【伊藤サン】二百三高地 第十一次総攻撃【児玉クン】
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あのう、スレが見つからんので立てました。
どこにあるかきいたら怒られそうなので。
監督_舛田利雄
主演_仲代達矢・丹波哲郎
脚本_笠原和夫
音楽_山本直純、たかしまあきひこ
主題曲_さだまさし『防人の詩』
挿入歌_さだまさし『聖夜』 映画の中では徳島大尉は弘前出身という設定だったのにな >>759
子供の頃の回想シーンが群馬というのはちょっとアレだよな 旭川から出征した人の日記読んだけど、満州について、どこに行くのか訊かれ「旅順」って答えたら!相手が表情を曇らせ「お気の毒に」って言って、最初は意味が分からなかったが、現地についてやっと分かったって。 あと、その旭川からきた部隊に
対し既に戦地にいた兵から「また消耗品がきた」と言われ、ある日突然、作戦も告げられぬまま、白襷隊として突撃させられたって 「我々は皆志願して」と言って少将にもんく言ってたのに 当時白襷隊の先陣をきって敵塁に斬込んだ決死偵察隊の八十名は殆ど全滅して生存者僅に六名その一人〜札幌市北一条西一丁目に新聞店を経営する森佐久間氏」の談話の中に、旅順行きがどのようなことを意味したかが窺える次の記述がありました。
大連で「軍の雑役に使われていた人夫が上陸の際『どの方面へ行くんですか』と聞いていた 誰かの『旅順だよ』という答えに対して彼は眉をひそめて『ああお気の毒ですな』と云った 其夜旅順に向う道すがら奉天方面に転戦する第八師団の砲兵とすれ違った 『やあまた消耗品が来たぞ』と彼等は砲車の上から叫んでいた 何の意味か判らなかったがその夜の明け方に至ってそれら一切の謎が解けた」。 「戦場へ到着して五日目忘れもしない十一月二十五日の晩 私達の隊は背嚢其他一切の装具を返納した。身についているのは銃と剣と水筒だけ、その軽装のまま暗い夜道を谷伝いに進軍して明け方までに水師營近く凹地に集結を終わった 二十六日の日中はここで暮らしたが その時はじめて中村特別支隊いわゆる白襷隊に編入されていたことを知った」。「しかも私は一歩進んで二ケ大隊から募集した決死偵察隊八十名の一人に加わった。隊長は連隊でも豪胆で知られた石田大尉」。 「日がとっぷり暮れると松樹山から、盤龍山から、赤坂山から探照燈が一斉に麓に向って照射された。それでも足りないのか照明弾がすさまじい光芒を曳きつつ斜面の闇を這った。その頃偵察隊は本隊の先陣をきって敵の探照燈を避けつつ松樹山の麓にとり縋っていた。 石田大尉を先頭に八十名は固く密集したまま円匙と鋏と手榴弾の三班に分かれて三十歩這っては伏せ、伏せては三十歩這い歩一歩目指す堡塁に近づいた。山の中腹辺りに一面に鉄条網があり鋏班の私は切断任務についたが既に破壊されていて天は我等に幸した。 通過支障なしとの報告に石田大尉は勇躍『自分の切り込んだところへ突込め』と決意を伝えて頂上に向って歩調を速めたのである。」
手に被弾して包帯をしたため「一町程遅れて隊に追い縋らんとした私の目の前で地雷火が轟然と爆発した。山が崩れるようなショックと同時に真黒い物体が無数に暗空に舞い上がったのを見た ハッと思って駆けつけた時には万事休す、石田大尉以下隊員はどこへ行ったのか姿はなく目撃したのは一面に散乱した白襷の死体である。負傷兵である。(後略)」
罠に落ちたのか、偵察隊が地雷原でほぼ全滅した時に攻撃はすでに失敗したと思うのですが、26日午後8時50分、白襷隊は松樹山堡塁に向って突撃、ロシア軍の反撃で一時間後には壊滅していました。それでも一部は翌27日午前2時30分まで攻撃を続行していたそうです 以上、旭川第七師団で白襷隊の決死偵察隊80人の中の生き残り、森佐久間さんの手記より。 日々の命令はただ『突撃』の一言だけで目的も示さなければ状況も教えない。いわば黙って死んでこいと言う命令にほかならないからだ。歩兵二十七連隊第三大隊の一小隊長として出征したかく言う私も基礎工事の一石として爾霊山に打ち込まれた肉弾の一人である。 あのう、南紀白浜空港と裏塩酢唐区に定期便を運行させようという覚書
