思い出存分に書けばいいじゃん!小学校限定
ふと思い出したから書いてみよう。
私はすごく気の弱い子だった。多分喜怒哀楽も乏しい子だったと思う。
転勤族の我が家は私が小学2年になる頃からG県に住むことになった。
慣れない土地で方言の違いもあいなりクラスから奇異の目で見られ、緊張とストレスでいっぱいいっぱいになっていた。
そんな中近所のO君が毎日遊んでくれた。『●ー●ー●ーちゃん(私の名前)!あーそーぼ!』と毎日のように家の前で叫んでくれた。
O君の家の裏の川でザリガニを釣ったりキャッチボールしたり・・・
そういえば私が偶然引き当てた遊○王のレアカード、デーモンの召還を価値もわからずにホイホイ交換しちゃったこともあった。後でちょっと喧嘩になったけど・・・
そんな生活の中で私は笑顔になることが増えていった。
2年後、また唐突に父の転勤が決まった。あれよあれよという間に住み慣れた土地を去ることになった。
記憶が曖昧だがO君とはくっつきそうな位近所にいるのに最後顔を合わせなかったように思う。
その年の年賀状にはO君のお母さんが「たまに●●ちゃんの家の庭で一人で寂しそうにサッカーしています。笑」と書いてあるのを見て嬉しかったっけ。
丁度10年後の今年3月、偶然にもG県に向かうことになった。O君の家を気づかれないように軽く覗こうと思っていた。
久しぶりのO君の家は何かが違った。
裏の川に続く扉がなかったり、裏の倉庫が見覚えのないものになっていたり、一緒にキャッチボールしたミットやバットの入っている掘建て小屋がなくなっていた。
嫌な予感がした私は玄関に向かった。私の記憶の中ではO君の家の玄関には表札代わりに赤いポストがかかっていたはずだった。
そこに赤いポストはなかった。代わりに古ぼけた違う名字の表札がかかっていた。私はなんだか全身の力が抜けてしまった。
しばらくボーっとしていると玄関の脇に赤いポストがあるのが見えた。土ぼこりをたっぷりかぶり、ポストに書いてあった表札の文字はほとんど消えかかっていた。
近所のおばさんにO君一家はどこへ行ったのか聞くか悩んだが結局聞かないことにした。縁があればまたどこかで会えるはず。
最後に私はもう一度赤いポストの前へ行き『ありがとう』と告げた後、G県を去った。 東京 林間学校 日光 霧降の反対おばん これで 思い出してしまった
YouTube −「日光]Nikko栃木県で、世界遺産と水源汚染と開発暴力が見える〜〜
http://jp.youtube.com/watch?v=cyqoC6TgIZU
↑農薬汚染ゴルフ場 日光霧降カントリークラブ 欠陥スウェーデンハウスも見えてる
・斎藤貴志 観光経済部長、阿部哲夫 副市長は市保有の日光カンツリー倶楽部株の私的 流用者だと
YouTube −スウェーデンハウス「欠陥住宅」モデルハウス◆その1外廻り
http://www.youtube.com/watch?v=Pt4GHV7sFQg
YouTube −スウェーデンハウス「欠陥住宅」モデルハウス◆その2建物内
http://www.youtube.com/watch?v=aBk7gdH2498
よっくん.....
映画少林寺のマネをよくしてたなぁ・・・ 一年の時だったかな・・・昼休み学校中鬼ごっこしててたまたま廊下ですれ違った同じクラスの女子に
「○○君、この靴下と手袋、教室まで持っていくれんかな?」
雪が降ってた時期だったんで外で遊んだのか両方ともグチョグチョに
俺「(ハァ?なんであんたのはいてた靴下なんざ持っていかにゃならんのだ)」
・・・とは言えないので
俺「す、すまん今鬼ごっこしてて逃げてるから無理!!、それに自分のじゃん自分で持っていけや」
と同時に後ろから鬼のやつが全力でこっちに・・・
これ幸いに
俺「うぉ!!!もう来ちまった!!!」と全力ダッシュ・・・
ここまではまあ、よくある話なんだが。
こともあろうにその女子がそのことを帰りの会で言いやがった
先生もそいつの味方するしとにかく意味不明だった。 よく女子をからかって叩かれて、またからかって逃げての繰り返し。
捕まったら女子が乗っかってきたりして、今考えると夢のような過去の思い出
大人になるに連れ、体の接触をしなくなるし、互いに男女という意識をし始めるよな
小学校の中学年くらいまでは相手にそんな意識はなく、でもこっちは十分に女子って
意識をしてて、そんな毎日が楽しかったなぁ
もどりてーww
小5のときクラス替えがあって新しいクラスになったときに、
のんきでマイペースな性格の私は、何をやっても鈍くさくてからかわれているうちに
いつの間にかいじめの対象になってしまっていた。
休み時間にみんなに囲まれていじめられていると、いつも隣の席の美由紀が私をかばってくれていた。
美由紀は頭脳明晰で運動神経も抜群でしっかり者の優等生タイプで毎年学級委員に選ばれるような子で、
背が高くて顔も声もかわいくて、全く非の打ち所がないパーフェクトな子だった。
美由紀が来るのが遅くて私が既に泣かされていたときは
「○○くんは男なんだから、こんなに簡単に泣いちゃだめだよ」といってハンカチで私の涙を拭いてくれていた。
私は給食を時間内に食べ終わることができなくて、食器を片付けられて昼休みになっても1人で教室に残って食べていると
美由紀が来て「もう、何で○○くんはこんなにのんびりしてるのよ。本気出すと早いんだからもっと早くすればいいのに」と言って隣に座って、
食べ終わったときに一緒に食器を給食室まで持っていってくれた。
確かに、私は運動神経はいいほうで50m走や走り幅跳びはクラスで2〜3位ぐらいだったが、どういうわけか動作が鈍かった。
席順に日直当番が回っていて、もうすぐ2学期が終わって席替えでリセットされるというのにリセット間際に日直が回ってきてしまった。
しかもこの頃はもう寒くて、普段の日直の仕事に加えてストーブの灯油を持ってくるという仕事まで増えていて損をした気分だった。
相変わらず私はのろまで、私が日直の仕事をしようとする前に美由紀が全部やってしまっていて、
気がつくと6時間目が終わるまで私は日直の仕事を1つもやっていなかった。
せめて、最後に残っていた植木鉢と花壇の水やりだけでもやろうと思って、
美由紀に「ぼく、今日何もやってないから花壇に水をあげてくるよ。美由紀さんは先に帰ってていいよ」と言ったが、
美由紀は「あたしもやるよ。一緒にやろう」と言ったので2人で一緒に花壇がある中庭に行った。
教室は暖かかったが外は曇っていて薄暗くてとても寒くて、花壇に水をあげていたときに美由紀がとても寒そうにしていたので
「美由紀さん、寒いから教室に帰ってていいよ」と言うと、美由紀は「ううん、だいじょうぶ」と言ったが、声が震えていてとても寒そうだった。
水やりが終わって教室に戻って美由紀を見ると、信じがたい光景が目に映って私の脳裏に焼きついた。
美由紀の鼻からものすごく太い黄緑色の鼻水が唇の手前まで出ていて、すすり上げて鼻の中に引っ込めていた。
私の中では美由紀はすべてにおいて完璧な子だったので、これを見たときはかなりショックだった。
しかも、その後も教室で2人で話をしていたときに美由紀がくしゃみをすると、大量の鼻水が両方の鼻から噴き出て
濃厚な黄緑色の鼻水は切れずにそのまま30cmぐらい美由紀の鼻からぶら下がっていた。
