人間が文化的な生活を享受できるようになったのはつい最近のことだ。
われわれの祖先がネズミのような形で生きた時代には他の動物たちとの激しい闘争に明け暮れ
ようやく人間らしい形質を備えるようになってからも
部族間の戦いなど、似た者どうしで殺し合いを繰り返してきた。
われわれの論理が、その中で生き残るために発達してきたという
来歴をつねに考慮に入れなければならない。
当然、そのような中で育った人類の「論理」は、正確さよりは迅速さを重んじるようなものであるということ
そして、それは真実から遠いからこそ、われわれが生き残ったということ。
たとえ錯覚であろうが、それが情報処理に有利であればいくらでも錯覚を発達させた。
厳密にものごとを考察し、ものごとを区別するような種族は、
ただちにほかの種族に食い殺されて、滅んでしまっただろう。

そもそも、人類が言語を用いて考えるということ。これは実に
ものごとの細部を切り落として、記号の結合と分解という操作によって
スピーディーに情報処理するために生まれた能力だ。
視覚情報や聴覚情報だけで行動する動物たちにくらべて圧倒的に情報処理が速い。
記号・言語による思考は、細部を大胆に切り落としてしまった「雑な情報操作」だからこそ
ほかの種族に勝利できたのだ。
そして
この「雑な情報操作」は物理学へと発展するw