・・・戦前最高の美女 桑野通子 第二幕・・・
>>129
いつも貴重な文献をありがとうございます >>136
ミツワ石鹸って懐かしCMでしか知らなかったので、そんなに有名な企業だとは思わなかったw
スターのパトロンやってたというのは十分ありえると思う。 >>139
昭和11年から13年頃の雑誌を10冊程度所有しているので、
これから不定期で面白そうな記事をうpしていきます。
私一人で独占していても仕方がないし、みなさんに知っていただきたいので。 >>141
「オール松竹」や「スタア」など戦前の映画雑誌は国立国会図書館や
大学図書館くらいしか所蔵しているところがなくて、なかなか見る
ことのできない貴重な資料です。
スキャン等お手数お掛けしますが、宜しくお願い致します。 >>129
三輪社長の要望に応えて、しっかりミツワ石鹸の宣伝をしてくれる三宅邦子さんw
そういや三宅さん、戦後は大塚製薬のオロナインのCMやっていましたね。
スターって演技だけでなく、こういうスポンサーへのゴマすりもしないといけないから大変ですよねw 訂正
>>115の2枚目の画像の中で「小林十九(二十七年)」とありますが、
たぶん正しくは「小林十九二(十七年)」の間違いだろうと思います。
大正10年に松竹蒲田に入社したそうなので昭和13年で17年目ですね。 三宅邦子は便秘薬サラリンでは?
「煙突さん苦しそうですね・・・♪サラリンサラリンサラサラリン 便秘にすっきりサラサラリン♪」ての。
オロナイン軟膏も同じ大塚製薬だから浪花千栄子の前にやってたかも知れんが。 >>145
一方で空気を読めない発言をして記者氏を困らせる水戸光子さんに笑ったw >>147
そうですね。
三宅邦子さんのCMでは、便秘薬のサラリン錠の方が有名ですね。
でも、オロナイン軟膏のCMにも出ていたはず。これは想像ですが、三宅さんがサラリンを始めたに時期に、オロナイン軟膏は浪花千栄子さんに切り替わったのではないかと。
浪花千栄子の本名は南口キクノ(なんこう・きくの)なので、語呂の良さで抜擢されたとも聞きますね。
桑野通子さんが長生きしていたら、戦後はCMに引っ張りだこだっただろうと思います。 >>150
日生のおばちゃんのCMを見たかったな<通子さん
不当なほどの早死だった >>150
サンヨー夫人、マダム・ジュジュの木暮実千代さんとともに
CMの女王になってたかもしれませんね。 >>129
記者はできればもっと新進女優3人の声を積極的に引き出して欲しかった
個人的には築地まゆみさんの話を読みたかった
いずれにせよ当時の女優たちの肉声に接したような感じがしていい記事だと思った >>154
ありがとうございます こういうのは、いつの時代も変わりませんね >>154
俳優の自宅を訪問するなと、サインを強請るなは現在に通じるものがあるな 内容自体は昔も今も変わらないが、さすがに昭和初期となると、文章が全然違うよね。 >>154
有難うございます。当時の事情がうかがい知ることができる興味深い資料です。
第八戒の「映画中のタイアップ広告を失笑すべからず。」はクラブやら明治やら のこと
ですね。当時はうざったいと思われていたんでしょうね。今見ると成瀬さん や五所さん
などの映画にやたら出てくるので風俗としては面白いんですが。
明治製菓のタイアップという成瀬さんの「チョコレートガール」は現存しないのですが、
どんな映画だったのか観たかったですね。 >>158
通子さんは確か森永でしたね。
明治出身ならその映画に出演したんでしょうけどw 第二戎に松竹大船撮影所記念日のことが書いてますが、
来場者8万人って凄いですね。AKBみたいだw >>129
純、築城、南の3人はほとんどしゃべってないね。先輩に押されて自由なことをいえないよね。かわいそいに。 チョコレートガールは昭和7年の作品なので桑野通子さんのデビュー前の映画ですね。