美由紀が渾身の力を込めてすすって噴き出た鼻水を全部鼻の中に戻すと、そのまま崩れるようにしゃがんで泣き出してしまった。
私は必死に美由紀を慰めながら絶対にこのことを誰にも言わないことを約束すると、やっと泣き止んでくれた。
普段と立場が逆転した数少ない出来事だった。
それから19年後、今から3年前、30歳のときに同窓会で美由紀に会ったとき、美由紀は2児の母になっていた。
そのときに美由紀から「小学生のとき、ずっと○○くんのことが好きだった」といわれて、
思い返してみればあそこまでかばったり手伝ってくれたりするなんて普通の関係ではありえなかった…と今頃になって気づいた。
やっぱり私は最後までのろまで鈍感だった。 昼休憩の時に校庭で集団縄跳び(一人ずつ入っては出てく)が流行っていた。
たまたま集まったクラスのやつら男女合わせて20人くらいでやってたんだ。
その日は調子が良く、いつまで経っても終わらなかった。
普段は喋りもしないようなやつらと一緒にひたすら跳び続ける。
校内での最大回数は250回くらい。
一致団結というか、みんなで何かを成し遂げる喜びを味わったね。
で、記録更新してもいつまでたっても終わらない。
始業のチャイムが鳴って、ようやく教頭先生が怒りに来た。
説教も聞かずにみんなで教室に走って戻ると、
教室の窓から俺らをずっと見ていたであろう担任が
「よく跳んだなー。何回だ?」
「「「464回!」」」
「もっと跳べたよ!」
「縄を回すの大変だった!」
担任は満足げに頷くと、遅刻してきた俺らを叱ることなく授業を始めた。
一番の想い出だ。 入学〜小1時代。
だいぶ端折ってはいくがオイラは嘘つきで卑怯で弱虫で裏切り者だった。
ある日筆箱の消しゴムが無くなり親にどこにやったか問いつめられ咄嗟に
「○○君に取られて、○○君とか○○君にパスしてどこに行ったのかわかんない」
そう答えたら親が連絡帳に、そっくりそのまま書き、次の日の朝の会が終わってから○○君達とオイラが集められて○○達が怒られ詰問されていた。
全然知らないと必死に訴える○○達。そしてその担任(女)はオイラに聞いてきた。
でもまた嘘をついて
「夢か本当かわからない」と意味不明な回答をして担任はそれをそっくりそのまま連絡帳に書き、その日親に読まれ怒られたのだった。
○○達に誤りそれは終わった。確か消しゴムは教室の落とし物入れにあった。
次は運動会でやらかしたのだった。
小学校のグラウンドのすぐ脇にある保育園(自分たちが卒業したとこ)なのだがこの窓ガラスをほぼ全部割ったのだ(その保育園はもう取り壊しが決まり自分より下の子は既に新しい保育園の方に通っていた)
初めて割ったのが運動会当日。最初に割ったのが誰かは知らないが、その時2年の数人が割っていたので自分たちも真似をして何枚か割った。
小学校の低学年はまず自分たちが走ったりするとき以外はもう自由時間のような物だった。他にも遊具で遊んでたりしていた。
運動会の代休が終わり学校に登校したその日の放課後オイラ達はやらかしたのだった。
運動会当日に割った保育園のガラスを放課後に飽きるまで割った。鍵が無く中に進入できたのでオイラは中で小便をした。外の保育園の倉庫の中では糞をした。
そして最後まで残っていたのがオイラと友人の道男(仮名)だった。
帰ろうと思っていた矢先に正義感ぶって2年の高登(仮名)がやってきてオイラと道男の腕をむんずを掴み職員室に連れて行こうとした。
そこでオイラの裏切り&卑怯を発動した。
「ごめんね高登君。ごめんねごめんね(U字工事ではない)俺だけでも許して?ねっねっお願い。ねっ?」
と必死に頼んだらオイラは離してもらったが道男は連れて行かれたのだが数分しないうちに戻ってきた。
オイラだけ逃げたのには何も言わず、一緒に帰って一緒にそろばん塾に行ったのだった。
次の日の朝の会。明らかに担任の先生は怒っており爆発数秒前に見えた。そして
「昨日保育園の窓ガラスを割ったバカ者がいるッッッ!立ちなさいッッ!」
ビクビクしながらオイラ達男子7〜8人が立ち上がった」
その時は何を言われたのかは覚えてはいないが、とりあえず放課後に職員室の教頭先生のところに逝けといわれたのは記憶にある。
放課後教頭先生の机を囲んで説教されたが10分も無かった。
このことを担任に連絡帳に書かれ、家も叱られた。
後に聞いた話では警察が保育園を見に来たらしい。
そんなオイラも恋をした。惚れられた相手は亜利美(仮名)ちゃん。
後ろからそっと尻を撫でたりしたこともあったが、男子特有の好きな女子へのイジメへと変化した。
「バ〜カ、ア〜ホ」は日常茶飯事で休み時間にお絵かきしている横を通ってはわざとぶつかっていた。でも亜利美ちゃんは決して泣かなかった。
水泳が始まりオイラはずっと亜利美ちゃんにプールの中で付きまとっていた。プール内のストーカーだ。
そしておもいっきり水をぶっかけて喜んでいた。
放課後も4時半頃まで泳ぎたい人だけプールで泳いでいた。これは授業とは違う自由時間。
そこでもオイラは亜利美ちゃんがプールに入るとなると急いで海パンに着替えてプールに入っていた。
そして亜利美ちゃんに水をぶっかけたりしていたら亜利美ちゃんはずっと泳げないままだった。亜利美ちゃんは泳ぎたかったのだろうがオイラが邪魔することで全く練習にならなかったのだろう。
そんな意地悪は小2まで続いたのだった。詳しくは次のレス小2時代で。
友達への意地悪やいたずらが日常の小学1年だったがこのころは授業で手を挙げハキハキしてた。勉強も頑張ってた。成績は中の下くらいだったが。
では今日はこのへんで。 小2時代前編
学年が一つ上がったが担任の先生は1年の時と同じ先生だった。
オイラとオイラがよく裏切る道男(仮名)は更に仲良しになっていた。だが、二人で遊んでいても時々障害があった。
道男の兄貴だ。4つ年上の兄貴だったが、道男と遊んでいると友達が少ない道男の兄貴が仲に入ってくる。
その兄貴にオイラは小2でセックスを教えられた。とは言ってもマンコにチンコを入れる、とだけ。その先は自重したのか知らされなかった。
そして普段学校での休み時間には道男と
「セックスしようぜ〜」と冗談半分でチンコを揉み合ったりしていた。
そしてある日授業で学校の周りに咲いている花をスケッチするという授業があった。
みんな一通り書き終えて教室に戻ろうとしていたとき、同じクラスの男女数人がしゃがんで何かを見ていた。
オイラが何だろうと思い見に行ってみると、タンポポを男女数人で見ていたのだった。オイラは
「こんなもの!!!」とタンポポを蹴った。すると茎から花の顔(?)上の綺麗な部分が丸ごとポーンと飛んでいった。
すると数人は
「あー・・・・・」
と本気で残念そうな顔をしていた。オイラは
「ワハハハハハー」と笑いながら教室に走って逃げた・・・が途中でタンポポを見てた堀江(仮名)が走ってきて追いつかれ尻を思いっきり蹴られ、
そいつらみんなで担任の先生にオイラの悪行をチクリに行き、その授業の休み時間に先生に呼ばれ何故そんなことをしたのか聞かれた。
本心はただなんとなくだが、それらしいことを言ったと思う。説教は終わったかと思うと何故か道男が呼ばれたのだった。オイラは???と思いながら待っていると道男が連れられてきた。
すると担任に
「今日はあなた達に重大な注意があります!!!」と普段優しい先生が本気で怒った顔をして言った。
それはオイラ達が
