吉永小百合主演映画「キューポラのある街」に描かれた在日朝鮮人一家は北朝鮮帰国後どうなったのか

「強制収容所に送られ、拷問などによって殺されたか、そこで餓死、凍死した人も少なくない、と在日朝鮮人の関係者は推測している。...
親族らが、朝鮮総連に訴えても、総連側は『無関係』という態度を貫いている」(「アエラ」1992年7月21日記事「在日朝鮮人の静かな反乱」より抜粋)。

吉永小百合主演の映画「キューポラのある街」(昭和37年日活)を私がテレビの再放送で観たのは何年前だったでしょうか。

昭和37年制作ですから白黒映画です。キューポラとは、鉄を溶かす炉のことです。映画の舞台になった埼玉県川口市にはかつて、キューポラのある工場が多かったそうです。

吉永小百合はジュンという健気な女子高生を演じていました。東野英次郎が父親役で、不況のため工場を解雇されてしまいます。ジュンはパチンコ屋でアルバイトをし、家計を助けます。

昭和30年代、東京オリンピックより前の日本ですから、貧しい家庭は少なくなかった。

この映画は、貧しいながらも家族と仲間で助け合い、たくましく生きていく下町の人々の姿を描くことを主題としていました。

解雇に反対する労働組合の活動など、当時の左翼の雰囲気が良く出ていました。同時に、ジュンの親友の在日朝鮮人一家(母親は日本人妻)の生き方も描かれていました。

この一家は、映画の最後で北朝鮮に社会主義の夢を抱いて帰国していきます。記憶がおぼろげですが、一家ではお父さんとジュンの親友の娘(姉)と息子(弟)が先に帰国したように思います。

ジュンの親友が帰国していくとき、駅で金日成将軍の歌を見送る人々が歌っていたように思います。しかし弟は、母親が恋しくて電車を途中で降りて帰ってきます。

映画の最後で、弟は母親と共に北朝鮮に帰国していきます。一家で社会主義朝鮮で頑張れば、きっと幸せになれるというメッセージが込められていました。