主演の水久保澄子さんのあの騒動があったので、仮に現存したとしても
再上映はされなかったんじゃないでしょうか。 ヤフオクで「慰問袋」っていうものが出品されてるけど、
その中に入ってる桑野通子さんの腕組みしたブロマイドは有名なものだね。
もともと慰問袋用のものだったのか。 慰問袋のブロマイドの人気ナンバーワンは高峰秀子。嫁にしたい女優ナンバーワンは三戸光子。
桑野通子さんは理想の不倫相手ナンバーワン(これは嘘w)。 >>162
水久保さんのスキャンダルは明治製菓にとってはダメージが
大きかったでしょうから、戦前は再上映できなかったでしょうね。
ただ成瀬監督の蒲田時代の映画は現存わずか(5本)だけに、もし
残っていたら…と思わずにはいられません。今残っている映画も
優れた作品ですし、フィルムの状態も良好なので。
松竹で成瀬監督と通子さんがすれ違いになってしまったことも
ほんと惜しまれます。 >>165
成瀬監督作品では松竹ではありませんが「秀子の車掌さん」が一番好きですね。
ああいう朗らかな作品が観ていて癒やされる。
そういえば高峰秀子さんももともと松竹でしたね。 成瀬監督が松竹を去った直後くらいに通子さんが入社した感じですかね。 >>168
いつも貴重な記事うp頂き有難うございます。
当時の松竹トップスターが集っての創作座談会ですね。
全てフィルムが現存している映画なので、今でも「そうそう」って
頷けるところがあるのがいいですね。 >>168
本物の座談会なら、その場の写真を絶対に載せるはずだから、それがないということは、やはり創作でしょうね。
もちろん、松竹の宣伝誌だから会社の許可はとっているでしょう。 >>168
うp乙です
座談会の様子を写した写真がないからやはり創作ですねw
読んでてこっちが恥ずかしくなったw
この架空座談会を書いてる記者の顔が見たいと思ったw >>168
最初に記者が「その当時の御扮装で」とありますから、仮装架空の座談会ですね。
「朱と緑」の雪江(高峰三枝子さん)がその役柄まんまのベタな大阪弁が笑えます。
高峰さんはその後の「花は偽らず」(1941年大庭秀雄監督)でも、大阪のお嬢さん役
でしたが、当時の松竹大船ではネイティブなの女優さんはいなかったのかなと。
通子さんも「淑女は何を忘れたか」では大阪のお嬢さん役でしたが。 すみません訂正
>ネイティブなの女優さんはいなかったのかなと。
→ネイティブな大阪弁の女優さんはいなかったのかなと。 「男の償ひ」のラストで気が狂って病院の中庭を彷徨する田中絹代さんを
悲しみと絶望の入り混じった表情で見つめる桑野通子さんが大変印象的だったし、
そこへ現れた佐分利信さんが今後毎日病院へ通い忘れ形見の子供を育てる、
それが男の償ひだと言い切る場面なんかすごく感動的だったが、
それだけにその後日談なんか読みたくはなかったw >>172
いたかもしれませんが大部屋女優しかいなかったのかもしれないし、
桑野ミッチーの大阪弁はハマってるとおもいましたよ。 >>172
通子さんはある一時期神戸にいたそうですから、関西に縁がなかったわけでもないようですね。 >>168訂正
正しくは「オール松竹」の昭和13年7月号でした。お詫びして訂正します。 >>175
大船のスター女優でいえば大阪の琵琶少女歌劇にいた田中絹代さん
くらいだったかもしれませんね。
通子さんの大阪弁はぎこちないながらも、あの滑舌の悪さが逆に
良かったように思います。
大阪弁指導は滋賀県出身の吉村公三郎さんだったとか。
>>176
神戸にいらしたなら、それなり関西言葉に触れていたから違和感
なかったでしょうね。 >>168
男の償ひの最後で夏川大二郎が溺死する場面があったが自殺って書いてるな
事故死だと思って見ていたんだが 男の償ひのラストシーンで夏川さんが岩の上に腰掛けて物思いに耽る場面があり、