「セックスしようぜ〜」とチンコを二人で揉み合ったり「エッチしよう」とか言って、クラスに悪い影響を与えているということだった。
説教は長々と続きやっと終わったかと思うと連絡帳に書かれ家でも怒られた。
家に帰り夕方から昼寝をして目が覚めたのが夜の8時過ぎ(だったと思う)で母親に風呂場に来るよう言われオイラは服を脱いで風呂場に行くと母はいつになく険しい顔をしていた。
やはり連絡帳に書かれたことだった。確か連絡帳には厳しい事が書かれていたと思う。
母は湯船に浸かりながら、オイラは体を洗いながら説教された。次の日の朝、母は前日遅く仕事から帰ってきた父にも話していた(父はあまりそういったことに口を出さなかった)
オイラは母から先生宛のお詫び状のような封筒を渡され学校の担任に渡してこれは終わった。
ある日小1時代から意地悪をしてきた亜利美ちゃんへの意地悪をもう絶対止めようと思うことがあった。
それは朝のはげみ学習の時間。 ※はげみ学習とは自習にはげむこと。8時〜8時25分位まで。
先生がまだ教室に来ていないことを良いことにオイラは席を立って亜利美ちゃんの横を通るときワザと机にぶつかると亜利美ちゃんの書いてる字が思い切りズレた。亜利美ちゃんはオイラをキッと睨み、手刀で反撃してきた。
オイラも負けじと手刀で応戦をし飽きたところで席に戻った。
先生が来て、朝の会が始まり、終わった後にすぐに1時間目が始まり、それは隣の教室で行われた(どんな授業だったかは覚えていない)
隣の空き教室に移動するとき亜利美ちゃんが目にとまった。亜利美ちゃんと仲の良い女子が2〜3人で亜利美ちゃんを取り囲んでいた。
亜利美ちゃんは泣いていた。ずっとオイラのイジワルに耐えてきたがついに緊張の糸が切れたというか、限界を超えたというか・・・・・。
オイラは泣いてる亜利美ちゃんをずっと忘れられずに1時間目を過ごした。
絶対に先生に怒られるだろうと思っていたが、何の音沙汰も無しだった。亜利美ちゃんは担任にチクらないでいた。
正直先生に怒られて連絡帳に書かれていた方がマシだった。だが何もなかった。亜利美ちゃんにイジワルしたことを初めて悔やんだ。先生にチクって欲しかった。何故言わなかったのか今でも気になる・・・・・。
時々一緒に亜利美ちゃんへのイジワルに加わっていた道男にオイラは
「一緒に亜利美に謝ろう」と誘っていた。一人じゃ謝る事なんて出来なかった。だが、その日の掃除の時間道男は一人で亜利美ちゃんに謝っていた。
オイラがとった行動は次の日の朝早く登校して、亜利美ちゃんの机の引き出しに中に
いままでいじめてごめん
とA4の紙に書いて入れておくことしかできなかった。もちろんそれからは亜利美ちゃんにイジワルなんてしていない。亜利美ちゃんから話しかけられる事なんて事だってあった。
オイラはそれから小6位まで亜利美ちゃんが好きだった。
では今日はこのへんで。 地下鉄サリン事件でオウムが騒がれてた頃、
小学生だった俺達は教室内で
「しょ〜こ〜しょ〜こ〜しょこしょこしょ〜こ〜♪」
と歌っていた。
そしたら同じクラスのショウコさんが
「私の名前で遊ばないで!」と言い出したが、
俺達は「ショウコじゃなくてショウコウだよ!へへっ」
と言って続けてたら担任の先生からきつく怒られた。
あの当時、似た様な怒られ方した奴が他にも絶対いるはずw 朝、学校行って教室に入ったらみんなに指さされて
笑われた。
なぜ笑われたのか俺は分からなかった。
そしてそのまま朝の会が始まったとき、一人の女が手をあげた
女 「先生! うぉうりぃ〜君パジャマですw」
( ^,_ゝ^)オメデトッ!
⊂彡☆))Д´) >>500
パーン! 私も思い出したから書いてみる。
神奈川県某市に住んでいるので小5になると
長野の市営ログハウスみたいなところに林間学校にいく風習になっていた。
その時、私は初恋をしていた。
同じクラスのH君。席が近くなったり、共通の友達もいっぱいいたので
H君とは毎日、いつも一緒にいた。
林間学校のログハウスにはデッキがあって
みんなが中でワイワイやってる時に一人でデッキに出て星空を
眺めてた。
神奈川では見れない天の川まで見える星空をぼーっと眺めてると
なんとH君が隣に立っていて、ビックリした私は「あ!」って言うのが
精一杯だった。
H君は「星が凄いね。星好きなの?」と聞いて来たけど
自分は頷くのが精一杯。
でも、それからは長野から帰ってきて以来
H君は毎日、図鑑で調べた星の話を書いたメモをくれるようになった。
私も嬉しくて毎日、星の話をしていた。
私が林間学校から2か月くらい?して転校して以来、
彼との交流はなくなりました。
今思うと両想いだったのかな??
H君、素敵な思い出ありがとう☆ Sさんの思い出。
小学生の時、母親の趣味で無理やり水泳をやらされていた俺は
陸上はてんでダメなのに、泳ぐのは得意で、プールの授業では余裕そのものだった。
力を抜いて泳いでも勝てるので(同じく習ってる奴にはほとんど負けてたけどw)
クラス対抗水泳大会みたいなイベント以外では、いつも遊び気分で競争していた。
そして、小学校4年の夏の日。二人ひと組順番で泳ぐとき、
俺と競うのはクラスでも頭が良く、発表回数がクラスでトップの女子、Sさんだった。(ランキングされて貼られる)
隣の席になった時は頭の差を見せつけられて正直、コンプレックスに陥ってたもんだが、
泳ぎだったら大丈夫だといつものように力を抜いて泳いでいた。
25m泳いで、水面に顔を出した途端、クラスの男子、Nくんが「○○(俺の名字)の、負けーー!!」と
言って変なポーズをとりつつ言って逃げてった。どうせ勝つだろうと思ってたのに、なんで負けるんだろう?
と周りに聞いたら、「少しだけ俺の方が遅かった」らしい。まあ今でも疑問なんだがw
さらに疑問に思って当のSさんに聞いてみたら「ちゃんと泳いでないでしょー?」と怒られた。
実はSさん、同じスイミングスクールに通ってたらしい。
俺より上の級みたいだから知らなかったけどw彼女は気づいてたみたい。
ちなみに、Sさんに関してはおとなしくて頭が良くて近寄りがたい女子、のイメージしかなかったけど、
実は男子から相当好かれてたみたいで、よく見てみればちょっかいを出されたり、
日直の粗探しをされたりしてたな。(特にNには)
そして時は流れ、6年の2学期。俺は座っていたSさんの足を間違って踏んでしまったことがあった。
「あー、ごめん、ごめん」と謝り、通り過ぎようとしたら「なにやってんだよ?ざけんじゃねえよ」と普通の声で言った。
いつものおしとやかなSさんとのギャップに驚いた俺は「えっ!?そういう言葉遣いするんだ!?」と言ったら
刹那にSさんは「あ、うそうそ!なんでもない!忘れて!」と急に動揺しだした。が、時すでに遅く、
このやりとりを見ていた男子が群がってきて、Sさんはさらに男子の人気者になったそうでw
なんか、Sさんの本性を見れて嬉しかった。
3学期、クラスで噂になっていた話を確かめようと、プールでSさんに聞いたら、私立中学へ行くのは本当だそうで。
ほぼ同時期にスイミングをやめた。施設内のアイスクリーム販売機で彼女がよく食べていた「ガブリオーレ」は、
今でもアイスクリーム自販機を見ると探してしまう。
別に好きだったわけでもないけど、なぜかきれいな記憶で残ってるんだな、Sさんのことは。 小学校一年のとき、極端に無口な男子がいた。
列の順番で教科書を音読することってあるだろ?
