神の僕が物理学を勉強するスレ
物理板なんだから物理の勉強せんといかんな。
聖書の真理と物理学の目指す真理とは矛盾しないはず。
それを確かめる。
教科書は裳華房発行の基礎物理学 金原 寿 著
これはいい教科書の予感。 太陽が昇ると言いますが、これは妄想です。
旧約にも新約にもこのような表現があります。
だからといって神は妄想ということになるでしょうか。
そのように見えるのは確かです。
エレミヤ書 5章21節〜
心の欠けた知恵のない民よ、さあ、このことを聞け。
彼らには目があるのに、見ることができない。
耳があるのに、聞くことができない。
あなた方はこのわたしを恐れないのかと神はお告げになる。 妄想でもいいのだが、妄想を信じるのではなく疑うことが必要。
疑っても存在が確実なら、その妄想を信じればよいが、存在が
不確実なら、あくまでも疑い続けなければならない。
神の信者の態度は逆で、まず信ずることから始めて、そのまま
信じ続ける。これを「妄想に嵌る」と呼ぼう。理性を捨てている。 今の時代の科学技術を古代人に話したら理解できないし、妄想と言うだろう。
真理もそのようなものだということ。
これから先、500年後の常識についても同じことであろうと予想される。
神がいると仮定しても同じことが言える。
神は人の能力を超越した存在。
疑ったとして、いくら考えても科学的に追及してもそこに到達できないから、信仰によるしかない。
信仰のない者には神が姿を現したとしても、妄想だと言うだろう。
イエスが地上に来ても、信じなかった者は多い。
そのことは福音書に書かれている。 オレはイエスと会っても、彼を神とは信じないよ。証拠を示さなければね。
奇蹟を行っても、まだ神とは認めないよ。
証拠とは真理のことだけど。 >>56 つづき
でも、イエスに直接会ったら、その人格に打たれるかも知れない。
物語上のイエスのイメージでは、人格にひかれることはなさそう。
釈迦なら人格に打たれる気がする。 俺はアンパンマンなんか信じない。
アンパンマンは君さ〜♪
なんて歌も信じねえぞ。
俺はあんな顔してねえし、だいたいあれは女の声優なんだから
性別がおかしいだろうが。
と言ってるのと大差ねえな。
真理って、理屈のことか?
それは設計図のようなもので、現実にモノが出来なきゃ自己満足。
それが真理だとして、真理ということがどうして分かるんだよ。
イエスの話の内容は単純なものだ。
だから聞いて自己満足することも出来ない。
それよりも、言葉のうちに在る真実が内側から響いて来るかだな。
十字架上のイエスに向かって「お前が神の子なら自分を救ってみろ」
と罵る側の人間であるか、イエスの隣に十字架刑にされた「イエスよ、
あなたが御国においでになるときには、わたしを思い出してください」
と言う側の人間であるか、あるいはイエスの言葉に救われて涙でイエス
の足をぬらし、自分の髪でそれを拭った女の側かだな。
そして現実に対して立ち向かうパワーがその証拠だよ。 >>58
この全体にロマンチックで、ヒロイックで、ウェットな雰囲気について行けない。
イエスが神であることを前提にしなきゃ、ただの三文芝居。 >イエスが神である
神がどのようにして存在してるのかを知らなくては
「イエスが神である」などと言ったところで意味がない。
神は霊的存在だということ。
霊とは実体が見えない触れない、いわゆる「気」のような存在。
実際、物理学でもそのようなものを扱う。
古代においては、息も霊と呼ばれた。
イエスは肉体があった。
だが、神は肉的存在ではない。
ヨハネによる福音によれば神の内にイエスがあり、イエスの内に神がいて、
さらに人の内にも神がいると書かれている。
>ロマンチックで、ヒロイックで、ウェットな
いずれも>>56には当てはまらない。
おれに言わせれば、ホラー。
たぶんおまいには他人事だからそう見える。 オレの推測では、ガリレオ、ニュートン、デカルト、ライプニッツ、スピノザなどは、
イエスが神であることを信じてなかったと思う。
公言すると殺されるから誤魔化してたけど。
彼らが神を信ずることは、世界の究極原理の存在を信ずることで、つまりは
自然科学的な動機だ。
つまり17世紀には、すでに心ある人はイエスが神であることを信じなかったし、
さらに言えば、聖書の内容も疑っていたに違いない。世界を6日間で創った?
