足は最悪だったな
小学校の頃は6年間毎年いかされたが、行き先はずっと一緒。
しかも冬のくせに一日中体操服。
更に、低学年の面倒を見なきゃいけないし、
もし低学年が逸れたりしたら高学年の責任。
とにかく最悪だったけど、半分は風邪で休めたのでよかた。 麻疹で出席停止だった子が、遠足当日リュックサックを背負って登校してきた。
その子のおばあさんがつれてきてた。いきたいって聞かなくてすみませんって謝りながらも
つれってってやってくださいっておねだりモード。
担任ひきつりながらも、養護教諭と教頭の助太刀を得て、なんとか却下。
定刻どおり出発したが、その子の泣く声が後ろから聞こえてきて、気まずかった。
遠足といえば先生の酒盛り。担任は酔っぱらってロレツが回ってなかったぞ。
今もやってるのか? >>152
俺は先生に物陰へと連れて行って貰って、野糞したよ
>>155
俺は小学校に入ってからもオムツを穿いていたので、後処理は問題無かったな。 小1くらいの時、茂みの中でオケツ丸出しで野ションをしてた定年間近のT先生に衝撃を受けた。 遠足から戻ってきてから食べるお弁当の残りが美味しかった。
どの行事でも食べ物の思い出が一番。遠足って、年に一度だったかな?
忘れてしまった。 普段見れない朝のワイドショー→教育テレビ→いいとも
→昼ドラ→ドラマの再放送→アニメに再放送
両腕骨折で遠足行けなっかた一日
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