彼はそんなとき、読もうとするんだけど、どうしても読めなかったんだ。
クラスは、彼の読む声が聞こえるように、静まり返っている。
少し時間が経つと、「今日はやめておこうね。はい、ありがとう」と担任が言う。
今思えば、プレッシャーになっていたのかもしれん。
でも、ある日、彼が小さな声で教科書を読んだ。
隣に座っていても、どこを読んでいるのかもわからないくらい、小さな声だったけど、
教室はすごく静かだったから、端のほうまで聞こえた。
みんな拍手喝采で、やった!やった!とか喜んでる。
おおー!!って感じで、盛り上がってる。
いい年したおばちゃんの担任も、子どもみたいに喜んでる。
そんな中で、彼は俯き加減でちょっと笑ってた。
それをずっと繰り返して、卒業する頃には、
冗談なんか言って、ふつうに笑って遊んでいた。
学年で一番ケンカが強いと男子に言われていた私のことだって、
他の男子と一緒になってからかうんだ。イラっ☆
思い返せば、「聞こえねーよ」とか言う奴が同学年にいなくてよかった。
元気かね、Sくん。 小学校6年生の時
兄弟学級で一年生の女の子とペアになったな。
凄い活発で、月一で兄弟学級で交流のイベントが有るんだが
その時は、よく俺の手を引っ張って「あっち行こう!」って言ってたよ。
でも俺明るくない方だったから若干テンション低くて、常に「俺がペアで嫌だろうな・・・」とかよく考えてた。
でも三学期辺りにその娘が朝会で作文発表したとき、作文に俺の事書いてて
「お兄ちゃんは常に笑顔で、一緒に遊んでいて凄く楽しいです。」って書いてた。本当かどうかは知らなかったけど、凄く嬉しかったな。
あれから五年がたって今年は彼女が6年生、
絶対優しいお姉さんになって1年生からも凄く好かれて居ると思う。賭けてもいい
あと長文失礼 小6のときの昼休みに女の子数人にちょっと来てと言われてついてくと告白された
告白してくれた子は同じ町内の幼なじみ、家が近いのと登校の班が一緒なのでよくデートだとか冷やかされたりしてた。
実際好きだったし嬉しかったからOKして付き合い始めた。といっても小学生だから下校の時2人で一緒にわざと遠回りして帰ったりするのがデートだったな(笑)
でも1回だけちゃんとしたデートした、探検みたいな感じで山登りをした。お昼ご飯は山登る前に行った駄菓子屋で買った菓子パンだったな、カッコつけて奢ってあげたよ、金ないのに(笑)
んで山頂の休憩所で2人でパン食べたな、疲れたけど楽しかった
その女の子は今の嫁…じゃないんだ、付き合ってるのばれて冷やかされたりするのが恥ずかしくなってあんまり話さなくなって、気付けば顔合わせても喋ることもなくなった
悪いことしたと今でも思う 小学校前二年生の頃、バレンタインの日、当時からモテない俺は公園で友達と二人で遊んでいた。
夕方になってそろそろ帰ろうとしたら、自転車でクラスのS子がやってきた。
友達のほうにちょっと目を瞑るように言ったS子は、友達が目を瞑ってる間に、俺にチョコをくれた。
その後、適当に少し話してS子は帰って行った。
なんだかすごく恥ずかしかったから、もらったチョコはしばらく封印してた。
ホワイトデーに飴をあげたけど、それだけだった。
何もその後の発展はなかったけど、今でもとてもよく覚えている。 放課後の図書室 古くなった本の匂い
誰も居なくなって、しんと静まり返った部屋に
夕陽が差し込み、白壁がオレンジ色に染まっていた。
図書室前の廊下には、読書感想の絵が何枚か貼られていて、
絵の下のタイトルには「ゆうれい殺人事件」「見えない殺人犯」
友達が好んで借りていた推理・探偵シリーズの絵らしい。
小学生が描いたとは、思えない程リアルな絵で、それが怖くて仕方なかった。
帰る時は、絵をなるべく見ない様に、足早に廊下を去っていった。
北九州市 黒畑小学校にて 1985年頃 居残りさせられたのは、一年生の一回だけ
国語の教科書の一文が面白くて授業中に爆笑!
教師激怒!!
居残り朗読www
5人位だったけど、居残りも楽しかった… 書道の時間の終わり
筆を洗うのと一緒に、書き損じの半紙を水にさらして薄墨色に…
クシャっと丸めて、廊下の突き当たり(非常階段の出入り口の上)めがけて
全力投球!!(バチ〜ン!!)
張り付く紙玉が面白くて投げ続けていたら、音に気づいた教師が出てきて激怒!
大学進学で地元を離れる時に見に行ったら、跡が残っていたwww
四年間ずっと1組だったのに、ここへ来て2組…
何故か、すげーショックで、うなだれながら教室へ…
!!
幼稚園の頃からの想い人が一緒のクラスだったw
1組とか、どーでも良くなったwww
席が決まっていないことを良いことに、隣に座って…
話・せ・な・い!orz
女「幼稚園以来だね☆」
俺(ビクッ!)
俺「おぅ!よろしくな!」
再会を、喜びつつも、話せない
チキンハートは、今も変わらず 好きな子が、5年生の時に放送委員だったので、俺は6年で放送委員を希望!
…
気になるあの子は、別の委員に……orz
でも仕事はしっかりやったさ!
保管されてるレコードの分類とか、劣化した放送用カセットテープの作り直し、毎週末 マスター時計の補正…
給食時のリクエスト放送の企画…
ある日リクエストが無かったので、担当の先生に何を流しても良いとの許可をもらった
選曲…俺
カテゴリー…運動会
曲名…軍艦行進曲
普通は校舎だけ流すところを、敢えてALLでw
ボリュームも気持ち高めでwww
程なくして担当の先生の伝令が来て、即時中断
リクエスト放送が無かった頃の曲を流してEND
担当の先生は、牛乳を噴いたそうな… ある日、ふとしたことから幼稚園の頃の話になった
幼稚園から使ってたピアニカが、みんなと違ってちょっと長かったのが、原因だったかな…?
幼稚園が一緒の想い人(以下S)も、もちろん俺(以下T)と一緒のピアニカ
皆「運命だねぇ」とか「Sちゃん追ってきたの?」とか(俺、引っ越しの経験無いしwww)
或る女「Tは、わざわざSちゃんと同じの使うとか、Sちゃんを好きなの?」とか…
俺(ちょっとキレた)「あぁ、幼稚園の頃からずっと好きだけど…、好きで悪ぃのか?」
一同「…」
S「…」
………
次の休み時間…
S「ねぇT(俺の名前)、ハトポッポ体操って覚えてる?幼稚園の時の…」
俺「何となくしか覚えてないなぁw」
………
正直嬉しかったね。当分話しかけてもらえないと思ったから。
まぁ、ますます好きになっていったわけですがwwwww うちの学校は校舎が3棟あって、それぞれ平行に建てられているものの、
微妙にずれていたりした。
■■2 ■■
■■■■■
■■1 ■■
■■■■■■■■3■■
■■■■■
こんな感じかな。
校舎内鬼ごっこをしていて、第3校舎から第1校舎へ走り抜けようとしたときに
渡り廊下でカーブを渡りきれず壁に激突!
つま先が当たったところに大穴をあけてしまって、校長室に謝りに行ったのはよい思い出orz 小学校というと、普通部活なんかやってないよな?な?
俺も全力帰宅部だったのだが、夏の間だけ臨時水泳部だった
水泳部顧問「メドレーの人間が足りないから出てくれ!」だと…!?
喉が弱くて、循環器系を強くする目的で始めた水泳だったけど、それなりには泳げたので承諾w
女子の水着姿を見たくて水泳部やってる連中と、一緒になって戯れ…もとい、練習するうちに
煩悩全開になって、プールに行くたびに人間が壊れるようになってしまった!
夏休みのプールも、第1校舎に更衣室があるのをいいことに、第3校舎のベランダからオペラグラスで覗き行為!
しまいには、更衣室の掃除用具入れに隠れる始末www
↓結果
例によって、見つかるわけだが…w
顧問の先生に怒られつつも、市の大会ではそれなりの成績を残したので厳重注意ですんだけど
2学期の始まりの頃、クラスの女子の視線が痛かったorz 林間学校!
飯盒炊飯、カレーライス、キャンプファイアー…これだけですむなら楽勝なんだけど、うちの学校には「オリエンテーリング」があった(他の学校もあるのかもしれないが…)
………………………………………
渡される地図とコンパス。動揺する友人たち。地図を逆さまに見る奴、コンパスをただじっと見つめる奴…
「俺たちの番だぜ」
班のお調子者(以下O)が、時間差出発の順番が来たことを告げ、先頭に立って歩き出す。
地図も見ずにひたすらに前進!彼は前の班に追いつく考えのようだが…、山道に入ると、視界は利かず何処を歩いているのかも分からない…無論、前の班も見えないw
とりあえず一本道だから迷わないけど…、運命の分かれ道www
O「こっちだ」
俺「おいw、地図を見ないでなぜ分かる?野生の勘か?とりあえず地図見ようぜ」
O「いや、道が広そうだし、駄目なら戻ればいいだろwww」
他「地図見ても分からないし、賛成〜」
俺(ま、いっか…orz)
…………………………………
進んで行くと一般道に出た。要はハズレ
O「戻ろうぜ〜」
他「了解〜」 先ほどの分岐まで戻る。進むべき方向は…
O「で、どっちから来たんだっけ?」(おい!)
他「わからない〜」(orz)
俺(ちょっとキレた)「地図貸してくれ、コンパスも!」
俺「現在位置は、地図のこの分岐。コンパスによると北はこの方向。」
俺「本来は磁北の線を書き加えておくとよりいいんだけど、大差無いからとりあえず地図の上を北とする。」
俺「というわけで、進むべきはこの方向。ほれ、行くぞ」
…………………………………
うちの親が遊び人で、夏休みの度に山(日本アルプス)に連れて行ってくれたので、自然に身についた知識
以降は地図の見方、自己位置の標定の仕方等を説明しながら、突き進み迷うことなくゴール!
