>>395
マキノ雅弘は巨匠なのでもちろん戦前から一定の評価はありますよ。
但し商業監督で「キネマ旬報ベストテン」的な世界における「名監督」ではなかったか
らね(厳密には戦前に『浪人街』『首の座』でキネ旬ベストワンですが、、)

>高尚な文芸作品と無縁

前にたまたま大友柳太朗主演の『仇討崇禅寺馬場』を観たらその完成度の高さに
驚いた覚えが、、何しろ作品数が膨大なので(自分も一部しか観てない)、他にも
このレベルの作品を普通に撮ってそうで恐ろしい、、
大映で勝新太郎で撮った『悪名一番勝負』なども完成度はなかなかのものだった。

マキノは70年代に映画から離れて以降は自分から積極的に作品を仕掛けなかった事もあり、
以後はほぼ映画を撮る事もなくなった。周囲はたまに撮らせようとはしてたみたいだけど。

マキノ自身はTVには抵抗はない人だったんだけど、「TVのスタジオドラマはなあ、
スイッチャ―がワシの言う事を聞かんねん」とそこでやる気を失くしたらしい。
かといってフィルム撮りTV映画もそんなにやってない。
池広一夫は「マキノさん監修で杉良主演の『旅人異三郎』、ボクの撮った回をマキノさんが
気に入ってくれて他の監督にも『こういうのがええんや』と見せたらしいよ」と、、

マキノ雅弘は50年代頃から2キャメで芝居通しで撮ってたらしいが(その方が俳優の
演技を途切れさせずに済むし現場の撮影効率もいい)、基本ワンキャメの貧乏日本映画では
その贅沢さも斜陽期以降に撮れなくなる理由となったのかもしれない。