もしかしたら死を選択するか思い悩んでいたのかもしれないけど、
その時に息子の声が聞こえて我に返り、息子の側へ行こうと立ち上がった時に
バランスを崩して川へ転落したんだと思う。だからあれは事故死で自殺ではない。 よくもまぁ、これだけ見事にスターたちの対談をでっち上げられるもんだw
しかしこれ、映画を見ていない人には何が何やら訳分かんないよねw >>182
立花泰子のお尻を見せた画像は当時としてはかなり際どいね >>182
いつもありがとうございます 立花さん、素敵です >>182
ありがとうございます。
豊田さんはスポーツ青年という感じの俳優さんですね。
ポスト鈴木傳明さん?だったのでしょうか。
水戸さんは丸っこい顔なので、プロポーションはどうか?と
思いましたが、「母と子」の洋装で見たとおり、なかなか
お宜しいです。 >>186
ありがとう。じゃ鈴木さんと同じだね。
でも残念ながら鈴木さんみたいにスターにはなれなかったね。 >>182
林長二郎(長谷川一夫)さんは東宝移籍直前に撮られたものですね。
剣戟スターですが、松竹では現代劇にも出演されてましたね。
この数ヶ月後に襲撃に遭うとは… >>189
その撮影の裏では移籍交渉が進んでいたんでしょうね。
半年後くらいじゃないでしょうか、襲撃されたのは。 >>191
うp乙です
桑野通子さんの自然な表情がとてもいい
素の表情が表れているね >>191
うp有難うございます。
2枚目の火鉢に寄り掛かって三味線持った上原さんに微笑む
通子さんが可愛いですね。 モダンな洋服の着こなしが抜群だが、着物姿もいいよね。
つくづく早世が惜しまれる。
娘の桑野みゆきが全然似ていないだけに。 この頃って20歳くらいでしょ?
一番可愛かった頃だね 戦前は、大人が読む文章にもルビが振ってあるんですね。それで昔は難しい漢字も読めたが、戦後になって漢字の数が制限され、当用漢字(現在は常用漢字)が導入されルビもなくなったと。
なんでも、印刷工程を合理化したい新聞社の意向が通ったとか。 >>197
いつもありがとうございます。
デビューしたばかりの東山さんへの気配りは通子さんの人柄がしのばれます。
共演した「感情山脈」は数少ない通子さんの主演作ですが、フィルムが現存
していないのが大変残念です。 >>197
とてもいい座談会ですね
当時の女優たちの肉声が聞こえてくるようだ >>201
画像うp乙です
東山さん以外の3人が出演している映画ですね。
その作品の頃の槇芙佐子さんは高杉早苗さんに代わるスターとして
期待されていたんじゃないかと思います。 >>202
「暖流」は槇さんにとっても出世作になったと思うのですが、その後
余り役に恵まれなかったようですね。顔立ちは整っているのですが、
高杉さんと比べるとやはり地味だったのかと。
戦後もしばらく脇で出演されていますが、溝口健二監督の「夜の女たち」
の純血協会の婦人役が印象に残っています。 >>197の座談会出席に東山光子さん
代表作は「女医絹代先生」(1937)でしょうが、同年の「浅草の灯」より
科白の無い端役でも目立ってしまいますねw
https://i.imgur.com/R6VdUS5.jpg
https://i.imgur.com/sDZ0bUC.jpg
左から藤原か弥子さん、東山さん、上原謙さん、高峰三枝子さん
https://i.imgur.com/5e6UQSY.jpg >>203
確かに地味ですね。キャラクターとしても高杉さんと重複していたのも
大成しなかった原因かもしれないと思っています。
「夜の女たち」は通子さんの没後2年目に製作された作品ですね。
田中絹代さんや高杉早苗さんといった名前を見ていると、
通子さんが存命なら共演していたのかなと思います。 >>204
画像うpありがとうございます。