最短の時間でゴールしたものの、賞を取るには至らなかった!
全チームの平均タイムに近いチームが優勝だったんだとさwwwww
俺「なんじゃそりゃ!」(怒って、学年主任にくってかかる俺…)
他「まぁまぁ、遭難しなかったんだからいいんじゃない?w」(なだめる皆)
S「Tって何でも知ってるのね!頼もしい〜☆」(班にいたSのこの一言で、優勝などどうでもよくなる俺w)
…………………………………
この後の飯盒炊飯でも、火をおこしたり、米を炊いたり、野菜を切ったり…、大活躍な俺の転機は「キャンプファイアー」
火を燃え上がらせるために、先生が袋詰めした燃料を投げ込んでいた…ので、真似して投げ込むと見せかけて、全力投球!
着火した燃料が丸太の間を突きぬけ、反対側が火の海に…
…………………………………
夜、枕投げしているクラスメートの声を聞きながら、消灯まで廊下で正座www
ほんと、反対側の火のそばに人がいなくてヨカッタヨカッタorz 運動会!
前々から「棒倒し」か「騎馬戦」をやりたいと思っていた俺は、5つの組全ての学級委員に根回しし、生徒にPRをした上でアンケートという名の2択の希望調査を行いw
生徒の希望という形で、「棒倒し」or「騎馬戦」の選択を学年主任に迫ることとなった
こうすれば、「棒倒し」は無理でも「騎馬戦」ならできるはず…。が、学年主任の一言に俺は絶望した
学年主任(以下U)「棒倒しは危なすぎるから駄目だ。騎馬戦は帽子を取る勝負とする。引きずりおろすのは危ない。」
俺(帽子を取るとか、小学生か!)#小学生ですw
俺「それじゃ燃えません!!」
U「おまえみたいな血の気の多いのがいるから、危険なんだよ」
俺(キレた)「わかりました。騎馬戦は確定のようなので、生徒側で暗黙のルールでやらせてもらいますwww」
U「!!、わかったわかった。男子は落馬まで。女子は帽子でどうだ?」
俺「考えさせてもらいます」(勝ったな…www)
……………………………
学級委員を通じて各組と調整した結果、男子は落馬まで、女子は帽子を取られるまでに決定!
体育の授業で模擬戦も行われ、皆、運動会にそなえるのだった…
ここまで書くと、俺は上に乗る役?と思う人もいるかもしれないが
水泳に登山までやる俺はゴツくて上にはなれず…、馬の中央になるのだったwww 運動会!
過去5年間優勝経験が無い俺は、どうしても優勝したかった。
なぜか毎年3組が優勝していたのだ(2年毎に人が入れ替わるはずなのに!w)
今年こそは!という思いはあるものの、具体的・効果的な対策は立てられぬまま、時は過ぎていく
クラスで2番目に足の速い奴Oが選考の時にコケて、俺がリレーの選手に…って、それだとリレーに勝てないのでリレーはOに任せ
俺の他の騎馬の中央になる奴に、通学時、辞書を鞄に入れるようにさせて足腰を鍛えさせ…
(正直スマンカッタ、が、俺も広辞苑・国語辞典・漢和辞典と全教科の教科書・ノート持ち歩いていたから許せw)
運動会当日!!
放送委員の俺は、各競技毎の音楽をかけながら、暇を見つけては応援席から声を枯らせて応援し続けた
ウグイス嬢は、声がいいってことで急遽呼ばれたS!
でも、この時ばかりは応援を優先させてSとは業務的な会話しかしなかった…
そして、6年生の競技が「騎馬戦」と「リレー(5,6年)」のみとなった…
この時、やっぱり(!?)3組がトップ。2位以下はどんぐりの背比べ
普通に潰しあったら、3組優勝…。
俺(俺たちが優勝できなくても、3組だけは潰したい!)
暗い感情に支配された俺は、他の学年が出し物をやっている間に3組以外の各組と調整に入った… 騎馬戦(女子の部)!
バーゲンセールと揶揄された競技が始まると、一般席から「おお〜〜〜〜〜」と声が上がったw
ちいさいオッサンならぬ、ちいさいおばちゃんが黄色い声を上げながら戦っているwww
俺(やっぱり、騎馬戦!観客も燃えるよねwwwしかし…、作戦はうまくいったのか…?)
帽子と一緒に髪の毛を引っ張られて落ちる女子生徒…
いつの間にやら、帽子とか関係なくなってるしwwwww
そして、規定時間終了〜〜
3組全滅w、うちは全騎健在www、他は知らねwwwww
密約の内容は「3組独走だと面白くないから、騎馬戦は男女とも、とりあえず総力を以って3組潰そうぜwそれ以降は自由って事で」でしたwww 騎馬戦(男子の部)!!!
3組男子は、血の気の多い奴が沢山いることで有名で、女子が全滅したことが悔しかったのか、男子がイラついているのが遠目にも分かった
血を見なければ済まない…そんな雰囲気。それを見た他の組は(うちも含め)皆、明らかにビビってしまっていたのだが……
俺(このままじゃ、皆3組に向かって行かず消耗戦を余儀なくされる…どうしよう)
俺(そうだ!声出すか!!!!!)
俺「行くぞ!」
皆「…」
俺「返事はどした!? 行くぞ!!!!!」
皆「おう!」
俺「勝つぞ!!!!!!!」
皆「おう!!!!!!!!!!」
俺「3組倒すぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」(言い過ぎたw)
皆「おう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
睨みつけてくる3組の連中wでも、士気の上がったクラスメートはビビらないwww
2組を盛り上げたことで、他の組も盛り上がってきたところで…
パーン!(競技開始の合図)
俺「突撃!続け〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!」#「ひひ〜〜ん」じゃ、様にならないのでw
各組の騎馬が3組に殺到する…、3組瞬殺wwwww
俺(5騎の騎馬が全滅!?10秒も経たずにかwwwwwww)
俺「続いて行くぞ!!!!!!!!!!」 規定時間終了〜〜結果…圧勝!
2組は全騎健在、他は知らねwww
3組の男子は、負けた高校球児よろしく地面を拳で叩いて悔しがっている…
俺「戦争は数だよ、兄貴…」
そう呟きながら、各組の密約に応じてくれた代表者に挨拶に向かう
密約がばれた場合、3組の狂犬Aが襲ってくるかもしれないので、「お互いのために、この件は内密に…」というわけだw
……………………………
だが、戦いが終わったわけではない! 現在の得点は、2組が僅差で1位!2位以下もどんぐりの背比べ状態で、何処が優勝してもおかしくない状態www
最後の競技のため、リレーの選手が呼ばれる。集合場所へ向かうOに
俺「抜かれたら殺す!」と拳を突き出す
O「応よ!お前の分まで走る!!」と俺の拳に拳をあてる…、今日のOは、普段のおちゃらけたOではなかった
俺(リレーで決まる!!!今年こそは!!!!!)
俺は選手ではないので、できることは応援しかない。お祭り男を自称する俺は、2組(1〜6年まで全員)の前で先頭切って応援をすることにした
リレーの選手が改めて競技の説明を受けている間、予定外の応援合戦を行なう
昼食前、午前最後に行われた統制された応援だ。日ごろの練習の甲斐あって、グラウンド中に皆の揃った声が響く…
俺(俺たちみんなの想い、選手に届いてくれ!!!) リレー(5,6年の部)
第1走者がスタートラインにつく…
静まりかえる会場…
「ヨーイ…」 (パーン!)
一気に沸き立つ会場!トップは2組(5年女子)!!
第2走者(5年男子)へのバトンタッチ…、無駄なく巧い!!!
これで5年生は終わり、次は6年女子のS!!!!
俺が昔スカートめくりのために追い掛け回したためか、速い! #幼稚園の時の話ですwww
Sからバトンを受け取るO!!
日頃はお調子者のOが見せる、必死の顔に感動を覚えつつ、応援はさらにヒートアップ!!!
ただひたすらに声を張り上げる応援席と俺…
Oからアンカー I へ!!!!
トップで渡るバトン…。学年最速のIがトップでバトンを受け取った時点で、勝負は決していた
ドラマ的には、Iが転んでみんなで慰めあうのだろうが、現実は違う!
