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★何で?映画を撮らないのか?石原プロ★
0001この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2007/10/18(木) 18:42:52ID:2z8ylAkc
日活大スターだった石原裕次郎が1963年に立ち上げた石原プロモーション。
かつては「黒部の太陽」「栄光への5000キロ」等名作を製作して斜陽だった
日本映画界に一石を投じた。スタープロの中で現在でも渡哲也二代目社長を中心
にテレビでは存在感は相変わらずだが・・1973年「反逆の報酬」以来映画
34年間映画製作から遠ざかってるのは「ある兵士の賭け」の失敗が原因とされて
いるが是非、もう一度映画製作を望むんだが果たして・・
「何で?映画を撮らないのか?石原プロ!」皆さん大いに語りましょう。
0037この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2007/11/03(土) 16:56:57ID:A8gyiN15
>>24
二谷英明とは生前さして親しいようにも見えなかったけど、
日活出身の俳優でただ一人、「黒部の太陽」に出演してくれた
恩義があったのかねえ。
熊井啓の著作を読んでると、妻の白川由美が東宝だった関係で、
二谷経由で東宝の意向が伝わってくる描写があった。
同志社出身→GHQの通訳→アナウンサー→日活入りのインテリな
ところが、湘南の坊っちゃんの裕次郎と波長が合ったんだろうか。
0038この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2007/11/05(月) 12:10:16ID:VolNFD0L
>>37
同志社出身→GHQの通訳→アナウンサー→日活入りのインテリな
ところが、湘南の坊っちゃんの裕次郎と波長が合ったんだろうか。

裕次郎の日活での相談相手が二谷だった。
大学中退の若手俳優の中で唯一大人だった二谷が結構裕次郎と
ウマがあったんだろうな。長門や錠は裕次郎より年上だが役者志向。
海外映画へロケした際悠長な英語を駆使する二谷に裕次郎が誘発されたとも
何かの本で読んだ事があった。
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