パスカルは信じてたろうが。 >>62
>聖書の内容も疑っていたに違いない。世界を6日間で創った?
>パスカルは信じてたろうが。
パスカルはそのことについては何も言ってない。
ただ、こういう記述がある。
パンセ 338
真のキリスト者は、それでもなお、愚かなことに服従する。
それは愚かなことを尊敬するからではなく、人間を罰するために
これらの愚かなことに彼らを服せしめられた神の秩序を尊敬する
からである。
創世記における原罪の物語について
パンセ 434
・・・確かにこの教理ほどわれわれにひどく突き当たるものはない。
しかし、それにもかかわらず、あらゆるもののなかで最も不可解な
この秘儀なしには、われわれ自身にとって不可解なものになってし
まうのである。・・・・その結果、われわれが真にわれわれ自身を
知ることができる、この理性の思い上がった動きによってではなく、
理性の単純な服従によってなのである。
一方、こうも言っている。
パンセ 347
・・・・だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。・・・・ 苦しい言い訳のようにも見えるが、古代人に宇宙だの地球だの形成など
ホーキングもいなかったので知る由もない。
理性に納得させるほどの情報がなかった。
そこでの1日は本の何章ぐらいの意味しかない。 科学者は創造の神は信じるかも知れない。しかし、それは人格神ではないだろう。
アインシュタインのように、スピノザ的な神を信じる者が、むしろ一般的ではないか。
それはほぼ物理法則と言ってもよいものだ。
しかし、現在の物理学は精神/意識については全くの無知だから、世界の減少の
半分しか扱っていない。 >現在の物理学は精神/意識については全くの無知だから
1926年量子力学誕生と同時にニュートン力学で解けなかった原子・分子の謎が解明さ
れ化学の基礎は量子力学になり分子生物学に発展した。
物理学者は人間の精神意識も量子力学現象だと確信してるが、莫大な分子の方程式を
解いて意識活動まで説明するのは計算科学的に不可能。
現代生物学とAI科学を基にした意識モデルなどから説明することになるだろう。 デイヴィッド・チャーマーズの「意識のハード・プロブレム」に、まともに反論でき
ている物理学者はいない。解けたというのは「イージー・プロブレム」ばかりだ。
精神/意識をまともに扱うなら、チャーマーズの言うように、現在の物理学を拡張し、
新しいエンティティを加えねばなるまい。 >物理学者は人間の精神意識も量子力学現象だと確信してるが
本当かよ?
例えば、ペンローズの量子脳理論なんて、まともに対応してる物理学者なんていないだろ。 >>39
>その信仰にはどんな根拠があるのか?
パスカルは俺と全く同じ見解。
パンセ 248
・・・信仰は証拠とは違う。後者は人間的であるが前者は神の賜物
である。すななわち神自身が人の心にお入れになるその信仰によって
であって、証拠はしばしばそれの道具となる。だが、信仰は心の中に
あって、<私は知る>とは言わせないで、<私は信じる>と言わせる
のである。 >>72
><私は知る>とは言わせないで、<私は信じる>と言わせる
神が絶対的なものなら、なぜ信じる必要があるのか? 信ずるまでもないだろうに。
信ずるとは意思的な行為だ。つまり意思が必要なのだ。直截ではない。
「神が圧倒的存在である」とことと「信ずる」には、まだ隔たりがある。
その隔たりは説明を要するものだ。 パンセ 340
計算器は、動物の行うどんなことよりも、いっそう思考に近い結果
を出す。だが、動物のように、意志を持っていると人に言わせるよ
うなことは何もしない。
パスカルもchatgpt人工知能は予測できなかったか。
だが、人工知能自身が自分には意志はないと言ってたような。
よくできた自動作文機で、自我はないという方が正しいか?
ならばパスカルは正しかったのでは?
仕掛けが解明されると同時に意志は消え去り計算機の仕掛け
で動作した結果にすぎなくなる。しかし、俺は俺自身の仕掛けを
意識しないから意志があるのだと言いたい。これは信仰。
俺い自由意志があるなら仕掛けで動くというよりも、仕掛けに働
きかけて動作させていることとなり、おのれの肉体という宇宙に
においては神の存在だということ。 神は神を信ずるか? 神は神を信ずる必要があるのか?
我は我を信ずるか? あるいは我は我の存在を信ずるか?
デカルトのように証明するのか? 神の存在証明は不要か?
