>>639
そこまで言うなら書くけど、手短かにするよ。

石原裕次郎は、映画プロデューサーの水の江瀧子、当時の日活の社長であった堀久作、作家の石原慎太郎。
この3人によって作られたスターだった。

この3人が考えていたのは、裕次郎を従来の映画スターの様に育てるのではなく
戦後の時代の空気を切り裂くための、アナーキーなニューヒーローに仕立てる事だった。
無軌道で、誰の指図も受けない、戦後の自由を象徴する存在。
そのため、戦前からあった日活撮影所の厳格なルールも裕次郎には一切、押し付けず
裕次郎のやる事は、全て許された。
これは堀の協力無くしては無理な事ばかり。
その自由奔放さが、映画を通して国民に伝わる事を想定しての策略だった。

例えば、当時の日活では昼間から役者がビールを飲む事など言語道断だったが
裕次郎には水を飲む様に飲ませた。
着る服から何から、全て裕次郎の好きにさせた。
そうする事で、戦後の若者の自由の象徴的存在にする事が3人の狙いだった。
だから当然、裕次郎には演技の勉強などさせていない。

それがまんまとハマって大成功。
映画館で国民は裕次郎に熱狂した。
裕次郎が人気が出たのは
ルックスがいいからでもなければ、演技が上手かったからでもない。
裕次郎の無軌道でアナーキーな自由さに
観客は熱狂した。
戦前、戦中と抑圧された鬱屈した感情を
戦後の自由の謳歌の象徴として、国民、特に戦後の若者が裕次郎を熱狂的に受け入れた。

つまり、上記の3人が書いた絵図が
見事に成功したって訳。

裕次郎は日活にいる間は、最後まで特別扱いだったが
石原プロモーションで独立後の裕次郎しか知らない世代
1970年代以降からしか裕次郎を知らない世代にとっては全くそんなイメージは無いはず。
「太陽にほえろ!」からしか知らない世代には
「七曲署の電話番のオッさん」か何時も顔が真っ黒の不健康そうな「焼き豚のオッさん」になってしまう。
何処がカッコいいいの?になってしまう。

それは当然の事、当時、既に裕次郎の芸能の世界での役目は終わってしまっていたのだから。。

だから、役者として三流だろうが
アクションスターとして三流だろうが
裕次郎にとってはどうでもいい事だった。
現に、子役からの叩き上げの小林旭も
役者として、アクションスターとしては自分の方が格上だという認識はあるが
「時代の空気を作った男」(正確には裏で糸を引いていた黒幕がいたが)として、石原裕次郎は次元が違うと認めているし
その部分に関しては、全く敵わないと認めている。

それだけ「時代の空気を変えてしまった」事は
凄い事だったんだよ。


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疲れたわ。お正月特別大サービスな。
このスレ好きだから、俺も死ぬまで参加するつもりだけど、いつまでやれるか。。