要するにナチスのやったベルリンオリンピックとどこが違うのだろう。
「世界に冠たるドイツ」を誇示するための国家的行事のためにナチスは
アテネからベルリンまでの聖火リレーなるものを発案した。
国民に強烈な民族的自尊心を植え付けるためだった。映画監督が演出をしたところも
似ている。国策映画ならぬ、国策の「奥林匹克??会」。ダサイ名称で、「五輪」という
しゃれた名称とは雲泥の差だが、たかが運動会に膨大な支出と近代テクノロジー
を駆使した見世物だった。
 聴けば、フランスのサルコジは、「カノッサのサルコジ」と本国で揶揄されているそうだ。
中国市場を手放せない財界からの圧力で、フランスの建国の理念であった個人の自由と
人権擁護をいとも簡単に放擲して中国に諂ったことをカノッサの屈辱ならぬ「北京の屈辱」と見なした
人権擁護派の皮肉である。 なんだか、居並ぶ各国の首脳達の顔が、中国皇帝に拝謁するために北京に
やってきた朝貢國の使節にみえてきたものである。