ゴール!!! (パーン!)
……………………………………
喜びに沸き立つ応援席は、もう統制できないかと思われたが、それじゃ応援団長の名が廃る!ってなもんで
俺(まだだ、まだ終わらんよ!)
2組左翼席(低学年)の前に行き、全員立たせて万歳三唱www
右翼席(中学年)の前に行くと、既に全員起立www万歳三唱wwwww
中央席(高学年)の前に行くと、なんとw全学年起立wwwww万歳三唱wwwwwww
#ヒントはクロマティから得ましたw 結果発表はまだだけど、結果はわかっているので、嬉し涙が止まらないw
Oには「ありがとう;;」としか言えなかったwww
そして、成績発表
「優勝、2組」
淡々と読み上げられる発表はSの声だった
うれしさを微塵も感じさせないその声に、感動しつつ、再度応援席の前に躍り出る
もちろん、万歳三唱www
そうして、最後の運動会は終わったのだった…
……………………………………
A「まだだ、まだ終わらんよ!」#と言ったのかどうかわからないが…
放送関連の片付けが終わり、会場の片付けも手伝っていた俺が体育倉庫に物を運び込んでいた際
A他2名の襲撃を受けた!!! A「調子に乗ってんじゃねぇぞ!」 俺(いや、それあんただからw)
A「なにニヤついてんだ!!なめんなコラ」 俺(相当悔しいらしいwww俺はうれしいですwwwww) #顔に出てます、お互いにwwwww
A「てめぇ!!!」
Aの攻撃!クリティカルヒット!
俺の反撃!ミス!
Bは様子を見ている、Cは様子を見ている
A「おい!」 Bは俺を羽交い絞めにした!
Aの攻撃! 俺のカウンターアタック!(蹴り)
Aの顔面にクリティカルヒット!Aはボール籠の中に消えていった…
俺はBのつま先を踵で踏みつけた。Bは悶絶している!
俺はコンクリート土台付き鉄のポールを振り回した
Bにヒット!Bは流血し気絶した
Cにヒット!
Cは逃げ出した…
戦いに勝利した!
3ポイントの経験値を獲得、0円を… #ポッケは漁ってないですw
……………………………………
で、やっぱり片づけ中に職員室にお呼ばれ
俺がBを一方的に襲ったような話をAが学年主任に話したらしい(後に嘘がばれて、Aは全クラスからヘタレ扱いに…)
Oが俺が襲われていることを、先にうちの担任に報告してくれていたため(Oよ、報告はいいから、助けてくれよ…w)
怪我人が出ているにもかかわらず(A,B,Cともに流血、Bは縫ったらしい…)
「過ぎたるは、及ばざるが如し」という言葉と、拳骨だけで済まされた
それ以来、俺自身もAも互いに近づかなくなった。痛いの嫌いだし、自分の血を見るのは絶対嫌だからwww 遠足!
遠足の内容については、ほとんど覚えていないw
日光東照宮に行ったということ。例のサルが3匹いたこと。
日光江戸村に行ったということ。がまの油を始めて見た事。
これくらいか…?
小学生高学年の男子としては、バスガイドさん!!!
が美人かどうかなんてのも話題になるが、これも覚えていないwww
…………………………
遠足の帰り道、バスが突然に止まった
場所は国道120号線、通称いろは坂
雑談を止め通路越しに観光バスの前方を見ると、前を走る1組のバスがカーブを曲がりきれず、切り返しを行っていた
切り返しを終え前進する1組のバス。続いて前進する2組のバス…難なくカーブをクリア…、が…
再びバスが止まる。切り返しを行う1組のバス…
俺(こりゃぁ、帰りが遅くなるんじゃないかな)
そんなことを考えながら、カラオケのマイクを断り、ぼんやりと外を眺める俺…
#当時、非常に音痴で歌が嫌いでしたwww 何度か同じ事を繰り返すうちに、ふと気付く
『このバス、一度も切り返ししてない』
断りきれずに手にしたマイク。曲を選択せずに一言…
俺「このバスの運転手さんさぁ、一度も切り返ししてないぜ。すげぇよな」
俺の言葉に盛り上がるバス内。歌の催促は無くなっていた
カーブを曲がるたびに上がる歓声…、前のバスが曲がり損ねた上で、ミス無く曲がるとさらに大きな歓声…
いつしか「すげー」を連発しながら、ただひたすらにバスの動きを追うクラスメートたち
そして、最後のカーブ
「おぉぉぉぉぉ…」唸るクラスメートたち
「抜けた!」
立ち上がるクラスメート。沸き起こる拍手。万歳する者。口笛を吹き鳴らすもの…
…………………………
小学校に着くと、運転手さんもまんざらではなかった様子で、愛想良く見送ってくれた
生徒はというと、腕のよい運転手さんに敬意を示し、「ありがとう」の言葉とともに握手をしてから降りた
#現在、大型・牽引免許は持ってるけど、観光バスは運転したいとは思いませんwww
#運転手さんには、凄いプレッシャーだったと思います。正直スマンカッタwwwww 冬場の体育の時間、丸太で作った平均台みたいな遊具に跨って、友人達と話していたときのこと。
大好きなSが近づいて来て、普通に話しに加わったんだけど、
ふと気づくと「おまた」を俺の脚(ひざの上・太もも付近)に擦り付けて…
回りも気づいていないし、S本人も何の気なしにやってるようで、普通に話してるし、
平然を装いつつも気が気じゃない俺w
集合がかかった時に、遊具からすぐ降りられませんでしたwww
エロい話でサーセンorz しつこい。
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71 : :2011/02/04(金) 20:42:27 ID:NIKUKYUU
小学校の時、ダウン症を集めたクラスがあって、
なぜかその教室をローテーションで他のクラスが掃除させられるんだけど、
ダウンの生徒が、積み木を投げてくるわ、
走ってきて突き飛ばしてくるわ、女生徒の髪を引っ張るわ、最悪な空間だった。
血の気の多い奴がキレて、突き飛ばし返してたこともあったっけな。
ダウン教室の担任はダウンの味方しかしないオバハンだったから、
掃除担当の生徒たちは俺も含めて疲れてたよ。 >>5
俺は味のしないのばっかり引いてたわ…
中に蟻が数匹いて吸わなかった物が当たりだったのかもしれんが
一緒に吸ってた奴はすぐ当たり引いてたな…
昔っから運が悪かったんだなあ
【校内で女生徒を強姦…中学教師を逮捕】 2011/2/17 毎日新聞等
中学校の教え子に性的暴行を加えたとして、西京署は、
京都市立中学校の元常勤講師、三原基容疑者を強姦の疑いで逮捕した。
容疑は10年1月中旬、勤務していた京都市内の中学校の体育教官室で、
当時中学3年の女子生徒に性的暴行をした。
生徒が告訴していた。
同署によると、三原容疑者は09年体育講師として同校に勤務。
今回の被害や他生徒へのセクハラ行為を理由に懲戒免職になっていたが、
学校は事件を公表していなかった。 >>534
まさか、樫原のことかいな…?
