北朝鮮に帰国した元在日朝鮮人は一切の言論・表現の自由を奪われた

実際に帰国した元在日朝鮮人たちはその後どうなったのでしょうか。この件についてはすでに多くの文献があります。24年前のアエラ記事は初期の文献の一つです。

北朝鮮は楽園どころか、言論・表現の自由が全くない全体主義国でした。体制批判を口にして密告されたら、当局により直ちに処罰され山奥等に追放されてしまいます。

昭和34年(1959年)から昭和59年(1984年)まで実施された、在日朝鮮人による北朝鮮への集団的帰還事業(帰国事業)で、約93000人が北朝鮮に帰国しました。そのうち日本国籍所有者は約6000人でした。

相当数の元在日朝鮮人が行方不明になってしまいました。その中には、政治犯収容所に連行され、囚人労働を強いられた人もいました。

何かの拍子で、体制に関する不平不満を口にしてしまった在日朝鮮人は少なくなかったはずです。それが命取りになったことが少なくないようです。

前出のアエラ記事によれば、彫刻家を志していたある元在日朝鮮人はミケランジェロが尊敬できる人物だと仲間に話したことから、政治犯収容所に連行されたようです。

北朝鮮では、金日成、金正日以外に尊敬すべき人間は存在してはいけないのです。最近では金正恩も尊敬すべき人物に入っていますが。「21世紀の偉大な太陽」ですから。

「鳥もねずみも知らないうちにいなくなる」「山へ行った」

「政治犯」を収容所に連行するのは国家安全保衛部です。国家安全保衛部は深夜に「政治犯」の家に押し入り、「政治犯」一家をトラックで収容所に連行します。

「鳥もねずみも知らないうちにいなくなる」という隠語が、帰国した元在日朝鮮人から、彼らのところへ訪問した在日本朝鮮人総連合会関係者に伝えられています。

私は在日本朝鮮人総連合会の元幹部の方からその隠語を伺いました。「山へ行った」という隠語もあります。これは収容所でなく、山間僻地に強制移住させられたことを意味します。