監督の中村幻児は今は何をやってるのかよく分からんし(主宰していた映画学校のサイトは
まだ一応はあるが)、脚本の望月六郎も今は「映像作品の仕事はほぼ無くなり、主宰の
劇団もカネが出ていくだけ、リアルも生活苦」と自ら明かしている様で、、
ググると望月のブログがあっていまだに横国の学生と組んで?(これも横国の教授だった唐の
ツテからの流れ?)映画講座やら芝居やらライブやら色々とウロウロしてるみたいだな、、

望月は大杉の死去にこれだけしか触れてない。
https://ameblo.jp/sido-roku/entry-12354861081.html
>もう一つは俳優、大杉漣さんが亡くなったことだ。
>僕の映画の道はピンク映画が入り口で、大杉さんはその頃から優しくてカッコが
>良かった。
>僕の映画にも何本か出てもらった。
>まだ若いのに残念です。

「触れてない」こと自体に「メジャーになった旧友、落ちこぼれたオレ」の屈折を勝手に妄想してしまう、、
望月も一時は批評的な評価が高かったのにそれが「生活」としての映画には大して繋がらず、
Vシネ(系低予算映画)の仕事で食うのも徐々に難しくなり、、色々あったのでしょうね、、

望月が嘗て撮った『スキンレスナイト』は当時はAVの仕事で成功していた望月が「でもオレ、ホントは
映画やりたかったんだよね」という実人生の鬱屈をそのまま映画にした奇妙な「私映画」だが、
当の望月の「人生」「生活」は一時の映画監督としての短い成功を経て今はただの
鬱屈というのが、、結局はAVの仕事も止めちゃったんだろうな、、