いま思い出してもカッとなる!

昭和36年、「週刊新潮」と有馬稲子の関係はきわめて険悪でした(55年後の今では、もちろん冷戦状態は終結してますが)
私は中村錦之助さんと結婚、当時の芸能ニュースを大いに盛り上げましたが、これを取り上げた新潮のタイトルというのが、いま思い出してもカッとなるくらいにものすごい!

「利口なようでもやっぱり女 有馬稲子における知性の研究」というもの。
たかが女優のくせに、流行のカミュやサルトルを話題にする、こんな生意気な女に錦ちゃんの嫁がつとまるか、目を覚ませという堂々6ページの余計なお世話の大特集です。
女に教養は要らない、結婚したら家を守れという考えは、当時でもいささか時代遅れのはず。
当時「ごてネコ」との異名をとったトラブルメーカーの私は、こんなバッシング記事には最適だったのでしょうね。

もっと許せないと思ったのは、この記事が錦之助さんを貶めていること。
私の悪口だけならともかく、記事のここかしこに「血液的には錦ちゃんと最も近い人」「両方とも庶民の代表といった顔」といった悪口が出てくるのです。
所詮チャンバラ映画のヒーローでしょと、名優の錦之助さんを、いや日本の時代劇を軽侮した視点ではないですか。

私と結婚する頃すでに「宮本武蔵」とか「反逆児」、「瞼の母」といった映画史上に残る名作に出ていたのに、見る目がないとしかいいようがありません。
最後に、大江健三郎さんの「彼女はよく本を読んでいるようだし、絵の趣味もなかなかいいし、インチキ性はない」というコメントで、辛うじてバランスをとっているのはさすがですが。