張込み
監督:野村芳太郎
脚本:橋本忍
音楽:黛敏郎
出演:大木実 宮口精二 高峰秀子 田村高廣 高千穂ひづる 他 昔は列車が動き始めてからも飛び乗れたんやな
それにしても大木実の演技は臭い
飛び乗ってからなぜ左右に首振らなきゃあかんのw いろいろドラマ化されてるがこの作品を上回るものは出ていないなあ
マンションでは原作の雰囲気半減だ >>4
いかにも暑いという感じの作品ですね
ラストの旅館に踏み込むときのひぐらしの声が涼しさを呼んで良かった ロケで佐賀市が全面的に協力してるな
祭りの雑踏の中を大木が駆け抜けるシーンがあるが普通だと大木のほうを見たり振り向いたりする人がいるもんだが全くいない 旦那も子供も捨てて「私もう迷わない、あなたに付いていく」こんなこと言われたら男冥加に尽きるな 野村芳太郎監督作品には有名な「砂の器」があるけど自分はこっちのほうが好きだな
殺人犯を追う緊張感の中にも時代のノンビリ感が出ているのがいい
旅館の女主人の浦辺粂子が出てくると不思議と安心するな
演技というかあの存在感は素晴らしいの一言 >>9
継子だし旦那もケチでどうしようもない人間だからな。
誰でも逃げたくなる。 砂の器でもそうだったがベテランと若手刑事のコンビが絶妙な味を出してる
地元の刑事多々良純の何ともとぼけた感じも良かったな
野村は役者の個性を出すのが上手い 柚木は風呂屋の娘とは結婚しないのだろう
貧乏だけどもう一人のほうとは結婚するだろうと思わせるラストの心理描写ではあった 笑ったよ。なんで九州行くのに、飛行機や新幹線使わないんだ?
張り込みだろ?普通、家の前にレンタカー置いてマックのハンバーガーだろうに?
だから日本映画はダメなんだ! >.15
まだしゅっしゅっぽっぽの時代やろ
新幹線などあらへんで 砂の器の後継スレはここか。
じゃあ三木謙一の極悪さについて存分語ろうか。 三木さんは良い人じゃ、この辺りで三木さんを悪く言う人は一人もおらん 向かいの一番よか部屋だし、それに三食付きですからね さっき観たけど佐賀市が全面協力してるんだね
エキストラでもないのにロケで一般の人々が無関心なのが凄い ドラマで数々リメイクされてるけどこの作品に勝るものは出てないよな なるほどそういう見方もあったか
「浮雲」もそうだが高峰秀子のとことん愛人に入れ込む役は嵌まる
あと黛敏郎の音楽が秀逸 ヽ. `ヽ.
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/ / i /l/|_ハ li l i li ハ
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{イ l / l li //___ リ_lノ lル' lハ. ソ
i| /レ/l l l v'´ ̄ , ´ ̄`イ !| ll,ハ
ハ| ll∧ハヽ ト、 '''' r==┐ '''' /l jハ| ll ll
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面白いわよ 通しで見たのは2回だけだけど、冒頭から張り込み開始するまでは20回くらい見た
ありがとう、U-NEXT 淡々とした展開がなかなか良いのだが、終盤に犯人が現れるまであまりに何も起きないと
観客が飽きるとでも会社側が思ったのか、大木実が林の中を歩いていると突然銃声が聞こえ、
パッと身構えると猟師が現れるという、それまで続いた雰囲気に全くそぐわない東映の
ギャング映画か日活の無国籍アクションによくあるような場面を盛り込んだのが唯一の難点。 助監督で付いたのが野村芳太郎だった。
『醜聞』の方は会社から付けと言われて付いたのだが、『白痴』の時は黒澤直々の指名だった。その『白痴』の仕上げが長くなり、切る切らないで揉めて沸騰している黒澤の元に橋本忍は結局頓挫した『棺桶丸の船長』の打ち合わせに現れた。
黒澤は橋本に「松竹ではいいことはなにもなかった」と話し出し、しかし日本一の助監督がいると言う。もちろん野村のことだったのだが、そこに当の本人がやって来た。当時の松竹の社長、城戸四郎の意を伝えるためだった。
黒澤は早速、ふたりを引き合わせ、双方の生まれた年を訊いた。野村は大正8年で、橋本は大正7年だった。黒澤は言った。
「これから君たちの時代だ。ふたりとも仲良く、一緒に仕事をしろよな!」
その最初の機会はしかし、『張込み』ではなかった。それは『糞尿譚』(57年)という鼻を摘む社会派コメディで、最後に伴淳三郎が糞尿をぶちまけて終わる。評価する人もあったが、橋本は気に入らなかった。
というのも「ところどころをネズミが齧ったように脚本を直して」いたからで、野村とはこれっきりと思ったが黒澤の言葉が脳内を過ぎり、もう1本様子を見ようと思った。そしてそのもう1本が『張込み』だったのだ。
『張込み』の原作は、『小説新潮』55年12月号に掲載された短編。橋本が読んだ最初の清張作品という。だが、その読み方は脚本家独特のもので、まずは頭と真ん中とお尻の部分から1-2ページ読む。それでアダプトするかどうかを決めてから読むのだ。
「張込み」もそのようにして読んだ橋本は、刑事をふたりにすればいける!と確信してそれを松竹に伝えた。原作はひとりなのだ。
アイデアを聞いた清張は橋本を自宅に呼んだ。「その方がやり易いなら刑事はふたりでいい。それよりも、これを映画にするなら警察の厄介になるから一緒に警視庁に行こうよ!」
「張込み」の映画化は、そんな風にしてはじまった。 当時の野村は若いのにすでに職人で、あるいは職人のまま終わるかと思われた。だが野村の助監督だった山田洋次によると、『張込み』では簡単に会社の方針と妥協しないという覚悟を感じたという。
それは撮影方法に如実に現れていた。野村はリアルな夏の暑さを出すために空が少しでも曇っていたら一切、
撮影をしなかった。おまけに午後1時という設定なら、大船撮影所のオープンセットでもその時刻でないと撮影しなかったというから徹底している。まるで黒澤明のようだ。
そんなわけで撮影は大幅に遅れる。2週間の撮影予定が2ヶ月経っても終わらず、製作部長が説得に来たが野村は喧嘩して粘った。お陰で11月の封切りだったのだが1月に延びたがその甲斐あり、
『張込み』は語り継がれる傑作となったが、もっとも語られるのがアヴァンタイトル。
なにせタイトルが出るまで10分もある。この導入でふたりの刑事は横浜駅から夜行列車に飛び乗るが、これはぶっつけ本番で仮にNGが出たら次の大船で下車して明日またやり直しだったという。
黒澤が野村と橋本を引き合わせたのは先述した通りだが、この映画自体にも黒澤の影を感じる。そう、『野良犬』(49年)の影響だ。
たとえば『野良犬』で殺人の起きた家を囲む人々の表情は撮影を見に来た人々を望遠レンズで隠し撮りしたものだが、『張込み』では質屋殺しの現場を群衆が囲むシーンを同様のテクニックを用いて撮影したという。野村。
「この映画はどんな画面にしろ観客に嘘だと感じられたら面白さが半減する性質のものだ。というのは、別に筋が売り物の作品でもないし、キャストで引き付けようとする映画でもない。あくまでリアルな雰囲気が主題の物語であるからだ」