>>65
当時の世の中に少し興味あって調べてみました。
西鉄の活動期間が1951年~72年で、山陽新幹線が開業するのは1972年なので本州方面への遠征は在来線。
ちなみに飛行機利用に関しては米軍から福岡空港のほぼ返還が終わったのが1972年だそうでそれ以降です。
当時選手たちが利用していた在来線は多分鹿児島東京間の急行で1949年には戦前の一等客車用ほど本格的で無いにしろすでにビュッフェ車両が連結されていたそうなので西鉄の選手たちは最古参の人たちも博多東京間でビュッフェを利用できました。
そして1956年にはブルートレインの先駆となる東京博多間寝台特急あさかぜが開業し、より本格的な食堂車が連結されたそうです。
ちなみに当時のあさかぜのメニューの値段はビーフステーキ440円コーヒー50円、山手線が10円だったそうです。
選手たちの年棒は中々書いてないのですが1960年の球界最高年棒が金田正一選手の1250万円、1969年の球界最高年棒が長嶋茂雄選手の4000万円だそうです。
多分西鉄のスター選手たちにとってはあさかぜのビーフステーキでも値段的には現代のサラリーマンにとっての吉野家レベルに見えていた感じ。
食堂車で飲み食いしまくっても財布的には余裕はあったでしょう。