尾美は幼稚園のころから子役として活躍していたが、1982年、16歳で大林監督の映画「転校生」の主役に抜てきされた。以後、83年に「時をかける少女」、85年には「さびしんぼう」と続く“尾道三部作”に主演するなど同監督作品への出演が続いた。

 ところが29歳のとき、雑誌で大林監督のインタビュー記事を見てショックを受ける。そこで監督は「尾美くんは僕の映画からは卒業だね」と卒業宣告をしていた。「どういうことなんだ」と当初は見当がつかなかったが、
かつて楽屋で「たまには大林監督以外のほかの仕事もしてみたい」と愚痴をこぼしたことを思い出し、その発言が伝わったのではと考えるようになったという。

 そして実際に尾美は大林組の仕事に呼ばれなくなり、そのまま絶縁状態に。それから21年たった2016年8月、大林監督が肺がんで「余命3か月」と宣告されたというニュースが報じられ「もう2度と一緒に仕事ができないかもしれない」と悲しんだそうだ。

 しかし18年、奇跡的に体調が回復した大林監督から新作映画出演のオファーが届く。作品は、監督の出身地でもある、
あの広島・尾道市を舞台にした「海辺の映画館―キネマの玉手箱―」だった。尾美は33年ぶりに訪れた地で大林監督と再会。ただ、長かった絶縁状態の理由は、監督から聞けないまま撮影が終了したという。

 番組でインタビューに応じた大林監督は、やはり尾美の愚痴を伝え聞いたことが原因だったと告白。「俺を裏切ったのか」とがっかりし、落ち込んだものの「おやじと息子みたいなもんですから。特に長男というものはいっぺん飛び出すんですよ。僕の映画につき合わせ、
ほかの可能性を僕も奪っていた」と考え「家出息子、大きくなって帰ってこい」と“卒業”させたことを打ち明けた。最新作は「尾道にもう1回、里帰り」してほしいと思って尾美を呼んだという。