いかりや「3社(松竹、日活、東宝)から話はあります。でも自分で言っちゃなんだが、主演映画はまだ早いんじゃないかな。
ここ当分は、もっとワキで勉強した方が…」

この1965年時点で松竹は「ドリフシリーズをものにしたい」と従来の松竹調喜劇から脱皮するため
東映から渡辺裕介監督を借用してドリフ映画を撮ろうとしていた
ただこの時点でスケジュールがつまりすぎていて映画撮るのは難しかった模様