が交わされた、ということは停戦、講和でええんですか 明治三十七年十一月二十九日夜九時——『二十七連隊前へ』の命令が下った。予備隊となって待機していた海鼠山の蔭から爾霊山の裾まで凡そ五、六百米。暗い坑道を伝って麓に抜け所定の位置に展開が終わった」。 「麓に集結が終わっていよいよ第三大隊爾霊山攻撃の命令を受けた九中隊を先陣に続いて十、十一、十二の順で展開し各小隊毎に百米の散兵線を布いて三十分おきに頂上へ向って突撃を敢行するのである。」「 いよいよ私の小隊だ。どっちへ進めば好いかはっきり目標が判らないがとにかく前の小隊の行った方へと一散に山を駆けあがった。」「敵か味方か。一面に散乱している死骸に幾度か足をさらわれた。中腹を過ぎた頃は全く屍の上を踏んでいたのである。 小隊長は中隊長のもとに相寄って行ったが一人仆れ二人仆れ中隊長渥美大尉も悲壮 な戦死を遂げ私も第一弾を耳に左胸部には貫通銃創を受けていた。」 部下の助けで、頂上近くの死角になっている三間四方くらいの窪地に滑り込んだが「どの隊とも知れぬ十四、五名の兵卒が腹這いながら蠢いていた。『将校はいないか、将校はいないか』と口々に呼んでいた 足羽少尉がここにいる』と答えても聞こえないのか『将校、将校』の連呼をやめなかった。時刻はかれこれ三時近くであったろうか。言わばここは断頭台だ。進むにも退くにも方法がない。進んで斬るか坐して死を待つか。然し夜が明ければ何とか方法がつくかも知れない。 一種の希望を黎明にかけた時ガーンと一発。榴弾が炸裂してその瞬間私の意識は完全に戦場とお別れを告げた。」いつ山から降ろされたか記憶がないが、「幸いに私は助かって野戦病院に収容され」た。(足羽小隊長の手記 日本映画専門チャンネで明治天皇の映画やってたな
乃木を替えたらあかん、言うたはった 乃木が更迭された場合の後任は誰だったんだろう
当然後任の案があっての更迭の上奏だと思うが いとーさん、こだまくん、かねこくん、おーい髭おやじー、ノギ! 旅順要塞攻囲戦のクライマックスは冬だったけど、そのシーンの撮影は真夏の伊豆大島ロケで、
いろいろと大変だったらしい。パンフによると、夏休み中の大島高校の生徒たちがアルバイトで
両軍兵士の死体役のエキストラを務めた。うつ伏せになっているだけだから、女子生徒もいた。 「明治天皇と日露大戦争」はググればタダで見られる。
1957年の新東宝映画で、監督は渡辺邦男。
「二百三高地」と両方に出演しているのは丹波哲郎と天知茂。 > 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。
> 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。
> よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、
> 日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな??
>
> 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。
> そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。
> そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。
> そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。
> 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。
> 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。
> この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。 市街化調整区域←建築確認だけじゃなく開発許可が要るということ。
許可不要の例外もあるし、原則許可されるものもある。 ヤフオクでプレスを入手したらパンフに載って無い天尾完二の撮影日誌が掲載されてて
カポニエールのセットは大島では無くて青梅に建設されたと有って初めて知った
大島ロケも悪天候に悩まされながらだったとか こうしている間にもロシア軍が海中のF35を引き上げようと狙っとる
貴様ら(ry ヤクルトスワローズが203高地攻撃のような状態に・・・ _
/,.ァ、\
( ノo o ) ) 蒼
)ヽ ◎/(. 井
(/.(・)(・)\ . 優
(/| x |\)
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. (/ \) アメリカが出ていかんから苦労しとるんじゃろうが
安保破棄するっちゅうんならこれ幸いというもんじゃろう なにもニューヨークやワシントンにきのこ雲を上げようとは思うとらん
戦えるだけ戦って その時誰かがですよ あの半島に核を持った統一国家ができようとしている
