それに長門は私生活はメチャクチャ         自
そんなの有名だろ。
女遊びは東映の役者より酷かったんじゃねーの?   演 
裕次郎や旭より、女遊びは派手だったと思う。
片っ端から手をつけてたイメージ。
 
あくまで俳優として優れているということ。     や
津川は兄貴のことを役者として天才と言って、
いつも嫉妬していた。
逆に長門は、イケメンの津川に嫉妬していた。    め
 
私生活が支離滅裂のメチャクチャだったから
晩年は若干没落しかかったけど           !
ギリギリ耐え抜いた感じかな。    
南田洋子が亡くなった後は、抜け殻みたいだったが。
 
津川も朝丘雪路の痴呆症の介護をやり抜いてしまった上で
終わったとたんに幸いなので逝ってしまったな。
韓国の親企業のパチ屋の営業はいむもやってたにせよ
ギリギリ耐え抜いた感じかな。
 
津川は事業で失敗して全財産亡くしてしまって
最後は朝丘雪路と2人で住んだ豪邸を最安値情報の価格売って
借金の返済に充てていたな。
 
なぜかいまだに持ち上げられているが伊丹源蔵も所詮は
映画監督としては「二流」だった。
どう「二流」かも書き出すと長くなるが、、
誉めようと思えば誉められる部分もあるんですが
(あれだけリサーチにカネを掛ける人は
日本の映画TV業界では少なかったし、
密かに特機・VFX・アクションの実験も多い)、
肝心の映画が(ヒットはしても)ちっとも面白くなかった。

伊丹源蔵は実は基本的にシナリオが書けない。全てが伊丹の
取材したネタ・映像的にやりたい
実験(特機・VFXの活用など)の羅列でしかない。
俳優にもコント芝居しか付けられない。自分も俳優
なのに俳優を「演出」できない。

ヘタに『マルサの女』が当たり「社会派ネタの伊丹」を
期待され、本人もその路線から
抜け出せずに苦しんだ映画人生だったと思う。

津川が「伊丹源蔵と義兄弟の大江健三郎を批判していた」
というが伊丹源蔵だって生きていれば
ウヨ化して大江の悪口を言っていた可能性だって充分にある。
実際に映画を観ると伊丹源蔵の思想・世界観・権力論は
意外と紋切型で古めかしい。
所詮は日本人に好まれそうな範疇の
「日本文化論」「日本権力論」「男女論」の枠を
全く出ていないどころか退化してる。

本人は「いやわざとそういう枠組みを使っていただけだ」
と言うのかもしれないが、
そういう紋切型は意外と簡単に「右」に転ぶのである。

リベラル寄りの人までが伊丹に「社会派」
の幻想を見ている不思議。
『スーパーの女』だってクレジットにも出ている