3枚目の画像は説明と異なるようです。 失礼しました。説明は2枚目の画像に対してですね。
右から2番目の男性が外国人に見えましたw >>204
桑野通子や高杉早苗などと比べるとやっぱり華がないんだな >>206,>>207
こちらこそわかりにくくして相済みません。
リンク先の上に説明を入れるべきでしたね。
2番目画像の上原さんは浅草オペラの役者なんでカツラやヒゲで欧州人に
扮しています。
この映画、左端の藤原さんも好演でした。少し肥えた岡田茉莉子っぽくてw >>208
東山さんはいわゆる美人女優じゃないので、コメディリリーフ的な
役柄が合っていたような気がします。長く女優生活続けていれば
飯田蝶子さんみたいになれたかも。 >>209
>2番目画像の上原さんは浅草オペラの役者なんでカツラやヒゲで欧州人に
>扮しています。
そういう役柄だったんですね。ほんとによく演じきっています。
最初どう見ても外国人に見えました。 「オール松竹」昭和11年7月号から。
東山光子さんと築地まゆみさんなど。上原謙さんの姿もあります。
https://dotup.org/uploda/dotup.org1667249.png >>212
うp有難うございます。
東山さん築地さんが並ぶと何だか姉妹みたいですね。
松竹の野球ユニフォームで一瞬ロビンス?と思いましたが、プロ球団持ったのは
戦後でした。上原さん磯野さん高田さんは若々しくていいのですが、円いグラサンの
大山さんはちょっと怪し過ぎますw >>214
松竹が野球チームを持っていた時があったんだね
大映や東映も持っていたから不思議ではないか >>214
>東山さん築地さんが並ぶと何だか姉妹みたいですね
そうですね、優しそうな雰囲気がとても好きです。
グラサンの大山さんは指摘されて初めて気が付きましたw
「男の償ひ」の時とは全然雰囲気が違うので。。 とても簡単な在宅ワーク儲かる方法
暇な人は見てみるといいかもしれません
いいことありますよーに『金持ちになる方法 羽山のサユレイザ』とはなんですかね
6TZ >>217
東山光子さんは築地まゆみさんの松竹歌劇団の2期先輩にあたるんですね。
東山さんは1918年生まれで、今年が生誕100年になります。少し横道に逸れますが、
「女医絹代先生」(1937)からの画像貼らせて頂きます。
田中絹代さんはこの時27歳、東山さんは18歳でしたが、声のトーンが低く、落ち着いてる
ので、とても大人びていて絹代さんとの相性もぴったりでした。
https://i.imgur.com/KZVQwTX.jpg
https://i.imgur.com/fMu723Z.jpg
https://i.imgur.com/40jv0P0.jpg
右は坂本武さん。見事な親爺転がしぶりです。
https://i.imgur.com/kb1u2U4.jpg >>219
うp乙です。
4枚目の東山さんがとてもかわいい。
めがねっ娘って感じで愛らしくていい。
画像が綺麗ですね。
私もその映画の動画は持っていますが状態が良くないので。 >>219
>東山光子さんは築地まゆみさんの松竹歌劇団の2期先輩
そういう間柄だとは思いませんでした。
まゆみさんの松竹大船入りは東山さんの尽力もあったんでしょうかね。 >>220
市販DVDからキャプチャーしたものです。
時々映像と音声が途切れる箇所もありましたが、この時期の映画としては
保存状態は良好でした。
>>221
松竹蒲田入社は東山さんも築地さんも同年(1935年)とされていますが、
日本映画データベースでは築地さんが「若旦那春爛漫」(1935.5)、
東山さんが通子さんと共演した「感情山脈」(1936.2)と、築地さんの方が
先になっています。もっともこのデータベースは作品にクレジットがないと
出演記載されないので、入社はどちらが先だったのかわかりません。
いずれにせよ、ほぼ同時期に入社だったのでしょう。 >>221