そうなってはもう戦争にもなりません
今をおいて他日はありますまい 各国の列強に日本の実力を認めさせ国際政治の圧力でロシアの侵略に掣肘を・・・と言ってるけどその列強とやらも植民地支配してるんだけど 列強同士が噛み合うと双方に被害が出ていい事はない
各国が一応の秩序の元利害を調整して牽制し合う
その土俵に乗るためには列強に並ぶ国力を見せなければならない さもなくば中国のように利権の草刈場 下手すると植民地
とかそういう感じじゃないの 真夏の伊豆大島のセットで冬服着こんで寒さに耐える姿の撮影は
今年の様な酷暑並みに辛かっただろうなぁ………… 寒い時期に寒い光景を撮った八甲田山も大変だが必然性はある
二百三高地は夏に撮る必然性はあったのか 東映では「連合艦隊」制作、封切りの準備を進めております
真珠湾に大和、がスクリンーンに写しだされるんです
そうなっては興行で太刀打ちできません
二百三高地は封切りを待たずに降参です
撮影するなら今です、今をおいて他日はありますまい 袴女子といっしょに戦争反対ビラを撒いてるのは政党関係者か? >>827
内村鑑三あたりがモデルなんじゃないかなあ
正教ではないけどキリスト教徒だったし
寺島大尉があおい輝彦に俺だってトルストイくらいは読んでるといってたがなぜトルストイだったんだろう
当時の日本で読まれていたのはトルストイとドストエフスキーとツルゲーネフになると思うが軍人だから罪と罰とかではなく戦争と平和を読んだということなんだろうか
そうだとするとみんなが挫折するあのクソ長いロシア人名の列記を大尉はどう切り抜けたのか ごみ取り権助とか国親父座ろう的になんとかしたんだろうか なるほど、そっちの系統か... 共産党じゃないよな、やっぱり
金持ちの令嬢らしい袴女学生を連れてるんだから
「戦争と平和」後半部に抽象的で難解な論文のようなところが出て来る、あれは一般
の臣民には難しい(昔読んだワシも分からんかった) 白熊がどうのと街頭で演説してた連中、出征したかな?? ロ助が来る(ガクブル 露助が来る ガタガタガタ←震え ラグビー日本代表に課せられた任務は電通の思惑通り
国立競技場に旭日旗を掲げる事であった 次、愛蘭土
愛助が来る(ガクガクブル 愛助が来る ガタガタガタ アイルランドかなり強い
アイルランド選手1人に日本選手2人とか サモ助が来る(ガクガクブル スコ助も来る ガタガタガタ >>835
勝算はありません
おそらく五分五分 死力を尽くして六分四分か
そんだけありゃいいが実際のところ死力を尽くして一厘と九分九厘くらいだな な〜に、アイルなんぞ柵で囲って置けばいいんじゃ………
初戦のロシア戦では、あんなに大勝したではないか! 旅順をおとし(アイルランド戦勝利)ても、サモア(バルチック艦隊)にまけると
日本の決勝T進出はおぼつかなくなります 油断すると負けやすいサッカーの様な「悪い癖」には、絶対に注意だ。
最後のスコットランド戦こそ、奉天大会戦なのである。
ここで敗れ、もしも決勝Tを逃すような事があらば「臣が終生の遺憾にして……ぐぅぅ」 選手たちにはぜひ大和魂のこもった白襷を締めさせて・・・ 二百サモ助山が落ちたぞ
通信士、電話線用意
そこから湾内のスコ助艦隊は見下ろせるか! あのう、船がおるのは見えますが
どの色がスコ助か分かりません、教えてつかあさい(ガクブル バルチック艦隊並みの大型台風が迫ってきちょるのに、第三軍はなにやっちょるんかのう? キックパス多用のスコットランドに勝てるかどうか苦労しとるんじゃ
台風中止・引き分けになりゃこれ幸いというもんじゃ 強風ならパントはあげられない、肉弾戦なら勝負になる・・・多分 いかに狂風 吹きまくも いかに怒涛は逆巻くも♪
たとえ的チーム デカくとも 何恐れんや ♪ この映画の公開当時、主題歌を歌ったさだまさしは右翼からも左翼からも非難されたらしい。
左翼はともかく右翼までどうして?と、長らく思っていた。
今日ふとしたことからその理由がやっと解った。
防人の歌は、海ゆかばの返歌になってるんだね。
海は死にますか?山は死にますか? は 海ゆかば水漬く屍山ゆかば草むす屍 をdisってる。
古賀中尉の「兵たちは灼熱地獄で焼かれて死んでいくだけ。乃木式の軍人精神で救えるのですか?」の叫びを
歌詞に込めたんだろうけど、そりゃ右翼は英霊を侮辱されたとして怒るよね。 万葉集の防人の和歌みたいなものだろう
中道から見れば右も左もちょっとイかれてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています