>「自分が死んだ後は映画を1本作ってほしい」というのが裕次郎さんの遺
>言だったが、2人の在任中は果たせぬ夢に終わった。これについて、小
>林専務は「『黒部の太陽』(1968年)などがヒットした後、客の入ら
>ない映画を何本も作ってしまった。そのことがトラウマ(心的外傷)に
>なって、自信がなかった」と打ち明けた。渡も「みんな映画が好きですから。
>でも、ゴールすべき脚本に巡り合えなかった」と悔やんだ。
ttp://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2011051202000090.html

やっぱりこの辺が本音だったんだな。
実はドラマ「弟」も「石原プロはなぜ映画を作らなかったのか?」の言い訳ドラマ
だった。あれ一般の視聴者が観ても映画映画と言いつつ実際は何もしなかった
晩年の裕次郎たちの言動は不可解なだけだっただろう。
結局、晩年の裕次郎に生きる気力を持たせる為にみんなで有り得ない映画企画を練って、
裕次郎もそれを知りつつその「嘘」に乗ってあげていた・・・そういうことでしょうね。

>>434
>「石原プロモーション」は、未亡人が過去の知的財産を運用する会社になるのでは?

三船プロ・勝プロは一応はまだあるけど今はほぼ版権管理しかしてない。中村プロは
無くなり中村プロが関わったTV作品の権利・原版は今は別の会社に在るらしい。
その他錦之助関係の細かい権利などは誰が管理しているのかは知らん。

岡田茂も無くなり、過去の日本映画の生き残りみたいな人やモノはこうして
ほぼ消え去っていくんだろう。