梅原健太とか最悪やった。悪いことして逃げるズル賢さだけは持っとったから最悪や。
教員も責任とりよらん。 変態仮面ごっこをした際に、友達の姉貴の使用済みパンツを
顔に被せられて勃起したのは良い思い出 >>538その姉貴について詳しく!何歳だったか?パイパンだったか? >>540
おまえ殺すぞ
>>538
ハアハア・・・ハアハア・・・ハアハア・・・詳しく! 朝、登校してグラウンドでクラスの仲間と遊んでいたら
グラウンドの隅に使用済みのコンドームがあってびっくりした みんな俺は無事だ!ケガも何もしてないし、家も無事だ!ただ小学校に避難している人もいるから、俺も小学校に避難しに行こうかな? >>498
ふざけて空中浮遊するトレーニングしてた奴らならいたw
俺は心の中でそいつらを「超越世界同好会」と呼んでいたw
小学生のころの話。
IとN、二人の男子がケンカして、その話がおかしなことになった。
Iは一言で言うと粗暴だった。学年で何番目かに体が大きくて、少しだけノロノロした感じ。
Nは頭のいい変わり者だった。悪く言う奴もいたし高く評価してる奴もいた。
あるとき、Iが女子にちょっかいを出していて、消しゴムのカスやノートを投げつけたりしてた。
そこにNが乱入した。以前から機会があればIを懲らしめようと考えていた奴が数人いて、Nはその一人。
Iは粗暴でお調子者だったから、嫌ってる人も少なからずいたし、俺も内心ちょっとNを応援した。
ケンカ自体は変なタイミングで止まっちゃって決着がつかなかった。両者軽傷だった。服は汚れてたけど。
個人的に興味深いのはこの後。
見ていた何人かのクラスメイトらは、Nが悪く、Iは何もしていない被害者、というような話しぶりに。
そして、その女子がNの恋人なのだという話しぶり。
Nはべつにその女子が好きだったのではなく、発生したチャンスを利用しただけってのが大きいのに
(しかもNは当時まだ異性としての女子には興味なさそうなグループだった)。
後日では、Nだけがバカだと言わんばかりの噂の仕方をする奴もいた。
Nが一方的に負けたと言ってる奴もいた。
女子も女子で礼も言わないし。予想の斜め上の展開だった。
こういう話の茶化し方、歪み方って、大人の世界でもたまにあることだし、原因は何なのかと思う。
嫉妬なのか、多数派への迎合なのか、何も考えずに生きてるのか。死ぬまでには答えが知りたい。 >>547
Iはその女子を好きで、好きな子をいじめてしまうタイプだったのでは?
>>545
おじさんも空中浮遊の真似とかやったよ。俺の舎弟のクラスにやっぱり麻原さんっていうブスな女子が虐められていたんだって。いつも鼻糞ほじって机の裏になすりつける娘だったな。
そういや
自分は鼻くそほじるのに、男子がほじってると悪口言ってくる女子がいた
自分を客観的に見れないタイプだったんだろうか
帰りの会で、太ってる女子に太ってると言ってはいけません、みたいなルールができた。
女教師のほぼ独断で。
360 :水先案名無い人:2011/05/04(水) 16:23:13.21 ID:hOvaQj3O0
10/09/22酷いです。チアリーディング部に入れてもらえません。
トピの本文
よろしくお願いします。
私は今年から大学生になった女性です。地方から大都会に出てきました。
私は小さい頃からチアリーダーに憧れていましたので、入学と同時にチアリーディング部に入部しようと決めていました。
しかし、4月に入部を申し込みに行ったのに「もう定員になったから」と断られてしまいました。
それから何度も定員に空きがないか聞きに行っても同じ返事しかもらえませんでした。
多分メンバーの方が、私の何かが気に入らないんだと思います。あるとしたら2つ程思い浮かぶんですが、1つは私の服装が派手だからかなと。
私はいつもミニスカートに薄地の赤やピンクのノースリーブです。でもチアリーダーはミニスカートを穿いているのが当たり前なので、断られるのはおかしいと思うのですが。
もう1つは私がちょっとグラマーだからかなと思う事です。身長は158cm、体重は120kgです。
今まで彼氏はいなかったけど、周りの男友達からは「可愛いね」てよく言われてましたし、家族からも同じように言われてきまし。
お父さんからは女はある程度フックラしてないと駄目だって言っていました。
街を歩いていると殆どの男達は、振り返って私を見てくれていましたので、お父さんの言っている事は本当だと思いました。
そこでなんですがチアリーディング部の方達は私に嫉妬しているのでしょうか?
(トピ主・ミレ/ 2010年9月21日 10:43)
362 :水先案名無い人:2011/05/04(水) 18:38:39.40 ID:nKcCl+kJ0
「女子に悪口を言ってはいけません!体の欠点を笑ってはいけません!」
とかそんな教育をしてきた結果がこれだよ 小4の時だったか5の時だったか、
クラスに、太ってはいるけど、人気者の女の子がいた。
おおらかで、頭が良くて、女とは思えないほど器も大きい女子だった。
「私はデブって言われてもまったく平気」とにこにこしている仏のような奴だった。
彼女をブタとかデブとか冗談で呼ぶ男子はいても、悪く言う男子はほぼいなかったと思う。
あだ名はブッダ(悟りを開いたブタということで)。
クラスには彼女とは別の、Aという苗字のデブ女子がいて、この子はちょっとわがまま。
あるとき、男子が黒板に落書き、Aが太ってるということを絵で描いた。
Aは両手で顔をおおいながら、ひどいだそんな太ってないだ泣きわめいた。
女子を泣かせたというだけでも周囲から責められる男子。
だが、居合わせたブッダが、Aに喝。
「デブって言われるのが嫌なら痩せりゃいいだけやろ!
食い意地はりながらブヒブヒ泣き言いうな!
ヤクザがヤクザって言わないでーって泣いたらおかしいやろ、笑えるやろ、
それと同じや、事実は事実なんやから自分で何とかするしかないんや、
事実を言う人は悪人、なんてのはおかしいやろ!」
さっぱりした。見事に言ってくれた。後でさすがはブッダだよなと言う者もいた。
この場をかりて彼女に拍手を送りたい。 そういえば15年くらい前、豚が仏教を学ぶ漫画が図書室にあったわ
小学校の図書室にあった、はたしのゲンとブラックジャック。
みんな何回も何回も読んでた。 小学校低学年の頃、好きな子がいたが、よくスカートめくりをした
怒って追いかけてくるのを逃げていたのが楽しかった
ただ、面と向って普通に話せなかった 昼休みになるとグランドの場所取りで、同じクラスで、がっちり体型の女子グループと、よく喧嘩になった。
そのうち一人が空手やってて、腹に蹴りがクリーンヒットした。 >>564
その逆のパターンで
女子が蹴りかかってきたから、蹴り返したら、女子の腹にクリーンヒットして
「女の子の腹を蹴るなんてサイテー」みたいなこと言われたことある
小5〜6の時は、いつも仲良し3人組で遊んでいた。
小5でクラス替えがあって、新しいクラスでようやくできた友達だった。
遊んでいる時、俺が急に体調を崩した時、家までおんぶしてくれたり、
中学生にからまれた時も助けてくれた。
何より、俺のことを親友って言ってくれた。
小6の夏、なんか不安感がして、下校中、
「僕らってずっと友達だよね?」ってきいた。
当たり前じゃん!ときいて、安心したけど、その3日くらい後、
ちょうど、バブル崩壊の時期で、友達の親の仕事の関係で、
急に転校することになった。
それを学校できいて、俺は泣いた。
3人組のもう1人が慰めてくれたけど涙がとまらなかった。
あまりにも急に引越ししないといけなかったらしく、
別れの言葉すら満足に言えなかった。
今なら携帯で簡単に連絡が取れるかもしれないけど、どこに住むかも流動的だったそうで、
連絡しづらいとの事だった。
今、どうしてるかな?生きてるかな?俺のこと覚えててくれるのだろうか。
長文ごめんなさい。 先生による体罰は無かったがその逆、先生に対するいじめはあった。
90年代前半、教師と生徒の立場が逆転し始めた頃なのかも。といっても校内でうちのクラスだけだったが。
5,6年の時の担任、30代後半くらいのおばちゃんでオヤジギャグのようなつまらないことをたまに口走る。
なんとなくうぜぇって感じで、誰から始まったかは分からないが無視や給食にチョークの粉を振り掛ける、雑巾を投げるなど…
最終的にはクラスの半分以上が何かしらの加担者になっていたと思う。
6年の時に胃をやられて休職したよ。
代わりにやってきたのが20代の男の先生、赤いオープンカー(たしかマツダのロードスター)に乗っててたちまち人気者になった。
別のクラスの友人曰く、挨拶と称して教室にやってきて担任を廊下に追いやり、
「世の中大事なのは勉強だけじゃないぞ!」と言ったそうだ。
定期的に行われるクラスイベントがあって、その先生発案で肝試しが行われた。
夕方に学校の多目的室に集まって2,3の怪談を披露し肝試しスタート。
3人一組になって夜の学校を音楽室やら美術室やら体育館や自分のクラスやらを回る。
教室にはフランス人形が並べてあったり、所々保護者が脅かし役で参加してたり。
さすがにもう本気で怖がる年ではなかったが夜の学校という非日常感が楽しかった。
下駄箱の前の大きな鏡に不気味がってみたり、3人で歩くと真ん中の奴は呪われんだぜ、なんて言ってみたり。
卒業すると先生は遠い小さな島の小学校に転勤になった。
高校生になり年末年始の郵便配達のバイトをした時、配達先に当時同じクラスだった人の家があった。
配達物にその先生からの年賀状があって、さすがに内容は見なかったが先生の住所は今もその遠い小さな島だった。
今でも先生をしてるのか分からないが、もう40代前半くらいか。
当時のような明るく楽しいちょっと熱血な先生でいてくれると良いなと、ふと思った。 部活の話。
当時Jリーグ開幕もありサッカーが人気だった。あわせてキャプテン翼も地元では放送していた。
うちの学校は5年から部活があるのだが勿論花形のサッカー部に入部届けを出した。
前述の通りサッカー人気で入部希望者が多く抽選になったが運よく当選し無事入部となった。
親にねだってそこそこの値段の本格的なスパイクシューズを買ってもらった。
が、殆ど部活に参加することは無かった。
走るのは得意だがボールを奪うという積極性に欠け、どうも受身な自分にはサッカーは合わなかったのだ。
6年の時には一転、パソコン・ワープロ部なる部活に所属した。
当時のパソコンは今に比べるとたかが知れてるかも知れんがちょっとした使い方を学んだり、
自分でデザインして暑中見舞いのはがきを作ったり。
専らパソコンで初代ぷよぷよやライフアンドデスとかゲームする活動内容だった。
ライフアンドデスは外科医になって手術をして患者を救うゲームだけど小学生にはちんぷんかんぷん。
人殺しゲームなんて呼んで顧問の先生に怒られてるやつがいたな。
実際いかに早く殺せるか、またはどれだけ延命できるかを競うゲームになってたが…
生徒は入れないそのPCの置いてある理科準備室に自由に出入りできたのがちょっと優越感。 >>558
小泉吉宏の「愛のブッタ」とかかな?