神などは不要なのだ。
神は問題を簡単にするために、人間が作った偽造物。
本当の問題を避けている。 >>73 神は信仰のあるもには絶対であり、信仰を持たない者には偽り。
パンセ 280
神を知ることと、神を愛することまでのあいだは、なんと遠いことだろう。
パンセ 283
・・・・・心情にはそれ自身の秩序がある。精神にはそれ自身の秩序があり、
それは原理と証明とによるが、心情にはそれとは別のものがある。
人は愛の諸原因を秩序立てて説明することによって、愛されるべきであると
いうことを証明しはしない。そうしたら滑稽であろう。・・・・・ 信仰する人間は狡猾だ。
まず神という答えをでっち上げ、あとはその神をひたすら信仰する。
これはズルではないか。
本当は、答えの存在すら不明なのに。 >>76
あいかわらず自分の言葉で答えない。
「理解していないからだろう。あるいは信仰が本当ではないからか?」
と言われても仕方なかろう。 >>78
じゃあ、パスカルを信じなさい。
いや、出来ないこともないな。
パンセ 283 についてなら、論証でラブレター書いてみれ
とか書き込むな、俺なら。
パンセ 280 についてなら、愛するということは、物理学で説明不能
ということ。
いわばパンセの文は道具として使ってる。
全部ではないが、だいたいいい線いってる。 >>79
パスカルはパスカルに聞く。
道具じゃなく、素手で説明しろよ。できないのか? >>77
おそらくだが、自我の存在と同じく、脳のメカニズムが完全に解明
されると消滅し、脳細胞の反応に記せられる。
だが、メカニズムを意識しない俺は自分自身に対して自由であり
何者にも依存しない神の存在。
神が存在する・存在しないは、どちらかではなく、不定なんだと思う。
パスカルが述べているように、どちらも不可解。
量子力学にも同じようなことがあるのでは。
脳味噌のフタを開けたとたん、意志は消える。 >>80
なんだい、その、喧嘩腰ないいぐさ。
おまいのお母さんは、そんなふうにお前を育てのか?
素手でぶん殴れって? >>81
>神が存在する・存在しないは、どちらかではなく、不定なんだと思う。
以前にも言ったが、釈迦が優れていたのはこの点でもある。
神の存在が不定でも、答えはあるのだ。神は無関係。
神から離れること。しょせん、神は人間が仮定した答えに過ぎん。 >>82
では、こう言おう。
アンタの尿意が本物なら、その証にはアンタの小便が見たいのであって、
パスカルの小便は、アンタの尿意を証明しない。 >>84
パスカルも俺も同じ人間つうか、おれんちの犬も尿意はあるし、小便するわいな。
あんた、俺の小便が見たいだと?
変態じゃねえけ?
最近、検便したけど何か? >>86 つづき
パスカルに何を言わせても、アンタが言ったことにはならない、ってこと。
パスカルが何を言ったかは、パスカルに聴けるでしょ。 父と子と聖霊は三位一体とかいうぜ。
俺とパスカルは霊的兄弟で繋がってんだよ。 ちなみに、俺の膝の上でぺろぺろしてるパピヨン犬もな、言葉は「来い」
しか通じないが。心は通じてるぜ。
パスカルは病気で当の昔に死んじまったけどな、肉は滅びて存在の全てが
消えたわけではないよ。
それ以上に、イエスは死んだわけではない。 >>90
悟りましたな。
それでは、死んじまったお釈迦坊主によろしく。 最近、spotifyでプリキュアのキャラソンしか聞いてない
名曲の見本市といって差し支えない
プリキュアのみんなは歌もうまいし、可愛いし最高だね
性格もいいからお嫁さんにほしい キリスト教のいう神は物理学の本には書いてなくて、グリム童話とか昔話の本に
書いてあります。また、岩波文庫ちらと眺めると西洋の哲学の本のほとんどに神
が書いてあります。
子供から大人まで神は脳ミソに浸透している様子ですが、科学と似ているのはこの
世界について実現するかどうかが真であることの証拠になります。
預言が正しいかは預言の成就が証明します。
旧約の律法によれば偽の預言者は殺されます。
科学の理論は実験が証明します。 これ結局事務所がこんな生活してると上がるのでそこはいいんですけど 炭水化物制限とか糖尿病薬の主力ではないのかもわからんが だから前部そんな過労による事故は珍しいだけのただそれだけの写真集より単独カレンダーにしとけばよかった