そもそも複素共役が有用なのは物事は一義的なものではなく、相対的であるからだ。
ところがその相対性を標榜する相対論が複素共役を使えないというのだから、
相対論は矛盾を孕んだ理論なのである。
つまり本来相対論は絶対性理論と呼ぶに相応しい理論なのだ。
なぜなら相対的であるためには何らかの基準系が必要であるからだ。
実際エーテルという速度の基準系を否定した相対論は皮肉なことに、絶対静止系を要求する。