自分には「砂の器」はダメ、だった。
1.映画は役者が出てきたところでワクワク感がないとダメだと思う。
砂の器にはそれがないどころか、ガッカリ感しかない。
丹波哲郎、モリケン。
丹波もモリケンもテレビ止まりで映画に出るレベルの役者ではない思う。
2.ラストで芥川先生の音楽のコンサート場面と、
刑事の真相説明とが同時並行するのだが、
併せて、犯人の幼少期の放浪の場面とがシンクロしていくわけだが、
長過ぎるし、映画的なテクニックに頼りすぎておる。
実際は、コンサートはコンサート、過去は過去なのであり、
同時並行シンクロさせて、
お涙頂戴、浪花節、あまりにも情緒的、ウェットすぎる。
真相究明と放浪の映像を単体で見せた後、
コンサートはそれとシンクロさせずに、
コンサート場面のみをみせ、
コンサートを終えて誰もいなくなった静かなホールから
ただ一人、出て来て、タバコに火をつけたところに、
歩み寄る二人の刑事、
「あなたを逮捕します。」で終わらせるのがよかった、思う。
そこらが、松竹大船調の限界であり、
松竹の土着的体質が都会人に好まれない理由なり。
バタ臭い東映、
家族主義の松竹、
都会的現代的な垢抜けた東宝。
まぁ、好みの問題、やが。