うちの学校にもあったよ
/フ_┌――へ __
〈` <//-┐ ┌‐′/´_ 、、`ヽ.
_V _、ヘ. | | / / / / ヽ ヽ / ̄ ̄ ̄ フ./''7''7 / ̄ ̄ ̄.//''7''7
l 、_> | | l / / / } }  ̄ ̄./ / ー'ー' /' 7'7./''7 ./ ./二/ ./ ー'ー'
厂 「ヽ | | 、 ヽ′/ ノ / ___ノ / _'__,'ノ / /__,--, ./
/ , l、_〉┘ └へ ヽ、_ノ r‐´ _/ /____,./ /____,./ /___..ノ
ヽ/| .| `ー――‐′  ̄
 ̄
小学六年のころ考えた、たった一個だけの四コマ漫画が、
何年も前にすでにカリアゲクンか何かで使われているネタと同じだと知ったとき、
自信がつくどころか、むしろ、偶然の一致とはいえちょっと罪悪感を覚え、
同時に、生まれた時代の後先という現象に、何かこう、
言葉にできない不条理感みたいなものを覚えた。
そうか、先んずれば人を制すってこういうことか、
来世では若い両親にさっさと生んでもらわなきゃ、とか思った。
うちの小学校には
濡らした雑巾を投げてくるキチガイ上級生がいた
ワタミ社長 「『無理』というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんですよ」
村上龍 「?」
ワタミ 「途中で止めるから無理になるんです。途中で止めなければ無理じゃ無くなります」
村上 「いやいやいや、順序としては『無理だから→途中で止めてしまう』んですよね?」
ワタミ 「いえ、途中で止めてしまうから無理になるんです」
村上 「?」
ワタミ 「止めさせないんです。鼻血を出そうがブッ倒れようが、とにかく一週間全力でやらせる」
村上 「一週間」
ワタミ 「そうすればその人はもう無理とは口が裂けても言えないでしょう」
村上 「…んん??」
ワタミ 「無理じゃなかったって事です。実際に一週間もやったのだから。『無理』という言葉は嘘だった」
村上 「いや、一週間やったんじゃなくやらせたって事でしょ。鼻血が出ても倒れても」
ワタミ 「しかし現実としてやったのですから無理じゃなかった。その後はもう『無理』なんて言葉は言わせません」 >>576
人のことを軽々しく嘘つき呼ばわりする奴の人格なんて、こんなもんだわな。 5,6年の時のクラスは皆仲良くて団結力のあるクラスだと思ってたが
卒業アルバムの文集で自分はクラスの修学旅行の思い出とかを書いたが
仲の良かった友達全員が部活のことを書いていて当時はすごいショックだった。 たしか小学校5年ぐらいの話
俺はまぁ基本的にいじめられっこで、つっても小学校の時はそこまで酷くなかったというか
むしろ自分のキャラのせいで浮いてるというか嫌われてるだけだったんだけど
そんな中、小学校でよくある、自分の夢を書こうってのがあったわけさ
俺の小学生時代に持ってた将来の夢って、いい大学に入っていい企業に就職して美人の奥さんもらって子供は2人以上つくって、幸せに一生を終える。だったのね
ちょっと脱線すると、そんな素晴らしい人生に欠片もなってないんだけどさ今現在。まぁそれはいいとして
その時はたまたま毎週土曜か日曜の昼にやってた「四角い仁鶴が丸く収めまっせ」で巨人阪神見て、それにちょっと憧れたとこもあって。漫才師って書いたんだ
そりゃ夢物語といえば夢物語だけど、周りの奴らとかはジャッキーチェンになるとか、宇宙飛行士になるとか。正直そんなんばっかだったから、有名になるための本で星3つの漫才師とかは比較的現実的な夢だと思うんだ
そんで終わった人から先生に提出ーって感じで、皆先生の前で列を作って、お前なんだよ、お前こそなんだよってわいわいがやがやしたよくある小学校のムードだったんだよ
そんな中ほとんどの人が提出し終わってから俺も提出しに行ったんだけど
そのジャッキーチェンとか宇宙飛行士とかには普通に笑ってた先生が、俺の紙を見るなに真顔になって
「A君、A君は漫才師になるために何か努力をしたの?」っていきなり詰めだしたんだ
小学生の頃の俺が、しかもそんな思いつきの夢にそんな努力真面目にしてるわけもなく、その嫌な空気の中下を向きながら「……ううん」ってしか返事できなくて
ってか内心「なんで俺だけ詰められてんの?何こいつありえんくない?」ってガキながらに半分キレかけてたねんけど、先生の追撃は止まらなくて
「夢を語る前にちゃんと努力しないとうんたらかんたら」って説教が始まったねん
さすがにそのちょっと変わった空気に周りも少しシーンとなってて、俺は小学生にはわけのわからんであろうガチ詰めに半泣き
いやまぁ、今だったら言ってることわかるんだけどさ。それでも小学生に言うことじゃねぇだろ、ってか言い方もあるだろって話でさ
その後は先生とも友達とも一言も交わさずに学校終了まで無言。帰って大泣き
そん時からまぁ口だけの自覚があった俺は「俺は口で言うだけで全く努力ができないクズだ」って思いながら布団被って大泣き
んで自分が悪い自分が悪いって思ってたんだけど、大人になってふと思い出したときにさ
いやあれ単純に先生も俺のこと嫌いなだけやったんやなって気付いたのよ
大人になってなんていうか、子供の時に見てた先生っていう絶対的な存在のフィルターが外れたせいかな、なんか冷静に分析できてさ
そうなると記憶に残ってる思い出全部分析しちゃってさ。あーほとんどの先生俺のこと嫌いやったんやなって
もうさ、俺人間嫌いだわ、ってかムリやわほんと 弟が小学校のテストで0点をとった。
母は、先生から
「一番驚いているのは本人だと思うのであまり叱らないであげてください」と言われたらしい。
0点なんて漫画でしか見たことなかったので驚いたし、
また漫画とちがい、弟が特に怒られたりもしなかったのも驚いた。
入学式の前日、仲の良かった近所に住む小学6年の家の前を通りかかったら
○○ちゃんは1年3組に決まったよと声を掛けられたことは明確に覚えているが、
翌日の入学式のことは全く記憶にない >>580
押し入れの卒アル引っ張り出して久々に見たが、
自分とこのバスケ部女子の多くも6年間の思い出よりむしろ部活の思い出に終始していたよ。
サブタイも「バスケットボールを始めて」「バスケットクラブ」だの、
部活の日常を書いた「くやしかった試合」「私が決めたシュート」「私の背番号は8番」というように、
卒業文集というよりか部活体験文集的なものばかりだった。