後から調べたら東山さんは1935年9月入社で、築地さんはそれ以前に
出演が確認されていますから、蒲田入社は築地さんの方が早かったようです。 >>222
そうでしたか、私はVHSの映像しか観たことがなかったので、綺麗さにびっくりしました。
築地まゆみさんは春頃の入社のはずなので、半年ほど早いことになりますね。
東山さんが2歳年上ですが、写真を見た限りもっと開いているような印象を受けます。 通子さんのエッセイは珍しいと思いうpしてみます。
桑野通子「快速三十哩」(オール松竹 昭和13年1月号)
https://dotup.org/uploda/dotup.org1673972.png >>225
貴重な通子さんのエッセイうp有難うございます。
松竹ではいち早く島津保次郎監督が自家用車を乗り回していたそうです。
絹代さんや高杉さんは映画の中で運転する場面があったのですが、
通子さんが運転する場面はあったのでしょうか。現存するフィルムを
全て視ていないのでわかりませんが。 >>225
いつも貴重な資料をありがとうございます >>225
何で埃まみれになったんだろ?
オープンカーで練習したのか? >>226
通子さんの運転といえば「淑女は何を忘れたか」を連想しますが、
その作品は運転免許を取得する前に作られたものなんですね。
映画の中で栗島すみ子さんが「事故を起こすなら大阪で……」
という意味の台詞を通子さんに喋っていた記憶がありますが、
通子さんが起こした自動車事故に対する洒落かと思っていましたw
田中絹代さんが運転している映画は観たことがないですね。
助手席に乗っている映画は確か「男性対女性」で観た覚えがあります。 >>228
季節的に晩夏か初秋のころで、窓を閉め切りでは暑かったんじゃないか、と。
それで窓を開けて練習していたので、埃まみれになったのではないかと思います。 「オール松竹」昭和12年6月号から「大船 親子、兄妹、夫婦調べ」。
この記事で注目すべき点は築地まゆみさんについてですね。
お姉さんも松竹の女優だったことはこの記事で初めて知りました。
https://dotup.org/uploda/dotup.org1676210.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org1676211.png >>231
相川好枝で検索したけど全く情報がない
ほんとに売れない女優だったんだね >>229
私も「淑女」の事故の話は通子さんが免許取得後のことかと思っていたのですが、
それ以前だったのですね。通子さんならやりかねないとの予見でもあったのでしょうかw
絹代さんの運転シーンは>>219「女医絹代先生」の1番目の画像です。絹代さんは
まだ免許は取られていなかったと思うのですが、公道でのロケで蛇行シーンも含めて
見事に運転されていました。 >>231
いつも貴重な資料を有難うございます。
築地さんのお姉さんも女優だったとは、この頃の映画会社は縁故入社が多かったんですね。
五所さんと磯野さんは、スタッフクレジット見る度にたぶん血縁関係だろうと思ってた
のですが、ご兄弟だったのですね。 >>234
築地まゆみさんの姉に関しては、通子さんの影響もあったのでは?
同じダンサーとして桑野通子が大成功したのでそれなら……っていう感じで、、、
結果は大失敗に終わったようですが……
こういう記事を読んでると、当時は縁故採用は当たり前に行われてたんでしょうね。 その記事では築地まゆみさんはあまり評価されていなかったですが、
実際は新興移籍後は売れっ子になって多忙を極めたようで、
それが原因で体を壊して急性肺炎で早世しました。
お姉さんも妹と一緒に新興へ移籍したんですかね。その点は不明でした。 >>233
絹代さんの運転シーンってスタントじゃなくて?