>>629
>定量的に計算できなきゃ説明にならない、には俺は与しないが、
いや、これは与する与しないという問題ではなく、物理学という学問の根本的なルールなんだよ。
物理学を他の自然科学と区別せしめているのは、自然現象の量的な把握を行い数学を応用して表すという特徴にある。
従って、量的な把握を行わなければ、それは定義から外れて物理学ではなくなってしまう。
反作用バカの主張は最初から量的な把握を放棄しているので、そもそも物理学ではない。だから、俺は反作用バカの主張を「反作用狸論」と呼んでいる。

もう1つ、いくら量的な把握を行っていても、それがトートロジーであっては説明の意味をなさない。
単なる「なぜ?」の置き換えでしかないので、どれほど置き換えを繰り返しても終着することがないからだ。
この無限の置き換えを止めるには、原理もしくは法則に帰着させるしかない。
原理とは無条件に正しいとされる前提であり、法則とは観測や実験で普遍性が確認されたモデルなので、終着させることができる。
反作用バカの反作用狸論は結局「作用・反作用の法則が成り立つ現象の一例を紹介している」だけで、作用・反作用の法則に帰着させているわけではない。
だから、何一つとして説明できない単なるトートロジーにしかなっていないんだよ。